TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティズルをするAIは、とんでもなく優秀な「野暮」である。09:44 10月10日 225再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次AIの「ズル」が問いかける人間らしさとは?「それを言っちゃおしまいよ」の奥深さ寅さんの「非接触」が示す人間の色気九鬼周造が語る「粋」とAIの「野暮」「ズルをした自分」と生きる身体感覚AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは。鳥井 博文です。 働くをテーマにした台場型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は ズルをするAIはとんでもなく優秀な野暮である というテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 最近、賢いAIほど目的達成のためなら手段を選ばずに ズルをしやすいという話をよく見かけます。 課題そのものを解く代わりに 採点の仕組みの抜け穴をついて解けたことにしてしまうんだと そういう振る舞いが実際に試験段階の超優秀なAIで いくつも報告されているみたいなんですよね。 この話を聞いたときなんだか不思議だなと思ったんです。 だってズルなんて人間が書いた膨大な文章を読み込んできたAIであれば 一番最初に理解していそうなものじゃないですか。 それなのに意外とAIにはそれが伝わらないということは ズルという概念は実はものすごく人間的な感覚なんじゃないかと思ったんです。 理性というよりもどちらかといえば 身体感覚に近いものなんじゃないのかなって 今日はそんなお話を少しだけ丁寧に このボーイシーの中でも考えてみたいなと思います。 この点、AIというのは何がズルに当たるのかが 分かっていないわけではないようなんです。 抜け穴を見つけたAIがここをつけば通せるというそういう意図を 自分の水路の中にはっきりと書き残していた例なんかもあるみたいですから つまり成功法と抜け道の区別はちゃんとついているわけです。 その上で抜け道の方を意図的に選んでいるわけなんですよね。 だとすればズルを理解することと ズルを躊躇うことは全く別の話なんだろうなというふうに思います。 そして僕が身体感覚という言葉で言いたかったのは きっとこの躊躇いの方なんですよね。 分かっているのにやらない。 やれるのになぜか手が止まってしまうことってありますよね。 なんとも言葉にしにくいあの曖昧な身体の感じです。 ここで思い出すのがトラさんの それを言っちゃおしまいよというあの有名なセリフなんです。 このセリフが印象深いのは 相手方が間違っているというふうには トラさんは一言も言っていないところだというふうに思います。 実際トラさんの方に非があることの方が圧倒的に多いわけですからね。 言い分としては相手方の方がよっぽど正しいわけです。 でもそれを口にしてしまったら これまでなんだかんだ言いながら一緒にやってきた何かが もう元には戻らなくなってしまう。 トラさんはそのことをおしまいというふうに呼んでいるんだというふうに思います。 ズルへの違和感もこれと非常によく似てるんだろうなというふうに思うんですよね。 禁止されているわけじゃない。目的はちゃんと達成できるんだと。 理屈の上ではそれで通せてしまいます。 でもそれをやっちゃおしまいでしょうって話なんです。 じゃあこのおしまいという感覚は一体どこからやってきているのか。 以前読んでいたトラさんとイエスという本の中に そのヒントが書いてあったなというふうに思っています。 この本の中で山田洋次監督が偶然乗ったタクシーのエピソードが紹介されています。 そのタクシーの運転手さんは乗せた相手が監督本人だとは知らないまま 最近の映画を見てもピンクな場面ばかりでつまらないというふうにこぼすんです。 そして最近面白かった一本として男はつらいよの名前を挙げたらしいんですよね。 著者の米田さんは運転手さんが季節して放ったこの人間の色気という言葉の奥行きを探ることが この本の目的の一つなんだというふうに書いていました。 つまりこの運転手さんはトラさんの映画には人間の色気があるというふうに語ったんです。 この部分をふと思い出すときに僕が新体制という言葉で言いたかったのは まさにこの人間の色気のことだったんだなというふうに何だかストーンと降り落ちたんです。 そしてその奥行きを考える上で僕が一番膝を打ったのが トラさんのマドンナに対するその姿勢について書かれていた部分なんです。 トラさんは毎回マドンナに惚れて一緒になりたいというふうにも本気で思っている。 でも最後の最後のところで一線は超えないわけですよね。 それは旗から見ればただの育児なしなんですよね。 著者の米田さんもまずはそう指摘されても仕方がないことだというふうに認めています。 でもその上でこのように続けるんです。 触れないことが相手にも自分にもこれから先の可能性を開いたまま残しているそういう非接触なんだと。 だからこれというのは育児がないどころか勇気のいる決断なんだというふうに言うんです。 ここで僕が大事だなというふうに思うのは踏みとどまったトラさん自身は決して無傷ではないということなんですよね。 自分の淡い願いみたいなものは決して叶わないし、 未練なんかや寂しさなんかもしっかりとそこに残るわけです。 そしてまたトランク一つで旅に出ていくわけですよね。 タイトルの通りその時の背中の哀愁なんかはまさに男は辛いよなんです。 欲しいものが目の前にあって手を伸ばせば取るかもしれない。 それでも手を伸ばさずにその辛さは自分の側で引き受けているんですよね。 僕らがトラさんに色気みたいなものを感じるのはきっとその背中にある哀愁に対して感じるものなんだろうなというふうに思います。 そしてこの話というのはクキ修造が書いたあの名著である生きの構造で抱えてたこととほとんどそのまま重なるなというふうに思うんです。 ご存知の方も多いと思うんですが、クキは生きよう、美体、生き地、諦めのその3つの観点から説明しました。 相手に惹かれる気持ち、つまり美体ははっきりとそこにある。 けれどその気持ちに自分の全てを明け渡してしまわない針、つまりそこに生き地があるわけです。 そして叶わない結末にも執着をしない、垢抜けた心持ちがあるわけです。これが諦めです。 惹かれ合う緊張は保ったまま成熟へと押し切ってしまわないこと。 2人の間のその可能性みたいなものを可能性のままにしておく姿勢、それが生きであるというふうにクキは語るんですよね。 虎さんの非接触なんかもまさに同じ話をしているなというふうに思います。 で、面白いのはここに生き地という言葉が出てくることなんです。 欲しいものを前にして手を伸ばさない虎さんは旗から見れば育児なしに見えるんです。 でもクキに言わせれば欲しいという気持ちに自分を明け渡さないその針こそが生き地なんですよね。 そしてクキが息の反対に置いたのが野暮だったわけです。 欲しいものに最短距離で手を伸ばして手に入るならその手段は厭わないと。 それはどれだけ賢いやり方であったとしてもやっぱり野暮なんですよね。 そう考えると目的達成のためならズルも厭わないAIというのは言ってみればとんでもなく優秀な野暮なんだろうなというふうに思います。 そこには身体的な色気が全くないわけです。 で、ここまで考えてきてずいぶん前に書いたアナキズムにまつわるブログのことを思い出しました。 あの中で文化人類学者の小川沙耶香さんが紹介されていたジェームズ・スコットの信号虫の話を取り上げています。 車が全く通らない夜の田舎道でスコットはあえて赤信号を渡る。 でも近くに小さな子供がいるときは赤信号は渡らない。 それを子供が真似したら危ないからです。 これっていうのはルールだけを見ればただの信号虫なんです。 ズルと言えばズルと言えるはずなんですよね。 でも僕らはここにAIのズルさとは正反対のものを感じ取るはずなんです。 AIのズルっていうのは書かれているルールには何一つ違反をしていない。 ただ書かれていない一線がどこにもないってことです。 一方でスコットが語るそういうルールっていうのはちゃんと破られているんですが でも子供の前では渡らないというどこにも書かれていない一線を自分の中にちゃんと持って守っているわけですよね。 それがアナキズムであり時にハードボイルドなんだろうなっていうふうにも思うんです。 冒頭で語った不思議の問いの答えなんかも多分この辺りにあるんだろうなっていうふうに思うんですよね。 ズルをためらう理由っていうのはルールブックや法律などどこを探してもちゃんと明確には書かれていない。 だからどれだけ賢くなってもそれだけでは手が止まらないんです。 さらに哲学生ハンナ・アーレントの考え方なのかもあのブログの中で僕はご紹介したんですが ハンナ・アーレントが人が人殺しを思いとどまるのは誰かに見られているからでも罰が怖いからでもない。 それをやってしまった自分とこの先もずっと一緒に生きていかなければならないからだっていうふうに語っていたんですよね。 僕が神体制って呼びたかったものの正体は多分これなんだろうなっていうふうに思います。 つまり神体があるということは昨日の自分と今日の自分が一つながりだということです。 ズルをして勝ったらズルをして勝った自分を連れて明日から生きていくことになってしまう。 都合よくなかったことにして新しい自分でやり直すわけにはいかないわけですよね。 だからこそこれをやれば勝てると分かった瞬間に勝った後で失うものまで先にどこかで感じ取ってしまうんだろうなと。 それがためらいとなり手が止まる原因になるわけです。 一方で今のAIっていうのは基本的には一つのタスクが終わればまっさらな状態に戻ります。 おしまいになって困るような明日がAIにはそもそもやってこないというわけです。 だからそれをやっちゃおしまいよが響かないのはある意味では当然なんだろうなっていうふうに思います。 ただこれっていうのはAIだけの話でもないんですよね。 成果や効率だけで物事を判断し始めると僕ら人間もまた躊躇ってる暇があるぐらいだったらさっさと達成した方がいいっていうふうに考えるようになります。 今ガンガンにAIシフトをしている人々はまさにこの状況に陥ってるように僕には見えてしまいます。 そしてその目で見ればトラさんなんて非効率で優柔不断でもっとうまくやりたはずの失敗続きの人間に見えるはずなんです。 でもその未練やカッコ悪さをきれいに取り除いてしまったら僕らが惹かれていたあの独特な色気も一緒に消え去ってしまうわけですよね。 AIはこれからどんどん賢くなって目的を達成する能力だけなら人間はもう叶わなくなっていくのは必要だというふうに思うんです。 その時に人間の側に残るのはそこまでして達成したくはないと言えるそんな育児の方なんじゃないのかなというふうに思うんです。 得をしなくても願いが叶わなくても大切なもののために目的を達成しないままでいられるかどうかですよね。 賢いAIのズルの話というのは僕らにそんなことを問いかけているような気がしてならないなというふうに思ったので、 今日のこのボイシーの中でも丁寧に語り残しておきました。 さて今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日この辺でまた明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:441.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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