第2092回「心に似たり、秋の月」2026/9/29
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■管長日記「心に似たり、秋の月」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40806/
■YouTube
https://youtu.be/WxlEae7il9w
■note
https://note.com/engakuji/n/nf4f7c2f9d594
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
彼岸会中日は、有り難いことに一日仏道を行じる日でありました。
朝のお勤めを終えて、庭に出てススキを少し切ってきました。
一輪挿しに活けて、床の間に飾ります。
床の間の軸は、大用国師誠拙禅師の一円相で、
讃は「誰やらの 心に似たり 秋の月」であります。
床の間に一円相がかかり、そのすぐそばにススキの穂が揺れていて、それだけで月見の風情となりました。
そうして支度をして午前九時からはライブ配信を行いました。
「彼岸に思う」と題して、三十分ほどお話をしました。
九月の行事を振り返ったり、近況を報告したり、それから視聴者の皆さんのお声を聞かせてもらったりで、あっという間に三十分が過ぎます。
そのあと、上京して文京区の徳雲寺さまで、彼岸会の法話をお勤めさせていただきました。
そしてさらに八重洲に移動して、いつもの会議室でイス坐禅の会を、五時から七時まで行っていました。
そうして寺に帰るとすっかり夜でありました。
ライブ配信、彼岸会法話、イス坐禅と三つの催しを勤めさせてもらったのでした。
イス坐禅は、この日休日でもあるので、いつもよりも早い時間に開催しました。
今回は三十名限定とさせてもらいました。
いつも五十名なのですが、五十名だと目が届きにくいということもあって、少なくさせてもらったのでした。
ただ参加者の方からは「人数が少なくアットホームで良かったですが、チケットがますます取りにくくなるのではないかと気になりました。」という意見もあったので、人数については今後も検討する必要があります。
この回は、もう五回以上参加されている方がほとんどになっています。
初めての方はごくわずかなのです。
それでも「何度参加しても発見があります」というお言葉をいただいています。
毎回毎回こちらも何か工夫をさせてもらっています。
また初めて参加された方からは、
「色々な小道具を使って効果的に調身する方法を教えていただいたこと、わかりやすい法話も印象に残り感謝です。」というお言葉をいただきました。
その通りで、今回も使ったのは日本手ぬぐい、リンゴ、ヨガボール、テニスボールなどであります。
それに今回初めて用いましたのは、イスの背もたれであります。
イスの背もたれは使わないようにというのは、背もたれに身体を預けないようにするということです。
それもあって、背もたれのあるイスなのですが、背もたれは使ってきませんでした。
今回は背もたれが使えることに気づきました。
それは背中や腰をほぐすのに、テニスボールを背中と背もたれの間に挟んで、身体を動かしながらほぐしていくのです。
これがとても心地よく、背中や腰の凝りがとれたように感じました。
「真向法による股関節のストレッチ、六波羅蜜について教えていただくなど収穫が多い回でした」という感想もありました。
イスでできる真向法を最近学びましたので、真向法の一と二をイスで実習しました。
これは股関節から折りたたむ稽古にもなりますので、イスで腰を立てるのにとても効果的であります。
今後も取り入れていこうと思いました。
イス坐禅の会では、一回目の坐禅のあとに少しお話をしています。
『臨済録』をもとにした話をすることが多いのですが、今回はお彼岸の中日ということもあって彼岸と六波羅蜜についてお話しました。
イス坐禅の次の次の日が中秋の名月でもありますので、お月様の話から始めました。
朝のライブ配信でも一円相を掛けてお話をしましたので、そこから月のウサギの話へとつないでいきました。
日本では昔から「月にはウサギがいる」と言ったりしています。
もともと仏教には、月のウサギについて物語があります。
『ジャータカ』という、お釈迦さまの前世の物語を集めた書物に説かれています。
お釈迦さまが前世ウサギだった時の話です。
そのウサギと猿と山犬とカワウソの物語が説かれています。
四匹の動物は、ある日、「誰か困っている者がいたら食べ物を施そう」と誓いました。
カワウソは魚を手に入れました。
山犬も食べ物を見つけました。
猿はマンゴーの実を取ってきました。
ところが、ウサギには何もありません。
そこへ一人のバラモンの姿をした者がやって来て、食べ物を求めました。
猿やカワウソたちは、それぞれ自分の取ってきた物を差し上げます。
ウサギは何もないので、「それなら、この身体を食べ物として差し上げましょう」と決意します。
そこで火が焚かれると、ウサギは自らその火の中へ身を投じました。
実は、そのバラモンは帝釈天が姿を変えたものでした。
帝釈天はウサギの尊い心に感動し、その姿を月に描いて、いつまでも後世に残したという話であります。
このウサギが行ったことは、まさしく「布施」であります。
六波羅蜜の一番は布施なのです。
布施は、自分の持っているものを人のために差し出すことです。
第二は「持戒」です。
戒を守り、人を傷つけないように、自分の行いを調えることです。
第三は「忍辱」です。
思い通りにならないことがあっても、すぐに腹を立てず、耐え忍ぶことです。
第四は「精進」です。
善いことを怠らず、少しずつでも続けてゆくことです。
第五は「禅定」です。
心を静め、自分自身を見つめることです。
そして第六が「智慧」、般若であります。
物事を自分中心に見るのではなく、ありのままに見てゆく智慧です。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の「六波羅蜜」を簡単に説明させてもらいました。
それから「波羅蜜」という言葉には、「彼岸に至る」という意味があります。
ですから六波羅蜜とは、こちらの岸から向こうの岸へ渡る六つの実践なのです。
ところで、この六波羅蜜をよく見ますと、特別な修行ばかりではありません。
人に何かを差し上げる。
人を傷つけない。
腹が立っても少しこらえる。
善いことを続ける。
心を静める。
自分の思い込みを離れて物事を見る。
どれも毎日の暮らしの中でできることであります。
私たちが今、貪りや怒りや愚かさに振り回されているのが、「此の岸」、此岸であります。
彼岸は悟りの世界、迷いや苦しみから離れた世界です。
六波羅蜜は此岸から彼岸へ向かう歩みなのです。
そして六波羅蜜の最初が布施であることには、大切な意味があると思います。
人間はどうしても、自分のもの、自分の利益、自分の考え、自分の立場、それらに執着してしまいます。
そこから苦しみが生まれるのです。
布施は、その握りしめている手を開くことです。
なにも特別な物が無くても、笑顔一つでもよいですし、「ありがとう」という一言でもよいのです。
人の話を黙って聞くことも施しです。
それが六波羅蜜の布施であり、彼岸に至る一歩になるのです。
そんな話をして二回目の坐禅をしました。
実は坐禅もまた、握りしめているものを手放す修行でもあります。
身体をほぐして調えて坐ると、心まで解き放たれて、握りしめていたものを手放すことができるように思います。
私自身、足元がしっかり充実して、気力がみなぎるような坐禅ができました。
寺に帰ると、きれいな秋の月が出て迎えてくれていました。
横田南嶺
https://www.engakuji.or.jp/blog/40806/
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
彼岸会中日は、有り難いことに一日仏道を行じる日でありました。
朝のお勤めを終えて、庭に出てススキを少し切ってきました。
一輪挿しに活けて、床の間に飾ります。
床の間の軸は、大用国師誠拙禅師の一円相で、
讃は「誰やらの 心に似たり 秋の月」であります。
床の間に一円相がかかり、そのすぐそばにススキの穂が揺れていて、それだけで月見の風情となりました。
そうして支度をして午前九時からはライブ配信を行いました。
「彼岸に思う」と題して、三十分ほどお話をしました。
九月の行事を振り返ったり、近況を報告したり、それから視聴者の皆さんのお声を聞かせてもらったりで、あっという間に三十分が過ぎます。
そのあと、上京して文京区の徳雲寺さまで、彼岸会の法話をお勤めさせていただきました。
そしてさらに八重洲に移動して、いつもの会議室でイス坐禅の会を、五時から七時まで行っていました。
そうして寺に帰るとすっかり夜でありました。
ライブ配信、彼岸会法話、イス坐禅と三つの催しを勤めさせてもらったのでした。
イス坐禅は、この日休日でもあるので、いつもよりも早い時間に開催しました。
今回は三十名限定とさせてもらいました。
いつも五十名なのですが、五十名だと目が届きにくいということもあって、少なくさせてもらったのでした。
ただ参加者の方からは「人数が少なくアットホームで良かったですが、チケットがますます取りにくくなるのではないかと気になりました。」という意見もあったので、人数については今後も検討する必要があります。
この回は、もう五回以上参加されている方がほとんどになっています。
初めての方はごくわずかなのです。
それでも「何度参加しても発見があります」というお言葉をいただいています。
毎回毎回こちらも何か工夫をさせてもらっています。
また初めて参加された方からは、
「色々な小道具を使って効果的に調身する方法を教えていただいたこと、わかりやすい法話も印象に残り感謝です。」というお言葉をいただきました。
その通りで、今回も使ったのは日本手ぬぐい、リンゴ、ヨガボール、テニスボールなどであります。
それに今回初めて用いましたのは、イスの背もたれであります。
イスの背もたれは使わないようにというのは、背もたれに身体を預けないようにするということです。
それもあって、背もたれのあるイスなのですが、背もたれは使ってきませんでした。
今回は背もたれが使えることに気づきました。
それは背中や腰をほぐすのに、テニスボールを背中と背もたれの間に挟んで、身体を動かしながらほぐしていくのです。
これがとても心地よく、背中や腰の凝りがとれたように感じました。
「真向法による股関節のストレッチ、六波羅蜜について教えていただくなど収穫が多い回でした」という感想もありました。
イスでできる真向法を最近学びましたので、真向法の一と二をイスで実習しました。
これは股関節から折りたたむ稽古にもなりますので、イスで腰を立てるのにとても効果的であります。
今後も取り入れていこうと思いました。
イス坐禅の会では、一回目の坐禅のあとに少しお話をしています。
『臨済録』をもとにした話をすることが多いのですが、今回はお彼岸の中日ということもあって彼岸と六波羅蜜についてお話しました。
イス坐禅の次の次の日が中秋の名月でもありますので、お月様の話から始めました。
朝のライブ配信でも一円相を掛けてお話をしましたので、そこから月のウサギの話へとつないでいきました。
日本では昔から「月にはウサギがいる」と言ったりしています。
もともと仏教には、月のウサギについて物語があります。
『ジャータカ』という、お釈迦さまの前世の物語を集めた書物に説かれています。
お釈迦さまが前世ウサギだった時の話です。
そのウサギと猿と山犬とカワウソの物語が説かれています。
四匹の動物は、ある日、「誰か困っている者がいたら食べ物を施そう」と誓いました。
カワウソは魚を手に入れました。
山犬も食べ物を見つけました。
猿はマンゴーの実を取ってきました。
ところが、ウサギには何もありません。
そこへ一人のバラモンの姿をした者がやって来て、食べ物を求めました。
猿やカワウソたちは、それぞれ自分の取ってきた物を差し上げます。
ウサギは何もないので、「それなら、この身体を食べ物として差し上げましょう」と決意します。
そこで火が焚かれると、ウサギは自らその火の中へ身を投じました。
実は、そのバラモンは帝釈天が姿を変えたものでした。
帝釈天はウサギの尊い心に感動し、その姿を月に描いて、いつまでも後世に残したという話であります。
このウサギが行ったことは、まさしく「布施」であります。
六波羅蜜の一番は布施なのです。
布施は、自分の持っているものを人のために差し出すことです。
第二は「持戒」です。
戒を守り、人を傷つけないように、自分の行いを調えることです。
第三は「忍辱」です。
思い通りにならないことがあっても、すぐに腹を立てず、耐え忍ぶことです。
第四は「精進」です。
善いことを怠らず、少しずつでも続けてゆくことです。
第五は「禅定」です。
心を静め、自分自身を見つめることです。
そして第六が「智慧」、般若であります。
物事を自分中心に見るのではなく、ありのままに見てゆく智慧です。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の「六波羅蜜」を簡単に説明させてもらいました。
それから「波羅蜜」という言葉には、「彼岸に至る」という意味があります。
ですから六波羅蜜とは、こちらの岸から向こうの岸へ渡る六つの実践なのです。
ところで、この六波羅蜜をよく見ますと、特別な修行ばかりではありません。
人に何かを差し上げる。
人を傷つけない。
腹が立っても少しこらえる。
善いことを続ける。
心を静める。
自分の思い込みを離れて物事を見る。
どれも毎日の暮らしの中でできることであります。
私たちが今、貪りや怒りや愚かさに振り回されているのが、「此の岸」、此岸であります。
彼岸は悟りの世界、迷いや苦しみから離れた世界です。
六波羅蜜は此岸から彼岸へ向かう歩みなのです。
そして六波羅蜜の最初が布施であることには、大切な意味があると思います。
人間はどうしても、自分のもの、自分の利益、自分の考え、自分の立場、それらに執着してしまいます。
そこから苦しみが生まれるのです。
布施は、その握りしめている手を開くことです。
なにも特別な物が無くても、笑顔一つでもよいですし、「ありがとう」という一言でもよいのです。
人の話を黙って聞くことも施しです。
それが六波羅蜜の布施であり、彼岸に至る一歩になるのです。
そんな話をして二回目の坐禅をしました。
実は坐禅もまた、握りしめているものを手放す修行でもあります。
身体をほぐして調えて坐ると、心まで解き放たれて、握りしめていたものを手放すことができるように思います。
私自身、足元がしっかり充実して、気力がみなぎるような坐禅ができました。
寺に帰ると、きれいな秋の月が出て迎えてくれていました。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 13:591.
心に似たり、秋の月
コメント

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ひと昔前に里親として大切に育てていたウサギが月で暮らしています🐇✨中秋の名月🌕の日に七七忌を迎え、美しい月のもとへ還って行ったこと、愛らしい在りし日の姿などを思い浮かべていました😌🫧
せっせとお餅をついているのだろう。。と想像しながら、美味しくお月見団子もいただいた次第です☺️💕
雨ばかり続くのにお月様は見えました。夜空を見るのは久しぶりでした。
ライブ配信はアーカイブで拝聴しました。ありがたいことです。
静かな十五夜さんでした。
ありがとうございました。
身体をほぐして調えて坐ると、心まで解き放たれて、握りしめていたものを手放すことができるように思います。
私自身、足元がしっかり充実して、気力がみなぎるような坐禅ができました。
寺に帰ると、きれいな秋の月が出て迎えてくれていました。
→この日は昼頃、朝のLIVE配信を拝聴しました。誠拙禅師の一円相と讃、ススキで中秋を迎える心持ちになりました。
5時からはイス坐禅会に参加しました。イスで行う真向法、また続けて行けたらと思いました。