TOPトーク専門家東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】【リベおじ】聖書を"面白く"読むことを世俗への"迎合"と非難する人々(音声版)24:22 4月10日 132再生 問題を報告する 再生する シェアする https://note.com/macchan1109/n/n23f9f11d0ccf?sub_rt=share_pwAI目次純粋主義者が阻む伝道の扉聖書を面白く伝える著者の挑戦伝統か開放か、保守派の懸念不純な動機が切り開く新境地文化を変える”泥水”の重要性とはAI文字起こし(β版) # オープニング カトリック・プロテスタントのおじさんクリスチャン3人が共派を超えてお届けする東方の三おじさんラジオ 本日は4月の10日金曜日となっております。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 昨日から引き続いての更新となっております。 久々にVoicy、また再開をしたいと思っているんですが、 本日は以前もAIの音声を聞いていただいたことがありましたけれども、 あるテーマ、あるテキストデータをAIに投げたら、 対話形式で2人の会話を元に、私の講演のレジュメが対話形式の音声になるということで、 お試し的にアップしたことがあったと思いますけれども、 今日もですね、ノートの記事を久々に更新をしまして、 と言いますのも、実は今年2026年は私が小学校の教員を辞めて、 転職をしてキリスト新聞社に入社したのが2006年ですので、20年目になるんですね。 そして、代表になったのは2017年ですが、その1年前、2016年、今から10年前が、 ちょうど青山学院大学の相模原キャンパスにお招きをいただいたときの、 チャペルウィークですかね、のメッセージで、 イエスパネ、マジ噛みすぎて笑った、のタイトルで講演をしたのがちょうど10年前ということになっているんです。 遡ればですね、SNSをはじめ様々なところで、ネットニュースなどでネタ的に面白がっていただいたのが、 その辺りからということで、そんな不思議めの、 転職して20年、イエスパネでバズったのから10年、という不思議めの年にあたって改めて、 過去も何度か同じような趣旨で、旧ツイッターで呟いたりしていたことをですね、 ノートの記事にまとめたんです。 そのタイトルが、「聖書を面白く読むことを世俗への迎合と非難する人々。」というふうなタイトルになっています。 こちら4月5日にアップしたものをAIの力を借りしまして、この後のチャプターで対話形式で少し深掘りしていただいていると。 これは面白いことにですね、テキストなんですね。 元はテキストのデータを音声データに変換すると、プラスアルファで、 AIがどういう仕組みでそうなっているかわかりませんが、 書き手の意図を最大限組み取った上で、プラスアルファちょっと加えた感じになっていると。 もちろんAIですから多少の読み間違いとかですね、はあるんですが、 それを加味した上で楽しんでいただければいいかなと思います。 はい、というわけで今日も最後までよろしくお付き合いください。 # AIによる音声解説 あのー、あなたには個人的に熱狂しているニッチな周囲とか、何年もかけて培ってきた専門知識ってありますか? ええ。誰にでも一つくらいは絶対に譲れない大切な領域ってありますよね。 そうなんですよ。で、その素晴らしい世界を初心者に伝えようとして、できるだけ噛み砕いて、なんかちょっと面白おかしく説明した結果… 子産のファンとか専門家から、そんな安っぽい説明をするなとか、本質からずれているって怒られるパターンですね。 まさにそれです。いわゆる純粋主義者による文前払いってやつですよね。 ああ、わかります。これ、ジャンルを問わず、コミュニティが成長すると必ず発生する非常に厄介な現象なんですよね。 そうなんです。自分が愛するものの純粋さを守りたいっていう情熱と、この素晴らしいものを一人でも多くの人に届けたいっていう切実な思い。 この二つは往々にして激しく衝突するじゃないですか。 はい。 今回の深掘りでは、まさにこの伝統の順度を保つか、それとも大衆に向けて徹底的に開くかっていう、普遍的なジレンマについて考えていきたいと思います。 はい。 ある極端かつ、非常にスリリングな事例を通して解き明かしていくつもりです。 今回取り上げるテーマは、その対立のスケールがちょっと違いますからね。何しろ2000年の歴史を持つ宗教が舞台ですから。 そうなんですよ。今回はキリスト新聞の松宮真嗣さんが書かれた記事をベースに進めていきます。 タイトルが、聖書を面白く読むことを世俗への豪邁と非難する人々というものです。 なかなかインパクトのあるタイトルですよね。 ええ。聖書とかキリスト教っていう、これ以上ないほど伝統的で神聖なものを、現代の特に無関心な大衆にどうやって届けるのか。 はい。 この途方もない挑戦と、内部からの凄まじい反発の記録なんです。さて早速この問題を紐解いていきましょうか。 よろしくお願いします。これって単なる宗教界の内輪揉めではなくて、あなたが職場で全く新しい企画を通そうとする時とか、閉鎖的なコミュニティを活性化させようとする時など、あらゆるスタイル場面に直結する本質的な問題なんですよね。 本当にそうだと思います。まず、著者が実際に何をやって、どれだけ界隈をざわつかせたのか、リスナーのあなたにも共有させてください。 はい。ここかなり驚きの展開ですよね。 記事を読むと、ちょっと目を疑うような企画が並んでるんですよ。例えば、聖書人狼最後の晩餐とか。 人狼ゲームのテーマが最後の晩餐ですか。 そうなんです。あとは、強派を女の子のキャラクターにした強派擬人化漫画ピューリタンとかですね。 ピューリタンですか。この時点ですでに、伝統的な教会に通う方々の眉間にある深いシワが目に浮かぶようです。 いや、本当に。でも極めつきは、2016年に青山学院大学の特別礼拝で大バズりしたワードなんですよ。 ああ、あれですね。 はい。礼拝のタイトルがなんと、イエスパネーマジ噛みすげて笑った、だったんです。 これ、ネットの匿名掲示板の書き込みじゃなくて、公式な礼拝のタイトルなんですよね。 そうなんです。例えるなら、ものすごく厳粛な歴史の授業で、偉人の業績をインターネットのミームとかスラングだけで解説し始めるようなものです。 教室の後ろで寝ていた生徒たちは絶対に目を覚ますよね。 ええ。でも職員室からは大目玉を食らうっていう。 まさに。ここで非常に興味深いのは、著者は決して現代のアテンションエコノミー、つまり、とにかく目立てば勝ちっていう浅白な考えで炎上商法を仕掛けているわけではないということなんです。 と言いますと、ただ受けを狙ってバズらせようとしたわけではないと。 もちろんです。この過激とも言える言葉選びの裏には、極めて冷静な現状分析があるんですよ。 冷静な分析ですか? はい。日本においてキリスト教会の敷居の高さっていうのは異常なレベルに達しているんです。 ああ、確かに。一般の人からすると、信者でもないのに勝手に入ったら怒られるんじゃないかとか。 ええ。下手したらツボをかわされるんじゃないかといった警戒心さえあるわけです。つまり、世間からの認知度が低すぎるがゆえに、見えない巨大な壁がそびえ立っている状態なんですね。 なるほど。じゃあ、著者のアプローチはふざけているんじゃなくて。 その分厚い壁に亀裂を入れるための言葉のハンマーとして意図的に設計されているんです。 言葉のハンマーですか。目的は競技を壊すことじゃなくて、見えない壁を壊すことなんですね。 その通りです。実際、記事の中でも、気をてらってふざけているつもりはないとか、看板倒れにならないよう中身には一一倍気を使ってきたと、かなり真摯なトーンで語られていますからね。 壁を壊して、まずは敷居をまたいでもらうと、内部の人間にとってはふざけているように見えても、外部の人間にとってはそれくらい砕いてくれないと怖くて近寄れないっていう。 ええ。その心理的なギャップを著者は正確に見抜いているわけです。 でもちょっと待ってください。ここで保守派の人たちの反発も考えてみたいんです。 はい。世俗化だとかゲイ語だって激怒している人たちですね。 そうです。これリスナーのあなたも少し共感する部分がありませんか。つまり、相手のレベルに合わせすぎたり、流行りの言葉を使いすぎたりすると、 本来伝えたかった一番大切なメッセージそのものが、どこかで骨抜けになってしまうんじゃないかという恐怖ですよね。 ええ。まさにそれです。 その懸念は非常に理解できます。大切なものを守りかえという純粋な思いから来る恐怖でしょうから。 ただ、歴史のメカニズムを紐解くと面白い事実が見えてくるんですよ。 どういうことでしょうか。 著者は記事の中で、約480年前に日本にやってきた宣教師たちの事例を挙げているんですね。 ああ、フランシスコ・ザビエルとかの時代ですね。彼らもそういうゲイ語のジレンマに直面したんでしょうか。 直面したところか、それこそが最大の壁だったんです。 当時の宣教師たちは、キリスト教の概念が全く存在しない日本人に、どうやって教義を伝えるか極限まで知恵を絞りました。 まだ言葉も文化も全然違う時代ですもんね。 ええ。相手の文化とか風習、言葉のニュアンスを徹底的に研究して、時には仏教の用語を借りてまで、自分たちの神学を翻訳しようと試みたんです。 仏教の用語を使ってまでですか? そうなんです。それに、新約聖書のパウロという人物も、ユダヤ人にはユダヤ人のようにと語っているんですね。 つまり、相手の文脈に潜り込む技術ということですね。 そうです。ここで重要なのは、翻訳と概念は全く別物だということです。 翻訳と概念は違う。 はい。相手の文化や言葉に合わせてパッケージを変えることは、メッセージの順度を下げることにはならないんです。 著者はこれをエンパシー、つまり他者の靴を履くことだと呼んでいます。 ああ、相手の立場に立って考えるってことですね。 ええ。相手に完全に染まってしまう道化とか自分の軸を捨てる概念とは違って、エンパシーは自分の立ち位置を保ったまま、相手の視界から世界を覗き込むという高度な戦略なんです。 なるほど。記事の中で、著者がSNSの投稿を引用して指摘していた部分も痛快でしてね。 英語を学んで相手の言葉で話すことは、英語圏の人々に媚びているのかっていう問いかけです。 あれは鋭い指摘ですよね。相手の言葉を使うのは、媚びではなくコミュニケーションの基本中の基本ですから。 そうですよね。 これをより大きな視点に結びつけてみると、私たちは究極の真理を持っているのだから、ありのままの形で置いておけばいつかわかってもらえるはずだ、というのは発信者側の傲慢に過ぎないんです。 傲慢ですか? ええ。相手の文脈に合わせて翻訳する労力を放棄しているだけとも言えますから。 なんか、良いものを作れば売れるはずだ、っていうビジネスでよく陥る罠と全く同じ構造ですね。 まさにその通りです。 自分のメッセージに自信があるなら、多少パッケージを面白おかしくしたところで本質は揺るがないはずだ、と。 はい。 まあ、ここまでは理屈ではすごくよくわかるんですよ。 でも、ここからが本当に面白いところなんですが、この著者、外の世界の無心論者からではなくて、なんと内部の熱心な信者たちから、サタンの手先とかアンチェクライストって呼ばれて猛烈なバッシングを受けているそうなんです。 サタンの手先ですか? インディーズバンドがメジャーデビューした途端に、あいつらは商業主義に魂を訴って怒り狂うファンの心理に少し似ていますが、事態はもっと深刻ですよね。 深刻と言いますと、どう違うんでしょうか? バンドのファンなら、まあ自分のセンスが否定された気がするっていうプライドの問題で済みますよね。 でも宗教の場合、彼らは本気で神聖なものが汚されているとか、間違った教えが広まれば魂が救われないって信じているんです。 ああ、なるほど。信じている次元が違うわけですね。 ええ。著者は彼らを、式なんか下げられたら困ると本気で思っている意識高い系の宗教者たちと呼んでいますが、彼らの根底には強烈な防衛本能があるんです。 どんな防衛本能ですか? 信仰のない者が、軽烈で不純な動機で、この神聖な領域に足を踏み入れるべきではないっていう思いですね。 つまり、本気の覚悟がない奴は来ないと。 そういうことです。 でもそれって、どんなコミュニティでも衰退に向かう典型的なパターンですよね。最初は少しの興味とか、ちょっとした勘違いから入ってくるのが普通なのに、入り口でお前の動機は不純だって追い返してしまったら、誰も新しく入ってこれないじゃないですか。 まさにその通りです。ここで浮き彫りになるのは、純粋さを追求するあまり、組織が自己相対化の能力を失っていく恐怖なんですよ。 自己相対化の能力ですか? ええ。著者は、聖書が2000年読み継がれてきたベストセラーであることを誇りに思いつつも、だからといって教会が無病だと言いたいわけではないと述べています。 歴史上、教会が数え切れない過ちを犯してきたことも事実だと、極めて客観的な視点を持っているんです。 自分たちも間違えるかもしれないし、外部の視点から学ぶべきことがあるかもしれないっていう謙虚さですね。 はい。その自己相対化ができなくなった集団は、どれほど崇高な理念を持っていても、最終的にはただの狂信的なカルト集団と区別がつかなくなりますからね。 それは恐ろしいですね。 著者は、狭い砦に向上して、仲間討ちだけで俺たちが一番純粋だと称え合いながら飢え死にしていく愚かさを、誰よりも強く危惧しているんです。 だからこそ、誤解されるかもしれないからやらないとか、批判されるくらいなら最初から黙るっていう選択肢を捨てたんですね。 ええ。 記事の中で、青森で開催されているキリスト祭っていうかなり変わり金なお祭りのSNSポストに、著者が好意的に反応しただけで、愛する人が茶化されて喜ぶ人はいませんって内部から激怒されたっていうエピソードもありましたよね。 ありましたね。でもそのポスト自体は13万回以上も見られているわけです。 そうなんです。内輪の100人に、よくぞ行ってくれたと深く頷いてもらう安全な道を選ぶか。 それとも、一死を投げられるリスクを背負ってでも、外にいるキリスト教に全く関心のなかった13万人の目に触れる道を選ぶか、ですね。 ええ。著者は迷わず後者を選び続けているわけです。でもなぜ著者はそこまでして外へ向かおうとするんでしょうか。 気になりますよね。 それを紐解く鍵が、彼自身の非常にパーソナルな過去の体験にあったんです。 著者は子供の頃、日曜日ごとに礼拝に行っていることや、家族がクリスタンであることを、周りの友達に必死に隠していたそうなんですよ。 興味深いですね。なぜ隠す必要があったんでしょうか。 危ない人、と思われたくなかったからだったそうです。学校ではあえて陽キャとして振る舞って、周囲の空気に過剰なまでに適応しようとしていたんです。 なるほど。 これ、オウム心理教の事件よりずっと前の話だそうですよ。つまり、日本社会にはずいぶん昔から、宗教は堅苦しいとか、兵隊的だとか、何か裏があるから関わらない方がいいっていう強烈なネガティブイメージが根付いていたんです。 うん。 著者はそれを当事者の子供として肌で感じながら育ってきたんですよね。 幼い頃に社会からの冷ややかな視線を浴びて、このまま自分たちの殻に閉じこもっていては、社会から完全に切り離されてしまうという恐怖を骨の髄まで味わったわけですね。 はい。 だからこそ、内輪で純度を高めて満足している場合ではないという、執念にも似た原動力があるんでしょうね。 そうなんですよ。ただ単にマーケティング手法として面白いからやっているわけじゃなくて、痛みを伴う原体験があるんです。 そして、その泥臭い翻訳の努力が思いも寄らない形で実を結んでいるんですよ。 具体的にどのような成果があったんですか? 真面目な教会や経験すぎる信者たちの間で窮屈さを感じて、心に傷を負って教会から離れてしまった元教会員たちから、著者宛に感謝のダイレクトメッセージが届くそうなんです。 へー、元教会員からですかか。 へー、不真面目な自分がいけないんだと思い込んでいたけれど、あなたの発信を見て、そうじゃないと気づけたとか、誰にも言えなくて苦しかったけれど、心が軽くなったって。 これは非常に胸を打つと同時に、強烈なアイロニーを含んだ事実ですね。 アイロニーですか? ええ。伝統や教義、つまり純粋さを守ることに必死になった教会が、結果的に目の前で苦しんでいる人を追い詰め、排除してしまっていたわけです。 ああ、なるほど。 一方で、内部から世俗に豪芸しているとか不純だと非難されている著者のアプローチが、結果として、傷ついた人々を救済するという本来の宗教の役割を見事に果たしているわけですからね。 本当にそうですね。正しいことを言うだけでは人は救われない、ということの証明かもしれません。 さて、リスナーのあなたもぜひ、自分の日常や仕事、大切にしている趣味のコミュニティに置き換えて考えてみてください。 はい。 自分が心から課題があると信じているものを、全く無関心な多数派にどうやって届けるのか。 これはあらゆる発信者にとって究極の問いですね。 波風を立てず、最初から分かり合える仲間内だけで、純度100%の空間を守り、外の世界に対してドアを閉じるのか。 それとも、著者のように周囲からの批判やある程度の誤解というノイズを引き受けてでも、ドアを外へ向かって大きく開き放つのか。 著者は、まだ知らない誰かに届く可能性に全てを懸けたわけですね。 ええ、たった一人でも、なんだこれちょっと面白いなって足を止めてくれるなら、仲間からサタンと呼ばれても発信する価値はあると。 著者が語った、間違って入るぐらい敷居の低い方がいいという言葉には、情報型の現代において人の心を動かし、コミュニティを存続させるための心髄が詰まっていますよね。 つまりこれって結局どういうことなんでしょうか。 間違って入るぐらい敷居は低い方がいい、本当にその通りだと思います。 ええ。 それでは最後に、今回の深い議論から導き出されるもう一つの新しい視点をあなたにお渡しして終わりにしましょう。 著者の、不純な動機でも間違って入ってもいいというスタンスを、歴史というスケールで俯瞰すると、一つの仮説にたどり着くんです。 どんな仮説ですか。 それは、歴史に残るような偉大な革新や、後世まで深く愛され広まった文化というものは、実は最初から純粋で崇高な動機によって始まったものなどほとんどないのではないか、ということです。 最初から純粋だったわけではないと。 ええ。誰かのちょっとした勘違いや、なんかかっこいいからという不純な動機でのつまみ食い、あるいは本来の文脈を完全に無視した勝手な解釈。 ああ、なるほど。 そういった純粋主義者が顔をしかめるようなノイズや泥水の中からこそ、新しい熱狂が生まれ、次の時代をつくるスタンダードへと進化してきたのです。 純度100%に保たれた無菌室では、新しい生命は育ちません。 無菌室では育たないですか。 はい。文化もコミュニティも、生き延びぬためには、外部からの不純物という激悪が必要不可欠なんですよ。 泥水の中からしか新しいものは生まれないんですね。 リスナーのあなたが次に何か新しい世界の扉を叩こうとする時、それが全くの勘違いから来る興味でも、少し不純な動機だったとしても、恐れる必要は全くありません。 堂々と間違って入っていけばいいんです。 そして逆に、あなたが誰かに自分の大好きな世界を教える時、相手が本質からずれた面白がり方をしたとしても、どうか怒って門前払いしないでください。 その通りですね。 そのズレから、誰も見たことのない新しい世界が始まるかもしれないんですから。 # 純度を守って閉じるのか、リスクを覚悟で開くのか はい、というわけで、だいぶ書き手の思いを組んだ上で、プラスアルファにいろんな問いも含めて盛り込んでいただいているなという感じですが、 やっぱりちょっと読み間違いは気にはなりますが、なるほどAIはこういうふうに受け取ったのねということで勉強になるなと思います。 あとは、私が意図せず書いたことがもろもろまとまって理解され、またそれを音声という形で発信するとこういう形になるということもお学びになります。 実はこれVoicyでは音声版を公開していますが、次の日曜か月曜あたりに動画版もついでにAIで作っていただきました。 こちらもAIなんですが、わりとわかりやすくイラスト付きで、しかも音声付きでまとめていただいています。それもちょっと今回の音声版とはまた違ったテイストでな仕上がりになっていますので、 そちらもYouTubeイノベーションネルの方でもお楽しみいただきたいと思っております。 試行錯誤をしながらこうやって20年この業界にいながら発信を続けて10年以上いるわけですけれども、今の到達地点ということでご理解いただければと思います。 もちろん異論反応はあり得ると思います。私も今音声を聞きながら、これは言い過ぎじゃないかと思ったりとか、そうじゃない立場ももちろんあり得るということを加味して踏まえた上で、 それでもなおせざるを得ないというか、今後この道しかないのではないかということを半ば書く思って、あるいはいろんな役割があると思いますから、 私が今これまでの経歴と老いたちと考えてやるべき役割分担があるとしたらここかなという程度に受け取っていただいて、別に皆さんがそれをやれというつもりも全く妄当はありませんし、 同じことをやったところで意味もないと思いますので、こんな心学も学んでいない、牧師でもない輩に、こんな勝手なことを言われたらたまらないという意見は当然あるかなと思います。 そして同じく仏教会でも、昨今こういう同じような課題、テーマでいろんな意見の交換、議論、対立も見聞きしております。 どちらかというと保守的なというか、難しいですね。言葉を選ぶのは難しいですが、こういうちょっと面白かしい発信には、あまり会議的でかつ否定的な方々もたくさんいらっしゃることは従々承知の上で、 また仏教とキリスト教も若干立ち位置、日本の中での立ち位置がちょっと違いますので、その辺もまた新しい議論としては面白いかなと思いますけれども、あくまでこの間、私が感じてきたことを発露した結果、こうなったということで受け止めていただきたいと思います。 ぜひ皆さんコメント、感想、質問などお寄せいただければと思います。 最近ボイシーがなかなか再生数が低迷しておりまして、それはそうですね、定期的に更新しておりませんし、本当はコラボとかも積極的にやればいいんですけど、なかなかそこまで気が回らないということで、今後引き続き模索をしながら発信を続けていきたいと思っております。 YouTubeチャンネル東方の三王子さん、そしてこちらボイシー東方の三王子さんラジオ、どもどもぜひ登録、いいねなどいただければと思います。 はい、というわけで今回はこの辺で失礼いたします。また次のボイシーでお会いしましょう。さようなら。 もっと見る #教会 #キリスト教 #宣教師 #聖書 #イエスぱねえ 東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】松谷信司×MARO×清涼院流水03:171.オープニング16:412.AIによる音声解説04:253.純度を守って閉じるのか、リスクを覚悟で開くのかコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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