TOPトーク教師ユーモアは教室を救う!♯216)学級独自の造語や格言を張り出すことの是非30:42 一昨日 331再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次学級独自の造語・格言の危うさ会社組織と教室の共通する違和感掲示物が子どもにもたらす息苦しさ「あの先生」を模倣する危険性とは褒めるより「承認」する教育の秘訣AI文字起こし(β版) # 学級独自の造語や格言を張り出すことの是非① 通院する日以外は、外から一歩も出ていない日々が続いている、私、47歳、あたたたたです。 まあ、あのね、そうなんですよ。 日の光をね、全く浴びていないのでですね、これね、私、植物だったら枯れてますね。 まあまあまあ、ドラキュラとかだったらね、逆に外に出ない方がいいんでしょうけれどもね。 さてさて、あとちょっとで、もうタイトルコールと本編をね、分けるっていうことがですね、ちょっといらねえんじゃないかなと思ってですね、このまま本題に入っていきますね。 今日のテーマはですね、学級独自の造語や格言を張り出すことの是非、というテーマです。 何のこっちゃよくわからないと思うんですけども、これ私が過去にですね、2025年8月30日のXのポストで投稿した内容をまずは読み上げますね。 仮に自分が会社勤めをしていて、オフィスの壁にやたらとその会社独自の造語やスローガンが張り出されていたら、若干の気持ち悪さを感じるのではないか。 そういう形でコントロールしたいのだな、と。教室はそんな危うさを秘めている空間だと思う。 あの頃の俺たちってどうかしてたよね、と。 それがいわゆる学級王国の一つの形なのだと思う。王国独自の規律と慣習と連帯。 毎朝学級目標を昭和する学級は、毎朝社科を昭和する営業会社に似ている。 しないよりした方がいいのかもしれないけれど、どうしても違和感を覚えてしまう。 このようなポストを1年以上前に投稿しておりました。 これ、ピンときますかね、この内容って。 これね、私も時々やってたりはするので、だからこそ自分に矢印を向けたいなと思っての投稿ではあるんですけれども。 学級で教室にですね、人生を生きていく上で大事な考え方とか格言とかそういうのをデカデカと教室に貼ってたりすることってないですかね。 何だろうな。何でもいいですけど。 今パッと出てこないな。 こないだチラッと見かけたので言えば、人は見た目が8割とか9割とか、例えばそういうことですよ。 エジソンの格言でもいいですよ。 何、才能、すみませんね、すぐ言葉が出てなくなって。 何かありますよね、1%の、99%の努力と1%の才能で成り立っている。 なんかちょっとすみませんね、このグダグダな放送で。 何かありますよね、そういうのね。 あるいはもともとない言葉を学級で作って、その言葉を貼っているとか、あるいは学級で作らなくてもその担任自身が何かあるいはどこかで学んできた用語を教室にバーンって貼って。 もちろんいきなり貼るんじゃなくて、おそらく教室でね、そういう話を多分してるんだと思うんですけども。 その上で教室のいろんなところに貼ってたりとかね、あるじゃないですか。 私もね、やってたことはあるし、今もポイントで一つだけちょっとどうしてもこれは日々意識してほしいなと思って貼るものっていうのはあるんですよ。 でもね、あれもね、さっき思うのは、あれってさっきのXの投稿そのものなんですけども、子どもを結局はどんなにいい言葉だったとしても、それでコントロールしようとしてるっていうことには違いないなと思うんですよ。 言い方は、コントロールって言い方をするからよくないのかもわかんないですけど、子どもに意識してもらいたいから貼るっていうことは、要するに結局はコントロールしてるわけですよね。 なんかこちらの都合のいいようにというか、こちらはよかれと思って、その子が日々生活していく上でより良い人生を歩めるようにと思って、それを貼り出してるわけなんですけれども。 なんかね、心のどこかでちょっと違和感があるんですよね。 で、子どもが心の底からそのことを大事だと思っていて、で、そのことを意識、子どもがそうそう、この刑事があるおかげで助かったよって、心の底からクラスの子どもたち全員がそのように思っているんであればいいんですけれども、 これやっぱり考え方はいろいろあって、結局は子どもが刑事してある通りの行動をすれば先生が認めてくれる、先生が褒めてくれる、このようなモチベーションになっている子もいると思うんですよ。 で、あとは、ただね、そのようなモチベーションになってそのように行動できる子はまだいいんですけれども、中にはどうしてもそれを意識できない、行動に移せない子っているんですよね。 それは悪気があるわけじゃなくて、それはわかりません。例えば発達障害的な発育の問題なのか、これまでの大人たちのその子に対する関わり方のせいなのかわかりませんが、どうしても不適応を起こしてしまう子がいるわけですよね。 だからその子にとってみたら、もしかしたらそういった格言とか造語とか何かの目標っていうのは、その子にとっては非常に息苦しいものかもしれないですよね。 だから、ある子にとってはその通りに行動すれば先生に認められる、褒めてもらえるっていうモチベーションでいる子がいる一方で、もしかしたら逆にそれが掲示されていることによって、そのことから外れた行為をしていたらマイナスなわけじゃないですか。 ある種。そうすると、もしかしたら周りの子に、ほらあそこに貼ってあるけどお前できてないじゃんって言われる可能性もありますよね。だから非常に息苦しい材料になりかねないなと思うんですよね。 ただ、もちろんそういうのが貼ってあったとしても、非常に上手に学級経営をやりくりしている方の学級ではそういう事態には起こらないのかもしれないんですけれども、ただやっぱり非常にリスクが高いなって最近は思うんですよね。 だから究極的には、その担任の先生と子供たちの忖度が全くない状態で、それはもしかしたら1年後かもしれないし、2年後かもしれないし、それは10年後かもしれませんが、 子供たち一人一人にその頃の記憶を呼び起こした上で、ところであれって当時どう感じてたとかって聞いてみないと、究極的にはそれが良いか悪いか分からないなと思うんですよね。 ただ、結局それを掲示することによってきっと上手く回る部分はたくさんあると思います。なぜなら教師自身も掲示してある内容って貼ってなかったら忘れちゃうから、それを見て思い出して、そうそうみんなが今頑張った行為っていうのはこれに当てはまるんだよねとかってやりやすいわけだから、 子供を非常に、本当にまた嫌な言い方するんですけど、コントロールしやすい。だから、もしかしたらそれを掲示しない学級よりも上手く回るかもしれないんですけれども、中一方ですごく苦しい思いをしている子がいるかもしれないですよね。 私ね、教員だけじゃなくて芸人も今までやりましたが、それ以外に営業会社で普通にサラリーマンでスーツ着て法人営業とかやってたことあるんですよ。それなりに良い成績を残したりするんですけど、やっぱり営業会社ってそういうとこあるんですよ。 古いたたせるような言葉が壁に貼ってあったりとか、社科って言って毎朝その会社独自の言葉を昭和したりするんですよ。 # 学級独自の造語や格言を張り出すことの是非② すみません、ちょっと中途半端なところで途切れてしまいました。 そうなんですよ、私ね、過去に営業会社で働いてたことがあって、営業マンやってて、その時のことがね、よみがえるんですよ。 で、まあなんか、営業している人を奮い立たせるような言葉が、なんか紙にデカデカ貼ってあったりとかですね。 あとは、先ほど私ね、例えば朝、楽器目標を昭和する楽器と営業会社が社歌を、その会社の歌みたいなのを昭和するのって、なんか似てるなっていう。 まあまあ、さっきそういうことを述べましたが、そういう社歌があったりするんですよ、営業会社って。 ちょっとね、今となっちゃほとんど覚えてないですけど、なんだろうな。 えっとね、なんか、貢献することで感動を、とかね。 なんかね、みんなで声を合わせて言うんですよ。 いいこと言ってんですよ。 要するに、ただただ儲けるんじゃなくて、まあその会社、法人営業でしたから、その相手方の会社に貢献することが素晴らしいんだと。 感動をしてもらうことが素晴らしいんだ、みたいなことを述べるパートがあるんですけども。 まあ非常にいいこと言ってんですよ。いいこと言ってんだけど、やっぱりでもね、ちょっと引いた感じでいくと、やっぱり若干の気持ち悪さは感じるんですよね。 宗教じみてるっていうか、宗教に失礼ですけど、こんなこと言ったら失礼ですけど、ちょっとなんかね、それって似てるなと思うんですね。 学級でそういう目標を昭和するとかっていうのが、いいことなんですけどね。 本当は子どもたちに意識してもらうには非常にいいことな感じがするんですけども、やっぱりなんかね、僕その営業会社の社会を昭和することを思い出したんですよね。 もっと言うと、私そもそも学級目標って教員生活の1年目の時に作った時以来一度も作ってないんですけども、それはなぜかっていうのは過去に放送をしましたし、 ここでは今それがポイントじゃないと言わないんですけども、やっぱり若干の気持ち悪さって感じるんですよね。 分かりません。それはね、私が生きてきた中で体験したことが元になってるから、そういう体験がない方にとってみたら何の違和感もないのかも分かりませんし、 違和感を感じてる側がもしかしたらおかしいのかもしれないですけど、だけどやっぱり息苦しいなって思うようになっちゃったんですよね。 だから、なるべく全く貼らないっていうわけじゃなくて、ちょっと貼ったりはするんですけども、どっか心の片隅にこれのことによって息苦しさを感じる子がいるかもしれないなっていうのをどっかで思ってた方がいいなって思うんですよね。 それを自分の学級経営は素晴らしいんだって言って、これを貼ることによって子供がこういう良さがあるんだみたいなことの一辺倒でいるのは非常に危険だなって思いますね。 だから多分そういうのを掲示してたりするのをSNSで見かけると、私も違和感を覚えるところもあるし、ただその良さも私は分かるので、面と向かって直接その人を批判することはないんですけども、 あれに刺激されてそういう投稿があるとめちゃくちゃ叩きに行く方っていらっしゃるんですよね。ってことはやっぱり違和感を感じる人がいるってことなんですよね。 あとは、私が教員だから余計分かるんですけども、なんかね、ちょっとね、尖った言い方をするならば、教員ってそういうの好きですよね。 なんか立派な言葉とか感動的な言葉を教室に貼りがちっていうかね。私もね、そういう部分があるんで分かるんですけど、なんか貼りがちなんですよね。どうなんですかね。そういうのを自分の家に貼り出されたらどうですか。なんか分からないけど。 じゃあ今これ、例えば男性の先生からしたらですよ。奥さんがなんか分かんないけど、急にとても大事な家具みたいなのを家にバンバン貼り出した。気持ち悪くないですか。なんか。 例えば今聞いてる方がね、女性の教員でね、旦那さんがある日急に何かに目覚めて、なんかね、分かんないけど、人は見た目が9割とか急に貼り出してとか。なんでしょうね。なんか、信頼貯金が大切だとかなんか分かんないけど。 その言葉自体はとてもいい言葉だと思うんだけど、なんか急にそれ貼り出されたらなんかちょっと嫌じゃないですか。ってことは今信頼貯金がないんだな、この家庭ではって話だし。見た目がとかって急に貼り出されたら、家族の誰かの見た目がダメなんだなって案に言ってるようなものだし。なんかね、息苦しいなみたいな。 で、しかもそれができてなかったら言われちゃうわけでしょ。これ貼ってあんのにあんたは全然意識してないのよねとかって言われちゃったりなんかしてね。だからね。 まあまあまあ、ただ、学校と教室とね、その家じゃ全然意味合いが違いますかな。家庭で違和感を感じるようなものだったとしても、教室だったら許されちゃうみたいなところもあるんですよね。だから怖いんですよ。密接だから。 でもね、なんかね、というふうに思いました。で、私もね、全く貼ってないわけじゃないですよ。全く貼ってないわけじゃないんですけども。だけど、やっぱりどっか怖いなって思うんです。 だから、あれですよ。ほら、教室の子供たちのちょっとした様子を写真にパシャって撮って、それをカラー印刷して教室に掲示しつつ、その様子をちょっとした標語っていうかキャッチコピーみたいなのをつけて、 で、貼るみたいな実践とかあるじゃないですか。私もね、やったことあるんですよ。で、そのことの良さも感じてはいるんですけども、なんか、分かんないですよ。今ね、めっちゃ適当に言いますよ。 例えば、子供たちが、なんかのタイプでもいいですよ。なんか例えばエンジン組んで、頑張るぞーみたいな様子を写真でパシャって撮って、で、一致団結みたいな言葉を書いてね。一致団結する子供たちとか言って、バーって貼ってとか。 まあ良いことなんですけども、要するに一致団結するのって美しいよねっていうことなんですけど、なんかそれもね、私は過去にやってたことがあるんですけども、ある時こんなこと言われましたよ。 まあそれはね、そのことの関係性がうまくいってなかったがゆえだとは思うんですけども、ある子にですね、ああいうの貼るのやめてほしいって言われて、なんか私たちにそういう風になってほしいって思って貼ってるんでしょうけど、なんかあれやだって言われたことあるんですよね。 だから別にその実践がダメって言うよりは、まあそれはそのことの関係性が良くないから出た言葉と捉えることもできますから。ただね、一方ではこうも言えますよ。子供と私との間に忖度する関係が一切ないからこそ出てくる言葉っていうかね。 あれが私に忖度っていうか、先生にどう思われるんだろうっていう関係性があったらば、たぶん心の中でこれちょっとやだなって思ってても言えないわけですよね。だからそういう実践をされている先生は、ずっとそれをされているってことは、きっと子供からそういうネガティブな発言が出たことがないってことなんですよね。 それはプラス面で言えば、先生と子供との間に信頼関係があって、先生がしてくれることっていうのはきっと必ず自分たちにとって良い面があるんだって思えてるからって捉えることもできるし、それとは一方でちょっとなんかちょっとやだなって、なんかこういうことで自分たちをコントロールしようとしてるんだなっていうことを見透かす子供。 それでいて、先生に忖度している子っていうのは、ただただ違和感だけを覚えて、でも先生には批判の言葉はかけられない。で、なんかモヤモヤして終わるっていうね。そういうケースもきっとあるんじゃないかなと思うんですよね。 例えば職員室で校長先生が急にそういうことをし始めたときにどう思うかってことなんですよね。なーって思うのでね、まあっていうことをちょっといろいろ考えました。 # 学級独自の造語や格言を張り出すことの是非③ なかなかとですね、私かなり批判的なことを申し上げましたけれども、 ただ別にあるわけ、絶対ダメだとは思わないんですよ。 そういうのも大切で、子供たちだから響くっていうのもあると思うんですよ。 子供たちはすごくまだ心を開いていて素直な部分があるので、 大人の世界でやったらそれ通用しないということでも、 子供たちだからこそ響く、それから純粋にうがった考え方をしないで、 受け取ってもらえる可能性があるので、絶対ダメだとは思わないし、 今この放送を聞いて似たようなことをやってたから自分はダメだとか、 すぐやめようとか思わないでいいと思うんですけど。 ただね、そういう取り組みをあんまり大ぴらに不特定多数の人が見るような、 例えばSNSでそういうのを見せないほうがいいなと思います。 それはあくまで内輪の密室の中でやっているところに留めとかないと、 不特定多数の人が見る中でこういうことをやってますと言って、 バーンと教室でこういうのを掲示しますと言うのは、非常に怖いなと思います。 いろんな考え方がいらっしゃるんでね。 それは経時に限らないですけど、私も楽器で取り組んでいることで、 自分としてはいいとは思っているけれども、 でもこの取り組みをすごい嫌だなと思う人もいるだろうなって。 そういう取り組みってやっぱりあるんですよ。 そういうものはわざわざ誰が見るか分からないようなところには載せないですね。 これは人によってはすごいそのことに対してガッと物を言いたくなる人もいるだろうな。 だからそういう想像ができるかどうかなんですよね。 盲目的にその取り組みがいいなんて思ってやってたらやっぱりダメなんですよね。 必ずその上にはどんなデメリットが潜んでいて、 こういう取り組みをしてますって言ったらどんなふうに思われるかとかいうことまで 頭に入っている人があるんですよ。 だから一番良くないのは有名な誰々先生がやってるからその取り組みをやってるっていうのが 一番背景にあるともうこれダメなんですよね。 そうすると批判されたときに真っ当なこと言えないんですよね。 いやだってこれすごいいい取り組みじゃないですかってなって批判してくる人がおかしいみたいなことになっちゃうんだけど、 やっぱり心の片隅でこの取り組みってこういうデメリットがあるなとか、 ちゃんと冷静に見てることが大切ですね。 誰々先生がやってるからはダメですよ本当に。 それが誰々先生がやってるっていうことが中心にあると、 どんな言葉もすっごい薄っぺらくなってくるんで、 これは誰もが通る道かも分かりませんが私もそういう部分があったので、 でもあるときからどんな実践も誰々先生がやってたからみたいなことは心から排除するようにはしてましたね。 こういう批判もありますよ。 自分で考えに考えた末にやってる取り組み、 それは別に誰々先生がやってたから浮かんだんじゃなくて、 自分なりにゼロから考えてやってるような取り組みがあったとして、 こんなこと言われたことがありましたけど、 それって誰々先生ならやらないよとかって言われたことがあって、 それはすっごい嫌な気持ちになりましたけど、 何々先生だったらそんなことしないっていう批判のされ方をしたことがあって、 ふざけんなよって思いましたけどね。 何々先生がやるかやらないか関係ないだろって。 毒されてんじゃないかよ、何々先生の考え方にって思ったことがありましたけど、 自分がいいと思ってやってるんだよと。 だからもし批判するなら、誰々先生ならやらないとかやるとかじゃなくて、 その取り組み自体のメリット・デメリットを述べろよって思ったことがありましたね。 そういうこともありました。 というわけで、今の放送を聞いたから、 自分がやってる取り組みダメだとか思う必要はないんですけど、 心の片隅でいろんな可能性を考えておくべきだなということをお伝えしたかったです。 ここまで聞いていただいてありがとうございました。さよなら。 # コメントへのお返し コメントへのお返しのコーナーです。 シャープ214 教育者のためのコーチング入門を読んでの学びの放送会に新たなコメントが入りましたので、その紹介とお返しです。 秋さんからのコメント。 私すぐ褒めちゃっているなって反省しました。 このようなコメントをいただきました。 この放送の中で、著者の木村さんの言葉の中で、褒めることよりも承認することが大切であるというような趣旨の文面があったので、その話をこの放送の中でしているのですが、 褒めるというと、褒められる人という構造がどうしてもできてしまう。 大人もそうですが、褒められたら嬉しいわけですから、どうしても褒められるために次はどうするか。 この先生の前でどんなことをしたら褒めてくれるのかという思考に陥ってしまいがちである。 そうすると、その先生がいなかったらその行動をしないとなる可能性があるわけですよね。 それよりも、承認するということの方がいいのである。 承認とは何かというと、その子がしている行動、言葉、言動をただただそのまま言語化してあげるということだと思うんですよね。 例えば、ある子が普段宿題をいつも出さないんだけれども、ある朝宿題を出したとしましょう。 その時についつい我々がやってしまいがちなのが、宿題出したんだ、すごいじゃん、頑張ったね、やるねなんて言いたくなりますよね。 ついつい、こっちは嬉しいからそういう風にやっちゃうんですけど、それがあまり良くないということなんですよね。 結局そうすると、宿題を出したすっきり感とか、自分なりによく頑張ったなという感覚よりも、 先生に褒められる、嬉しいということが勝ってしまうと、あまり良くないわけですよね。 だけど、承認するというのは、ただただ宿題出せたねとか、出したんだねとか、これは別に褒めているところじゃないですか。 ただただ言語化しているという、これが承認なんですけども、なんで承認の方がいいかというと、 宿題を出して、すごいとか頑張ったとかやったなということは、本人が決めることなんで、本人に委ねればいいと思うんですよね。 それで本人が宿題を出したことによって、すっきりしたなって、先生に宿題出せたねって、 これ自体は褒め言葉じゃないんだけれども、改めて自分は宿題を今出したんだということを、 はっきりと言語化してもらうことによって、自分をメタレンチできるわけですよね。 それで、なんか充実したな、ちゃんと出せたなって、本人がここで実感できるんだったら、また出してみようかなと思えるわけじゃないですか。 それは別に先生に褒められるからじゃなくて、改めて自分は今宿題を出せている。 出せている自分って、なかなかやるなって思えればいいわけですよね。これが承認するという話ですね。 それから別の放送会のコメントを紹介します。 AIと漫才やってみたその8 台風アジア大会大山陽平という、最近時々ずっとやってるAIと漫才やってみたシリーズですね。 これも秋さんからのコメント。会を重ねるごとにAIが自主的に漫才に取り組んでいるのがわかります。 AIってどこに住んでいるのでしょう。 この会の時は、あんまり細かいこと決めずに、もう自治漫才やるぞっていうことだけ言って、 最近どんな話題があるかっていうのをAIに話を振ってもらって、 拙いながらですね、その場でどんどん私がボケてたんですけども、 例で言ってたらAIは上手に突っ込めないんですけども、 それでもですね、自分から話題を振ってくれるようになったんでね、 だいぶやりやすくなったなということですね。 AIってどこに住んでいるのでしょうってね。 台風の話題が出たんですよね、そのAIの方から。 ところで君は普段どこに住んでいるの。 沖縄に台風が上陸するみたいな話題があったんで、 どこに住んでいるのって言ったら、沖縄は2,3回ぐらいしか行ったことないみたいなことを言うから、 普段どこに住んでいるんだって。 はっきりとは答えてくれなかったですけどもね。 もしまだ聞いていない方がいたらぜひ聞いてみてください。 えーとですね、それからですね、 あ、そうですね。 えーと、なので、 まあ、以上ですね。 もっと見るユーモアは教室を救う!あたたたたー(元お笑い芸人の小学校教師)10:001.学級独自の造語や格言を張り出すことの是非①10:002.学級独自の造語や格言を張り出すことの是非②05:183.学級独自の造語や格言を張り出すことの是非③05:244.コメントへのお返しコメント感想・質問・応援メッセージを書こう みずくらげ一昨日本題チャプターばかりで聴きやすくなりました😊1返信 あたたたたー18時間前コメントありがとうございます!♯217)の放送内でお返事します💡1
♯216)学級独自の造語や格言を張り出すことの是非 31分・一昨日・ 331再生AI目次学級独自の造語・格言の危うさ会社組織と教室の共通する違和感掲示物が子どもにもたらす息苦しさ「あの先生」を模倣する危険性とは褒めるより「承認」する教育の秘訣
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