TOPトーク専門家東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】【リベおじ】14年目の3.11〜福島で生まれ育った一人として20:04 2025年3月12日 234再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次14年目の3.11、福島の現状とはあの日、そして14年間の軌跡川端純四郎氏の言葉が問いかけるもの被災地と信仰:何をすべきか分断された福島、未来への希望AI文字起こし(β版) # オープニング カトリック・プロテスタントのおじさん・クリスチャン3人が共派を超えてお届けする東宝の三おじさんラジオ 本日は3月12日お昼の時間帯です。いかがお過ごしでしょうか。 連日コラボ放送をオープンしておりましたが、今回は一人で単発、リベオジことリベラルおじさん松谷がお届けいたします。 今日は3月11日、東日本大震災から14年目の節目ということで、さまざまテレビ、新聞、ニュース、その他メディアでも 震災直後の東北から今日に至るまでの復興・復旧、その他残された課題などについての報道がありましたけれども 私自身福島の生まれ育ちでもありますので、その話について少しお話したいと思います。 最後までよろしくお付き合いください。 # あの時のこと、それからのこと… はい、というわけで 14年も経ったということが 違和感には信じられないような、あっという間のような長かったような そんな期間でありますけれども、皆さんにとってはどんな14年間だったでしょうか。 それぞれに、特に関東から 東、北の方々にとっては、実際に体験した 揺れのこともありますし、特に都内では帰宅困難ということがありましたので 鮮明に当日のことを覚えている方も多いかと思いますけれども 私自身はですね、あの当日 会社にいました。古い建物の4階建てだったので だいぶ揺れました。 そして直後からですね、いろんなことがニュースでも流れつつ、都内も大混乱でしたね。 電車も動かない、車も ずっと混雑していて使えないということで、公共交通機関を使わずに2時間 徒歩で歩いて自宅まで帰った記憶があります。 当時まだ私の子供2人がまだ保育園の 年中3ぐらいの年だったと思いますが 夫婦で分担してお迎えとか、その他いろいろと 話し合った記憶がありますね。私たち夫婦2人とも福島の出身でしたので 両親とも直後は連絡が取れなかったと思います。 翌日はですね、2人とも仕事を休んで保育園でもその 協力してほしいということだったので、休みをしたのを覚えています。 ご存知の通り同じ被災地と言っても東北の中でも様々 被害の状況が違っていて、地震だけではなく海岸部、沿岸部は特に津波の被害、 そして さらに福島では原発の事故、爆発ということがあって、そこからの避難とかですね 様々その線量に関する考えの違い、その他での分断などが後々、 脈々と今日まで続いているわけですけれども やはりその岩手、宮城、福島で、しかも福島の中でも浜通りですね いわゆる原発があった浜の方と中通り、今福島県福島市 県庁所在地のある福島市、そして郡山市のある中通り、そして藍津より西の方によって被害状況も様々 相当いろんな思いの違いもあります。被害の状況も全然違うと。 かえって実は中通りの方が線量が高い地域があったりとか いうことが後々わかってくるわけですけれども、その原発そのものに対する考え方とかですね その地元の復興の問題、復旧の問題など本当に様々論点、課題が今も残されているという状況です 特に私は記事新聞でしたので、教会関係の直後、被災状況がどんな感じだったのか、そしてまた当日金曜日でしたので 翌日、日曜日、各地様々なところで普段通りの 礼拝が行われたりあるいは街道が流されてしまったところは、仮設の場所で礼拝をさせられたりということがあったというふうに 記憶しておりますが、その中で果たして神も仏もいないというような状況下で何を私たちは語るのか 声を聞くのかということがまさに問われた瞬間でもあったかなと思います ちょっと振り返るとですね、2011年の3月直後のキリスト新聞で私が担当しておりました これ順番で担当してたので、私が書いた担当文の暴露というコラモがありまして それもSNSとかで少しシェアさせていただきましたが、3月26日付の暴露で私が担当したところで書いた文章を少し 当知事の記憶のためにも改めて紹介したいと思いますが 短い文ですけれども一部紹介いたします 劣等を襲った東日本大震災による被害の前容が明らかになるにつれ、残された爪痕のすすまじさに言葉を失う 原発での爆発、計画停電、交通機関の混乱など新たな難題も生まれ、緊迫した状況が今も続いている 発生から2日後の手術礼拝で語るべき意味言葉を見出せず苦慮した牧師も多かったに違いない 韓国で最大規模を誇るヨイド・ジュン福音教会の張陽美牧師は、空想崇拝や無神論、物質主義に陥っている日本人への警告と言及 石原慎太郎都知事も、津波で我欲を洗い落とす必要があるという同種の発言をしたが、翌日には撤回した 米南部を襲ったハリケーン・カトリーナを天末としたカトリック主催の発言も思い出される 愚かな戦争も含め、歴史上の最悪、惨禍が罪深い人間への警告や試練だったという見方はあり得るが、究極的には神の溝を知る領域であり それを一個人が安易に断言することは厳に慎むべきである。とりわけ牧師を含む宗教者がまずすべきことは、神になり代わって傍観的に評論することではなく 壊された苦難に向き合い、なぜですかと問い、愚と哀ながらも泣く者と共に泣くことではないか 一日も早く被災者の安平が確認され、一人でも多くの人命が救われることを、そして各人が与えられた血でなすべきことがなせるようにと祈るばかりであると 一部と言いましたが、全文をお読みいたしました 今にも通じるというかですね、これはキリスト教を含む宗教界の課題ではありますが こういう天災といわれるような大災害が起こった時に何を語るのかというのは非常に姿勢が問われる、あるいは逆に進化が問われると言っても可能ではないと思いますけれども その場にあって被害にあった方々に対して何を語るのか、あるいはその被害にあった方、あってない方についてもですね 何をどう語るのかというのは非常に注目もされるし、時に批判もされることかと思います この当時もですね、様々でフェイクは今でも問題になっていますが、当時14年前もそういったようなですね 有言被誤、傍観的な立場から、震災はこういう意味があるとか、ああいう意味があるとか、今こそ救われるべきだとか、信じない者への罰だみたいなことで、今こそ伝統が必要だみたいなことを 小肌がに叫ぶ人たちも一部いらっしゃいました。それに対して私たちがどう答えるのかということは、今も問われ続けているかなと思います 特に原発に関してはですね、地元の業界にはそこで働く方々もいる、そういう信徒さんもいる中で何を語るのか、そして原発という 制度、システムそのものについてどう考えるのか、もちろん賛否があるわけですけれども、その業界の立場、聖書から何をメッセージとして読み取るのかということは、決して無関係のない問題じゃないかなというふうに思っています その後、いくつか私の新聞を含め、ブログメディアでも散々、自分への問いとしていろいろな文章を紡いできましたが 一つだけ紹介したいのは、川端淳四郎先生という東区学院大学で長く教えられた先生なんですけれども 3.11以降、東日本大震災と加盟の報告という文章が、国と世界の2011年5月に掲載されたので、それを引用しながら言及した文章があります 川端先生はもちろん宮城県仙台市で、関係者がたくさん被害に遭われて、ご自身は無事だったのですけれども、様々な関係者、知事にその他を探しながら遺体を確認するという作業に奉送されたと 教会にお探しで600人余りの遺体を見て回ったというふうにお話をされていました # 川端純四郎先生の言葉「神なしに生きる」 一文だけ紹介いたします。 私自身の身に起こる不幸についてなら、予防のような信仰はあり得るかもしれません。 しかし、あの一面の高爆弾津波被災害の跡地に立って、愛する家族を失った被災者の人たちに向かって、神の身胸を解くことは私にはできません。 私にはボンヘッファーの道しかないように思われてならないのです。 それでは、神という作業過失を捨てた世界での信仰とは何なのでしょうか。 それが今、私自身に問うている問題です。 はい、こちら福音の世界に掲載された文章の一部です。 こちらで言及しているのは、ヒトラー暗殺計画に関わって処刑されたドイツの神学者、ディドレヒ・ボンヘッファーの牧中書館にあります、 神の前で神と共に神なしに生きるという姿勢を指している文章でした。 ご自身ももちろん熱心なキリスト社であったわけですけれども、目の前の災害以外を目の当たりにした率直な思いだったのではないかと思います。 その後、6月に直接東京都内の私たちの出版売協会が主催する会合で川端先生を招きをして、直接話を伺う機会がありました。 もうすでに川端先生は現在では亡くなっていますけれども、当時まだご現在の時にお話をした話から、私のブログの方で紹介をしております。 神に見捨てられた命をイエスは生きた。神に見捨てられて生きることの中にこそ神から与えられた道がある。 なぜ地震が起きたのか、なぜ罪のない多くの人々が死ななければならなかったのか、説明はつかないが、そこで共にオロオロ歩くイエスがおられる限り、私たちも共に生きるほかない。 説理や見業と都合よく説明できてしまうような神は、答えが欲しいという人間が納得するために作り上げた願望の産物でしかない。非常に的厳しいことをおっしゃっていました。 当時に川端先生は現地で何百人もの学生ボランティアと接する機会があったということを話されていて、ただその中の学生と話をする中では選挙に必ず行くといったのはわずか十数人しかいなかったという話をされていました。 ここからも引用です。川端先生がおっしゃっていた言葉です。 人を苦しめている者と戦わなければ、苦しむ人と共に苦しむということにはならない。ボランティアは本当に涙が出るぐらいありがたいが、ただ同情するだけで問題は解決しない。 現地で共に苦しんでくださるなら、苦しめている者への怒りが伴わなければ。ということで、私は全く同感でありました。 よく教会ではあるあるですけれども、もちろん祈りが大事なことは間違いなく紛れもない事実、そして人のできることには限界がある。 神に頼るしかないという実態、事情、そしてそういう側面も当然ある。 中で私たちは何をすべきかということを考えた時に、目の前の事象を表面的に捉えるのではなくて、構造的な問題を見極め、 かつ具体的な解決方法を探り、そのための可能な限りの努力を惜しまないことが求められているのではないかと、私はブログでも同時に書いております。 それこそが神への応答として信仰者がすべきことではないかと。 そういう意味では、社会的な問題、いわゆる原発の問題をどう考えるかと。 それについて、あるいはその福島、および東北、そして国ですね。 政治とも切っても切り離せない様々な問題が、今も被災地を含むそれぞれの場所、 そしてノートの反対の地震もありました。 1年経ってなかなか復旧復興が進まないということに関しても、当然私たちは被災者のために、そして異性者のために祈りを捧げるわけですけれども、 それでもなおかつ私たちができることをすべき、まだ余地は残されているのではないかと。 まさに神を頼りつつ、しかし神の前で神とともに神なしに生きるというボンフェファーの姿勢が求められているのではないかというのが川端先生からの教えられたことでもあります。 ちょうど私何回か言及していますが、今アニメ絶賛放映中、あと残りラスト2回、2話と言われていますが、 地動説をテーマにした漫画、原作の地という中でも、神なしの世界で考えろというようなセリフが出てきます。 倫理と道徳と、そして宗教と信仰と、それぞれ、そして真理などいろいろなことを考えさせられる漫画ですけれども、 私たちが果たして信じているものは何なのか、そして信仰とは何なのかということを改めて考えざるを得ないこの3.11ではないかというふうに思いました。 現在もですね、もちろん東日本では復興に向けて様々な、特に昨日のメディアでは、特に福島の中では大熊町、双葉町が復興に向けて少しずつ踏み出しているという報道もありつつ、 一方で、なかなか避難をされた方々が地元に戻れない、戻りたくても戻れない、あるいは戻った後でも復興復旧にはなかなか元の町に元通りになるには程遠いというような現状課題もあるのは確かです。 そしてこれを忘れてならないのは、今でもですよ、14年経った今でも、入ってはいけない地域がこの国の中で、そして福島の中でまだあるということで、現実と、厳然とある事実としてあるということを忘れてはいけないと思います。 入ってはいけない場所があるということですね。もちろんその中に住んでいた人たちもいらっしゃるでしょうし、そして未だに行方がわからなくなった家族、ご家族がいるという方もいらっしゃいます。そして避難で様々、福島を離れ、遠方で今は新しい生活を始められた方もいらっしゃいます。 その中には、以前、防災課でも紹介いたしました芥川省を受賞された鈴木唯さんのような方もいらっしゃる。 昨日の新聞では鈴木さんのインタビューも載せられていまして、当時まだ小学校高学年だった鈴木さんが原発直後から様変わりした学校生活、そして友人関係、友達関係などについても語られていました。 私は当時大人でしたし、福島の現地にはいなかったので、本当にその現場で何が起きていったか、そして私と同じ同級生たちはどんなことを考えながら現地で過ごされていたか、 特に同じような世代でしたので、小さい子供を抱えられた同級生たちは本当にどんな思いだったかなというふうに想像するしかありません。 はい、もうこの件に関してはおそらく何時間でも語っても語り足りないぐらいテーマもありますし、それから14年間様々なことがありましたし、特に福島ではやっぱり深刻だったのは分断ですね。 危ないか危なくないか、線量はこのぐらいでいいのか悪いのか、子供たちをそのまま学校に行かせ続けていいのかどうかという選択を迫られ、避難すべきか留まるべきか、そして避難したくてもできない方、そして避難できた方などで様々な形の分断が、目に見えない分断が起きました。 今もそれが解消されたとは到底言えないかなというふうに思います。 はい、というわけで、このタイミングではないとなかなかお話しできないこともありますし、全然いたりないこともありますけれども、この辺で東日本大震災14年目のお話として終わりたいと思います。 はい、皆さんそれぞれの3点一致に過ごされていたかと思いますけれども、また皆さんの感想、ご意見などお寄せいただければと思います。 また機会がありましたら、お料理、震災の話、そしてこういう天災に関して私たち信仰者がどう捉えるべきかと、まさに真理論的な、永遠に答えは出ない問題ですけれども、その問題についても触れていきたいというふうに思っております。 最後までお付き合い下さいました。ありがとうございました。また次のVoicyでお会いしましょう。さようなら。 もっと見る #東日本大震災 #福島 #震災 #原発事故 #キリスト教 #放射線 #原発 #陰謀論 東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】松谷信司×MARO×清涼院流水01:041.オープニング09:282.あの時のこと、それからのこと…09:323.川端純四郎先生の言葉「神なしに生きる」コメント感想・質問・応援メッセージを書こう スミッコ2025年4月12日14年前、私はまだクリスチャンではありませんでした。圧倒的に理不尽な現実の前に「やっぱり神はいないんだ」と思いました。本当に、信仰者はこんな時なんと言えばいいのでしょうね。雪が舞う瓦礫の中で経をあげる僧侶が印象に残っています。ミャンマーでは内戦の渦中に大災害が襲いました。いつでも一番弱い立場にある人が苦しみます。この壊れた世界はいつ回復されるのか…と思います。1返信
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本当に、信仰者はこんな時なんと言えばいいのでしょうね。雪が舞う瓦礫の中で経をあげる僧侶が印象に残っています。
ミャンマーでは内戦の渦中に大災害が襲いました。いつでも一番弱い立場にある人が苦しみます。この壊れた世界はいつ回復されるのか…と思います。