TOPトーク専門家東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】【リベおじ】映画『聴く隣人のいるところ』の魅力を現役教員と語り尽くす1:04:19 9月6日 173再生 問題を報告する 再生する シェアする https://kikurinjin.com/AI目次映画『聴く隣人』の全国拡大と教員が語る魅力現役教員が涙したハレルヤコーラスと高校生の質的成長教会の「対話」と中高生ラジオが生む共感の輪学校教育の多様性と生徒が語る「問題ない」の重み愛心高校が問いかける人の尊厳と教育の原点AI文字起こし(β版) # オープニング カトリック・プロテスタントのおじさん・クリスチャン3人が、恐怖を超えてお届けする東方の三おじさんラジオ、本日は9月の6日日曜日です。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。 昨日、それから一昨日、その前と連続での更新になっております。 しばらくお付き合いいただきたいと思いますけれども、本日は、タイトルにあります通り、 久々に映画聞く隣人のいるところ、もう散々ですね、VoicyやらYouTubeやらで、押しまくっておりましたが、ちょっと時間が空きまして、 地方上映が続々と、次々と始まっております。もう都内の劇場公開も終わってしまっているんですが、 全国各地、つつい裏裏、 以前、試写会を私が企画した時はまだ20から30巻ぐらいだったんですが、なんと40巻を超えました。 まだ公開がね、告知解禁されていないところも含めて、今検討中のところも含めて、 まだまだ、これから、もうまだ見てないあるいはうちの近くに来てないという方も、楽しみにお待ちいただきたいと思います。 まだしばらく、全国であちこちで見れる状態になっておりますし、ようやく見れるようになったという地域の方もいらっしゃると思いますので、 改めてこの魅力について語りたいと思いまして、実は、 以前、私が主催しました3回の試写会の中で、たまたま、これも詳しくは経緯はですね、この後のトークの中でご本人とお話をしているんですけれども、 たまたま、私どものキリスト新聞で早川監督のインタビューを載せた記事をご覧になった方が、 足を運んでくださって、社会で初めてお会いしたキリスト教学校、別の愛心とは別のキリスト教主義学校の教員をしているという、現役で教員をしているという荒木さんにお会いをしましたのが、 この母医師の、まずは始まり、きっかけでございます。 そこから色々とありましての、久々にまた荒木さんがこの映画を見る機会が、社会じゃなくて、ちゃんと劇場公開後に見る機会があったということで、 それを経て、改めて、そういえば作品についてね、まだお話をしていなかったということで、 たっぷり60分、当初そんなに長く話すつもりじゃなかったんですが、60分まるまる制限時間いっぱい話をしてしまいました。 まあ、それでも話し足りないぐらいという熱い熱量でございまして、なんせですね、やっぱり教員であるということですね。 現役の教員で、しかも中高生相手にしていて、かつこのトークの中、この後のトークでも話をしておりますが、 教会でも、いわゆる教会学校、日曜学校と言われておりますが、その中で教会に通う中高生を担当しておられるということで、 がっつり、それこそ高校の教える、高校生と接する立場にある方なんですね。 なので、なおさら多分、この映画は本当にいろんな意味で刺さったんではないかなということで、 その辺を熱く語っておりますので、ぜひこの後のトークをお楽しみにしていただきたいと思います。 もう聞き飽きたと言われるかもしれませんが、私は何回見てもですね、毎回発見があり毎回涙ぐんでいるわけですが、 ぜひその辺を、もちろんね、中には全然刺さらないよっていう方もね、もしかしたらいるかも。 同じ映画でもそれは見方がいろいろ自由ですから、ということもあると思いますけれども、 まだ未見の方、ぜひこのトークを聞いていただいて、お近くで公開の際には足を運んでいただきたいと思います。 というわけで、本日もリベおじことリベラルおじさん松谷がお届けいたします。 最後までよろしくお付き合いください。 # キリスト教学校で働くアラキさんをゲストにトーク はい、ということでみなさんこんばんは。 大野さんおじさんラジオ、今回久々にまたゲストをお呼びしております、荒木浩人さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 なぜこういう経緯になったかというのも含めて、これからお話ししたいと思うんですが、荒木さんちょっと短い自己紹介をしていただけますでしょうか。 はい、荒木浩人といいます。作家名ではカタカナで荒木浩人という名前で古典とかをしてますけれども、実際のお仕事としては都内の某キリスト教主義の学校で美術家の教員をしています。 はい。あ、古典もされるということね。 たまにですけれども。 そうですよね。美術家の教員ってことはご自身で作品作りもされるってことですもんね。 本当に細々やっております。 いえいえ。そもそもなぜ荒木さんがここに今回お招きしたかというとですね、しばらく前から私も散々推し続けておりますが、 菊林陣のいるところという島根県にあります愛心高校、キリスト教愛心高校という全寮生の学校がありまして、そこの1年間に密着したドキュメンタリーが今全国順次公開中でございます。 都内はもうすでに劇場公開終わっているんですが、地方ではまだまだこれから上映するというところもあり、その映画についてずいぶんもう公開前からですね、3ヶ所で試写会をして、そのうちの1回に荒木さんが来ていただいたんですね、きっかけは。 そうなんです。試写会に。偶然というか、いいですか、そこの話。私は本当にこの映画を自分で調べてきたんじゃなくてですね、私の職場は先生方がまとまってお弁当食べたりするお部屋があるんですけども、そこにいろんな会社の新聞が各社取り揃えてあってですね、 お弁当を食べながら読めるような、そういう環境にあるんですけれども、そのうち1つがキリスト新聞社さんのキリスト新聞を読ませていただいていて、私の目の前でテーブル挟んで向かいでご飯を食べてたのがちょうど同じ美術家の先生がですね、その新聞の中にある試写会の記事をご覧になって、 あらきくん、この映画面白そうだねって言って、お弁当を食べながらひょいって見せてくれたのがきっかけで、確かに面白そうですねって言って、そのまま試写会近くだし、行けるようだったら行ってみようかみたいな話をしてたんですけども、 わかりましたって言って。誘われたんですね。そう、試写会に誘われたんですけども。当日になって時刻が始まりそうなぐらいまで立って待ってたんですけど、なかなかその先生がいらっしゃらないので、あれこれはちょっとおかしいなって。 これあの、この先生、すごい一番尊敬してるいい先生なんですけど、ちょっとそういうことが結構まあまああるんですよ。 まあまあある。初めてじゃない? 初めてじゃないです。合宿の下見とかもあって。 まあまあありますよね。 合宿の下見で、ある駅で待ち合わせしてたのに、間違えて出勤しちゃってたっていう。学校に行っちゃってたっていうことがあったので、これはあのパターンかもしれないと思って、やっぱりお電話をしようかなと思ったんですけども、 やっぱりちょっともう、これはもう時間も始まっちゃうしいいやと思って、たぶん来ないなと思って、私が行ってですね。 まあとりあえず感想を先輩に持ち帰って話せばいいやと思って、まあそんな軽い気持ちで先輩に誘われ、突き沿いどころかもう私だけになっちゃって。 それで何の気なしに見に行ったら、最初はやっぱりテロップのあたりから、これはちょっと映画としては、私教員ですし、そもそも学校の他校の様子を聞けるっていうこと。 また同じキリスト教主義の学校だってこともあって、入りの時点でこれをしっかり見なきゃいけないと思ったんですね。 監督のテロップのところも見て、これは志して見ないといけないなと思って、もうその時点で。 最初、冒頭も冒頭ですよ。 冒頭も冒頭ですね。 わかりますよ、本当に。よくわかります、そのテロップでね。 で、見たらもう最後の方も号泣も号泣で、これを。 社会でいきなり。 泣きましたね。号泣はちょっと盛りましたかね。泣きましたね。確実に泣いて。 で、それが、これはうちの学校でも大切にしてることだっていうこととか、あとこの映画をやっぱり見たかったなとか、うちの学校の先生たちとかそういう思いとか。 あと自分たちがやってきてることっていうのも、同じように、同じこの時代で、時代遅れとか言われるかもしれないけど、やっぱり大事にしてるものとかが似てる学校があるんだなという嬉しさだったりとか、 そういうのを感じて、すごく見終わった後に、先輩はもちろんなんですけど、ドタキャンした先輩はもちろんいるんですけど。 ドタキャン。忘れてたっていう。誘ってきたのに。 よくある感じのことなのではないか。 その時に、私初めてお会いしたんですよね。 映画を見終わった後に、一方的にこのボイシーは実前から聞かせていただいて。 それもあって、あとは新聞でもそうですけど、松谷さんいろんなところでお顔拝見する。 それが本当にありがたいというか、キリスト新聞の存在はもう最初すでに知っていたってこと。 映画を見る前から。 キリスト教学校教育同盟っていう新聞がありました。 キリスト教機関誌。 そちらに機関誌があって、そちらに松谷さんがゲストでいらっしゃってましたよね。 事務職員の柿学校とか、ああいうのも拝見していて。 本当ですか。ありがとうございます。機関誌読んでくださる先生がいるんですね。 めちゃくちゃ読んでます。 私現役時代は全部もらってましたけど、ちゃんと読めてたかなと。 公募のところとかも見ますよね。 ああ、はいはいはい。あそこ見ますよね、確かに。 親戚が募集探してたりすると、キリスト教育の学校があったかもしれないかなとか。 そういうのもあったりしながら、一応記事を全部拝見しています。 どうでしたか。まさかそんな社会で私と初めて会えるとは思わずというか。 はい、思わず。ちょっと勇気を出して。 ありがとうございます。 そういうきっかけで。 そのときは本当にご挨拶程度でしたけど、 あとはわりと共通の知人とかもいたりとかっていうので盛り上がったぐらいで。 そういえばこの作品についてあまり語ってないなと思って、 もうそれこそ先ほど言ったように、今地方では上演いろいろとまだ絶賛公開中なんですが、 都内でも私の社会を含めて5、6回も見てはいるんですが、 仕事上でも見てはいるんですが、それでも毎回新たな発見があり、 だいぶ前にVCRを何回か、あとは社会をやった後でやったときに、 映画に出ている卒業生の保護者と語ったりとかはしてきたんですけど、 そういえば荒木さんと喋ってないわと思って。 ありがとうございます。 今回お声を受けしていただいて。 ありがとうございます。 荒木さんもまた、全部で2回。 そうなんです。最近また某所で2回目を拝見しまして。 やっぱり違いますよね。 違いますね。意図的に見落としてたことを見ようかなって思いにもあるんですけど、 やっぱり気づくところが毎回違うというか、それはありましたね。 ちなみに最初、初回どこで泣いたか覚えてます?一番ブッとしたの。 いや、初回はもうハレルヤコーラスで泣きました。 ああ、ハレルヤ。やっぱりね。 うちも歌うんですよ。職場の学校でも歌うんですけど、 その時もやっぱり鳥肌が立つんですけど、やっぱりそれに重なる思いもあり、 かつやっぱり教員やってると、もうこれで育っていくんだなっていうような感覚で。 いや、なるほど。 やっぱり思うと、この映画ももう少しで終わっていく。 なるほどね。 近づいていくんだ。 ここはまた教員独特の見方かもしれないですね。 全然何の気なしに入ったこの映画館で、知らず知らずのうちに初めて会った子供たちとの関係性がこの映画の中で勝手に生まれてるような。 愛おしくなりますよね。 そうなんです。 一人一人がね。 見てる中で、この子たちの成長を、なんか疑似体験ではあるものの、この短い時間の間でも見させていただいたっていう中で、 もうすぐこの学校からお別れなんだねっていうのが。 なんかね、それ聞いて私も思いました。なんか根っからの教員みたいなのが埋め込まれてるかもしれない。 私も本当に全く同じ感覚で。 保護者でもあり、また同じ年くらいの保護者だからっていうのもあると思うんですけど、 一方で教員自体は、私の場合はもう20年前ですけど、荒木さんは現役で、実際そういう現場でやっていらしているので、 子供への思い入れとか、あそこであんなこと言ってたのに、今こんな表情してるみたいなのがグッときちゃうみたいなね。 いや、グッときちゃいますね。本当に。 高校生の成長って、体の変化で言うと小学生とかの方が大きいと思うんですよ。 変化率で言うと。 身長が伸びたりとかね。 身長が伸びたりとか。養子の面ではそうなんですけど、高校生ってなんかこう、さなぎが腸になるみたいな。 何て言うんですかね。 難面の質的変化が大きくて、やっぱりここから事故として人生を跨いでいくんだな、みたいなのも結構仕事でも。 だから楽しみな職業ですよね。 自分の場合は中高っていうステージの部分を寄り添わせていただいて、お仕事になるんですけど、 その後って本当に自分自身のやりたいこととか、お仕事とか、もちろん大学に進学したりもありますけど、結構個性を出していく。 それでたまに羽ばたいて戻ってきて報告してくれるみたいな。 そうですね。 そういうステージが高校だと思うんで、それをすごくグッときちゃいましたね。 私も元教員でもそういう感じなので、現役の人を見たらどうなんだろうってすごい興味津々だったのと、 あとやっぱり同じキリスト教主義でもあり、教会とも接点あるじゃないですか。 クリスチャンとして、あの中で描かれているキリスト教、あるいはその友会という、礼拝と言わずに友会と言っている、 で繰り広げられる言葉の数々みたいなのとかも、教員なら教員ならではの受け止めとか見方あると思いますし、 なおさらクリスチャンはクリスチャンなりの、他の一般の方が見るのとはまた違う視点で見るのかなと思って、 そこが共通して語れるかなと思ったんですけど。 私自身は今キリスト教主義の学校で働いてますけど、中学が牧師だったんですね。 2019年に召されたんですけど、20年ぐらい地方で一つの教会を僕がずっとしてるところの牧師家庭育ちなので、 友会の良さっていうのを隠したのは、より自分自身の葛藤だったりっていうのをあんぐらい言えたらよかったなってちょっと思っちゃいました。 牧師家庭だからこそ。 言えなかったですか。 言えなかったというより、なんていうんだろうな。 これはどうなんだろう。 やっぱり今になっていろいろ疑問に思うことが多いかもしれないですね。 キリスト教主義の学校って礼拝がある中でお話したり、クリスタン教員だとする中で、 クリスタンの生徒ってほぼほぼいない中で、自分自身が問われるというか、 聖書からお話をするんだけれども、高校生とか中学生とか、 あらけ本当にそれを信じてるのかっていう目でお話をついてるわけですよね。 700人とか800人とかそんぐらいの人数の子たちがこっちを見てる中で、 そういうのを自分自身が問われてるような、今の中で。 いやーこれ自分自身が高校生のときにしっかり葛藤したかったなーって。 まあ遅くはないと思うんですけど。 仕事のかたわら、新学生っていうのもやっていて、 学んでいるのは本当に、仕事としてそういうお話をする機会を得ているってことはもちろんなんですけど、 自分自身の進行という意味でも、学ぶってことは悪くないのかなと思って学んでるんですけど。 すみません長くなっちゃった。大丈夫ですか。 いえいえ大丈夫です。 新学校に行ったら、自分自身の下心としては、後ろ盾が得られるって思って入っちゃったってことがあったんですよ。 確信を得たいみたいな。 そうなんです。新学生だからっていうところで、しっかり学んでるから自分の話に説得力が得られるかなとか、 そういうちょっと下心があったなって。 いやーそれは横島ですね。 それは横島なんですね。 それが1年生で、やっぱり突きつけられたのはそうじゃなくて、 新学校の先生たちすごい真摯に疑ってらっしゃるというか、 最新の進学とか科学とかともすり合わせながら、常にアップデートしていくこと? 自分自身の知識とか進行を悩みながら考えて、 アップデートしていくことを学ぶところなんだよっていうふうに新学校で言われた気がして、 ああもう本当に恥ずかしいって。 ごめんなさいって。 ごめんなさいって。 ああ儚った。 いやーそうですか。 そういう感じですね。 通っておられる教会はどんな感じの教会なんですか。 これ言っちゃっていいんですね。 日本バクテスト協会連合という団体の相模原にあるクロスロードバクテスト協会というところに、 教会員としていますけれども、福音派の教会なんですね。 いわゆる福音派に属する。 私は何回かこの作品に関して、あるいは社会を開くにあたって言ってきたのは、 やっぱり教会でこそ見るべきだということでお勧めして、 クリスチャンとか牧師とか、いかにこのICの中で行われてる対話とか、 あるいは一人一人が本当に自由で尊重されるみたいなことが、 果たして教会の現場でなされているだろうかみたいなことの問いとして私は受け止めたので、 もちろん自分自身にも含めて、クリスチャンはこれをどう見るかみたいなことを聞いてみたいなと思ってはいたんですが、 荒木さんの教会で例えばどんな反応ですかね。もし見たとしたら。 これはやっぱり、すでにあまりにも感動してお勧めしている、実際に見に行ってくれてる人が何人かいるんですね、教会の中に。 教したわけですね。 そうです、教したわけです。 中にはすごくドンピシャ世代で、中3の子とかも本当に興味を持ってくれてる子もいたりして、 その母さんも見に行ってくれたりしてという中で、この映画は本当に教会の方にも見ていただきたいというのと、 ちょうど今私が読んでた本の中に、アメリカの古い女性の方であるレッティという方が、 キリスト教の構造って対話なんだみたいなのを、対話そのものなんだみたいな表現をされてたんですよ。 本でたまたま見つけて、それ今ちょうど書いてるところだったので覚えてるんですけど、 それはどういう対話かというと、聖書が伝えてるメッセージを、神様からの対話の語りかけに対して、 こういう意味なんじゃないか、ああいう意味なんじゃないかって、人間が対話することで広まっていくみたいな。 それによってキリスト教が広まってたみたいな。対話こそそのものなんだみたいな。 そういう結論になってるんですけど、教会も、牧井先生の一方的な説教だけで終わりじゃなくて、 そこによって生み出される問いだったりとか、実際の教会性の奉仕とか、 自分自身の役割だったりとかになっていく中で、やっぱり対話が生まれて、 やっぱりそこに交わりが生まれていくのかなとか。 なかなか役員をずっと教会やってることは、久しぶりに、10年ぐらい連続でやってて、 久しぶりにこの1年4月からお休みいただいてるんですけど、それを今すごく感じていて、 数名は見てくださったんですけども、もっと他の人とも見たいな。 できれば、日本マクティスト教会連合って、小さな教会のすごくいっぱいあるグループなので、 いろんなマクティスト連合の他の教会の方とも一緒に見れたらいいなって個人的には思っちゃいましたね。 身内の恥を晒すようであれですけど、教会によっては問いを投げること自体があまり許されないというか、 良しとされないとか、非常に人間的な疑うとか疑問を持つとか、 僕自身なんか異論を止めるみたいなことを、あまりよく思われないところもあるじゃないですか。 そういうところだと、たぶんこの映画は受け入れられないのかなと思ったりもするんですけど、 全体的には、わりと広くいろんな人に見れてもらえる映画かなと思ってますけど。 その点でいうと、うちの今の教会の僕先生は、 自分の話についてレスポンスがあると嬉しそうに。 ああ、そうですか。それは良いことですよね。 そうなんですよね。私が逆にあまり言わないんですけど、 でも新学生になって、なおさらすごいなって思ったのが、 ステージの話を楽しそうにするんですよね。 ああ、大事。 私はそこまで、きっかけがなおす横島だから。 さっきこの収録を始める前に、うちの奥さんと話してたんですけど、 私たち海でいうと浅瀬をチャプチャプ系だからね、延長犠牲だからね、みたいな言葉なんですけど、 本当に深い話をしたい人は本当に深い。 もっと正直こういう意味なんじゃないかとか、 深掘りしていくのが好きな人もいれば、 私のように全然浅瀬でチャプチャプ系もいるよね、みたいな話で。 いやー、大事ですよ。 そうなんですけど。 でも本当に今の教会はそういう意味では、対話はウェルカムな感じではありますし、 かつ今、私は実は教会のほうでも中高生を担当させてもらっていて、 仕事も中高生なんですけど、教会のほうとしても教会学校の中の中高生を担当させてもらっていて、 がっつりじゃないですか。 がっつりなんです。今6年目になるんですけども、いいですか、その話に。 どうぞどうぞ。 実は私、ラジオはもともと好きではあったんですけど、 6年前か。そうですね。今6年目なんで。 今、僕井先生の息子さんが高3なんですね。 彼が中1に上がってきて、中高生のクラスに上がってくるタイミングで、 私の奥さんがずっとそれまで中高生をクラスにやってたんですけど、 男の子がいっぱいになるので、いっぱいというよりも2人なんですけど、 男の子だけになるので、ちょっと交代しないかってなってまして、 私が代わりに行くことになって、そのタイミングで私が僕井先生の息子さんに、 中高生のクラスのスタイルを話し合って決めたいんだけど、どういうふうにしたいっていうふうに振ってみたんですね。 僕井先生のご家庭がラジオ大好きなんですね。 中1の彼も、実はラジオが好きだから、ラジオみたいなのできないかって言ってくれて、 それで、じゃあ面白いね。休んだら休んだ子に送れるもんねとか言って、 じゃあ試しに撮ってみようかって言って、 お手製でラジオを作ってみない?みたいな話をやってみて始めたのが、 いまサンデー・クロストークっていう名前。それも彼が作ってくれて。 最初は中高科ラジオっていう名前でやってたんですけど、 途中からクロスロード・バフテスト協会でサンデー・クロストークっていう名前にしようとかって決めたりして、 いまクローズドなラジオっていうのを試験的にずっと毎週作ってるんですね。 それ、何年やってるんですか。 6年目ですね。毎週。 それを毎週6年やってるんですか、ラジオを。 ラジオを毎週6年やってるんです。 そりゃもうお手のもんじゃないですか、ラジオを。マイクの前で喋るのなんか。 いいですね。最初は本当に何話そうかなみたいな。 やってることは中高生の今までのスタイルってそう変わりないんですけど、 テキストを用意したり、聖書を読んだりして、ここどういうふうに思ったとかっていうのとか、 あとお互いの祈祷課題を祈ったりとかっていうのをちょっとジングル入れてるだけなんですけど。 え、すご。そんなんだって普通のあれだってポッドキャスターと一緒じゃないですか、やってることは。 フォーマットがないだけで、最初は例のMacにもともと入ってるガレージバンドですか。 ガレージバンドってソフトで切り張りしてやってたんですけど、 途中から毎週やるのに追いつかないなと思って、 携帯でもその場で編集できるようにしようっていう携帯のアプリでやるようになって、 それからずいぶん楽になりましたけど。 いや、私もちょっとクローズドなのにって聞かせていただきましたけど、もったいないと思って、これ。 オープンでも、それこそラジオネームなり、ペンネームなりなんかで。 そうですね。 オープンにやっても全然聞いてもらえるんじゃないかと。 もう完全に最初だからそういうスタートなんで、教会員の人だけというか、 中高生のクラス2階でやってて、大人の礼拝やってるのは下なので、 交わらないでそのまま帰っちゃう子もいる。 あんまり大人からするとどんな子が聞けるかわからないというのもあるから、 教会員の人に中高生の起頭課題でも支援できたらなと思って、最初教会だけやってたんですけど、 途中から2年目あたりから、私のモチベーションが全然反応ないから、持たないなと思って。 わかります。 なんか全然反応もないし、一番聞いて欲しい中高生誰も聞いてこないし。 いやーなんかあるあるですね、発信者の。 そうなんですよ、本当に。 なんか、やってもなーみたいな感じになってきて、 途中からやっぱり、これをもしかしたら、それこそ職部にクリスチャンの先生たちいっぱいいらっしゃって、 本当に尊敬するような、それぞれの教会の働きをされてるような先輩たちがいる中で、 ちょっとそれをお祈りの課題として、実はこんなのを教会の奉仕としてやっていて、 自分のアイデアでやっていて、自分で始めといてなんなんですけど、 なんか今ちょっと自分の中で伸び悩んでいてみたいなことをシェアさせてもらって、 もしよかったら送りつけるんで聞いていただけませんか?みたいな。 もし可能だったらラジオネーム用意してもらって、 LINEで送ってるんですね、外部に漏れないように。 直接お知り合いにしか送ってないので、 LINEで普通にコメント返してくれたらそこでお読みするんでとかってなってきてから、 そっから楽しくなりましたね、奉仕が。 大事ですよね。だから反応、本当によくわかります。 ボイシーとかYouTubeとかやっても反応がなかったらやる気にならないですよ。続かないし。 なんかこれ聞いてもらってるっていう実感が湧いた瞬間に、なんか力が出てきたというか。 本当ですよね。コメントが一個あるだけでね。 そうなんです。全然もっと人数を送ってるんですけど、一個のコメントだけでも全然自分の気持ちが違うというか。 いやーわかりますわー。なるほど。そうなんですか。それを今も続けてるってことですか? そうなんです。ありがたいことに。 今ちょっとずつ増えて、たぶん70人ぐらいの方々に一応お届けして、たぶん送りつけてるだけですけど。 そうですか。でもそれだけ中高生とずっとやってきての、しかも仕事でも職場でもそういう中高生たちを相手にしてるってことは、 もう完全に立場としては、この映画の中では教員の側の目線というか。 もちろんこの映画の中にも教職員の方がいろいろ出てきて、早川監督もおっしゃってますけど、 とはいえ教員集団も別に一枚岩なわけじゃなくて、結構みんな国勢豊かでバラバラで、 この愛心に対する思いとか意見とかも、それぞれみんなが一緒なわけでもないっていう話はすごい印象的だったんですけど。 なんかこれ、教員集団をどうするか問題みたいな立場で見てもちょっと面白いですよね。 本当に面白かったですね。全体会でしたっけ。学校の約束を決める会議だったりとか。 やっぱり要所要所で学校全体がどういうふうにしていかなきゃいけないのかっていう。 結構ここにフォーカスするシーンが多かったようにも感じるんですけど、やっぱり全体でみんな集まってるシーンもあの映画は多くて、 そこがやっぱりすごいなって思うシーンが多かったですね。規模感の違いってももちろんあるんですけど、 やっぱりこの学校は本気で使命感を持ってやらない。ああいう場所だからこそかなり使命感を持ってこないとそもそも働いてないっていう環境になる。 その中で単純に比較すればいいものでもないと思うんですけど、学校の覚悟だったりとか、 最後の斉書家の先生の卒業生のメッセージとか、痺れましたね。 やっぱりこの山にいるから、おいしいもの作って待っててあげるから、最後大丈夫だっていう前にちょっと詰まりますよね。 詰まる、わかります。 あそこで詰まってでも大丈夫だっていう、あれが等身大でグッときますね。 野間さんね。 野間先生の直接お会いしないで、勝手に名前を。 いやいや、わかります。もはや私はもう同僚ですから、散々見てるから一方的に。 また野間さんがすごい人間臭いじゃないですか。 そうなんですよね。 生徒から言い方がきつかったりとか。 ここにいるんですとか言われて。 失礼しましたとか言って謝っちゃったりとか。 あと2、3年生の打ち合わせの会議での先生っぽい発言みたいなのもあったじゃないですか。 ありましたね。 促すところ。 いかにも教員っぽいなって言って、一言も発言しないのはどうなんだ。 そのシーンはありますよね。私も言っちゃいそうだなと思ったりも。 でもあの後に発言してくれた彼が。 名言。 名言ですよ。 私は全然問題だと思ってませんみたいな。 彼が2回目に見た時に、私の中でかなり印象に残った子なんですよね。 1回目は文化祭実行委員長の子が私はすごく好きだった。 1回目の時は。 開票シーンがあってね。 開票シーンがあって。 文化祭のテーマソングを決めるっていうためにみんな投票して、委員長としてそれを発表しなきゃいけないと。 葛藤しながらみんないい曲だったのにこれ一つを選んで言わなきゃいけないっていう重圧に葛藤する場面があるんですよね。 あの場面の後の食堂で開票の結果を言って、その後にやっぱりもう一個ありますって発言して。 手を挙げてね。 スポーツしませんかっていう、この後暇な人っていうの。 あれがすごい気付いたんですよね。 いいっすよね。 あれがもう、なんか自分も文化祭大好き人間だったんですよ。学校が。 ぽい。 学校が好きで。 ぽいですね。 なんなら髪型もちょっと似てた時期あったなって。 バンドがやってたんで。 なんか彼がすごく重なるとこがあって。 みんなにとっていい文化祭にしたいって実感以上に思ってるんですけど。 でも現実やっぱり一曲に引き絞らないといけない中で。 言ったんだけど、だけど何回何回やりませんかっていう、あの彼なりの優しさというか。 優しさとかね。思いやりとかね。 体育館のあの雰囲気もいいよって思って。 いいっすよね。 最高でしたね、あれは。 あれが1回目に残ったんですけど。 いやーわかるわ。 今回2回目はやっぱりみんな発言しない中でずっと1回も発言しない彼が。 自分は問題だと思ってないって言った彼が。 最初の時にはどういうことなんだろうって。 そこまでそういう子なのかなぐらいしか思ってなかったんですけど。 やっぱりちょっと意識しながらもう1回2回目で見てみると。 彼はすごくその場に身を委ねて、言葉じゃない中で共有するのが得意なんじゃないかなって。 ラップのすごく上手なの。ラップが上手いってお名前がわかんないですけど。 彼と一緒にギターを弾いてるのが発言しなかった子かなっていうのがわかって。 ギター弾いてる時の表情とかすごく良かったし。 最後のハレルヤコーラスで歌ってる時の表情もすごく良かったし。 彼は多分言葉じゃないんだけど、一緒に身を委ねてニコニコすることで。 彼なりに聞くっていうことで、すごく周りを幸せにしてるタイプなんじゃないかなって。 すごい奥底でいろいろ喋っちゃってますけど。 いやいやいや、わかりますわかります。 そんな気がして、すごいこのクラスに人いると確かにほっこりするよねみたいな。 いいっすよね。 なんかやっぱり教員という立場からすると、みんな平等に喋らせなきゃみたいな。 むしろ喋るべきみたいなことを思っちゃいがちじゃないですか。 思っちゃいます思っちゃいます。 でもそこでいろんな人の話を聞いて、 対話っていうと何かとにかく話すことみたいになってるけど、 もちろんこのタイトルにもある聞く隣人。 要は聞くことも対話の一つだし、話さないという表現もあるみたいなことを考えると。 もちろん話したいのに話せないっていう子は話せるような空気感とか場作りとかしたらいいと思うけど、 でも今は話したくないとか、そういうこともあるじゃないですか。 話す必要性は今感じないとか、あえて黙ってますみたいなことすらも、 許される環境ってめちゃくちゃ大事だし、 しかもあれだけピリついた教員の馬さんの発言の後で、 堂々と、本には別に何の気なしに言ったかもしれないけど、 問題だと思ってないんで私は発言しませんでしたっていうことを言ってしまえる。 しかもそれが許される環境ってめちゃくちゃ尊いなと思うんですよね。 あの発言に、肩のにいっぱいいると思うんですよね。 すごいガチガチに疑心悪気になっている中で、 あ、なんだ、問題に思ってない人もいるのねっていう、ちょっと気が抜ける感じ。 すごく良かったなと思って。 たぶんこの映画の見方も、結局その発言をする、何回も出てくる子もいるじゃないですか。 翔太君とか、中場の準主役みたいな子が何人かいて、テロップにも名前が出てくる子と、 テロップにすら名前も出てこない、でも発言だけは割と一言一言強烈に残ってるみたいな。 しかもその中にもちろん発言すら、たぶん映画の中では取り上げられてないけど、 画面には映っている子とかもいるわけじゃないですか。 そういう子に目を向けていくと、本当に二度三度楽しめるというか。 学校って結構そういうところなんだなって。 もちろん目立つ子とかいるんですけど、大人と喋る方が好きな子とか、 そういう子が目立ちやすいし、教員とかも気づきやすいんですけど。 あとやっぱり教員がそういう子がいるとやりやすいから、そこに頼っちゃったりとか、 いつも喋ってる子に振っちゃったりとか、 そうするとますますそれ以外の子が喋りにくくなるみたいなことにね。 あんまり気づけなく、教員の側が無神経になっちゃうみたいなことって、 すごいあるなと思って反省をしながら見てますから。 本当にそれに気づくようになったのって、 学校を他人にしたことももちろんありますけど、 それ以上に自分自身の子育てとか、自分今子供4人いまして、 やっぱり上が今中1で、一番下は3歳なんですけど、 やっぱり4人とも全然違うんだなって当たり前なんですけど、 その違いの中で、 これを学校に来ている子たち一人一人思うと、 本当に違っていいんだなっていうふうに改めて思うようになってきて、 ついこの間の話なんですけど、3番目の小1の子が、 長男は5年生で、今プール習ってるんですね。 5年生のお兄ちゃんと一緒にプールに行けるうちに、 一緒にプール習ったらいいんじゃないかって思いが親としてはあって、 この間体験のプールに行かせたんですよ。 すごいぽやーんとした小1の子なんで、 全然何にもそんなこと考えないんだろうと思って、 1回目の体験の時にめちゃくちゃ褒められて、 上期限で帰ってきて、 これ間違いなくプール自分もやりたいって小1だから言うかなって両親で思ってたら、 ちょっとびっくりしたのが、 でもやるかどうかは僕に決めさせてみたいなことを言って、 まだ決まってないって言ったのかな。 で、なんでって言ったら、 あの先生は僕に入ってもらいたいと思ってるから褒めたんでしょって。 おーすご。 そんなこと言う子だったんだと思って。 小1で? 小1でなんですけど。 すごいっすね。 3月生まれですごい赤ちゃんみたいなんですよ、私のイメージの中では。 で、なんかちょっと見くびっていたというか、 つい最近親としてもちょっとしてやられたって、 この子結構そんなこと考えてたんだって。 いやーおもろいっすよねー。 全然喋んないのに、 わかります。 なんかボソボソっと喋ってそんなこと言うから、 いやーと思ってなんかだから先入観で見ちゃいけないなと思う。 側で見ちゃうと思って。 本当に不思議ですね。 だから同じ親の下で育っても全く違う。 全然違いますね。 育ち方をするし受け止めだし、その生まれ持ったものもそうだし、 それで言ったら絶対その教育、同じ教室の中で、 こっちが思い込んでいるこの子の性格とか性質特性とか、 得意不得意みたいなのって、 割とずれてないっす。 こっちの評価と全然違うことありますよね。 ですよねー。 全くなんか何にも聞いてなさそうなのにめちゃくちゃ聞いてたりとかね。 その逆とかね、すごい頷いて聞いてたのに何にも聞いてないよとかね。 私絵で見ることが多いんですけど、 逆に担任の先生たちからなんか、 この子大丈夫ですかとか言われて、 この子の中ですっごいよくできますよみたいな子もいるんですよ。 心配されてるような子っていうのも、 この子は全然すごい今のびのび描いてますし、 なんかすごい良いもの持ってますよっていうと、 いろんな角度からその子を見てあげられて、 安心できるっていうのもある。 そうですよねー。 だからやっぱり複数で見るってめっちゃ大事だし、 担任には見えないことっていっぱいあるなと、 担任自体は思ってたんで。 本当になんかそれで、 もちろんこの安心自体は超人数だし、 それこそスマホもテレビもないし、 そういう環境によるいろんな特性ももちろんあるんですが、 それを抜いたとしても、 それぞれの現場とか教育、 もちろん学校だけじゃなくて家庭とかも含めての、 人と人が向き合ってみたいなことは、 なんか普遍的なメッセージというか、 その人の尊厳とか自由とかっていうことを考える教材には、 とてもいいんじゃないかなとずっと思ってますけどね。 いや本当に素晴らしい環境だと思います。 勇気はいりますけど。 私も地下会議にも行ってましたけど、 個人的に私はたぶん、 しんどくてやってらんないと思うんですよ。 ここのね、 でもすごい、 逆に私だから男子校で、 マンモス校で一クラス50人とかで、 そのうちの本当に何か、 多数の人の欠片の一つ、欠片でしかないみたいな、 記憶に残ってないぐらいの3年間を無意に過ごしたと思ってるんですけど、 だからこそこの映画を見ながらね、 自分の青春自体こんなだったらよかったなとか思いつつも、 この距離感で、 アイディアで、 大学時代はちょっと寮にいたんで、 割とこっち、この生活に近い生活をしたんで、 割とその高さも高い気がしてるんですけど、 それでも2年で私は寮に出てるんで、 これ3年間この少人数の中、 新職ともにしながら一人になれないみたいなのは、 耐えられないだろうなって。 だからアイちゃんと違って、 私は多分洋気屋じゃない陰気屋タイプなんで、 文化祭とかも陰に隠れてたいぐらいの感じだったんです。 暗い時期もありましたけど。 だからしんどい子にはしんどいだろうなって。 だからその辺もね、 ちゃんとそのしんどさが映画の中で描かれていて、 別にその愛心を下手に美化したりしてないところがね、 とてもいい歴だって、 私は評価する一つのポイントであるんですが、 それは同じ家庭でも、学校でも教室でも、 それは全員が全員ハッピーで、 何も問題がないみたいなことはあり得ないわけで、 その他でいろんなことの違いとか、 すれ違いとか、 葛藤とか、 たまに喧嘩とか、 ありながらも、 面と向かって向き合うみたいな。 しかも冒頭のアラキさんも、 グッと来たテロップの他者を諦めていなかった的な、 いやもう散々諦めまくってるけどねみたいな。 あれは本当にあれですよね。 社会っていう大きな波に対して一石投じた感じですよね。 あれは多分今の世の中に対してっていうところかなって、 私は理解してて。 そうですね。 だから監督自身も卒業20年は多分、 そういうことの連続の中でも生まれての20年で、 久々に母校に戻ったら、 やっぱり変わってなかったっていうところに、 たぶん衝撃を受けたんじゃないかなと思うんですよね。 学校ってそういう意味で大事だなって思います。 そうですね。 でも私今度実は、 ある某起立教系学校の修行会に、 あろうことかお招きをいただいて、 長く3日で話をせって言われていて、 本当にこの映画とかざなきさんとの話を聞きながら、 これはなかなか責任重大だぞと思い、 どんどん思ってきて。 でもあの修行会って本当にそういう意味では、 まさに期間限定だけど、 この愛心で行われている教育実践みたいなものをぎゅっと詰め込んで、 私も教会で修行会とかも散々やってきたし、 小学校で教員時代はキャンプとか行ったんで、 割と引率する側の大変さとか苦労とかは知っているつもりでしたけど、 あの体験が、 世俗から離れて、親元離れて、 寝食ともにしながら非日常を体験しつつ、 その日行き心地なかったのが3日目でほぐれてみたいな、 あの過程も含めての、 生の体験ってめっちゃ大事だなと、 ちょっと最近改めて思うようになりました。 いや、めちゃくちゃ大事です、本当に。 一時参加者とか教員時代、そこまで考えてなかったです。 なんかもう年中行事とこなさなきゃっつって、 引率くそ大変だなと思いながらいたんですけど、 あれすごい大事だなと思って。 言葉でしか聞けない話が聞けるっていう、 やっぱりそれは夜の友達との語りとかも含めてですけど、 結局この収容会が終わったらまた日常に戻っていくんだっていう、 ある種の寂しさの中で、最後の方とか。 だからこそ、自分の今まで出してこなかった言葉とかが、 心の中から引っこ抜かれていくというか、 今まで手つけてなかった言葉にやっと出してきて、 こんなこと思ってたんだよねって最後の方に出してくるんですよね、子どもたちが。 でも出せたっていう経験をしないと、 多分大人になってからって本当に出せない中で、 やっぱり青春期の子どもたちは、やっぱりそうやって言葉を引っ張り出してくるとか、 そういう引っこ抜いてくるの大事ですよね。 だから中箱の愛心は3年間収容会やってるみたいな環境なわけじゃないですか。 それ、3年間、朝日、24時間、365日収容会やるのは、 本当教員はしんどいだろうなっていうのはわかるし、 でも3年間はできないけど、3日だけでもそれこそ毎年、 3日間は愛心的な教育実践に触れるみたいなのって、 実はすごい大事なことだったなっていうことを改めて思わされました。 この映画本当に、これ私が教員だからってこともあると思うんですけど、 教員の研修とか、愛心高校にスタディーツアーじゃないですけど、 見学みたいなのをさせてもらえるだけでも、 メディアでバーンってバズるとかはないにしても、 着実に世の中を変えていくきっかけになり得るぐらいのパワーを持ったところなんじゃないかなって思うんですよね、場所として。 奇跡的なとこだと思います。 みんながみんな、じゃあこの学校をこういうことを全部愛心みたいにすればいいかって、 そもそも実現が不可能だと思うんですが、 そこから問われることってすごいあるなと思っていて、 本当に教員と牧師と教会関係者、全員見るべきだと思って。 教会もそういうところになってる教会になってると思うんですけど、 この場でしか聞けない話、 そしてここまでしか出会えない人たちっていうのが全国各地にあって、 そこで出会う教会で出会う人たちがいて、 多分そこにしかない感動って各教会にあるんですよね。 本来はあるはず。 本来はあるはずってことを思わせてくれる映画だからこそ、 本当に見てもらいたいですよね、いろんな方に。 本当にこの映画は好きです。 そうですね。 私は本当にモチベーションはただただ好きっていうことで、 なんで私がこんなに好きなのかっていうのは、 いままでによく分かってないというか、いろんな人に話を聞きながら。 愛心高校実診も刺さることを刺さらない子がいるのと同じように、 映画も多分ドハマリする人と、そうでもない人っていうか、 いまいちピンとこないっていう人もいると思うんですよね。 いるはずだから、おそらく別にそこまでなんていうか、 世間的にそんなに別に話題になってるわけでもないです。 メジャーで女優館がいろいろと興行的に、っていうことでもないと思うんで、 その違いとか、そこがすごい興味あるんですよね。 私はなんでそんなに刺さっていって、 そのアラキさんもなぜこの同じ熱量でこれを語れるのか、 そしてその語れない人がいるとしたらその違いはなんだろうみたいな。 私自身の今多分理解としては、 教会間の違いに近いのかなって思ってました。 私は完全に自分の育ってきた教会に、 ちょっと愛心高校を重ねるところもあるんです。 働いてる職場だけじゃなくて、 働いてる職場でいま自分がこの学校を、 自分にとってしたらいいんじゃないかって思ってるような場作りをしてる。 自分自身もそうですけど、 美術部とかの訪問をしてたりする中で、 このクラブをこういう雰囲気にしたいなっていう、 キーワードとして多分家庭的なとか、 先輩と後輩とも仲がいいとか、 そういう理想があって、 多分それって何から来るのかなって思うと、 多分家庭的な教会間で育ってきていて、 今それ新学校で多分いろんなバックボーンの人がいる中で、 教会にそもそもそういうことを求めてるんじゃなくてとか、 いろんなパターンがいる中で、 もちろんカトリックの方とか、 いろんな方とお会いする中で、 多分自分の中でのプライオリティが、 それぞれ違うっていうことに、 それも認めていかないと、 多分いけないのかなっていうふうに、 自分としてはこの映画を見て、 愛心が大事にしているものを、 そのプライオリティとして優先度高く、 その価値観の中にある人と、 そうじゃない人がいるってことですよね。 かなぁと思ったんですよね。 それは普遍的な価値みたいなことを言ってしまいがちですけども、 そこはやっぱりかなり多様な価値観がもちろんあるわけで、 必ずしもこれが崇高で尊いと思う人だけでもないよっていうことなんですね。 かなぁと思うんですよね。 私はすごく好きですけど、 と同時に多分世の中にもっと広く見ていくと、 それは多分教会の役員やってた時に、 いろいろ思ったかもしれないです。 はっきり役員の方同士、役員会の中で、 荒木君の教会観と違う人もいるし、 そういうのを教会に求めてない人もいるって言われたことがあって、 とても落ち込んだこともある。 しんどいですね、それはそれで。 そうなんですけど。 現実はね、みんな同じものを求めて教会に来てるわけではないので、 それを押し付けてもしょうがないし。 それは多分言ってくださったからこそ自分の前に気付けたところがあって、 今ではすごくそういう、こんなに役員やっててそんなこと言われるの?とか思ったりもしましたけど、 それってでもエゴだったなというか、 自分の育ってきた環境に寄せることが教会のコミュニティの作りではないと考えると。 理想的な教会像みたいなのがね、ずんずん違いますからね。 多分そこに本当に集っていらっしゃって一緒に礼拝捧げていらっしゃる方の声は聞いてないことになっちゃうので、 それはやっぱり自分の中で大きい転換点だったかもしれないです。 もうかれこれ50分以上喋ってた。 もう残りあと5分しか制限時間ないんで。 もうあれなんですが、これ私最後ぜひ聞いておきたいと思ったのは、 荒木さん自身が美術の先生でもいらっしゃるんで、 映画を作品として、映像作品として見たら、そういう視点で何か気付いた点とかありますか。 映像作品で見たとして。 美術、美的な、あるいは絵画的なとか構図とか。 私の風景画とかを合宿で描いたりするんですけど、 日常の中に美を見出していくっていうのを自分なりにテーマとしていて、 そういう意味では愛心の日常の中をたまに固定のカメラですごく綺麗に映してくださったっていうのは、 そんなこと考えてないかもしれないですけど、 あれがある種、ちゃんと風景があの時ここにあったっていうことをちゃんと残しておくぞみたいな、 監督の意思を感じましたね。 もともと愛心高校は日本で一番小さなキリスト教主義の全行政学校だって宣伝でも言われてますけれども、 やっぱりある意味で本当に奇跡的に今残っていて、 その中で今奇跡的にそういうムーブメントを起こすというか、 素晴らしい実践がこうやって映画という形で出たことで知れることにはなったわけですけど、 本当にあの風景を私たちがちゃんと今残って見て、 それでそこからこういうの残したいなとか、 それまで積み上げてくださった、学校を作ってくださった方々のこととかをもうちょっと知りたいなって思う方が起こされて、 やっぱり当時の創生者の先生方とか、 たくさんの教会の祈りと献金によって立て上げられた学校だということも、 私も本で読んで知って、 これはやっぱりちょっと皆さんに知っていただいた上で、 そういう学校が残れる社会にしていくために具体的に祈りだったり献金だったりというのが、 やっぱり本当に必要な学校だよなというふうに、 だからこそこの必要な学校をいろんな方に知っていただきたいなというふうに、 あの綺麗な風景からそんなことを思わされましたね。 すごく素晴らしいシーンがたくさんあったので。 だからもちろん風景はそうなんですけど、 そういう祈りとか願いという意味では、 愛心に限らず、今現存のキリト教主義の学校がたくさんあるので、 そこの根本というか、原点には選挙主なり創設者の願いと祈りがあったということは間違いないので、 そういうのに思いを馳せる意味でもいい教材になるのかなと思います。 私1分聞いてるんですけど、実は愛心高校もいいんですけど、 日本ローア学校っていう学校も素晴らしいんです。近くなんですけど。 今、ライシャワ学園って名前変わったんですけど、 私、見学に行かせていただいたこともあって、 すごく近いものを感じている学校なので、 いろんなキリスト教主義の学校を残ってもらいたいなと。 そうですね。それを探望するのも面白いかもしれないですね。 すいません。もう20秒になっちゃいましたね。 ありがとうございました。また引き続き福林寺に布教し続けたいと思いますので。 今日は荒木さんに来ていただきました。ありがとうございました。 ありがとうございました。 失礼いたします。 失礼いたします。 さよなら。 もっと見る #教育 #学校 #キリスト教 #全寮制 #愛真高校 #聴く隣人のいるところ #早川嗣 東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】松谷信司×MARO×清涼院流水04:201.オープニング59:592.キリスト教学校で働くアラキさんをゲストにトークコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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