TOPトーク専門家東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】【カトおじ】YouTube第45回「行き過ぎた信仰ってやっぱり問題?」の気づきと学び13:13 2025年9月19日 104再生 問題を報告する 再生する シェアする https://youtu.be/qPJFFOfIXE0?si=MgDUUHlf4QsWOZdjAI目次行き過ぎた信仰とは何か?三者三様の意見とは?信仰と社会問題、その境界線はどこにあるのか?健全な信仰とカルト、その違いはどこに?熱心な信仰と周囲への影響、バランスの重要性とは?信仰の在り方、時代や社会状況によって変わるのか?AI文字起こし(β版) # 9/19公開の第45回とあわせてお聞きください カトリック・プロテスタントのおじさんクリスチャン3人が、 共派を超えてお届けする東方の三おじさんラジオ。 本日は9月19日、金曜日です。 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 本日は、カトリックおじさん、加藤おじこと政令院流水がお届けします。 先日の三連休には、リベおじことリベラルおじさん松谷さんが、 久々に原則で更新してくださり、 しかもどれもかなりディープな内容で、 これぞリベおじ、松谷さん武士全開という印象でした。 三おじさんのボイシーが活気づいて嬉しかったです。 この加藤おじ流水の前回放送では、 実は僕は三おじさんを辞めさせていただくつもりでしたが、 他の二おじさんに引き止められて、今後も継続することを決意しました。 正直な気持ちを思い切ってお話したところ、 何人かの視聴者の方から温かいコメントをいただきました。 書き込んでくださった順番にお名前をご紹介すると、 あまなつさん、ちーねこさん、naさん、すみっこさん、にこさんです。 コメント返しもさせていただきましたが、 本当に優しさあふれる激励のメッセージの数々に僕は救われました。本当に。 この場をお借りして改めて皆さんに感謝申し上げます。ありがとうございました。 このボイシーは何かあるといけないので早めに録音していまして、 もしにこさんの後に書き込んでくださった方がいらっしゃった場合は、 次回以降にまた触れさせていただきます。 一つ驚いたこととして、僕は所属するカトリック高輪教会で、 ハマイさんという同世代の友人男性といつもコンビを組んでミサ法師しているんですが、 前回のボイシー放送の直後に、そのハマイさんからメールいただきました。 ハマイさんは以前からずっとyoutubeとボイシーの三おじさんを視聴してくださっていたんですが、 僕が三おじさん引退を考えているということは何も彼に言っていなかったので、 そのメールでは、りゅうすいさん、放送を聞いて驚きました。 三おじさんはこの三人しか考えられません。これからも頑張ってください。 と熱いメッセージをいただいて本当に励まされました。 しかもその時、ハマイさんはご家族全員が体調を崩されて寝込んでいる中でそういうメールをくださったので、 なおさら感動しました。 普段このボイシーでもyoutubeでもカトリックの視聴者の方からの反応が少ないということもありまして、 同じ協会の友人からの激励もとても嬉しかったです。 ハマイさんにも感謝しています。 東方の三おじさんの活動をやっていてよかったなぁと思うのは、 こういう温かいメッセージをリスナーの方からいただいた時で、 それは他の二おじさんも同じだと思います。 これからもこの三人で協力してコツコツ頑張っていきますので、 皆さんどうか引き続きよろしくお願いいたします。 さて、タイトルにあります通り、 このボイシーは本日9月19日の19時に公開される youtubeの東方の三おじさん第45回 行き過ぎた信仰ってやっぱり問題についての気づきと学びを語る放送となります。 今回のyoutubeも東方の三おじさんの名付け親で、 編集者で出版エージェントの東山玲さんからのご質問にお答えする回です。 今回の東山さんからのご質問は、 最近、行き過ぎた男女平等、過剰な人権尊重など、 行き過ぎた○○というフレーズが使われることが多いんですが、 行き過ぎた信仰とは何なんでしょう?というものでした。 宗教に関しては、行き過ぎた信仰として猛信とか強信という表現がありますよね。 東山さんの印象によると、 信仰が行き過ぎると反社会的な行動になるのでは?という意見が世の中では多い気がする。 とのことでした。 でも信仰がこうしたからといって、必ずしも社会を破壊する行為に繋がるわけではありません。 宗教の歴史の中では、 過去にそうしたケースも少しあったかもしれませんが、比率としては微々たるものです。 では、行き過ぎた信仰とはそもそも何なんでしょうか? 信仰の度合いと破壊活動がイコールでないなら、そこを隔てるものは何なのか、 それについて三王子さんの意見を聞きたい、というリクエストでした。 最近の三王子さんは、実は視聴者の方から内容が難しいと言われることが多いのですが、 今回も難しいお題だなと思いました。 なので、できるだけ緩く語りたいですね、という話を三王子さんでしました。 まずマロさんが思いついたのは、食べ過ぎと食中毒は違う、ということでした。 さすが例え名人のマロさんでも、これは見事な例えだと思います。 宗教の問題を、食べ過ぎとか食中毒に例えたのは、マロさんが初ではないでしょうか。 行き過ぎた宗教が悪いことを起こすと言われるのは、間違ったルートを行ってしまっているからじゃないか、 というのがマロさんの意見なんです。 宗教は、とことん極めれば、例えばローマ教皇のような存在になるのかもしれないし、 仏教ならものすごい偉いお坊さんになるのだろう。 そのように、真っ当な道を極めた場合は、行き過ぎとは言われません。 暴走しているとみなされるのは、行き過ぎているんじゃなくて、間違ったものを食べているというか、 間違った方向に行っているんだと思う、とマロさん。 富山さんが最初に例に出した、行き過ぎた男女平等という場合も、 行き過ぎているのか、間違った方向に行っているのかは区別しないといけない。 区別が曖昧だと、行き過ぎたとか過剰なという表現になるけれど、 まず前提として、そこは明確に区別した方がいい、というマロさんの意見でした。 そこで僕は以前、陰謀論についての放送でお話したことを思い出しました。 僕は個人的に、他人に迷惑をかけなければ、誰が何をしてもよい、というポリシーがあります。 宗教も僕の中では同じ基準があって、 誰が何を信じてもいいけれど、他人に迷惑をかけるのは良くない。 だから自分の信仰を強引に他人に押し付けるなら、それは行き過ぎだと思っています。 その他人に迷惑をかける、という一線を越えたら行き過ぎになるんじゃないかと。 僕がそういう意見をお話しますと、松谷さんからは、 宗教については盲信や狂信というワードが使われるけれど、 そうした信仰と健全な信仰、正しい信仰との違いは何なのか、 というのは人々の素朴な疑問として確かにあると思う、との意見もありました。 実はそこが気になっている人は、東山さん以外にもいるんじゃないか、ということですね。 マロさんの指摘では、自分の限られたリソースを100%宗教に振ってしまうと、 他が見えなくなるから、間違った方向に行きやすいと思うと。 聖書には、神の国とその義を求めなさいと、最優先で神様のことをやりなさいと書いてありますが、 それは人生の100%をそれに避けということではない、 例えば20%ならその20%を忘れずにやりなさいよという意味ではないか、というマロさんのご意見でした。 松谷さんは、母方のおじいさまが熱心なクリスチャンで、ご家族は皆さんクリスチャンだったんですが、 決して裕福な家庭ではないのに、熱心なおじいさまが献金をしまくっていたそうです。 あこぎな献金集めやノルマがあったというわけではなく、 おじいさまが自ら過剰な献金をして、ご家族は困り果てていたそうです。 お子さんたち、つまり松谷さんのお母様も、それでだいぶご苦労されたようです。 そのように、信仰に突っ走ると周りが見えないとか、そちらに降りすぎて他で支障が出るということになります。 奉仕活動を頑張りすぎて体を壊してしまうとか、バランスを欠いてしまうと健全な信仰ではなくなるのかなと、 人生を100%それに避けと言ってくるのはカルト宗教で、バランスが大事なんじゃないかという話になりました。 また、東山さんからは、今回のご質問のきっかけもお話しいただきました。 東北の方で、宗教の究極の修行の一環として、お坊さんが生きた状態から徐々にミイヤになるというものがあり、実際にその促進仏として飾られている方がいる。 世の中では、そうしたケースを究極の信仰の姿だと高く評価する一方で、 また別のケースでは、信仰心が高じておかしくなったというニュースもあります。 同じように宗教が生きすぎてしまったのに、それが危険と言われる場合と、促進仏のように素晴らしいとあがめられるケースがあるのが、東山さんとしては矛盾を感じたそうです。 そしてその疑問が今回のご質問につながったようです。 促進仏を目指すことは、今の法律では自殺行為とみなされてしまうので、多分現実には難しいのではないでしょうか。 そしてその促進仏になられた方も、ご家族は勘弁してよと思っていたかもしれません。 どの視点から見るかで、その信仰の視線が行き過ぎかどうかが変わりますよね。 重要なのは周囲の人がそれをどう思っているのか。 時代とか社会状況、地域性によっても違う、という松谷さんからの指摘もありました。 かつてはそれが模範的な信仰でも、現在では通じないというケースもあります。 他の教派が、例えば強引な不況をしている場合、我々がそれを行き過ぎだと言えるかどうかは微妙です。 今の日本の常識からすると、行き過ぎという不況は実際にあります。 ただしそれがきっかけで信仰に入る人もいるので、難しい問題です。 そう考えるとやはりバランスが大切ですね、という結論に最終的には落ち着きました。 以上、実際の詳しい経験交換はぜひYouTubeの本編をご覧いただきたいですが、 本日はYouTube第45回の気づきと学びをお届けしました。 東宝の三おじさん五六をXに毎日ポストする企画も続けていますので、Xを利用されている方はそちらもぜひチェックしてみてください。 これからも東宝の三おじさんラジオをよろしくお願いいたします。 最後までお聞きいただきありがとうございました。 もっと見る #キリスト教 #キリスト #クリスチャン #東方の3おじさん 東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】松谷信司×MARO×清涼院流水13:131.9/19公開の第45回とあわせてお聞きくださいコメント感想・質問・応援メッセージを書こう スミッコ2025年9月20日おはようございます。マロさんの喩えになるほど!同意します。ただ、12使徒もパウロもキリストに全振りした「キリストばか」ですよね。きっと周囲の人は「行き過ぎ」、頭がおかしくなったと思ってた。家族は迷惑を被ったかもしれない。その「行き過ぎた」信仰の上に今日のキリスト教がある。現代の信仰についての話なので、パウロたちの話を持ち出すのは違うかもしれないですが…「そこに愛(キリスト)はあるんか?」が問われるべきだと思います。そういう意味で「バランス」=「周囲の人々への愛」と理解しました。2返信 カトおじ流水2025年9月20日スミッコさん、いつもコメントありがとうございます!YouTubeの番組ではその点に触れられませんでしたが、確かに、イエス・キリストは「すべてを捨てて、わたしに従いなさい」と、おっしゃっていますね。キリストの弟子の周囲には、どん引きしていた家族や関係者が多かったかもしれないですね😅周囲への影響という意味で、現代は、全振りがさらに難しい社会ではありますよね。バランスは周囲への愛というのは、おっしゃる通りだと思います👏2
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マロさんの喩えになるほど!同意します。
ただ、12使徒もパウロもキリストに全振りした「キリストばか」ですよね。きっと周囲の人は「行き過ぎ」、頭がおかしくなったと思ってた。家族は迷惑を被ったかもしれない。その「行き過ぎた」信仰の上に今日のキリスト教がある。
現代の信仰についての話なので、パウロたちの話を持ち出すのは違うかもしれないですが…「そこに愛(キリスト)はあるんか?」が問われるべきだと思います。そういう意味で「バランス」=「周囲の人々への愛」と理解しました。
YouTubeの番組ではその点に触れられませんでしたが、確かに、イエス・キリストは「すべてを捨てて、わたしに従いなさい」と、おっしゃっていますね。
キリストの弟子の周囲には、どん引きしていた家族や関係者が多かったかもしれないですね😅
周囲への影響という意味で、現代は、全振りがさらに難しい社会ではありますよね。
バランスは周囲への愛というのは、おっしゃる通りだと思います👏