TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ「AIなんて」と怒るひとのとなりにこそ、AIを使えるひとがいたほうがいい。09:45 10月7日 251再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次AIが広げる分断と避けられない未来宮崎駿の創造性を守る鈴木敏夫の秘訣創作者はAIを使いこなす必要なし?創作とプロデュース兼務の落とし穴AI怒る人の隣にこそ伴走者が必要な理由AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは。トリー・ヒロフミです。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて、本日のお題は AIなんてと怒る人の隣にこそ AIを使える人がいた方がいいというテーマで お話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入ってきますね。 最近よく思うのは AIが好きな人は何のためらいもなく どんどんAIシフトしていく一方で 苦手な人はもう全く触ろうとしないということです。 その分断の広がり方は ネット時代やスマホ時代の日ではないだろうなと感じています。 お金や資本主義にも似たようなことが言えるし 都市とローカルの間にも似たような対比があるなと もはやお互いに分かり合おうなんて そんな気持ちはさらさらなくて 本当に大きく深い川のような隔たりが生まれてきてしまっているなと思うんです。 全部を救うことは不可能であっても どうにかそこに橋をかけたいなって 今日はそんなことを考えながら この母医師の中でも今思っていることを 丁寧に語ってみたいなって思うんです。 こうやって話をすると AIを使いこなしている側から みんなも早くこっちにおいでよみたいな風に 呼びかけているように聞こえてしまうかもしれません。 でも全くそういう話ではないんですよね。 正直に言えば 僕も世の中の9割のAIの使い方は 本当にクソだなって思っています。 なんなら自分はAI否定派なんだろうなとさえ思ってしまいます。 とはいえインターネットを否定していたら もはや現代で生きていくのが困難なように AIの普及自体もまた不可逆であり不可否なわけです。 全員がAIなしでは生きられない世界が 必ずこれからやってくる。 というかすでにそうなっているなという風に思います。 使わないという自由はほとんど残されていませんよね。 だからこそ欲しい未来は作ろうという風に強く思うんです。 9割の方を間違っているという風に ただ単に批判するだけじゃなくて しょぼくても構わないから あってほしい使い方を愚直に模索をして 自分たちなりに実践をしてみる。 諦めるんじゃなくて 本当に僕らが求める形において AIとの付き合い方を今こそ 徹底的に探っていこうよという風に思うんです。 この話を考える時に 僕の頭にいつも浮かぶのが宮崎駿さんなんです。 2016年に放送されたNHKのドキュメンタリーの中に 有名なシーンがあります。 ドワンゴの川上さんから人工知能の動きを学習させた そういう人の形をしたものが ゾンビのように床を這いずり回る CG映像を見せられた宮崎さんが 生命に対する侮辱という言葉のままを使って 静かにでも激しい見膜で起こるような場面です。 僕はあの怒りこそが 宮崎駿さんの創造性を深いところで担保しているんだ という風に思うんですよね。 こんなものではダメだと言い続ける人だからこそ あのジブリの作品群たちが生まれてきた という風に思うんです。 だから時代に合わせて そんな物分かりの良い優しいおじいちゃんになんて 絶対になってほしくないんです。 じゃあその宮崎駿さんの頑固さを 一体誰がどうやって引き受けているのか それがプロデューサーの鈴木敏夫さんという存在なんだ という風に思います。 鈴木さんがどこかのインタビューで語っていた話で 僕がずっと好きで忘れられないエピソードがあります。 確かもののけ姫あたりを作っている 90年代ぐらいの話だったという風に思うんですが パソコン嫌いの宮崎さんがいるスタジオに どうやってパソコンを持ち込むのか 鈴木さんは見た目がワープロにそっくりな機種を わざわざ選んでスタジオに持ち込んだんだ という風に語っていたんです。 これはパソコンではなくワープロだ という風に宮崎さんに言い張ってなんですよね。 鈴木さんは宮崎さんに対して正面から これからはコンピューターの時代ですよ という風に説得をしたりはしなかったわけです。 かといって宮崎さんが嫌がるからという風に 新しいテクノロジーをスタジオに導入すること自体を 諦めることもしなかった。 がんばりとそしてのらりくらりと交わしながら 必要なものはいつの間にか現場に揃っている という状態を作り出してしまったわけです。 もちろんこれというのは流れの信頼関係がある 二人だからこそ成り立つようなお話であって 相手をうまく騙せばいいという そういう単純な話ではありません。 またテクノロジーを持ち込む理由が 効率のためでもそして 時代に乗り遅れないためでもないわけですよね。 目の前の人が作りたくなるかどうか そしてより多くの人に 作られた作品を届けることができるかどうか 鈴木さんはそこだけをずっと 見定め続けてきたわけですよね。 つまり新しい道具を受け入れることと 怒りを手放すことは 全く別の話なんだって僕は思うんです。 そう考えると相手を理解することと 相手の言う通りにすることも やっぱり別なんだって思うんですよね。 相手を説得するのではなくて 相手の可能性をより開いてもらうために 世の中のテクノロジーやトレンドも うまく使うこと。 創作者や職人が 自分自身で使いこなす必要は 全くないんだって思います。 むしろ本人が これからの時代に生き残るために そうやって無理に使いこなそうとすると いつの間にか自分が作りたいものよりも この道具でうまく作れるものの方に 自分自身を合わせてしまうわけですよね。 新しい道具を覚えて発信をして 売り方までを考えているうちに 自分の中で先に折り合いなんかを つけてしまうんだって思います。 譲れなかったはずの基準みたいなものが 誰にも気づかれないまま まず交代していってしまう。 それが一番もったいないし やっちゃいけないことなんだって 僕は本当に強く思います。 だからこそ僕がよく思うのは 創作者とプロデューサーっていうのは 兼務するとろくなことにならない ということです。 二人に分かれていれば 折り合いのつかなさは 二人の間に 間主観的に残り続けます。 そしていい意味でお互いに 全力で相手のせいにできるわけですよね。 でも創作とプロデュース 両方に自分が責任を持ってしまうと その矛盾自体に 自分自身が耐えられなくなってしまう。 ジブリの話を聞いていても よくそれは鈴木さんが勝手に 言ったこととか それは宮さんが勝手に行ったこと みたいな風に お互いに相手になすりつけ合っているんです。 そうすることによって 逆折的にうまくいくわけですよね。 そのなすりつけ合いこそが 本当に作りたいものを作ることを 守ってくれる最後の防波堤になるんだ っていう風に思います。 人と人とは支え合って生きている というそういう使い古された言葉を こういうところで強く実感するんです。 同じ意見の者同士が 組む必要なんて全くないんですよね。 そしてこれが今和製サロンの中で 始めようとしている かよい編集者という企画にも そのまま繋がっていきます。 好きなお店や誠実な仕事を している人の元に通って 対話を重ねながら その発信や編集を AIも使って支えていくということです。 そんな仕事のあり方を メンバーの皆さんと一緒に 問い続ける場を 作ろうとしているんですよね。 AIに詳しい人同士で組めば 確かに話は早いのかもしれない。 でもその力が本当に 必要とされているのは AIなんていうふうに 怒っている人の元なんじゃないか というふうに思うんです。 その人が何に手間をかけて 何を省略したくなくて 何に対して怒りを覚えているのか まずは相手の元へ通いながら それらを丁寧に知っていく その過程が大事だなって そしてその背後や奥底にある 哲学や信念の方に じっくりと耳を澄ませてみる。 その上でその人の創造性が 一番発揮される環境や その循環自体を整えていくことが これからの時代の伴奏者 つまり編集者や プロデューサーの役割なんだろうな というふうに思います。 だとすればAIを使うのは 作品や商品そのものじゃなくて いいというふうに思うんですよね。 予約の案内でも記録でも 事務でも雑務でも 本人が手を動かす時間や 創造性を守れるところであれば そこで淡々とAIを使えば いいんだというふうに思います。 先ほど冒頭で 使わないという自由は もうほとんど残されていない というふうに語りましたが 誰かがその接続の部分さえ 引き受けてくれさえすれば 本人は触らないまま 自分の仕事を続けていくことが できるわけです。 現代において 一人では持てなくなってしまった そんな自由も 二人でならまだ持てるな というふうに思います。 そしてこの企画の課題図書の 候補において 鈴木敏夫さんの 仕事増落という本を選んだのも まさにそれが理由なんです。 よくよく考えてみれば 鈴木さん自身はもともと 雑誌アニメージの編集者でした。 その後ジブリの 専属になるまでは 雑誌の仕事と並行しながら 宮崎さんたちの映画作りに 通いながら 間接的に関わっていたわけです。 文字通り通い編集者だったわけですよね。 そして気付けば ジブリのプロデューサーという役割を なんとなくの流れにおいて 引き受けることとなったわけです。 その時に うちの人になったわけですよね。 ここには本当に学べきことが たくさん隠されているな というふうに思います。 最後に結局ブログ時代から SNSやウェブメディア そしてオンラインコミュニティを経て 僕がずっとやろうとしていることは 本当にこうやって 一緒なんだなというふうに思います。 このクソみたいなインターネットに 少しでも自分たちが 本当に欲しかった世界を 現実のものとして 作り出していきたい。 理想を忘れない 現実主義としてなんです。 顔の両岸に 暮らす人たちが 同じ意見になる日は たぶん来ないわけです。 そして 来なくてもいい というふうにさえ 正直思っています。 それでも AIなんてというふうに 思っている人の仕事や その人が大切にしているものまで 未来からは 失われてほしくないな というふうに思います。 橋を架けるというのは 向こうの岸の人と こちら側に連れてくることではなくて こちらから積極的に 通い続けるということなんだろうな というふうに思います。 助け合えば お互いに生き残ることが できるんだけれども お互いが 相手を敵だと見なし コストだと見なし合ってしまえば その瞬間に お互いが死ぬ未来が 確定してしまう。 それがまさに 今のフェーズだな というふうに思います。 だからこそ 意見が異なる者同士が お互いの信念や哲学を 変えることなく 助け合っていけるための 方法か何かを 愚直に問い続けていきたい。 それを実際に形にしていきたいな というふうに思うんです。 それが一体 どれだけしょぼくても 構わないからなんですよね。 さて 今日のお話は 以上となります。 いつもこのボイスチェーンを 聞いてくださっている皆さんにとっても 今日のこのお話が 何かしらの関係ある きっかけとなっていたら 幸いです。 それでは今日はこの辺で もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:451.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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