TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『哲学な日々』野矢茂樹225:21 2022年12月28日 9,040再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「根拠のない自信」こそ真の強さ足し算が人を弱くする逆説裸一貫の境地へ至る引き算の思想「やりたくないこと」から見出す夢大自然と向き合い知る「大いなるもの」AI文字起こし(β版) # タイトルコール あらきひろゆきのブックカフェ。この番組は、自分の頭で考える読書の執筆者であり、書籍予約サービスフライヤーのアドバイザーを務めるあらきひろゆきがマスターとなり、本からの学びを楽しむカフェです。 # 初めのあいさつ はい、みなさんおはようございます。12月28日、水曜日の朝になりました。 さて、今日は、昨日に引き続きまして、哲学の日々ですね。野矢しげきさんの本なんですけれども、 はい、こちら、またね、ちょっと昨日に続いてお届けできればと思いますけど、 今日はですね、まあこれ哲学の話なんですけれども、座禅とかですね、その辺の話が、 ちょっとですね、野矢さんが凝ってた時期があったんでしょうね。 はい、その頃の話が書かれておりましてですね、 いや結構面白かったんですよ、そこの部分が。座禅、引き算の思想であるとかですね、 まあその辺の話がちょっと面白くて、これが私たち、今日を生きる私たちにですね、すごい示唆あったなぁというふうに思いますので、そこについてご紹介していきたいと思います。 では行きましょう。本編スタートです。 # 禅について語ろう さあ、それではですね、野屋茂さんの哲学の日々をお届けしたいと思います。 今日はですね、そのうちのエッセイの12、13、14、それから15、16、 まあその辺の、何の数字言ってるか分からないと思うんですけど、 まあエッセイの番号ですね、その辺の話をしていきたいと思います。 この辺、今連続的に数字を申し上げたのは、だいたい座禅についてのお話なんですね。 どんなことをお話しているかということなんですけれども、 野屋先生が座禅をやることによって、こう、気づいたことがあるということなんですけれども、 基本的にですね、私たちの成長っていうのは、多試断の思考であると、多試断の思想であるということを言っているわけですね。 まあ始めは力がないと、でもこういうスキルをつけました、こういうスキルをつけましたので、 さらにこんなことができるようになりました、っていう多試断の思想っていうのがベースにある。 それで私たちはだんだん大きくなって、できることができるようになっていく、 っていうことになるわけなんですけれども、 しかし、禅の言葉でですね、本来無一物という、そういう言葉があるらしいんですよね。 本来っていうのは本来ですね。で、無二一二物ですね、物ですね。 はい、まあこれ、えっと、ちょっとわかんないんですけど、 えー、まあ私なりに解釈すると、まあ人間っていうのは本来ね、何も持ってないで生まれてきたのであるっていう、 まあそういうことかな、まあちょっとわかんないんですけれども、 で、どういう意味かっていうと、丸裸の自分に立ち返ることができれば、 そこに十分な力が現れてくるっていう、まあそんな教えらしいんです。 だから我々はどんどんこうプラスプラスで、なんかあれもできる、これもできるっていう、 まあそんな、あのーことでこう自分を武装化するみたいなね、スキルアップで使える武器みたいな、 まあそんな自己啓発書も多いと思うんですけれども、 しかし禅が求めているのはですね、そういう足し算型の思考ではなくて、引き算であるということなんですね。 まあだから足し算型になっちゃうとね、なんかこうすごい、なんかできるようになるんだけれども、 しかしそれはある意味で不安の裏返しでしかなくて、 そしてよく執着を捨てよ、みたいな言葉もあると思うんですけれども、 これもなんかいろんなものを積み重ねてきたから執着しちゃうっていうね、 で肩書きもつきました、年収も上がりました、 まあそういう全ては足し算の思考っていうのは執着につながってしまうということなんですね。 で、この執着を捨てよっていう言葉も、ここの禅の言葉で本来無一物という、 そういう言葉と重なるんじゃないかっていうのがこれ野谷さんの考え方なんですね。 つまり裸一貫の自分っていうのを見失わないことだと、そして裸一貫の自分を否定的に捉えない。 もう素の何物もない自分の状態に立ち戻って落ち着くこと。 まあそのある意味こうゼロ地点にやっぱり立ち戻れるかどうかっていうのが大事で、 私は肩書きがこんなのあります、こうなりました、経歴高です、みたいな。 まあそんな話はどうでもよくて、そういうのを全部脱ぎ捨てた時の裸一貫になった時に、 あ、これが自分だと思える状態であるかっていう、そういうことですよね。 その上で手にしたものはおまけとしてありがたくいただくというね。 だから執着を捨てるっていうのはまさにそういう状態であるということですね。 これすごい面白い表現があったんですけれども、 無一物の自分に落ち着くっていうことをやっている。 座禅を組むことによって、何物でもない自分っていうことに落ち着くというね、 そんなことを繰り返していくうちに、何か根拠のない自信が湧いてくると野屋さんが書いてくるんです。 これね、根拠のない自信ってちょっとある意味で揶揄されたりするじゃないですか。 あいつさ、根拠ない自信持ってんだよね、みたいなね。 その裏側にあるのは、自信というのは根拠があってこそであるっていうのがベースにあるわけじゃないですか。 ただ、その根拠を持った自信っていうのは実は脆いんだっていうことを野屋さんは言っているわけなんですよ。 例えばということで、東大生のことが書かれて、野屋さんは東大で教えていたっていうこともあるんですけれども、 東大生なんか、大学に入るまではそういう根拠のある自信を持っていて、大学に入ってからあるいは社会に出て打ち砕かれてしまうという人も少なくないだろうと。 根拠を持って、だから東大に入ったということは根拠になるわけですね、自信のね。 でも、そんな根拠を持っていても、例えば社会で通用しないとかそういうことを目の当たりにした瞬間に、その根拠が否定されるということになってしまうわけですよね。 野屋さんは脆いと。しかし根拠のない自信は強いということを逆説的に言うわけなんです。 なぜかというと根拠がないから。だから誰も覆せないんです。 根拠があれば、根拠を否定されれば、その自信というのは立脚している足元が崩されるということは、それは土台が崩れて揺らぐということになるんですけれども、 根拠がないという、もう本当に地面にそのまま自信が立っているということ。 だからこれはもう誰も足場を崩せないということなんですね。 要するに座禅をする、ただ座る、ただ深く呼吸をする、そうすると理屈抜きの生命力が出てくる。 それこそがある意味根拠のない自信という状態になる。 つまり、ずっと言っていることは一緒なんですけれども、私自身は何者でもない自信でいいのである。 私の肩書もなく、お金もなく、周囲からの評価もない、この巣の生まれたままの自分でいいじゃないかと。 その信教に至った時に、本当に強さというのが宿るんじゃないかというのがここで書かれている。 本来無一物という、そんな境地なんですね。 さてみなさんこれどういうふうにお考えになったでしょうか。 根拠のない自信ということですね。 みなさんの自信、根拠ありますかということなんですね。 根拠があるというのはそれは危ういかもしれない。 根拠を取り除いてなお自信がありますか。 そのためには、いろいろ我々の身の前、日々背負っているいろんなものを下ろしていかないといけないわけです。 というか、下ろす瞬間がなくてはならない。 それが野屋さんにとっては禅なのかもしれない。 ぐるぐる鈴木さんにとっては滝なのかもしれないんですけれども、滝行ね。 そういうふうに、すっぱだかの状態。 その状態、あれですよ。 比喩的な意味でのすっぱだかですよ。 そういう状態になり、そしてその姿で自分と向き合う。 そしてその時に自分と対話した結果として、いいんじゃない?という状態に。 もし至れたとするならば、それはめちゃ強いよね。 そんなことが、ここで言われている本来無一物の思想ということですね。 いかがでしょうか。 ここまでが野屋繁さんのメッセージであり引用なんですけれども、 ちょっとチャプターが中途半端なので、次のチャプターでここから解釈を深めていきたいと思います。 # 稀にいる本来無一物状態で語ることができるおおもの はい、ということで本来無一物というお話をさせていただきましたけれども 実際ですねやっぱり私も多くのあの すごい人格者であったりとかですね いろんなオーラを出している人にお会いすることがあるんですけれども 基本的にねその人のプレゼンスって ある意味ちょっとしたその自己紹介にも現れていたりもするわけなんですよね まあ私は何者でもないっていう そのなんだろうな 足していくじゃないですか こう初めて会うときにいやこんなことやってこうで私はあなたに話す価値のある人間なの ですみたいなそんなですねちょっとこう鎧を着て まあだからなんかこう 公演とかしなきゃいけない時とかって結構鎧着るっていうのがセオリーになってますよね いや皆さんの時間を頂戴してますけど私は 皆さんの前に出て時間を頂戴するに値する人間ですよっていうね ある意味こう 鎧とかね下駄を履いてどんって大きく見せると まあそういう人が言う言葉なんだからさぞ意味があるに違いないというふうに思わ せて まあそこから言葉を流していくとあーなるほどねと言ってることは大したことないかもしれないけど この人が言ってんだからまあそうなのかもしれないみたいなねそんな感じになったりする でもやっぱりねそれを超越している人っているんですよ 本来無一物の状態で 悟りを開いて ある意味その裸一貫の自分で落ち着いているわけですよね だが私は何者でもないと でまぁある意味ね まあそれでもなんかこんな機会をいただいてしまったので お話をさせていただくみたいなね もうなんかその入り口からしてなんかちょっと大物感を感じるというか なんて言うんでしょうね ステージの違いを 感じますよね大前自悪っていうんでしょうかね もう自分が自分でいるっていうことに対して まあ とても肯定的でありそしてそこには まあ根拠のない自信ということなんでしょうかね もう自分自身でいいのであるというまあそういう域に達しているということ なんですねまあ僕はまだまだねその域に至ってないし そしてルーティンとしてですねその 引くっていう動作を あんまりできてないなっていうことはこれを見ても思えました なんか引き算の機会ってあるだろうかと だからある意味ですね大自然の前に 立つっていうのはある意味引き算にならざるを得ないっていうね 大きなものの前に立った無力な自分 そしてその無力な自分でも いいのであると言うね だから前もある意味でその自分の中にあるまあもしくはこの外側に広がるユニバース みたいなねそう大きなものっていうものと向き合って自分自身のちっぽけさを自覚し そしてそれでも ねいいじゃないかと そういうもんだよねっていうね なんかそこに至れると人間って本来的な強さを取り戻すのかな 足していくとねー 足せば足すほど弱くなるみたいなことってあんじゃないかなって気するんですよね だってそうじゃないですかなんか こう 僕も経験ありますけれども大企業の中で その肩書が外れた瞬間にめっちゃ老けちゃう人とかいるんですよね うわぁなんか 昨日までなんかすごい立場でなんか オーラ発揮してたのに急に何か人事発令でポストオフになっちゃってから すごいなんか背中ちっちゃくなっちゃったなぁとかね なんかそういう人っているじゃないですかこれある意味子足し算の思想の弊害なのかも しれないですね 足して足して鎧を着てなんかいろいろやっていたと でもそれ身ぐるみ剥がされちゃった瞬間 裸一貫の自分になったことがないから自信がないんですよ だから急に小さくなってしまうっていうそういうことですよね いやーあの 僕自身まあそうは慣れてないんでそうは慣れてないというのはね 本来無一物のそういう心境に至ることができてないので 結構ねうんそうだねって思いました 関わらねばと思った次第はいということでいかがだったでしょうか ぜひ皆さんもねそんな機会をなんか自分なりにつけていただくといいんじゃないかなと思います ということで2日に渡るお届けしてきました哲学な日々でした # 『夢をかなえるゾウ0』 はいそれでは今日のフライヤーのコーナーです。今日はですね夢を叶える像ゼロですね。 ガネーシャと夢を食べるバクという本になります。 著者ですが水野啓也さんですね。この夢を叶える像シリーズとても有名ですね。 私はかつてラブリロンというのを買った記憶があります。 あれもとても楽しい本でしたけれども。 文教社から2022年5月出た本になります。 この夢というのがねストーリーのポイントなんですけれども。 この何巻まで?4まで出たかな?それでゼロに戻ったっていうことなんですけれども ガネーシャがどうやって生まれたかみたいな話もあるんですけれども。 ちょっとまあそのストーリー部分はさておきですね。 その夢を見つけるみたいなそんなところを書かれている部分があるので。 主人公がやりたいことが見つかったと喜んだと。しかしそれは夢ではないと。 人間には短期と長期の欲求があるということですね。 常話をしてみたいというのはあくまでも短期の欲求であるけれども、夢というのは長期の欲求だと。 夢を見つけるためにガネーシャが課した課題はやりたくないことを全部書き出すことだと。 そしてそのストーリーでは主人公がいろんなやりたくないことを書き出すんです。会社に行きたくないとか満員電車乗りたくないとか。 次にその中からやりたくないがやった方がいいことを消していくということですね。 会社に行きたくないは消すかなぁとかね。 最後にやりたくないことを反転させてやりたいことに変えるということですね。 例えば課長と働きたくないは尊敬できる課長と働きたい。 満員電車に乗りたくないは移動でストレスをためず万全の状態で働きたい。 こんな作業を進めるうちに ある明確な欲求に気づき始める。例えばそれは尊敬できる仲間と一緒に夢中になれる仕事がしたい。 そんな夢ですね。 本当に今この時点で夢を持つということが本当に難しい。 その中において夢って尊いものだし 夢なんて持たなくていいという言い方もありますけれども 一方で夢を持っている人ってどうしても憧れますよね いやワールドカップで ゴールを決めるんだみたいな そんなことを少年団のサッカーチームで本気で考えている子供がいたら それはできるできないは別にしてかっこいいなと思いますよね それは力を生み出すわけなんです というように夢と呼べるものを一切持たない主人公が ガネーシャの課題をこなしながら見失っていた自分自身を取り戻していくという まあそんなことですねはいあの共感持てるストーリー面白いのでぜひね あの参考にしていただければと思います 今日のフライヤーは夢を叶えるぞゼロでした # 頂いたコメントへのお返し はいコメント返します。今日はDHBR2日目ですね。はいイタルさんです。20年ほど前にまだ三菱商事にいらっしゃった 新井奈美さんにグロービスのイベントでお会いして、そのバイタリティの凄さに圧倒されたのを覚えています。 その後ローソン・サントリーと移られる中で、新井奈美さんの真の強さと美学はブレてないなと今回のDHBRの記事からも感じました。 だからサジ一族の影響が大きいサントリーの中でも実力を発揮し、対外的にも認知されるのだなぁと。 サイエンスとアート、理屈や道理は納得できても心を動かされるものはそこを超えたところにあるのだろうと思います。 深いですねということですね。 すごいですね。貴重な経験ですね。そんな20年ほど前の新井奈美さん。 当時から輝いていたんじゃないかなというふうに思いますけれども。 まあ堀さんと新井奈美さんは確か同期でしたよね。 DNAのナンバーさんか。 ぐるぐる鈴木さん。大雨の八ヶ岳両線上の判断。シャクルトンのケースは僕も取り組んだのでマスターのおっしゃることに共感しました。 実際に自然の前では判断ミスで立ち上場したり、それが運が良かったと感じることもあります。 今年の夏の八ヶ岳の両線上で大雨にぶつかりました。時間は昼過ぎ、速度を上げ、目的地を目指すか雨宿りするか、立ち止まれば雨足が強まる中で体温を下げることになります。 またスマホで情報が取れるわけではない。こういう時、セオリーはあっても正解なく自分を信じるしかない気がします。 どうしたんだろう結局。それで、行ったのか休んだのか。 まあでも難しいですよね。この辺の判断ね。 自然と相手にするってね、今日の本編でもありましたけど、大いなるものを相手にするっていうのはね、ちょっとね、本来無一物という心境になりやすいんじゃないかな。 すけさん、過去放送での全能感というワードを想起しました。 全てをサイエンスで把握できるという考えはあまりにも傲慢であり、自然に対する敬意、恐れを感じることが寛容。 自然の中で運を呼び込む考え、構造がいかにできるか考えさせられました。 まあそうですね。全能感っていうのはね、ちょっと怖いキーワードなんですよ。 まあ誰もが持つことがある。 でもそこからね、やっぱり大いなるものに開かれるっていうのも結構大事なんです。 まあ宗教っぽいんだけど、全然宗教関係なくね、神という存在を感じるっていうのはとても大事なことだと思います。 これ宗教じゃないですよ。神っていうのは、なんていうのかな、大いなるものの総称というね、そういう意味で使っているわけなんですけど。 ETさん、経営はサイエンスとアートである。 キャリアシフトはロジックで考えれば考えるほどできなくなるというのは腹落ち感がありました。 昨年僕は16年間勤めた大企業からキャリアシフトをしました。 会社を辞めるとき、なぜ辞めるの?と多くの人に聞かれました。 客観的に見ると辞める理由はないのです。 自分としては自分の歩みたい人生を思い描いた結果、新しいことにチャレンジする決断に至りました。 当時は自分なりにロジカルな説明を組み立てていましたが、今思えばあれは後だったんだなと思います。 そうなんですよ。本当にその通りで。 後付けでしか説明ができないことっていっぱいありますからね。 もうそうなんです。 人間はそれを都合よくロジカルに説明できてしまうというスキルを持っているだけで、 基本的な行動は全部ですね。 まあ全部って言ったらあれだけど、ほぼアートなんですよね。 泉龍太郎さん、ゲームのルール、勝者の定義を自分で決める。いざ実践となると自由の刑に処せられそうだと思いました。 部活、受験、就活、業績表彰、人事評価。 ルールの中で踊りルールに自分を最適化させる振る舞いが学習強化される機会、こうした環境に浸ってきた人は多いと思います。 一方でルール遵守イコール大舟に乗っているという気分が薄れ、会議が生じやすいご時世でもあると思います。 ルールの区引きから自分を解くには、まず内省事故との対話の時間を作るところからでしょうか、ということで。 そうですね。このルールの大舟に乗っているっていうね。 これは本当に大事なことかもしれないですね。 ルールの区引きから自分を解くにはまずは内省事故との対話の時間を作る。 いや本当その通り。もうそれでしかないんだよね。結局。 ルールを内在化していく、その自己規律みたいな、そういう話になっていくんですけど。 松田和人さん、エモーショナルインテリジェンスという言葉を初めて知りました。昨日のバウンダリス・パナもでしたが、知らない単語だらけです。 ちなみにEIを調べていたら、ソーシャルインテリジェンスという言葉も。インテリジェンスの分類は他にもいっぱいありそうだなと思いました。 DHBR対談では、普段仕事をしていると出会わない概念に遭遇できるので、いつも楽しみにしております。 次回は何かしら。次回何だったっけな。 忘れちゃったな。何か書いてあったような気がするけど。 はい。また次回ぜひ楽しみにしてください。また新しい概念をですね。 あまりこのブックカフェで紹介できないようなコンセプトを皆さんに紹介できればと思っております。 はい。ということでコメント返し以上になります。いつも皆さんありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はいということで今日、昨日今日というね久しぶりのソロ活動 哲学の日々お届けしましたがいかがだったでしょうか はいということで今年も後残すところわずかです はいぜひ今年1年頑張りましょうということで後残り少ない日数ですよね はい楽しみに来ていければと思います今日はここまでまた明日 もっと見る #禅 #根拠なき自信 #本来無一物 荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:111.タイトルコール01:052.初めのあいさつ08:563.禅について語ろうhttps://amzn.to/3PTKpQY05:304.稀にいる本来無一物状態で語ることができるおおもの03:315.『夢をかなえるゾウ0』05:486.頂いたコメントへのお返し00:247.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年12月30日一応、薬局では管理者の立場にいます。以前は、従業員からの「管理者とはこうあるべし」という意見と、自分にできること、できないこと、のギャップに悩み苦しみました。「言わなければわからないの?」「何で気づけないの?」そんな言葉に対して、今では、気付けない自分を認識しつつ、じゃあどうするのか、と肩肘張らず前向きに捉えられるようになった気がします。いくらか、本来無一物的な思考になってきたのかもしれません。返信 町田和敏(変な髪型をしたポンコツ薬剤師)2022年12月30日私にとって、そうした状態がいいのかわかりませんが、ありのままの自分を受け入れるようになれたのは、読書の力が大きい気がします。そんな読書の機会を得られるbook cafeに感謝です。 E•T2022年12月28日「根拠のない自信の方が、根拠で武装した自信より強い」というのは考えさせられました。僕の場合、若い頃は「自分は何かできるかも」などと考えたりしました。しかし年を重ねるにつれ、社会で揉まれ、現実の自分を知り、根拠のない自信は薄れてきたように感じます。でも、幸福感や充足感も薄れているかというと、そうでもありません。以前より、「ありのままの自分でいいや」と思えるようになったからでしょうか。年を取るにつれ、「自分を受け入れる」というのが、幸福感、ひいては自信に繋がっていくような気がします。2返信 泉 龍太郎2022年12月28日『哲学な日々』2持っている物に着目すると、自ずと他者との比較に引き込まれそうですね。物の多さ・大きさ・新しさ等々。どんな部署やPjに所属したか、どんな資格や勲章を保有しているか、等々。持ち込み可の試験が、いつしか持ち込む教材の競い合いに変質するような。そうした鎧を脱げる場所。このコメント欄も、仕事上の肩書とかは関係無くなるので、裸一貫と言わないまでも、肌着一枚くらいにはなれる場所なのかも?2返信 ぐるぐるすずき2022年12月28日鎧の削除取り上げて頂きありがとうございます。本来無一物に近づくオプションの一つは滝行かもしれません。マスターのおかげで体験したい方が増えるでしょう笑。僕らが着ている服は、メタファーの意味でも鎧だと思っています。飾った自分を象徴しているかもしれない。車もSNSも鎧の一つかもしれません。そういった社会的な鎧は、自然と向き合った時には、ほとんど意味をなさないと感じます。この話、ジブリ映画の千と千尋の神隠しにある、欲しがらない、というテーマにも繋がる気がします。3返信 いたる2022年12月28日丸裸の自分に立ち返る、根拠のない自信、無一物…なぜか銭湯のイメージが湧きました。本来リラックスできるはずの場所で、周りの人が気になって自分自身と比較して恥ずかしさを覚えたり、無防備な自分を感じてしまったり。湯船からそんな風に人間観察できたりします。裸一貫の自分に自信が持てないとしたら、それは人と比較してしまってるからで、人との比較は自信の「根拠」として一番安易であり、かつミスリードしやすそうだな、と。ちっぽけな自分でいいぢゃないか、と思える自己肯定、大切ですね。2返信 もっと見る
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僕の場合、若い頃は「自分は何かできるかも」などと考えたりしました。しかし年を重ねるにつれ、社会で揉まれ、現実の自分を知り、根拠のない自信は薄れてきたように感じます。
でも、幸福感や充足感も薄れているかというと、そうでもありません。
以前より、「ありのままの自分でいいや」と思えるようになったからでしょうか。
年を取るにつれ、「自分を受け入れる」というのが、幸福感、ひいては自信に繋がっていくような気がします。
持っている物に着目すると、
自ずと他者との比較に引き込まれそうですね。
物の多さ・大きさ・新しさ等々。
どんな部署やPjに所属したか、
どんな資格や勲章を保有しているか、等々。
持ち込み可の試験が、
いつしか持ち込む教材の競い合いに変質するような。
そうした鎧を脱げる場所。
このコメント欄も、
仕事上の肩書とかは関係無くなるので、
裸一貫と言わないまでも、
肌着一枚くらいにはなれる場所なのかも?
取り上げて頂きありがとうございます。本来無一物に近づくオプションの一つは滝行かもしれません。マスターのおかげで体験したい方が増えるでしょう笑。
僕らが着ている服は、メタファーの意味でも鎧だと思っています。飾った自分を象徴しているかもしれない。車もSNSも鎧の一つかもしれません。
そういった社会的な鎧は、自然と向き合った時には、ほとんど意味をなさないと感じます。
この話、ジブリ映画の千と千尋の神隠しにある、欲しがらない、というテーマにも繋がる気がします。
なぜか銭湯のイメージが湧きました。
本来リラックスできるはずの場所で、周りの人が気になって自分自身と比較して恥ずかしさを覚えたり、無防備な自分を感じてしまったり。湯船からそんな風に人間観察できたりします。
裸一貫の自分に自信が持てないとしたら、それは人と比較してしまってるからで、人との比較は自信の「根拠」として一番安易であり、かつミスリードしやすそうだな、と。
ちっぽけな自分でいいぢゃないか、と思える自己肯定、大切ですね。