第2094回「場を開く」2026/10/1
12:08
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■管長日記「場を開く」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40817/
■YouTube
https://youtu.be/p2lz1XGTY5w
■note
https://note.com/engakuji/n/nd95af86e64bc
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
本日は 十月一日です。
円覚寺では開山忌が営まれます。
明日二日の午後三時から佛殿で、ご命日の前日の法要が営まれます。
佛殿での法要のあとは、行列を組んで舎利殿まで行って、舎利殿で法要を務めます。
三日は午前十時から舎利殿で法要を行い、そのあと行列を組んで佛殿に向かい、佛殿で法要を行います。
ふだんは境内を歩いても、参道の隅を歩くようにしていますが、この時だけは、管長として正装して、赤い傘をかざしてもらって、参堂の真ん中を歩かせてもらうのです。
九月の末に、野口晴哉先生の邸宅であった場にお招きいただき、野口晴哉先生の御孫さんである野口晋哉先生と遠藤卓也さんと鼎談をさせてもらいました。
野口晴哉先生は、野口整体の創始者であります。
『風邪の功用』などたくさんの著作がございます。
そのお住まいになっていたところは、素晴らしい場であります。
そこで野口晋哉先生とお話させてもらえるというのは有り難いことであります。
遠藤卓也さんは、松本紹圭さんと共に「未来の住職塾」を立ち上がられた方であります。
何度かお目にかかったことはありましたが、ゆっくりお話させてもらうのは初めてでありました。
私も詳しいことはよく分かっていないのですが、今野口晋哉先生は、一般社団法人晴風学舎をお作りになっています。
晴風学舎のホームページには、「感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。」と書かれています。
ここにも「場」という言葉が出ています。
今回の鼎談は「場」がテーマでありました。
「場を開くこと・引き継ぐこと」を主題にした鼎談であります。
遠藤さんは、「未来の住職塾」を立ち上げて、多くのお坊さんたちと関わり、お寺の運営などにも詳しい方でいらっしゃいます。
たくさんのお寺に取材もなされてきているので、各地のお寺が、その地域で「場」をどう開いてきたかの事例をご存じであります。
寺離れや檀家の減少、僧侶の不足、そんな状況下で伽藍を維持しなければならないという課題の中で、どういう取り組みをしているお寺があるか、お話しくださいました。
野口晋哉先生は「開くときに何を手放さず、何を更新するのか」ということに関心をお持ちでありました。
野口晴哉先生のお作りになった素晴らしい「場」を継承されながら、どのようにこの「場」を開いていくか、お考えになっているのです。
野口晴哉先生は、クラシック音楽の愛好家でもいらして、素晴らしい音楽室をお作りになっています。
その音楽室もこのたび初めて拝見させていただきました。
今もいろんな催しが行われているようです。
かつて野口晋哉先生とお話していたときに、「場」を開くことは大切なことですが、「クリスマスのようになってしまうのは問題です」と申し上げたことがありました。
鼎談ではそんな話から始まりました。
クリスマスというのは、今や日本では大きな行事であります。
どこの町にもクリスマスの飾りがなされます。
多くの方がケーキを食べたりしています。
しかし、そうしたクリスマスの楽しみ方と、キリスト教の教えを学ぶこととは、あまり深く関わってはいないのが現状ではないかと思います。
もっとも、今のようなクリスマスのあり方には、商業主義によって広められてきた面もありますから、仕方のないことでもあります。
何を伝えたいのか、その本質を大事に守ることが必要です。
その本質をしっかりと守っているからこそ、自由に「場」を開いて活動もできるのだと思っています。
野口先生は、本質的なことは大事だけれども、その大事なことをそのまま伝えようとして表に出すと、多くの方が耳を塞いでしまうと仰っていました。
本質的な価値は真ん中にあるけれども、恥ずかしいから隠れているくらいがいいというのです。
この思いには私も共鳴しました。
禅でも、そのものずばりを言い当てた言葉は、却って人を迷わせるものだとも言います。
私の学ぶお釈迦さまの教えでは、苦しみから救われることを大事にしています。
しかし、それを表に出して「苦しみから逃れるには」と話をするよりも、いろんな話を聞いたり、或いは笑っていたりするうちに、苦しみが軽くなっていたというのが宜しいかと思っています。
野口先生も祖父である野口晴哉先生の遺した狛江の音楽室を引き継ぎ、その身体観を各時代の言葉へ編集し直す仕事をなされています。
野口先生にとっては、音楽を鑑賞することも身体のことと深く通じているのです。
その日の会場の設営も独特な「場」を作っていました。
普通は鼎談する講師が部屋の奥にいて、聞き手の方々がそれに向かって話を聞くという形であります。
話し手と聞き手と二つに分かれるのではなくて、私たち鼎談する三人を聞き手の皆さんが囲んでいるというようになっていました。
三人がしゃべっているのを皆さんに聞いてもらうというように工夫されていました。
教える者と教わる者、主と客といった区分が固定されないのがよいというのです。
これも面と向かって話を聞くというよりも、傍で話をしていることに聞き耳を立てているという感じで、とてもよいと思いました。
質疑応答も含めて二時間を少し超えるくらいでしたが、とても良い「場」であり、よい時間を過ごさせてもらいました。
横田南嶺
https://www.engakuji.or.jp/blog/40817/
■YouTube
https://youtu.be/p2lz1XGTY5w
■note
https://note.com/engakuji/n/nd95af86e64bc
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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本日は 十月一日です。
円覚寺では開山忌が営まれます。
明日二日の午後三時から佛殿で、ご命日の前日の法要が営まれます。
佛殿での法要のあとは、行列を組んで舎利殿まで行って、舎利殿で法要を務めます。
三日は午前十時から舎利殿で法要を行い、そのあと行列を組んで佛殿に向かい、佛殿で法要を行います。
ふだんは境内を歩いても、参道の隅を歩くようにしていますが、この時だけは、管長として正装して、赤い傘をかざしてもらって、参堂の真ん中を歩かせてもらうのです。
九月の末に、野口晴哉先生の邸宅であった場にお招きいただき、野口晴哉先生の御孫さんである野口晋哉先生と遠藤卓也さんと鼎談をさせてもらいました。
野口晴哉先生は、野口整体の創始者であります。
『風邪の功用』などたくさんの著作がございます。
そのお住まいになっていたところは、素晴らしい場であります。
そこで野口晋哉先生とお話させてもらえるというのは有り難いことであります。
遠藤卓也さんは、松本紹圭さんと共に「未来の住職塾」を立ち上がられた方であります。
何度かお目にかかったことはありましたが、ゆっくりお話させてもらうのは初めてでありました。
私も詳しいことはよく分かっていないのですが、今野口晋哉先生は、一般社団法人晴風学舎をお作りになっています。
晴風学舎のホームページには、「感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。」と書かれています。
ここにも「場」という言葉が出ています。
今回の鼎談は「場」がテーマでありました。
「場を開くこと・引き継ぐこと」を主題にした鼎談であります。
遠藤さんは、「未来の住職塾」を立ち上げて、多くのお坊さんたちと関わり、お寺の運営などにも詳しい方でいらっしゃいます。
たくさんのお寺に取材もなされてきているので、各地のお寺が、その地域で「場」をどう開いてきたかの事例をご存じであります。
寺離れや檀家の減少、僧侶の不足、そんな状況下で伽藍を維持しなければならないという課題の中で、どういう取り組みをしているお寺があるか、お話しくださいました。
野口晋哉先生は「開くときに何を手放さず、何を更新するのか」ということに関心をお持ちでありました。
野口晴哉先生のお作りになった素晴らしい「場」を継承されながら、どのようにこの「場」を開いていくか、お考えになっているのです。
野口晴哉先生は、クラシック音楽の愛好家でもいらして、素晴らしい音楽室をお作りになっています。
その音楽室もこのたび初めて拝見させていただきました。
今もいろんな催しが行われているようです。
かつて野口晋哉先生とお話していたときに、「場」を開くことは大切なことですが、「クリスマスのようになってしまうのは問題です」と申し上げたことがありました。
鼎談ではそんな話から始まりました。
クリスマスというのは、今や日本では大きな行事であります。
どこの町にもクリスマスの飾りがなされます。
多くの方がケーキを食べたりしています。
しかし、そうしたクリスマスの楽しみ方と、キリスト教の教えを学ぶこととは、あまり深く関わってはいないのが現状ではないかと思います。
もっとも、今のようなクリスマスのあり方には、商業主義によって広められてきた面もありますから、仕方のないことでもあります。
何を伝えたいのか、その本質を大事に守ることが必要です。
その本質をしっかりと守っているからこそ、自由に「場」を開いて活動もできるのだと思っています。
野口先生は、本質的なことは大事だけれども、その大事なことをそのまま伝えようとして表に出すと、多くの方が耳を塞いでしまうと仰っていました。
本質的な価値は真ん中にあるけれども、恥ずかしいから隠れているくらいがいいというのです。
この思いには私も共鳴しました。
禅でも、そのものずばりを言い当てた言葉は、却って人を迷わせるものだとも言います。
私の学ぶお釈迦さまの教えでは、苦しみから救われることを大事にしています。
しかし、それを表に出して「苦しみから逃れるには」と話をするよりも、いろんな話を聞いたり、或いは笑っていたりするうちに、苦しみが軽くなっていたというのが宜しいかと思っています。
野口先生も祖父である野口晴哉先生の遺した狛江の音楽室を引き継ぎ、その身体観を各時代の言葉へ編集し直す仕事をなされています。
野口先生にとっては、音楽を鑑賞することも身体のことと深く通じているのです。
その日の会場の設営も独特な「場」を作っていました。
普通は鼎談する講師が部屋の奥にいて、聞き手の方々がそれに向かって話を聞くという形であります。
話し手と聞き手と二つに分かれるのではなくて、私たち鼎談する三人を聞き手の皆さんが囲んでいるというようになっていました。
三人がしゃべっているのを皆さんに聞いてもらうというように工夫されていました。
教える者と教わる者、主と客といった区分が固定されないのがよいというのです。
これも面と向かって話を聞くというよりも、傍で話をしていることに聞き耳を立てているという感じで、とてもよいと思いました。
質疑応答も含めて二時間を少し超えるくらいでしたが、とても良い「場」であり、よい時間を過ごさせてもらいました。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 12:08
コメント

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開山忌🙏
普段は参道の横を通られておられるんですね😌
しかし、それを表に出して「苦しみから逃れるには」と話をするよりも、いろんな話を聞いたり、或いは笑っていたりするうちに、苦しみが軽くなっていたというのが宜しいかと思っています。...教える者と教わる者、主と客といった区分が固定されないのがよいというのです。
→→何気なく過ごしているうちに本質が伝わるのは確かに理想的かもと思います。🙏😀
何を手放さず、何を更新していくか‥。自分にはない考え方でした。
とは言えまだ噛み砕けていません。
今日のテーマにします。
ありがとうございました。