TOPトーク専門家東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】【リベおじ】『とびこえる教室』著者の星野俊樹さんと学校の「男性性」を語る1:09:42 7月2日 181再生 問題を報告する 再生する シェアする https://bookpub.jiji.com/smp/book/b662841.htmlAI目次ゲスト星野俊樹さんと「普通」への問い罵倒コメントと1週間の対話の結末男子校教員の自覚と学校構造の問題異学年交流が育む「ケアする男性性」安定を捨て「普通」を超える実践家の覚悟AI文字起こし(β版) # オープニング カトリック・プロテスタントのおじさん・クリシャン3人が共派を超えてお届けする東方の三おじさんラジオ、本日は7月の2日、木曜日です。 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。 だいぶご無沙汰してしまいましたが、気づきましたら梅雨に入り、またもうすぐ暑い暑い夏が訪れようとしております。 今日は久々にゲストを招きしてのコラボ収録、60分フルで収録いたしましたので、そちらをお聞きいただきたいと思うんですが、 テーマは男性性、そして男性学、愉快な男らしさ、みたいなことに関してのトークになっております。 心してお聞きいただきたいと思いますが、発端となりましたのは森山凜子さん、すでにボイシーでご登場いただきましたが、 お寺に突いだ私がフェミニズムに出会って考えたことを書かれた森山さんのトークイベントが、 同じ本の編集者であります岩下さんが運営経営しております、よりまし堂という書店さんでトークイベントをやった際に、 私がたまたまそこに参加したときに同席してお会いした、星野敏貴さんに出会うことができまして、 これは後から知るわけですが、実は私はすでに読んでいました、弁護士の太竹栄子さんが書かれました、これからの男たちへ、 大月書店から出ております、めちゃくちゃ売れた本ですが、こちらの本で太竹栄子さんと対談をしていた複数人、 3人の中の1人が星野敏貴さん、まだ当時は小学校の先生でいらしたわけですが、この星野さんがその場にいあわせて、 たまたま本を書いたんですよ、最近教員を辞めた後に出会って、 教員20年間やりまして、その前は雑誌の編集者をやってました、みたいなことを自己紹介のときに話して、 そうなんですか、私は逆パターンで教員をやった後に編集の仕事をしています、20年経っています、共通点が多いですね、生まれが1年違いですね、 みたいなことをお話ししていたのに、その方がまさか星野さんとはあまり一致せず、そしてその場で、 同じよりまし堂でイベントが終わった後に、星野さんの著書、飛び越える教室という本を手に取った次第でございます。 そして手に取って読んだら、とにかくもちろん共通点はありますし、同じ時代を生きていきましたし、 あとは教員としての経験なんか非常にかなり詳細に書かれているわけですが、その中にも大変共感することが多くて、 これはぜひ改めてお会いしてお話したいと思ったんですが、とにかくボイシーでもお話をさせてくださいということで、 リクエスト、勝手にリクエストをしておりましたところ、ようやく、初めて出会ったのは4月10日ですから、3ヶ月越しで対談が実現できました。 そして今日のこのトークの中にももう1冊本が出てきますが、学校の男性性を問うというですね、 副題が教室の当たり前をほぐす理論と実践ということで、こちら、純法者から出ております本でございます。 こちらの本にも星野さんが途中インタビューのような形で出てくるということで、この本に関しても少しお話をしております。 ぜひ詳しいですね、飛び越える教室の本の紹介をだいぶ省いてお話をしてしまったので、本を読んでいない方にとっては何のことやらという風になるかもしれませんが、 ぜひ今日ご紹介しました、これからの男の子たちへ、飛び越える教室、学校の男性性を問う3冊とも、ぜひ読んでいただきたいと思います。 飛び越える教室がメインの対談になっています。もちろん星野さんが書かれた、6年がけで書いたという力作でございます。 副題がフェミニズムと出会った僕が子どもたちと考えた普通というふうに書いてありますので、 そういった意味では森山さんの先ほど紹介したお寺にとついた私がフェミニズムに出会って考えたことですから、 同じテーマとしても共通するテーマがたくさんあるわけですが、 なぜこの星野さんの本の中にはもちろん教員としての教育実践もいろいろ出てくるわけですが、 ご自身の家庭内部位、暴力、そして父との関係性みたいなことについても非常に細かく書かれています。 お自身の仕方を振り返りつつ、その中にいかに男性性あるいは女性らしさ的なことで葛藤を苦しみを覚えてきたかということが語られています。 この後60分たっぷり聞いていただくんですが、私も全然まだまだあと2時間ぐらいお話できるような、 お話を伺いたいような話がたくさんあるんですが、その中でもたくさんお聞きしたいことをいろいろ聞くことができました。 オープニングで早速対談の方を聞いていただきたいんですが、 一応前情報として飛び越える教室はどんな本かということを知っていただくために、 多少知識があったほうがいいかなと思いますので、ちょっとだけカバーにありますはじめにからの一文をちょっと読んでみたいと思います。よろしいでしょうか。 もういきなり葛藤さんのお父さんの話を聞きたいという方は次のチャプターのほうに飛んでいただきたいと思いますが、 飛び越える教室のはじめにから読ませていただきます。 普通って一体何なんだろう。私はこれまでの人生で何度この言葉を呟いてきたことでしょう。 子供の頃はスポーツが得意ではなく、部屋でテレビゲームをしたり、女の子とおしゃべりをしたり、交換日記を書いたりするのが好きでした。 初めて恋をしたのは同級生の男の子。文化系でインドアだった私は、いわゆる男子のりにも馴染めず、男らしさとは無縁通い子供でした。 そんな私に対して、周囲の大人やクラスメイトは、男の子なら普通は何とかと何度も言いました。 大人になってからも社会人の男性なら普通はといった言葉が日曜のあちこちから聞こえてきます。 それが今でも正直息苦しい。私にとって普通という言葉は、定食屋のご飯普通盛りくらいで十分なのに。 そんな普通との距離感を持ち続けてきた私は、大学卒業後、社会や学校が押し付ける普通に揺さぶりをかけたいと考え、小学校の教師になりました。 それが20年前のことです。中略。 子供たちが性別や環境に縛られず、自分らしく生きるにはどうすればいいのか。 普通に押し付ける社会のあり方を変え、ジェンダー平等を実現するために、どのような知識や視点が求められるのか。 そして、教師として学校現場で何ができるのか。 私はずっとそうした問いを抱えながら試行錯誤を繰り返してきました。 本書では、私がこれまでの経験を通じて考えてきたことを皆さんと共有したいと思います。 というふうに、カバーに書いてある初めからの一文を読みました。 もちろん、元教員としての共通点もあるのですが、この文章にもありました。 いわゆる文化系インドアでありました。男子のりにも馴染めず、男らしさとは縁同い子供でした。 はい、それも本当に全く同じですね。 トークの中でもお話はしていますが、やはり高校が男子校でした。 その男子校も一クラス48人とか、非常にそういう意味では教育環境としては最悪な3年間だったと今でも思いますが、 そういう環境を経て、かつ3兄弟の末っ子として育ち、そして教員になったのはたまたま男子校の小学校というところで、そこで5年間教員をしたという意味では、 まさにその男らしさ、男社会みたいなところの中にどっぷりと使って育ちながら、何となく違和感を感じていたところが、 ようやくそこから20年以上経って、その違和感とその正体と向き合う、そして男性学や男性性、そしてフェミニズムとの出会いで、 いろいろと考えを深め、あれは何だったんだということを振り返りつつある昨今でございますが、 そのタイミングで星野さんにお会いすることができ、たまたま森山さんのつてでそういう機会を与えられたわけですが、 せっかくの機会ですのでということでお話をさせていただきました。 ぜひたっぷり60分ありますけれども、あっという間のお時間でございました。 またリアルでお会いした機会に、いろいろと今回聞けなかったことなどもお聞きして共有したいなと思っております。 最後までよろしくお付き合いください。 次のチャプターからトークが始まります。 # 星野俊樹さんと念願の対談 はい、みなさんこんにちは。 今日は久々にゲストをお招きして、Voicyの収録をしております、 星野敏貴さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 我々の出会いから含めて、色々と複雑があっての講演に至るんですが、 まずは星野さん、簡単に自己紹介をしていただけますでしょうか。 はい、みなさん初めまして。星野敏貴と申します。 20年間、小学校の教員をやってきました。 去年、辞めまして、今はフリーということで、 ジェンダー教育実践課という、勝手に自分が作った肩書なんですけれども、 ジェンダーの教育実践に関する発信とか、 あとは色んな場所に行ってお話しするとか、 そういう感じのことをやってます。 去年、ちょうど1年経ちましたね。 1年ありますか、もう。 去年の6月25日に、私の初の短調、「飛び越える教室」という本を、 時事通信さんから出版しまして、 今日そこら辺の話もできるといいですよね。 よろしくお願いします。 ありがとうございます。お招きいただきありがとうございます。 いえいえ。私、実は一番最初にお会いした保生さんとの出会いは、 森山凜子さんが書かれた、 お寺に突入した私がフェミニズムに出会って考えたことでしたかね、 の本のトークイベントがあるというので、 その編集者の岩下さんがされているよりまし堂という書店さんに伺ったときに、 たまたまお会いして、 実はこれもXとかでも書いてますが、 これからの男の子たちへという、 同じ岩下さんが編集した太田恵子さんという弁護士さんの本での対談は、 もう私読んでいて、 まさかあそこに出てくる保生さんだとは思わずに、 大変と話をしてしまいまして、 後から知る、しかもそのよりまし堂で、 イベント終了後に飛び越える教室を手に取って、 帰宅後に読んで、えーっていう話だったんで、 そのときに喋れなかったことをいっぱい話したいということで、 ご自身に無理やりお誘いしたという経緯がございますが。 ありがとうございます。結構多いです、そういう方。 そうですか、ですよね。 教室を読む前に、これからの男の子たちへを読んでいた人で、 ああ、あの保生さんでしたからみたいな。 そうですよね。 あんまり写真、もちろん写真載ってますけどね、 そういう認識の仕方してないから。 そうですね。それはそうだ。 でも私、お会いしたときに、 もう最初から親近感というかあれなんですが、 私は経歴でいうと5年間小学校の教員をやった後に、 いわゆる編集の仕事をして20年なんで、 それに対して保生さんが雑誌を、最初は雑誌でしたっけ? そうです。最初は雑誌の編集者で。 何年やられたんですか? それ4年ぐらいですね。 じゃあほぼ一緒です。ほんとに一緒です。 その後、逆ルートで20年教員やられて今フリーと。 そうです。 かつ私76年生まれなんで、保生さん77年だから、 ほぼその学生時代の話とかめちゃくちゃ共感することばっかり。 地域性と時代性に多分よるとは思うんですけど、 でもあの時代ってみんなほとんど似たような感じでしたよね、多分ね。 そうですね。ほんと同じものを見て同じことを体験してきたみたいなとこありましたね。 ですよね。私中学は丸刈りだったんです、全員、男子。 あ、全員ですか。 全員もちろん。 すごいな。 そこまでじゃなかった。 うむを言わさず。丸刈りまでは行かなかったんですけど、 サイドと襟足は刈り上げてないといけない。 眉毛の上にちゃんと短くみたいな感じでしたが、 めっちゃ普通ブロックやってましたけどね。 今では2ブロックがダメみたいになってますけど。 よくわからんですね。 わからないです。 でも当然野球部は丸坊主でしたよね。 丸坊主でした。 いまだに丸坊主ですからね、野球部。 それが坊主ですよね、まだね。 あれちょっとやばいですよね。いつの時代だと思いますか。 そんな感じで、私も本当に短い5年だけでしたが、 私立の小学校で基本やった経験もあるので、 教員時代の話とか、学級通信に書いたことの公開とか、 めちゃくちゃ刺さりまくるっていう感じで。 たまたま勤めた私立小学校が男子校だったので、 本当にホモソーシャルに詰めた。 小学生だからあれですけど、いわゆるやんちゃな、 有害な男性性を濃縮されたというか、 それを育ってあげてしまっている社会構造の一端を担っていたという自覚が、 いまだにあるんですけど、そういう話とかもしたいと思っております。 いろいろキャリアの話とかもすごい興味あるんですが、 今先ほどおっしゃった現状は、 いろんなところに呼ばれて行ってお話をするという感じが多いですか。 そうですね。 あとは、今1月に出版される予定の、 私の本ではないんですけれども、本の翻訳をしています。 はいはいはい。言われてましたね。 それは結構新鮮というか、 出版社で働いていたときは、 自分の編集に関わっていた雑誌が、 日本語と英語のバイリンガル語だったんですよね。 だから、英語の記事を外国のライターさんとかからもらった記事を、 日本語に訳すみたいなことは仕事ではやっていたので、 当時の仕事のスキルみたいなものが、 20年以上経って今、生きるというのは、 感慨深いなと思います。 すごい。無駄じゃなかった。 無駄じゃなかったですね。 それが1月に出るんですか。 1月に出る予定です。 じゃあ、今もっか、その作業に。 そうですね。 本が出て1年っておっしゃってましたけど、 飛び越える教室は散々メディアとかでも、 いろいろと取り上げられたり書評されたり、 わりと私もYouTubeでの対談とかをお聞きしましたけど、 ありがたいですよね。 どんな反響ですか、今のところ。 そうですね。 すごくメチャクチャメジャーになって馬鹿売れする本ではないんですけれども、 Amazonの売れ行きみたいな、 Amazonランキングあるじゃないですか。 あれとかを見てても、 コンスタントにじわじわ売れている感じがしますね。 そんな波がないというか。 でも、入販されてますよね。 はい、おかげさまです。 3釣り。 3釣りすごいです、この時代に。 ありがたいですよね。 私もこの間、それこそ太田さんの本とか、 桃山翔二の清太さんの本とか、 わりとむさぼり読んでいる感じなんですが、 アンチの反応とかは、直接来たりしますか。 アンチの反応は、そもそもアンチは、 僕の本は読まないんですけどね。 そうか、わざわざ読んでまで反応する人いない。 そう、お金出して買っても反応はしないけど、 ただ、僕が発信している、取材された記事ってあるじゃないですか、 ありますね。 そういうものに対しては、アンチの人は湧きますよね。 それはもう大体、典型的な感じの。 そう、典型的な感じで、パヨック教師とか言われます。 そんなことまで言われてるんですか。 これだから共産党はとか、 もう本当にもんきり型の感じですけど。 SNSとかも? SNSですね。 一回ヤフーコメで、すごいコメントいっぱいあって、 これが叩かれるってことですか。 いわゆる。世に言う。 そうなんですか。 それいちいち読んだりとか、反応したりとかされてるんですか。 反応はもうしないけど、 こういう感じの反応をするんだなと。 ただ、インスタってあるじゃないですか。 インスタにウェブ記事のことを載せたんですよね。 こういう記事あげましたみたいな。 そこに3件コメントが来て、長いんですけど、 それはアンチコメントで。 チンキジ教師みたいな。 チンポッキ団の教師みたいな。 やばいっすね。 アンジスト書かれて、書かれましたが、 ただその中の一人の人は、 アンチのコメントではあったんですけれども、 僕、また書かれたと思って、 結構返事はしてなかったんですよね。 あと気づくのも遅かったというのもあるけど。 そしたら、あるときその人からDMが送られてきて、 なんで返事しないんですかって。 めっちゃ熱心。 逆にそこまで、 対話じゃないですけど、 伝えたいものが何かあるのかなと思って。 普通だったらそこまでしないじゃないですか。 しないですよね。わざわざ。 そのメッセージ、DMの文面とかは、 結構親子的というか、 ちょっと礼儀正しくもあったんで。 珍しい。 そんなふうに話したいのであれば、 僕もこの人とやりとりしてみるのもいいかもと思って。 めっちゃ小文でやりとりをお互いに。 1週間近くやり合いました。 それで理解しあえた感じですか。 理解はしあえてはいないんですけど、 向こうのおっしゃっているところとかも、 わかるところもあるんですよね。 すごくわかるかなっていうのもあるけど、 やっぱり根本的に見えているものっていうか、 前提もやっぱり違うから、 そこはやっぱり難しいかなと思いつつも、 向こうから提案してもらったアドバイスがあるんですよね。 こういうふうに書くと、 次はクソリプが湧きにくい気がする。 すごい。そんなことまで言ってくれる。 それは確かにと思ったんですよ。 気づきがあった。 あったの。 確かにそれはそうかもと思ったから、 僕もそれはハッとしました。 ぜひ今後、僕も発信するときに活かしていきたいと思うので、 ありがとうございますみたいな感じ。 すごいっすね。 そんなことも。 飛び越える教室の中でも、中学生でしたっけ。 授業を受けた感想ね。 私も結構いろんなところに行って話をするときに、 ほぼほぼ、それこそ孫拓もあるかもしれないですけど、 好意的なコメントがある中で、やっぱりあるわけですよ。 ありますね。 それを全然スルーもできるんだけど、後誤解もあるとか、 でもそれにすごい真摯に断られてるのが偉いなっていうか、 みんな笑わなきゃと思ったりしましたけど。 それはきっと立場もあったんですよ。 本当にCフェミンみたいな感じね。 中学生から典型的なコメントを。 だけど、それは自分が教員として生徒さんたちに 指導をやったっていう立場もありますよね。 だから、そこはちゃんと対話をする責任があるなとは思って。 人って活動家スタンスと教育者スタンスの両方を選ぶことができると思うんです。 例えば、理不尽な問題とか、それ違うだろうみたいなことに関しては、 すごい怒りの声を上げて、違うみたいなことを言うことはできる。 でも、その怒りで活動家スタンスで違うっていうことは、 見えない問題を見えるようにできるし、 あと、これが問題なんだよっていうことを、 切実さを伴って伝えることができるって意味ではすごく大事だと思うんだけど、 常にいつもいつも活動家スタンスで、 怒り狂って違う、違うみたいなことを言い続けてたら、 それにして周りから誰も人がいなくなる気がする。 あと、対話もそもそもうまくいかないし。 だからやっぱり、それは僕はやっぱりちょっと違うかなと思っていて。 もちろんトーンポリシングを正当化するつもりはないんだけれども、 怒りをでも100%正当化するのも違うかなと思っていて。 やっぱりこの人と、この相手と分かり合いたいとか、 あとこの関係は諦めたくないんだとか、あるじゃないですか。 ありますね。 僕はやっぱり、さっきのディーティングされたアンジェリストだし、 あと中学生の方も、生徒さんもそうなんだけど、 やっぱり関係性とかシチュエーションにもよると思っていて、 僕はその相手とはちょっと関係性を諦めたくなかったんですよ。 はいはいはい。 だから、その時はやっぱり、内心全然分かってないなとか、 全然自分と分かってないなっていうのも自分からだったけど、 自分と相入れないなって思ったとしても、 でもなんかここはでも共有できるねみたいなことを、 そうですね。 少しずつ確認しながら、 でも自分はこう思うんだよね。 なぜなら、自分はこういうことでしんどい思いをしてきたから、 そういう反応をしちゃうし、そこはすごく共有できる、 思っちゃうみたいなことを言うと、 向こうもそれを言ってくれたりするんですよね。 はいはいはい。 なんかその、お互いの傷つきは、 みたいなものっていうのは、否定されるものでもないし、 そうですよね。 そうか、そういう背景があったんですね。 はいはいはい。 寝るとりができると。 いや、私このトピック教室を読みながら、 本当にそれこそもう20年以上前の私の教員時代の、 自分の教育実践、小学校なんで、 今もたまに教え事があったりとかしますけど、 ほとんど彼らは当時のことなんか覚えてないけど、 こっちは全部覚えてるわけですよ。 あの時の私の発言がとか、 あの時の指導が果たして正しかったのかどうか、 いまだに思うわけです。 教員なんかそんなことの毎日じゃないですか、 毎日その繰り返しというか、 そうですね。 これは果たしてこの自分の意見を落ち着けすぎたのではないかとか、 しかも特に私男子校だったんで、 男子40人、3年生、当時。 めちゃくちゃだったんですよ、めちゃくちゃというか。 それこそ細野さんが最初書いてられた通り、 やっぱりその、 私だからそこの私立の学校の卒業生でもなければ、 関係者でもないので、 全くの戸様としていって、 で、初任ですよ。 本当に20代前半とかの中で、 でも自分はなんか金髪先生とかGTとか見て、 中場ちょっとなんかね、 幻想を抱えちゃってる風の教員で、 で、ものすごく最初からくじかれるというか、 もう話は聞かないわ。 もちろんご経験済みでしょうけど。 かつ、やっぱり男社会なんで、 とにかく声の大きい、 威圧力のあるというか、 威厳のある、 力の強い男性教員がめちゃくちゃステータスなんですよ。 そのヒエラルキーの中じゃ。 細野さんも経験してるような、 要は指導力がある、 できる先生、保護者からの信頼も厚いみたいな感じのに、 比べられたら本当に、 なんか私なんかもうなんか、 底辺の底辺みたいな。 で、クラスはまとまってないわ、荒れるわ、 で、子供たちは自由になんか言いたい放題だわみたいな。 で、保護者心配するわみたいな。 そうですよ。 いや、だからそれをなんか中で、 じゃあ果たしてあの時に、 もちろんだから私たちそこの中で、 当然大声は出すし、 怒鳴るし、 ものすごいやっぱりその40人をどうやってうまく動かすか、 効率よく、 合理的にみたいなことに、 割と最初本当に翻弄されたというか、 それでなんか、 なんか本当に疲弊して。 まあでもその中で、 5年やってなんとかなれた頃に、 でも自分のあの、 結婚と出産と、 育児との両立があって諦めたんですが、 でも、なんか、 どうできたのかなといまだに思うんですよね。 いやまあそもそもですね、 なんか男子校に関わらずだと思うんですけど、 男子校だったらなおさらだと思うんだけど、 そもそも元気いっぱいな子どもたちをですね、 40人近くも、 狭い教室の中に入れて、 生活をね、 朝からね、 夕方近くまでね、 やるっていうことみたいな、 無理がある。 もう限界超えてるし、 ある意味、 ちょっとなんか、 非人道的な気がするんですよね。 そうですね、確かにね。 大人だってそれって、 かなり劣策な環境じゃないですか。 それで、 やっぱり、 そもそもそのなんか、 校生が問題。 同い年の子たちじゃないですか。 やっぱりすごいそれはあって、 その中で、 そういうふうに、 みんなの学生支援を保証するっていうこと自体が、 無理ですね。 無理だし、 そのなんか構造って、 ある意味先生がものすごい権力を持って、 先生の言うことは絶対聞くんだぞみたいな、 そういう時代だったら、 まだね、 機能とかも知れないけど、 そういう時代でもないのに、 未だに学校の教室の運動が変わらず、 しかも、 学級崩壊しないようにみたいな、 要求もあったりとか、 もうなんか、 全てが限界を超えてる。 一般的に、 学校の教室の中の様子とかって、 親たちは見るけれども、 授業参加の時なんて、 みんなね、 静かにするんですよ。 そりゃそうですよ。 当然ね。 偽りの姿。 めっちゃ偽りだから。 いない時の、 親に見せない顔ってやっぱりあるから、 そのリアルを、 でもそれって相当すごいじゃないですか。 そうですね、 すごい。 本当にみんな、 学校の先生、 医療さんでもいいから体験してほしい。 本当ですね。 本当に、 学校教育の在り方を変えなきゃいけない。 予算を抑えて、 学校の改革じゃないかと、 やらなきゃいけないっていうことを、 すごい考えてると思いますよ。 これだから本当に、 もちろん学校はそうなんです。 学校だけじゃなくて、 結局その教師、 個人の力量の問題に、 自分もしちゃうじゃないですか。 隣のクラスはうまくいってるとか、 前の担任はこうやってくれたみたいな、 保護者からの話とか、 それと比較して、 自分ができないみたいなことを追い込んじゃう先生が、 多分給食されたりとかしちゃうんで、 そこの視点はやっぱりちょっと、 当時は私も全然無理でしたけど、 そんな余裕もなければでしたけど、 そこに視点を持っていきたいなと思いますよね。 そうなんですよね。 やっぱり僕は、 男の子の、 男性性っていうものを考えるときに、 この前、この前って言ってもだいぶ前ですけど、 半年以上前にですね、 軽井沢にある風越学園っていうところに、 行ってきたんですよ。 で、ちょっと学校の様子を見に行った、 見学みたいな感じで行ったんですけど、 で、そのときに気づいたというか、 ことがあって、 その風越学園って、 ご存知ですか? いや、初めて知りました。 初めて知りました。 えっとね、本当に、 いつできたんだろう? でも比較的最近できた学校で、 それでですね、 クラスの編成みたいなのも、 同い年の子を何十人も集めるとか、 そういうことじゃないんですよね。 小学校と中学校が一貫になっていて、 それこそ小学校1年生から中学校3年生の子たちがいる。 で、クラスというか、 なんて言うんだろう? グループなんですよ。 で、グループも、 本当に医学年混合で、 小1から中3の子たちがいるグループ。 そのグループが、 なんて言うんだろうな、 クラス的な感じなのね。 で、普段の授業はまた別々で授業受けに行ったりするんですけど、 基本、ベースになるグループっていうのは、 医学年、混合年、縦割りの。 で、それはすごく、 なんて言うんだろうな、 いいなと思ったんです。 人数が少ないっていうのもあるんだけども、 その時に僕はね、 朝の集まりがあって、 みんな学前後セット集まってるわけですよね。 その時に、 体育館だったんだけれども、 体育館の2階っていうか、 わかります? 踊り場じゃないけど、 少し、 体育館の上の方行くと、 スペースがあって、 ちょっと行き来できるスペースがあるんですよね。 2階みたいなとこがあって。 そこの2階のスペースにですね、 本当に低学年ぐらいの男の子が、 かなり多動な感じで落ち着きがない感じの子だったんだけど、 その上のスペースでですね、 ウロウロしてるわけですよ。 それでその2階のスペースの柱みたいなところがあって、 その柱とかをよじ登ろうとしてて、 僕は結構おいおい危ないぞと思いながら見てたわけ。 やっぱり通常だったら、 そういう場面ってやっぱり、 多動な子に支援の、 主に女性の支援がつくわけですよね。 とか、担任の先生とか、 教員がやめなさいみたいな感じで入るんだけども、 でもそこで見た光景っていうのが、 中学2年生ぐらいだったかな。 12、13ぐらいの男の子がですね、 男子生徒の方が、 ちっちゃい男の子。 おそらく同じグループだと思うんだけども、 その男の子をですね、 程よい距離感で見守ってるんですよ。 それでちょっと上手く声をかけながら、 おんぶをしてあげて、 そのまま元の場所に、 2階から1階に降りて戻ってきたわけ。 それを見たときに、 これはすごくいいなと思ったんですよ。 例えば、いわゆる逸脱しちゃう行動を 取っちゃう男の子がいるとする。 そしたらそれをやっぱり、 女性の支援、 支援って本当女性が、 構造的にそうなんですけども、 が母性的な感じで受け止めてするみたいなことって、 すごいあるあるなんですよね。 けれども、 同じ男の子が、 ある意味ケアリングマスキュリニティ、 ケアする男性性を発揮して、 すごく先生でもないけれども、 同級生でもない、 ちょっと斜めの関係的なね。 ところから男の子にそっと寄り添って、 その子も関係性もあるし、 普段からの関係性もあるし、 斜めの関係のお兄ちゃんから、 そういう関わり方をされたら、 落ち着くというかね。 そういう風に聞くわけですよね。 僕はそれを見たときに、 こういう関係性が生まれる、 システムになってるなって思ったんですよ。 僕はそこがすごく一つの鍵というか、 同い年で、すごい狭いところで、 男子ばっかが集まってると、 マウンティングも取るし、 すごい状況になるじゃないですか。 きっと同調圧力だっても、 悪いと思うんだけど、 そういうのをすごくガス抜きをするというか、 圧を抜いて、 中学校の男の子の、 ケアリングマスキュリニティを引き出す、 ような仕組みになっているということと、 女性の支援員が、 母性的に支援するっていう姿を、 ずっと見せると、 子どもの中に、 性別役割分業という感じでいくわけですよね。 やっぱりそういう意味でも、 もちろん専門性をきちんと持った、 支援員の方がいることも大事じゃないかなと、 思いもしたんだけれども、 ちょっとその学校訪問では、いろんなことを感じて、 でもおそらくジェンダー的な視点からは、 多分学校の先生たちは、 そういうシステムを作っているわけではないんですよね。 ただ結果的に、 ジェンダー的な視点から見ると、 それは上手く回っているの。 その場面では回っているようには見えたし、 逆に先生たちがそういうことを、 ジェンダー的な視点でちゃんと考えて、 いくと、 効果が出たりとか、 新しい実践が生まれたりするのかなと思うんですよね。 そうですね。 もう一冊、 学校の男性性を問うという本を私も読みましたので、 買ったらここにも星野さんが出てきて、 また星野さんだと思って。 男性性界隈みたいな。 男性性界隈、そうそう。 本当にまさに、 男子校じゃなくても、私が育ってきた中高、 高校が男子校だったんで、 本当にそれも暗黒期なんですが、 本当に20年、30年、40年、30年前くらいまで、 全然普通に当たり前のように、 恐ろしいことが横行していたなと思いますが、 学校で言ったら養護の先生とかみんな女性だったりとか。 そうですね。 私が教員時代に男子校で思ったのは、 保護者も男子校に子供を入れたいっていう保護者は、 やっぱりビシバシやってくださいみたいなニーズがすごいあるわけですよ。 だから男性的で指導ができる人に担任を見てもらいたい。 そうじゃない担任だとちょっとハズレだわみたいな。 まして女の先生なんかみたいな感じが、 やっぱり学校の中にもあったし、保護者の中にもあったし、 要はそこで暮らしている子供たちの中にも多分あったんですね。 そうなるとやっぱり教員側のメンタリティとしては、 なめられちゃいけないみたいなことが一番最初に出てきて、 いかに思い通りに動かすかみたいなのが、 そんな中で子供の人権だとか一人一人の個性とか、 全然次元が違う話になっちゃっていたのだなと、 今改めて思うと、 それは本当に学校の構造上の問題と、 学校教育そのものだし、 あとは社会全体がそういうことに全然意識がないというか、 まだそれでも30年でだいぶ変わってきたと思いますが、 全然まだまだ遅れている。 それこそ男女婚後名簿とか、 ランドセルの色が多様化したりとかっていう意味では、 あとはマルガリー拘束みたいなのおかしいよねみたいなことはある程度。 あとは別学じゃなくて教学がみたいなことが増えてきたので、 それもいい傾向だなと思いつつ、 じゃあ解決されてるのかといったら全然おそらく、 教学だってその中でも擦り込まれている、 ジェンダーギャップみたいなのも、 本の中でもたくさん書いてありましたし、 何なら家庭内の中で、 それこそDVの問題とか虐待とか、 私も最近うちの娘が高2なんですけど、 高2の友達の家庭を聞くと、 父親は一切家事なんかしないっていう父親がいるとかいう話で、 いまだにそういう家庭あるんだと思って、 だって私より多分年下のはずなんですけど、 だからもう本を読みながら、 私は結婚してから、 娘は割とジェンダーギャップとかに敏感な人だったので、 結婚式でもバージンロードを父親と一緒に歩きたくないとか、 こだわりとか、やっぱり別姓であることへのこだわりとかを、 そういうこだわりのある女性と出会ったことで初めて、 自分の無意識の男性性みたいなことが気づかされて、 そこから結構、それで男子校を経て、 今は自分で自らこういう本とかを操作して読むようになったんですけど、 やっぱり世の中は全然そうなってないので、 この中でこの話をできる男性友人ってほぼいないなと思っていて、 この社会をどこからどう変えていったらいいのかというのを、 星野さんに相談したいと思ってたんですが。 僕も本当にどうすればいいんだろうって思いますよね。 東方にくれてます。 当時、教員やってたときに、 ちょっと書いてあります。 同僚の男性共有とかの反応ってどうだったんですか。 性の多様性の授業をやることで、 僕はジェンダーとか教員リズムの実践をやるようになったんですけど、 そもそものその性の多様性の授業をやった方がいいし、 やろうよみたいに言ってくれた人は男性の教員だったんですよね。 今、弘前大学で教鞭を取られている宮崎道春さんという方がいるんですけれども、 当時は同僚だったんですよね。 先生には私はカムアウトはしてて、 ちょっと行きづらいんだよねみたいな話をぐちったりよくする関係ではあったんで、 話をしてたときに、 あるときその先生と次の学年を一緒に組むことになりますみたいな返事が発表されたんですね。 そのときに一緒に学年を持ちますねってなったときに、 じゃあこの学年、性の多様性についてやろうみたいな感じで背中を押してくれたのは男性の教員でした。 その後の男性性を意識した、男子の権力をどういうふうに、 そこにどうアプローチしてジェンダー上のような学校とかクラスを作るかという実践に関する、 そこに対する関心はそんななかったかな。 性の多様性に関する関心はあったかなと思う。 なぜかというと、ある意味すごくわかりやすい。 社会にもすごく必要だよね。そしてわかりやすい。 そこにあるわかりやすい差別と、社会の問題として差別の問題としてあるわけだからっていうことで、 ある意味すごく反応はあったかなと思うんですけど、 ただ、学校の男性性を問うみたいな実践というのは、そもそも学校はジェンダー平等って思ってる人たちが非常に多いのと、 あとやっぱり構造的な視点から、目の前のクラスの中の現象とか子どもたちの言動を見取るっていう、 そういう視点がなかなか持てないので、 みなさん、自分は持てて偉いみたいな言い方で。 はいはいはい。 自分もそういう視点は、フェミニズムとかジェンダー研究の本を読んで、構造的な視点で見れるようになったんでしょうね。 そこに至るには、ある程度のインプットというか、知識がないと難しいなと思うんで、 でもやっぱり教員養成の場ではそういう知識を持ってくる機会もないし、 教員になっても、研修でそういう内容のものっていうのが一切ないわけですよね。 ないですね。 だから、僕の実践とか、これってジェンダーの問題だと思うんですけど、 でも、みなさん、「いやそれってジェンダーの問題なんだよ。」とか。 はいはいはい。 その子がたまたまそういうふうに思ったんじゃないのとか。 あと、思いやりの問題じゃないかみたいな、書いてありますよね。 あとは、僕は偏りにすごくフォーカスしておかしいと思うわけです。 例えば、男の子が散らかして、女の子が片付けるっていう現象があったんですけども、 その時に、男の子も女の子も散らかして、片付けるのは男の子も女の子も片付ける。 その割合が半々だったりとか、せめてなんかあるけど結構混ざっている。 それは別にジェンダーの問題ではないかなと思うんですよね。 なんで男の子だけが散らかして、片付けるのは女の子だけなの?っていう、その偏りに僕は気になるわけですよ。 だからそういう意味では、ジェンダーのものが影響してるんじゃないの?みたいな話をすると、 いやでも、片付けない女の子もいるよみたいな、論点が振り返るわけですよ。 片付ける男の子もいるよみたいな。 そうなんですけど、そうじゃなくて、 あと、男の子は片付けないって偏見だよねとか言われると、 そうじゃなくて、なんでこのバネボスター現象では、男の子が片付けなかったっていうN1かもしれないけど、 私が体験したこの現象から、力学を問いたいというか。 いやだからこれ、まさに森山さんの会議のときにも話題になった、お寺とか末童会もそうなんですけど、 いや結局、そんなこと言ってもお寺にとついで幸せな女性だっているよみたいな。 いやいや、そうじゃないでしょって問題は。 もう一回そうなんですよね。 そこがね、しかもやっぱり仏教会でもよく言われるのは、LGBTはさんざんやると。 多様性性の多様性。やるけど、全然核不調性の話にならない。 なぜなら、僧侶の大半が男で、その人は地によって回ってるから。 やっぱりそれに声を上げる。 特に男性側から、男性性とか有害な男らしさみたいなことを言うと、結局男の敵とかね、 女の方持つ親婦主みたいなこと言われるじゃないですか。 そこをどう乗り越えるか。 私も理解のある男性友人たくさんいますけど、 やっぱり男性友人知人の中では、格好つけとかあるいは女にこびている男みたいな。 直接は言われないまでも、おそらくそう思われてるだろうなってすごい感じるんですね。ひしひしと。 だから、声をお題にして男性の加害性みたいなことを非常に言いにくい。 自分も加害してきたって自覚がめちゃくちゃあるし、 だからこその反省と自戒を込めて、かつ被害当事者である主に女性側が、 女性だけが訴えてることの不公平さをすごい感じているので、 そういう意味でとても共感はするんですが、 本当に男性の中ではマイノリティ性をあんまり感じざるを得ない。 その中でやっぱり声を上げるっていうのは素晴らしいと思います。 なんでかって言うと、ご結婚されていてお子さんがいるっていうことで、 僕は勝手にシスヘテロと前提で話しますけど、 シスヘテロのマスタッチさんがフェミニズムを語るハードルと、 シスゲイの私が語るハードルっていうのは、ちょっと違う気がしてて。 あ、そうですか。 それはあると思うんですよ。 なんでかって言うと、シスゲイの僕は、それは僕だけかもしれないんですけれども、 一般化はできないかもしれないけど、 自分は本の中でも書いたように、いわゆる男社会の中で、 ゲイだっていうことでもあるから、 そもそも男社会の中のヒエラルキーにも入っていない存在なわけですよね。 評価の対象にもならないみたいな。 で、そういう見方もされてきてるし、 自分もヒエラルキーを内面化して、 自分は別にそういう意地づいてないみたいな自覚はすごくあるわけですよね。 だから最初から男社会の中で、鍵かっこつけて言いたいけど、 認められてもいないし、評価されてもいないから、 違うものはないんです。 そもそも、ある意味、見下されてるじゃないかと。 めっちゃ下にいるよねみたいな感じ。 競争相手にならないみたいな。 そうそう。ここでフェミニズムを言って、嫌われるのは確実だけど、 嫌われたところとって、 最初からね。 その社会の中で、ある意味ポジションを確立することに何の価値も置いてないから、 別にどうでもいいんだけどなみたいなのはある。 ただ、シズヘテロの場にいると、 シズヘテロの方って、やっぱりその中で本人の意思は置いておいて、 ある程度のポジショニングがされて、評価というかヘラルキーの中に位置づくわけじゃない。 しかもシスジェンダーのヘテロセクシャルで結婚した子供がいるっていうのって、 ある程度シスジェンダーのヘラルキーの中で、 男として、ちゃんと基準はある程度超えてるよねみたいな。 あーなるほどね。確かに。 一人前と見なされるっていうとあると思うんですよ。 自覚はないですけどね。確かにそうですね。 その中で声を上げるっていうことは、 やっぱり男たちから、「お前そっち側なのか?」みたいな感じで思われちゃうんだろうな。 それはやっぱりすごい勇気がいるでしょうね。 いやーそうですかね。 こどもさんも書いておられましたけど、 やっぱりシスヘテロであることの特権性みたいなことに非常に後ろめたさがあって、 そんな私が荒いだみたいなことを、軽々しく口なんかとても避けても言えないみたいな、 そんな資格ないみたいな思いはすごいあるわけですよ。 だからかえって言いにくいっていうか、 いやお前結婚して、まあまあだってそれこそリア充じゃんかみたいなね。 そんなお前に何がわかるんだ弱者男性の気持ちがみたいなことを言われたら、 本当に何の反論もできないわけですよ。 それは本当に言いにくいなっていうのはすごい感じてましたね。 そうですね。でもどんな属性があっても、 やっぱり物申すことには、そんなお前が言えるのかっていうやり方は、 そこから絶対言われると思うんですよ。 ありますね。 僕もなんかシスゲイって意味で、ゲイってマイノリティ性があるから、 なんか言いやすいでしょって思われるらしいんだけど、 ある意味の言いやすさはあるかもしれないけど、 でもやっぱりそんなLGBTQの中では、シスゲイって圧倒的なマジョリティなわけだし、 あと自分が短調を出してとか、いわゆる四大卒業してとか、 正解を語ったこととか、メディアで発信する特権を持っているっていうこともあるわけじゃないですか。 その上でいろいろ言うと、 いやでもお前も相当強者だけどなみたいな、 お前はその特権に気づいて言ってるのかみたいな。 そういう弱者男性からの辞込とかはあるし、 それはちゃんと聞かなきゃいけないかなと思うんですよね。 でもそうだよなと思ったりもするし。 でも僕も同じように、誰かがそういうことを言ってたら、 いやでもさみたいにツッコミ入れてる場合もあるから、 みんなが見てた立場からね。 そうですよね。 でもそれは結構大事な気はしてて、 それを確かに指摘されたりすると、くらったりして苦しいってなるかもしれないけど、 でもいろんな立場の人たちがいて、その立場からはこういうふうに見えてるんだよっていうのが知れるわけじゃないですか。 その声を自分の中にインプットすると、 自分の中で自分の視点が複数性を持つというか、 それはすごく大事なことなんじゃないかと思うんですよね。 ただ、やっぱりしんどい作業ではあると思うんですよ。 それは知っておきたいなとも思います。 もうあと10分しかないんですけど。 全然足りないんですが、いろいろ聞きたいことがあるし、 森山さんの会に出て、あれはもう完全に宗教界の中のジェンダーギャップの話なんですが、 私からすると、まったく同じことが教会の中でもあって、 あとは飛び越える教室の中で寄せて言うと、 許しなさいみたいな言説が非常に抑圧になるわけですよ。 やはり宗教二世、私も二世で、会のときにもちょっと話しましたが、 やはり信仰を自分で選んできたというよりは、親がそうだったからそうなっているというところで、 別に虐待は受けなかったけども、それなりの許しさを感じていたということを、 それを発露しようとすると、親への思いやりが足りないとか、許すべきだとか、 ということの言説の中で飲み込まれてしまう。 それが、キリスト教の間許しだみたいなことで、 特に言われてしまう中の、やはり牧師のお連れ合い、家族、子供たちの声なき声みたいなのが本当にあるということが、 メディアを通じて一応広めようとするんですが、それが一向に全然共感もされない。 むしろアンチみたいなふうに見られる教会の秩序を乱すみたいなことで、 それはたぶんお寺の仏教観も同じで、 ひいては、二世の問題でいうと、 星野さんが散々書かれている親子関係、父との関係とかいうのとも無関係じゃないんだろうなと思うんですよね。 そうですね。やっぱりそういうことに対する違和感を表明することってやっぱり大事で、 アンチというか反発がバーンってくるのは、それがやっぱり向こうにとって痛いからですよね。 やっぱりまだこっちも声を上げ続けている。もっとやっぱり時間も必要だし、 でもやっぱりそれで変わっていくこともすごくあると思っていて、 声を上げてその言葉によって、 自分が感じていたモヤモヤの正体はそれだったんだって、 やっぱり気づく人がじわじわ増えてくると思うんですよね。 その増えていって、その人たちの数がある意味臨界点というか、 クリティカルマスを迎えたときに、少し社会が変わったりすると思うんです。それは必ず。 だから、どうしても短期的に変わってほしいみたいなものがあるし、 僕もそういうのがあるから、なんで変わらないんだろうみたいな。 基本そんな簡単には変わらないよね。 しかもその構造が何百年もかけて作られてきたものっていないですよね。 何百年もかけて作ったものが、1年とか2年単位で変わるわけないよなと思う。 確かに。 一番大事なのは、持続可能であることで。 さっきもマジョリティ男性がフェミニズムをいただくことの、居心地の悪さと苦しさみたいなことを言ったけど、 苦しいんだけど、一人でやることは苦しいけど、同じように苦しさを感じている仲間がいて、 なんか苦しいよね、でも上げていかないと変わらないよねって言いながら、できる範囲でできるときにやればいいかなと思うのと、 あと、僕すみません、喋りすぎちゃったんですけど、 やっぱり365日、24時間、ジェンダーのこととか話してらんないじゃないですか。 そりゃそうです。 僕たまにふと思うときがあって、すごい自分にとって大事な問題ではあるんだけど、 ずっと考えていることは確かなんだけど、でもなんか、46時中、そのトピックで生きてらんないなと思うから、 離れないという、これがやっぱ長期的な視点で続けられることなのかなと思うんだよね。 あんまり気負わずでいい。気負わずとか言ったら怒られそう。 気負わなくていい特権があるとか言われそう。 それで言うと、最後一個だけこれをお聞きしたいと思ったの。 その20年やった教員のキャリアを、安定してるし、どう考えたってだって辞めなくてもそのままいけたのを、 よく、人のことは言えないですが、よくフリーになられて、 しかも誰も、先ほども言いましたけど、先人がいるわけでもなさそうな、不安定そうなところに、よく飛び込まれたなと思って。 いや、自分でもびっくりしてます。 逆にそれこそ、24時間365日、そのことを考えなきゃいけないみたいな感じになっちゃうじゃないですか。 教員やってたらまだなんとなく日曜業務でごまかされちゃうけど、その辺はどうなんですか。 いやなんか、教員ってすごい尊しい仕事だし、本当にめっちゃ大事だし、そこの現場だからできることっていっぱいあるなとは思ったんですけど、 20年って区切りがいいなと思ってて。 あと、たぶん人生を変えるのを40代のうちにやっといた方がいいなと思っていて、 50代入ってから変えると結構大変かと思って。 あと本をそのとき書いていて、もう出るから、本出したタイミングで、たぶん出したらどれくらいの反響があるかはよくわからなかったけど、 何かしらのご呼びがかかったりとか、ちょっと仕事が入る。 教員しながら本の関係の仕事って、両立ってすごい難しいじゃないですか。 だから、自分が本を6年かけて書いたんですけど、すごい自分が魂を込めた本を広めるための仕事を全力でするためには、 一旦もう教職やめないとダメだなって思う。 なるほど。 お金とかの問題もあるんですけど、それよりも今しか、このタイミングでしか、教職を逃したらもう後悔すると思う。 やめました。 めちゃくちゃ共感します。 私もだから、基本やめるときは、もちろん育児とかの理由もありましたけど、 散々安定してるのになんでってすごい聞かれたんで、安定とかお金より大事なものってあるよねみたいなことを。 ありますよ。 なおさらこの年になると、あと残り時間少ない中、何ができるかなみたいなことを考えちゃうので、 そしたら本当に無駄な時間を過ごしたくないと思いますよね。 そうなんですよ。 生活をあと楽しもうというか、生活を豊かにしていろいろやってみたいなっていうのもあります。 2冊目、翻訳以外で何か考えたりしないんですか。 なんか、そうですね。 なんだろう、どんだけ休めたらいいんだみたいに怒られちゃいそうですけど、 僕は怠惰なのかもしれないです。 あとね、本は乱発できないっていうか。 わかります。 自分の中で言葉が溜まって熟成されないと出てこないものってあるじゃないですか。 それをやっぱり本人にすべきだと思うんで、やっぱり時間はかかる気がします。 わかりました。時間かかってもいいので、ぜひ次回作期待しております。 なんか告知とかあれば、あと30秒。 告知ですね。 直近のありますか。 すごい、そこでパッと出てこないぐらい。 いっぱいある。 ゆとりがあるってことで。 すいません。お時間になってしまいましたが、また引き続きよろしくお願いします。 ありがとうございました。 失礼いたします。 もっと見る #男性性 #ジェンダー平等 #家父長制 #とびこえる教室 #星野俊樹 東方の3おじさんラジオ【世界一ゆるいキリスト教】松谷信司×MARO×清涼院流水09:411.オープニング1:00:012.星野俊樹さんと念願の対談コメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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