TOPエンタメ映画・本荒木博行のbook cafe『世界は贈与でできている』近内さん対談234:34 2020年5月20日 10,998再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「誤配」が織りなす贈与の連鎖日常に潜む「誤配」の再認識自制心を高める術の「盲点」データとアートが拓く意思決定見過ごされがちな日常の「贈与」AI文字起こし(β版) # タイトルコール あらキロ行きのブックカフェ。この番組はビジネス書図館、世界東山図館の執筆者であり、書籍予約サービスのフライヤーにて、 COOを務めるあらキロ行きがマスターとなり、ビジネスパーソンにおすすめしたい書籍の内容を紹介していく、そんなカフェです。 # 初めのあいさつ みなさん、おはようございます。 5月20日、水曜日の朝になりました。 今日もですね、昨日に引き続きまして、近内さんとの対談、2日目ということになっております。 回を減るごとにですね、結構楽しいトークになっておりまして、 個人的にはですね、明日の話とかね、すごく面白かったんですけれども、 今日もなかなかの、いろんな本に書かれてないことも含めてですね、 いろいろ背景も理解できる、そんな内容になっていると思いますので、 ぜひ楽しんでいっていただければというふうに思います。 では本編スタートです。 # 「誤配」から始まる贈与の輪 さあ、ここから対談2日目に行きたいと思います。 昨日に引き続きまして、世界は雑魚でできている著者の近内裕太さんをお招きしております。 近内さんどうぞよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 昨日は、ウィトゲンシュタインの言語ゲームからその雑魚に至る流れ、 そして感謝という言葉の重みみたいな話をさせていただきました。 感謝って簡単に言える話でもなくて、 簡単にそこで感謝しちゃうと、それこそ等価交換みたいになってしまうというかね。 もうそこで感謝したから、チャラねみたいな。 でもそこに気づけなくて感謝できないからこそ、新しいモチベーションが生まれてくる。 こんな時間差の構造が世の中にとって大事なんだみたいな話が、 最後の方、チラッとありましたけど、ぜひその辺の部分、語っていただければと思います。 やはり雑魚っていう、特に僕の中で、そこでちょっと関係してくるのが、 僕はこの本の中で出会い直すっていう言葉をちょっと使ってるんですけども、 まさにさっきの16時の徘徊のお母様が徘徊してしまってのは、 最初は困ったもんだと思った息子さんも、実は自分を迎えに行ってたんだ。 幼い頃の自分を迎えに行ってくれたんだっていう事実を知って、 その母親と出会い直したわけですよね。 まさに経験が変わることによって。 出会い直すことによって受け取れる雑魚っていうのが、 僕の中である種、論じるべき雑魚の議論だと思ってたんですよね、この本の中では。 で、なんで感謝っていうものがすぐ、 ダイレクトな即時的な瞬間的な感謝っていうのがあまり、 僕の中ではちょっと困ってしまうというか、難しいなと思うのは、 やはり本のサブタイトルにもある倫理学っていう、倫理っていう、 つまりどう生きるべきかっていうところにある時に、 やはり雑魚っていうのは当然受け取った以上、 誰かにパスを出すべきだっていう話はあるんですけども、 結構だから、誰かにパスを出したいっていう、 Want toっていうところではなく、 私はこれを受け取った以上、次にパスを出さなければならないっていう、 使命感みたいなものっていうのはどこから出てくるかというと、 おそらく、私はこの、例えば息子さんがあれば、 拝会って見てからたぶん1年ぐらい、たとえば時間が経っていたとしたら、 その間、母親の本当の振る舞いを私は理解しないまま、 この時間を過ごしてしまったとか、 小さい頃に、例えば親に何かしてもらったでもいいし、 学校の先生に何かやってもらったでもいいんですけども、 それのありがたみを気づくまでに10年もかかってしまったっていう、 この間、私はあの人に感謝することもしないまま、 普通に生きてきてしまったみたいな、 そういう追い目っていうものが、たぶん雑魚のエネルギーに、 次にパスを出すとエネルギーにも変わると同時に、 今から私が差し出すこの贈り物、雑魚は、 気づかれないかもしれないっていうのも、 リアルに体感できるはずなんですよね。 だって、現にこの私が10年、 誰かからのこの贈り物を気づかないまま過ごしてしまったんだから、 だから、誰かに差し出した時に気づかれないっていうことは、 かなり可能性として高いはずだ。 で、たぶんそういうふうに学習したりというか、 推論すると思うんですよね。 そうすると、気づいてもらえないのが、それがデフォルトというか、 気づいてもらえないのが当然なんだから、 気づいてもらえなくても構わないと。 でも、パスを出すんだっていうエネルギーにも、 なると思うんですよね。 やっぱり誰かに何かを頑張ってサポートしたりしても、 何も感謝されないと、やっぱりモチベーションって 下がってしまうじゃないですか、どうしても。 じゃあそのモチベーションをどこから供給するかっていうと、 いや、私自身、私が受け取り手だった時にも、 気づかないまま過ごしてしまったんだっていうのを 痛いほど分かっていれば、 まあ、そんな簡単に気づかないし、 気づいてくれたらいいな、受け取ってくれたらいいなっていう、 柔らかい気持ちで差し出す準備が整うんですよね、多分。 なるほどね。 僕も大学院とかで教鞭に立つ機会もありますし、 教育っていうことって、 交換と贈与とこの辺が滑らかに繋がってる部分があるというか、 当然のことながら学費みたいな、それに対して得られるスキルみたいな、 ある意味等価交換の部分もあるんですけれども、 それだけだと教育ってサービス業的になってしまうというくらい。 ただ教育の本質ってもっと尊いものであるべきであって、 すごい射程の長い問いをその人に残すとかね、意味分かんないと。 なんならムカつくくらいの感じもあるかもしれないんだけれども、 ふとした表紙にその意味に気づくみたいな、 その射程の長いことをやっぱり狙うというか、 狙うっていう表現もまたちょっと嫌な表現なんですけれども、 そんな思いで私自身も前に立ったりしてるんですけれども、 千川さんもどんな感じですか、教育ということに対して。 やっぱりある種、例えば授業料とか学費っていうのは、 ある種、先生側からしたら生徒と出会うチャンスのためのお金っていう気がするんですよね。 要は交換的なものを通して出会ったんだけども、 当然例えば身につけるべきものを与えたり受け取ったりするんだけども、 そこに何か余剰というかプラスアルファの何かが仕込むことはできるんだろうなと思ってるんですよね。 例えば微妙な変化に対して気づくと子供は多分、 普通に数学を習ってるだけなんだけど、 今日私がちょっとイライラしてるってことをこの先生は分かったんだとか、 そういうところで見てもらってるんだとかっていうのは、 それはこっちが完全にマネージできるものではなく、 もちろん受け取り手側が勝手に気づいてくれるものではあるかもしれないんですけども、 例えばコンテンツとしては数学を教えてるとか英語を教えてるとか、 何でもいいんですけど、っていうところに何かプラスアルファの、 何かこの先生からは数学を通して何かもっと大きな知的なものの雰囲気を知ったとかでもいいんですけど、 予想できなかったものっていうのがそこに仕込むっていう、 それはアズマ・ヒロキ哲学者の批評家のアズマ・ヒロキさんは誤配っていう言葉で言ったりするけども、 ミスデリバリー、間違って届いてしまうものっていうので誤配っていう言葉を言うんですけど、 僕本当これ素敵な概念で、すごい概念だなと思って、やっぱりそういう誤配を仕掛けるっていう。 で、この誤配って言葉がなんで僕好きかっていうと、間違って届いたものなんだと。 最初から予期してこれを届けようとしたんじゃなくて、 これを届けようと思ったら違うものが届いてしまった、 違うものを届けてしまったっていうところに、 やっぱり雑用性ってすごくあるなと思っていて、 結局やっぱりそういう誤配をどこまで発生させる確率を上げれるかっていうところに結構命があるかなっていう気はしますね。 なるほど、誤配いい表現ですね。 本当にアズマ・ヒロキさんのあの概念はすごい概念だなと思って、 本の中でもちょっと似合うっていうか使わせてもらってるんですけど。 うん、うん、確かに確かに。 だからこれを得るためにこれを学ぶみたいなね、学生の立場からしてみても、 じゃあ近内さんから数学学ぶっていうつもりで始めは入るかもしれないんだけれども、 結果的に気づいたら近内さんからは数学以上の何かをもらっていたという、 でもそんなことって世の中、本当に教育の世界だけじゃなくてね、 そういう誤配の積み重ねによって人生っていうのが成り立ってるんだなっていうのは今話を聞いて改めて思いましたし。 なんで誤配っていうものが雑用において、雑用の別名としては僕は誤配っていうのはすごく適切な概念だと思うのが、 私が受け取るはずじゃなかったのにたまたま私が間違って受け取ってしまったっていう感覚って、 間違って届いてしまった以上、正しい持ち主のところへ送らなければと。 なるほど。 やっぱり私は親からの愛を受け取れるべき存在だったんだと思った瞬間に、 それは贈り物じゃなくなるんですよね。当たりあって当たり前のものに変換されてしまって、 なんで誰かにパスしなきゃいけないの?私もらえるべき存在なんだけど。 思った瞬間にそこで雑用のエネルギーというかパスが止まってしまうんですよね。 やっぱりたまたま間違って届いてしまったっていう感覚が、じゃあ誰かに届けなければならない。 届けたいじゃなくてやっぱり使命感になるのは、やっぱり間違って受け取ってしまったっていう。 なるほどね。 ところにつながるので、やっぱりその誤配のミスデリバリーのミスっていうところはやっぱりすごく重要だ。 あるし、間違って届いてしまった以上、うまく記述できないっていうか、 経済学的な理論にはなかなか乗りにくいんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。 面白い面白い。ちょっとじゃあ10分経っちゃったんでチャプター切ります。 # 身の回りに溢れた贈与を認識しよう さあそれでは先ほど語配という話がありましたけれども そしてですねその延長で出てくるのがこの7章にありますけどテルマエロマエの話 これねあの便器の話とかですね 覚えてますけれどもまあ 古代ローマ人からしてみたら今の世の中というのが どういうふうによって成り立っているのかみたいなことに驚きを感じるみたいなところ 実はそういうもう些細なことの積み重ねで今の世の中というのが出来上がっているんです けど 彼らのある意味ね世界観からしてみたら まあよくわからないというねそこの部分 着目された背景だとかその辺の話ぜひ教えていただければと思いますけど その語配っていうその先ほどの話で言うと間違って受け取ってしまった間違って私の 元に届いてしまったっていう風になるときに例えば僕らは 今例えば街今あまり歩けないですけどコンビニ行った時に陳列座にあの商品がいっぱい詰まってたり あるいはボタン一つでお湯が沸きましたという風にするのっていうのが 極めて当たり前でなんだろう ありがたいっていうのは気づかないいいと思うんですけど あのそのテルマエロマエの主人公のルシウスって古代ローマから現代の日本に飛ばされて タイムスリップというか飛ばされてこっちに来るわけですけど 彼の耳はもうわけのわからない世界に見えるんですよこの現代が 寝てる前からのルシウスが最初に飛ばされてきて先頭なんですけど大きな一枚鏡 投資なんだから全身が映るような大きな鏡を見るとなんという技術力だっていうふうに 言うんですよ こんな綺麗な鏡を一枚鏡を作るなんていうのはとんでもない技術力だとか言ってあと コーヒー牛乳のあの瓶の精巧さ なんでこんな成功なものは古代ローマではローマのローマ人にもこんなものは作らない とか言っていちいち交換するんですよね そうするとルシウスの目には目の前に届くはずのないものが目の前にいっぱい届いているように見えるんですよ で僕らがもし例えば100年前200年前の人間で僕らが例えば未来に飛んだとしたら逆に僕らが例えば未来の世界に飛んだとしたら 世界がそういうふうに見えるはずなんですよねだから目の前にある多くのものっていうのはちょっとそれこそまさに言語ゲームが違う人間から見れば驚くべきものにすべてが見えるはずなんですよね っていうところに多分コメディーになってるんですが実はそういうことを教えてくれるのがあの漫画というかあの子の中で まさに言語ゲームの異なる人間なんですよね話しかしないんですよねなるほどね漫画だと面白いのがテレビを見ると凶端するんですよ ラテン語が話せるサツキっていうヒロインが出てきてひたすらサツキになんでこんな人間がこの中にいるんだ この人テレビを知らないのって言ってでコンセントを抜くと消えたって漫画版だと出てくるんですけどなって本当にこの人知らないんだって言ってどうなってるんだって言った時に 電気を説明しなきゃいけないって時に雷の力よっていう雷の力を使ってるのっていう時に多神教ですからユピテルっていう神ユピテルをコントロールしてるのかこの顔の平大族たちは またそれで驚いたりするんですけど確かに電気を制御してるってのは確かによくよく考えてみるとすごいことですよね コンセントに差し込むだけで何か多くのものを動かせたりっていう 実は僕らの目の前にあるのはあって当たり前ではなくてある種間違って僕らの前に届いてしまったんだっていう感覚で眺めることができたとするならば 多くのものを逆に次の世代へ繋がなければとかっていうような感覚っていうのが出てくるんだなっていうのがこの中で書いた理由ですね なるほどねもう多種多様な誤配によって我々の世界はできているからこそじゃあ我々は次の世代に何を残していくべきなんだろうかみたいな だから何ですかねこう当然と思っていることを改めて違うレンズで捉え直してみると そうすると今の世の中の意味がわかるみたいな ちょっとね話違うかもしれないんですけど僕この話を読んで一つ 思ったのが内村勘蔵のですね後世の最大物の話を思い出しましてですね 我々が後世に何を残せるかっていう話を内村さん語るわけなんですけど まあいろんなお金とかいろいろ語るんですけどまあでもそういうのも限られているので最後我々が誰もが与えられるギフトは何かという生き様っていうことを言うわけなんですよね だからそれによって自分はいろんな世の中に影響を与えることができるっていう でそこの下りを読むときに我々の影響力ということに気づくわけなんです何気ない行動一つ一つが実は影響を与えているんであるっていうねだからその こうなんていうのかな自覚化ってすごい大事だなと思っていて身の自覚化すると身の周りのものにもこう ありがたさみたいなものに気づけるしそのありがたさに気づけることによって自分がさらにじゃあどんな風に影響を与えるかみたいな そんなことにも気づくことになるのかなっていうそんな そうですね例えばやっぱさっきの目の前にあるものが誤配であるだとかっていうのにでこれ間違って届いたものなんですかっていうとどちらかというとそれは事実として間違って届いたってよりも間違って届いたものだって 見てみませんかとそうすると世の中の見え方が変わるし自分が世界に関わるそれこそ生き様みたいなものもおそらくそこから変化してくるはずですよと 生き様そのものを変えようとなった時にどっから手を出せばいいんだと言ったらやっぱり僕は認識を変えること使っている言葉言語を変えることつまり言語ゲームを自分が参加している言語ゲームを変えてしまうこと っていうものが僕は可能だと思っていて認識の変化っていう何かを知ること見え方が変わることそうするとまさにそうなんです生き様っていうものにまさに反映されてきて その生き様を通してまたそれを見た誰かにその影響力が出ていくと どこまで意図的にコントロールできるかはたぶん生き様レベルだとわからないし逆に生き様をうまくコントロールするってなんか野暮というか物理だと思うんですよ 結果として何かにじみ出るその人のオーラーみたいなのがたぶん生き様とか 姿になると思っていてたぶんそういうところは認識っていう側から変革することっていうのは可能だと思うんですよね そうですねその時その認識を変えるってすごい深いテーマだと思うんですけれども言語ゲームを変えるということもおっしゃいましたけれども これっていうのは具体的に何を意味しているんでしょうね 今を生きる我々にとって まずは例えば僕の本を読むと僕一応前書きでもそういうような宣言はしたんですけど見え方が変わるみたいな この本を読むと見え方が変わるというか世界と出会い直せるよって結構感想をいただくと本当にもう世界の見え方が変わりました あれも造評だったんだこれも造評だったんだというふうになりました まずその現象を概念化して例えばこれがどうよだったんだとか これが私にとって差し出しになったんだあるいはそれが誤配だったんだというふうに概念できることによって目の前の世界にちゃんと切れ目が入ると思うんですよ 言葉ってある種切れ目を入れる作用はあってもちろん切れ目が入るのはあくまで言語ゲームの結果として世界に切れ目が入るというか 見える見え方が変わるっていうのは言葉があるとだいぶ見えるって変わるんですよね やっぱり僕本の最初に概念工学っていうエンジニアリングその言葉っていうのをうまく発明することによって僕らはそれを使うことによって生活化にすることもできれば 僕らの身の回りの人間関係も変えることもできるっていう 適切な概念を適切に使えるように提示するっていうところから多分その変化が始まるかなっていうところですね なるほどねそうか概念化適切な言葉 そこに言葉を付与した時に世の中の見え方が変わるっていうそういうことですねなるほどね なんかユクスキュールの環世界とか思い出しましたか まさにそうですそうです言語ゲームっていうものを多分もっと生き物よりに生物よりにすると多分ユクスキュールの話に多分 環世界生きてる世界って言うとどういう世界の中で環境の中で生きてるかっていうのに神話性はあると思いますねやっぱりあそこは はいということで2日目もあっという間に終わってしまいましたが ということで世界はゾウよで生きている著者の近内さんとインタビューさせていただきましたどうもありがとうございました ありがとうございました # 『自分をコントロールする力』 それでは今日のフライヤーのコーナーに行きたいと思います。 今日はですね、自分をコントロールする力、非認知スキルの心理学という本になります。 著者ですけれども森口雄介さんですね。 現在京都大学大学院教育学研究科純教授でらっしゃいますね。 専門は発達心理学、発達認知神経科学というそんな森口さんですね。 講談社から2019年11月に書かれた本になります。 この非認知スキルっていうのは、私もですね、ちょっと子どもの教育に携わっていると何度か出会う言葉なんですよね。 一般的にはあんまりこの非認知スキルっていう言葉に出会うことないのかもしれませんけど、 認知スキルっていうのが知識量とか問題を早く解決する処理する能力みたいな、 いわゆるあれですよね、算数、国語、理科、社会とかそういうふうに、 そういうところで測定できるような、そういうふうに認知できるスキルということを認知スキルというふうに言われていると思うんですけれども、 一方でですね、自信とか真面目さとか社交性、こういったものは非認知スキルというふうに言われているわけですね。 その中のとても大事な非認知スキルというのがですね、目標を達成するために自分をコントロールする能力、 この本のタイトルにもありますけど、自分をコントロールする力というのがとても大事であって、 これをですね、子供の時にこの機能を高めることができたら、大人になってからでも成功に近づきやすいというふうに書かれているわけですね。 これよくマシュマロテストみたいなことありますけど、目の前に子供の前にマシュマロを提示して、 10分間我慢したら2倍になるよって。子供を部屋に閉じ込めてどれぐらい我慢できるかみたいなね、そんなテストもあったりするんですけれども。 この本ではですね、そんなことを聞くとですね、やっぱり子供を持つ親はですね、 じゃあその我が子の非認知スキル、実行機能、自分をコントロールする力を鍛えてやりたいと思いますよね。私も思いますもん。 しかし結論を言ってしまえばですね、そこに良い影響を与えるものについては残念ながらよくわかっていないということで、 裏を返せば自分をコントロールするための神業的な方法論は見つかっていないと。 にもかかわらず無根拠な方法論を説いているものが世の中に溢れているというね、そういうことでもあるということで。 これはね、もう本当にね、僕ね、共感します。 自分の子供とかを見ていると、ちょっと細かいことは言いませんけれども、いろんなチャレンジを私はしてきましたが、難しいなと思うわけなんです。 サンプル数少ない中でね、子供を一人二人三人抱えている親御さんがこんな風にやって、うちの子供は受験に受かりましたと。 だからこうした方がいいですよ、みたいな話っていうのは、したくなる気持ちわかるんですけど、 それってどこまで汎用性あるの?みたいなところが、私はいつも気になってしまってですね。 そんなN数それぐらいの話でね、世の中の全部のことを言えるのかという話にもなりますし、 さらに言えば、それを横展開していくとですね、大人の成長みたいなものについても、 俺はこうやって成長してきたっていうN数1の話、これもまた再解釈が必要になるっていうことですよね。 なので、この辺非認知スキル、非常に重要であるということであるわけなんですけれども、 一方で、まだまだ知れないブラックボックスの部分もあるというところも含めてですね、 ここの領域に光を当てた本かなというふうに思います。 ということで、お子さんを抱えた親御さんとかも含めて、ご覧いただくとヒントが溢れているのではないかと思います。 今日のフライヤーは、自分をコントロールする力でした。 # 頂いたコメントへのお返し さあ、それではコメントをお返ししていきます。今日は5月13日からですね。 タダツバサさん、DHBR6月号の対談1、ABテストを意思決定の民主化と捉えるのが面白かったです。 アートやクラフトで決めていたことをサイエンスで決められます。 アートとサイエンスをつなげるとABテストはサイエンスがベースになっていますが、 どう設計しどうやって実行するかは、アートや過去の経験から考えるクラフトの要素も入っています。 ABテストは設計次第で恣意的に結果が出せてしまうので、都合のいい答えではなく、 たとえ不都合な結果であっても真実を追求するという姿勢が大事だと思っています。 そうですね。 ABテストをどう設計するかというのは、かなり経験によるものかもしれませんし、 さらに言えば、なぜこの結果になったのかという因果を読み解くというのは、 これは多分にアート的な考えが必要になってくるわけですよね。 お客さんはなぜか赤の方をクリックしますと。 青と赤を並べたときに赤の方をクリックしますと。 じゃあ赤を出しますっていうのは良いんだけれども、なぜ赤に反応したのかっていうね、 そこの部分は多分にアートの出番になってくるわけですね。 ありがとうございます。 矢吹ハヤトさん、 ABテストは一つの変数を変え少数サンプルを比較する対象実験と、 多数の変数を変え多量のサンプルを比較する多変数解析の間にある試験方法かなと理解しました。 6月からエンジニアからマーケターへ転身する私としてはまだ知らないことばかりなので、 これからもBook Cafeを通じた朝の学びを大切にしていきたいですということで。 これね、僕もあんまり詳しいこと知らないんですよ。 だからマーケティングの現場でやるABテストはここで書いている対象実験の方が近いと思うんですよね、少数サンプルで。 ある程度絞り込んだ上でAかBかみたいな、そんなようなことだと思うんですけれども、 多変数解析みたいなことってどうなんでしょうね。 あの本で言ってるのはマーケティングみたいな、そういうベースだったので多分対象実験みたいなのに近いのかなと思いますけれども。 でもマーケターに転身するということで楽しみですね、これからね。 エンジニアベースのマーケターっていうのはすごい、ある意味ユニークだし力を発揮できる要素がすごくあるんじゃないかなと思います。 はい、頑張ってください。 出雲さん、DHBR6月号1日目、仕事で現場を改善したり評価したりすることがあります。 その際データの説得力を実感しています。 データは捉え方で、善にも悪にも、ゼロにも無にもなってしまいます。 データは科学の輪郭をおぼれっけに炙り出す。 絵描き道具のようなものと感じています。 また辞書を分析した際、見当の余地がない場合、それはもう科学ではなく神様が決めた運命だと思っています。 科学には余白があり、それが魅力だと感じています。 改めてこれからも科学とアート趣向でチャレンジしたいと思いました。 このデータドリブンというところは、これからもどんどん幅を大き化していくことになると思います。 5Gになると、我々を取り巻くデータ量はものすごい膨大なものになるということは自明なわけです。 データによって全てが決められるのかというと、そういうわけではないということです。 ここは永遠の話になっていくわけです。 だからこそ我々は、まずはデータの取り扱い方をちゃんと理解しなければいけないという話と、 2番目にデータで語りきれない部分についての感度を磨いておく必要があるというこの2つ。 これはまさに肉野菜問題で、どっちに偏ってもいけないというそんな話なのかなと思います。 一本旅山のちさん、DHBR6月号、久々に実務的な内容で目が覚めました。 ABテストは意思決定の市民化なんですね。 最近市民データサイエンスなんて言葉も聞きますが、 例えば小売の販売員さんがデータを駆使して目の前のお客さんに最適なサービスを提供するとか、 データの活用がパーソナルになっていくんですね。 その分リーダーは過去からの延長ではない新しいビジョンを描かないといけない。 だから妄想、だからSFなんですね。 ABテスト意外に深いということで、すごい深読みをしていただきましたけれども。 そうなんですよね。 でも笑っちゃうんですけど、久々に実務的な内容でっていうことですね。 いやーこれはね、ありますね。 ちょっとあの、私の趣味とかの部分も影響していると思うんですけれども、 ちょっとね実務感から徐々に徐々に離れつつある的な部分っていうのがあって、 哲学寄りだったりとか、歴史寄りだったりとか、SF寄りだったりとか、 なんかね、こう本当に実務に速攻を使えるスキル的なものみたいなものから、 ちょっと離れている番組のような気がしてなりません。 ただ皆さん何があれなんですかね、お好みなんでしょうね。 その辺はちょっと私にも分かりませんけれども、 できるだけね、いろいろ、それこそバランスですね。 肉料理だけではなくて、いろんなね、バランスを取ったメニューを提供していきたいなというふうに思っております。 バナナマスターさん、あらきマスターこんにちは。 食の歴史、興味持ちました。 2050年の未来話は重大ですが緊急性が薄く、自分ごとに捉えづらいですが、 コロナで苦しんでいる状況下でこの問題のイメージができました。 ヴィジタリアン化や昆虫食などの食の形態変化も重要ですが、 一人一人の意識変化も求められるのでは、 一人占めの自己中心的意識から分け合う交渉な忍耐が必要になるのでは、 食の産業も垂直的な所有から共有や共同がテーマになるのかもしれません。 私も食の業界で働く一人として感覚を大切にして意識を変えていかねばと思いました。 はい、ありがとうございます。 食の業界なんですね。 そうおっしゃる通りで、フードロスみたいな話っていうのは、 この食の裏側に必ずついて回る問題ですよね。 だからいかにロスを出さない食べ方ができるか、 そういう食文化を作れるかっていう、 そういうことが大事なんですけどね。 本当にこれは難しい話ですね。 でもこういう、あたりさんみたいなね、 こういうマクロな視点で考えるからこそ見えてくる問題もあると思います。 はい、ありがとうございます。 さるさん、あらきまさこんにちは。 今日は久々、日々の雑魚に気づこうと思いました。 世界は雑魚でできているを拝聴しました。 自分が親や先輩という立場になって無数の雑魚をもらっていたと気づかされますね。 一方で年を重ねるごとに、他者から受ける雑魚に鈍感になっているとも感じます。 書籍購入しましたということで。 はい、ありがとうございます。 年を重ねるごとに雑魚に鈍感になっている。 うーん、これは深い。 確かにね、 当たり前という感覚が麻痺してくる、 みたいなことって、あるのかもしれないですね。 それこそ太陽が上がるということに対する感謝の気持ち、みたいな。 そこまで言っちゃうと宗教になりますけれども。 大事ですね。ありがとうございます。 町田和俊さん、あらきまさこんにちは、こんばんは。 初めてコメントさせていただきます。 いつも楽しく拝聴しております。 マスターの心地よい声で紡ぎ出される言葉や思考に気づきを得る毎日です。 世界は雑魚でできているを聞き、その後フライヤーで要約を読みました。 私は要約中のアンサングヒーローという言葉に、 薬剤師が主人公の漫画アンサングシンデレラを連想しました。 私も薬剤師として働く中で、 その役割が理解されていないと感じることがあるのですが、 自分たちの役割を雑魚として捉えると気持ちが穏やかになる気がしました。 うん、アンサングシンデレラね、 僕、ボイシーで語っているはずです。 はい、なのでアンサングシンデレラ、ぜひ、 もしお聞きになっていなかったら探って聞いてみてください。 今度ドラマ化されますよね。 はい、そちらも、もうしてるのかな、ちょっとわかんないけど。 楽しみですけど、私も好きな漫画の一つです。 はい、ありがとうございます。 さて、今日のコメント会社はここまでにしましょう。ありがとうございます。 # 終わりのあいさつ はい、それでは今日の放送はここで終わりにしたいと思います。 近内さんとの対談2日目終わりましたけれども、いかがだったでしょうか。 はい、明日最終日ですけれどもね、明日の内容もとても面白くなっておりますので、ぜひ楽しみにしていてください。 では今日はここまで。また明日。 もっと見る荒木博行のbook cafeプレミアム放送配信中!00:141.タイトルコール00:362.初めのあいさつ09:163.「誤配」から始まる贈与の輪https://www.flierinc.com/summary/225509:284.身の回りに溢れた贈与を認識しよう04:595.『自分をコントロールする力』https://www.flierinc.com/summary/226409:456.頂いたコメントへのお返し00:187.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう Atsuo Nakayama2020年5月23日ちょっと遅れましたが本当によい話ですねー。「誤配」はDNAも同様でそこに差分やあそびがあったほうが新しいものを生みやすいんだなと思います。為替や貿易にしてもお互いの立場の差の誤配によって利ザヤにもなりますし工夫の余地になりますよね。贈与が時差/見解の誤配によって「お互い過剰に交換をしてしまう/お互いの意図を過剰に推測してしまう」というサイクルがシステム上プログラミングされており、それが新しいものを生んでいるのでは、と思いました。返信 いずも2020年5月21日『世界は贈与でできている 2日目』身近な贈与として「ありがとう」のバトンをイメージしました。このバトンを次々と渡すと、ありがとうの輪が広ると思っています。一方でありがとうを渡す事が目的になり疲れた事もあります。誤配と考えると、バトンは渡すべき作業と考えられるので、バトンを渡しやすくなりそうです。ただし、作業と感じた瞬間に愛は無くなるように感じますので、場合分けして誤配と意味付けたいと思いました。改めて社会を俯瞰したり、自分の生き様を振り返ったりして、贈与の繋がりを感じたいと思います。返信 佐倉ユウキ2020年5月20日荒木マスター、おはようございます。 『自分をコントロールする力』アクセル全開とブレーキ=疑ってみるを間違え無ければ、大体大丈夫。。とは思いますが、『EU離脱』読んでいます。なかなか政府視点など考えてなかったので、目からウロコです。その後上手くいったのか?!と検索したら、当の鶴岡氏の記事にヒットしました。が、そもそも、なんでこの本を読んでるんだろう。。分かりません、えへへっ。 皆さん、どんな本が好きなんでしょうか。大体マスターと一緒の分野が好きですが、好きなポイントはズレてる感じです。返信 片岡秀一2020年5月20日『世界は贈与でできている』放送後に購入し、読み始めていたタイミングで対談が実現して驚きました。「感謝だけでは足りない」という視点に心底驚き、かつ、納得しました。言われてみれば、確かに、その瞬間に「負い目」のような感情はかすかに存在していたように思います。しかし「感謝」・「ありがたい」という一言で片づけてしまっていたと反省しました。『贈与』という言葉がピンと来ず、SNSで見かけた時はスルーしてました。book cafeが無ければ、読むことも無かったと思います。素敵な出会いとなりました!返信 人、本、旅、あまのっち2020年5月20日「世界は贈与でできている」近内さん対談2、"誤配"という考え方、衝撃的です。ズドーンときました!思い出したのは、小学校の時にやった、風船に手紙を着けて飛ばすヤツです。たまたま拾った人は、どこの誰かも分からないけど、返事書いたりしますよね。無償の行為だし、拾った以上、黙ってはいられない義務感。義務感だけど、悪い気持ちじゃない。完全なる腹落ち、完落ちです!返信 人、本、旅、あまのっち2020年5月21日今読んでます。無償と書いたけど、正確には無償じゃないんだ。風船拾った人が、手紙に返事を書くのは、それ以前に受け取った贈与があるからなんだ。 もっと見る
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話し方は思考で決まる/「数学的話し方」実践トレーニング 深沢真太郎さん対談2 33分・10月19日・ 3,028再生AI目次「話し方は思考で決まる」深澤氏が語るその真意説得力増す!深澤式コミュニケーション5原則「場」と「言葉」の定義がもたらす効果思考を「美しく」伝える構造化とモデル化コミュニケーションに「型」を作る最終奥義
「数学的」とは何か?/「数学的話し方」実践トレーニング 深沢真太郎さん対談1 36分・10月17日・ 3,043再生AI目次ビジネス数学の深澤氏が語るキャリア数学的思考の核「定義・分析・体系化」ビジネスで活きる「数学的」な話し方とは数学アレルギー克服!ビジネス思考の鍵「定義なき」コミュニケーションの落とし穴
自分自身で問い、自分で答えてみる/もう挫折しない 「最後の哲学入門」戸谷洋志さん対談2 31分・10月16日・ 3,171再生AI目次哲学応用で課題を考え抜くスキルとは?挫折しない哲学書の読み方:理解の深淵内なる哲学者を「雇う」思考の訓練「問い取れ」で磨く哲学的思考の実践なぜ超古典を「一冊」深く読むべきか
哲学の3本柱としての「存在論」「認識論」「価値論」/もう挫折しない 「最後の哲学入門」戸谷洋志さん対談1 36分・10月15日・ 3,366再生AI目次哲学入門の常識を覆す新提案戸谷洋志が語る哲学の三大テーマAI問題で考える「存在論・認識論」思考を阻害する「べき論」の正体変化の時代に問われる「自分哲学」
身近な贈与として「ありがとう」のバトンをイメージしました。このバトンを次々と渡すと、ありがとうの輪が広ると思っています。一方でありがとうを渡す事が目的になり疲れた事もあります。
誤配と考えると、バトンは渡すべき作業と考えられるので、バトンを渡しやすくなりそうです。ただし、作業と感じた瞬間に愛は無くなるように感じますので、場合分けして誤配と意味付けたいと思いました。
改めて社会を俯瞰したり、自分の生き様を振り返ったりして、贈与の繋がりを感じたいと思います。
『自分をコントロールする力』
アクセル全開とブレーキ=疑ってみるを間違え無ければ、大体大丈夫。。とは思いますが、『EU離脱』読んでいます。なかなか政府視点など考えてなかったので、目からウロコです。その後上手くいったのか?!と検索したら、当の鶴岡氏の記事にヒットしました。
が、そもそも、なんでこの本を読んでるんだろう。。分かりません、えへへっ。
皆さん、どんな本が好きなんでしょうか。大体マスターと一緒の分野が好きですが、好きなポイントはズレてる感じです。
放送後に購入し、読み始めていたタイミングで対談が実現して驚きました。「感謝だけでは足りない」という視点に心底驚き、かつ、納得しました。言われてみれば、確かに、その瞬間に「負い目」のような感情はかすかに存在していたように思います。しかし「感謝」・「ありがたい」という一言で片づけてしまっていたと反省しました。
『贈与』という言葉がピンと来ず、SNSで見かけた時はスルーしてました。book cafeが無ければ、読むことも無かったと思います。素敵な出会いとなりました!
思い出したのは、小学校の時にやった、風船に手紙を着けて飛ばすヤツです。
たまたま拾った人は、どこの誰かも分からないけど、返事書いたりしますよね。無償の行為だし、拾った以上、黙ってはいられない義務感。
義務感だけど、悪い気持ちじゃない。
完全なる腹落ち、完落ちです!
風船拾った人が、手紙に返事を書くのは、それ以前に受け取った贈与があるからなんだ。