TOPトーク教師📕言葉を整える、思考の時間#45 教えて!天野さん!「国語の自由進度学習」vol.11:05:10 2025年8月6日 273再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次国語授業の自由進度学習の可能性自由進度学習と心理的安全性物語文解釈:行間を読むことの重要性多教科における言葉への着目と深掘振り返りの質より量、そして具体的な言語化AI文字起こし(β版) # めちゃくちゃアツかった おはようございます。5分で整う国語サウナパーソナリティの藤井海です。 この番組では言葉の力で教室の考え方もサウナ級に整うような、そんな5分ではなくてですね、 今回は昨日、昨晩ですね、天野先生、天野さん、天二郎さんですね、と一緒にお話しさせていただきました 国語の自由進路学習、もといそれについてのマインドセットであったりやとか、 そういうものを1時間ほどめちゃくちゃ熱量高くお互い250%出し切ってお話をさせてもらったあっという間の60分でした。 ちょっと長いんでね、細切れになってもいいかなと思いますのでぜひお聞きいただければと思います。 でね、めちゃくちゃ良かったので、本当にぜひ2倍速でも大丈夫だと思います。 ちょっと早口になるかもしれませんが、本当に聞いていただきたいなというふうに思いますのでどうぞ皆さんよろしくお願いします。 もしよければ僕や天野さんにコメント、いいねといただければと思います。では本編どうぞ。 # 教えて!天野さん!「国語の自由進度学習」 はい、ということで今日はですね、天二郎先生に来ていただいて、教えて、あ、天野さんになってる。天二郎さんに変えとこう。 全然天野さんでいいよ。 ということで、えーと、お送りしたいと思います。じゃあ、天二郎さん、自己紹介だけ簡単にお願いします。 はい、小学校教員やっています。天二郎こと天野翔太です。専門は算数で、最近は自由進路学習の発信なんかもしてます。よろしくお願いします。 はーい、よろしくお願いします。えーと、天野さん、まあ天野さんでいいですか? いい、全然大丈夫です。 天野さんとはね、えーと、エディベースでももちろんそうですけども、本当に、なんていうんですか、最近、なんかずっとこういう風にやりたいっていう話させてもらいながら、あんまりこう、深く深くいろいろみたいな話はできてなかったですもんね。 そうなんですよ。僕は藤井さんとね、深い話をしたいなといつも思ってるんですけど。 いやいやいや、ありがとうございます。もう忙しいから、天野さん。 いや、全然、全然ですよ。忙しくないです。本当に。めちゃくちゃ休みを満喫してます。 素晴らしい。もうめちゃくちゃ、僕は今日、最後の引退試合が終わって。 あー、部活あるんですもんね。お疲れ様。 そうなんですよ。いやいや、引退試合終わりやと思ってたらね、ありがたいことに勝ち残りまして。 おー、素晴らしい。 またそれまで継続と。 そんなお忙しいなんかね、夜時間帰っていただいてありがとうございます。 なんとんでもないです。こちらこそ。 いやいや、早速というかあれなんですけど、その今おっしゃられてるみたいな自由進路学習の話を、 もともとね、天野さんとお話ししたいなと思ってたのは僕正直、 あちの方の心理的安全性の方をもう少し僕自身勉強したいなと何度かお話しさせてもらいましたけど、 って思ってはいたんですけど、ちょうどね、昨日でしたっけ?メッセージしてた。 メッセージしてたのは一昨日ぐらいかな。 一昨日ぐらいかな。そのくだりもありつつ、その自由進路学習っていうのが発信されてる中で、 僕自身ね、彼これ、今年と去年が教務主任になってからなんですけど、 1週間に1回の文法指導というかね、文法のための授業をしかしてないんです、今。 なので、文法の中では正直単元ない自由進路学習って言うんですか。僕もしてて。 その中に、自由進路学習とはいえもちろん自由というか、その深度がバラバラな、本当に深度がバラバラなだけで、 理論というか実践例としてあったやつを真似したりとかそういうわけではなく、結構自己流でやってしまってて。 子どもたちには結構評判はいいんです。ただ、その辺の自分自身こうやってるんですけど、 それって実際どうなんでしょうみたいな話もお聞きしたかったのが一つ。 いやいや、その、天野さんのね、基準じゃないですけど、天野さんなりに考えてるみたいなところが聞けたらなっていう、そこで。 もう一つは、天野さんが本格的に今やってはることみたいなのを、僕自身も知りたいなと思って。 そんな感じでお聞きしたいなと思うんですけど、今日は僕のほうで前後編みたいな形でさせてもらおうということで。 わかりました。 ありがとうございます。よろしくお願いします。 いや、よろしくお願いします。もともとね、タイトルのハードルが高すぎるっていうね。 そしたらね、さっきハードル決めたんで、皆さんハードルはヤクルトぐらいの高さでお願いします。 プロ野球のほうじゃないんでお願いしますね。 はい、10センチぐらいですね。 はい。 ということで、まあまあまあ、そうなんです。でね、早速あれなんですけど、僕自身そういうふうにやってる中で、 どうなんでしょう。自由進路学習、そもそも国語の物語、ざっくりとね、物語、説明文、説明的文章、俳句とか詩とか短歌とかあれど、 なんかこう、今まで小学校の国語の自由進路学習でこういうのをやってきたみたいなんて、結構基本的に全部なんですか?その物語も説明文もみたいな。 いや僕はね、基本的に、例えばナンバさんなんかは、その本の中で漢字の自由進路とか、すごいこの一貫維持家の中で自由進路っていう形を取り入れた提案をいろいろされてるかなと思うんですけど、 僕は基本的に、もちろん俳句とか短歌とかそういうところもできると思うんですけど、僕は基本的に物語と説明文の単元のその成果解釈の部分、段階で自由進路学習を取り入れているって感じですね。 ほうほうほう。その精査解釈のところでっていうのは、別に何かこう、ずっとこだわっているわけではなくて、そこが一番やりやすいというか、いいなって思うからというとこですか? いやなんかその、もともと自由進路学習自体は、社会から始めたんです。 ほうほうほう。 そもそもよく考えると生活家とかもね、自由進路学習そのものだと思ってるし、図法なんかもそうじゃないかなと思ってるんですけど、 社会から始めていった中で、社会ではいわゆる調べる段階のところで、関係ない自由進路学習をしてたわけですけど、 他の教科にも広げていこうってなったときに、国語の物語文とか説明文の精査解釈の段階って、結局様々な子供たちの問いをいたしやすくて、 発達段階によって目指すべき目標は違うけれども、言葉そのものが学習対象じゃないですか、国語って。 言葉にこだわるっていう部分、言葉による見方考え方を働かせるっていう視点で見たときに、この精査解釈の部分が適切なんじゃないかなって考えてやってる感じですね。 なるほど。しっくりきました。一発目からしっくりすごいきたんですけど、言葉を学ぶっていうところ。 それぞれの子供たちによってバックボーンが違ったりだとか、生活環境とか、得てきた語彙とか、体験してきた経験も含めた、そういうものが違うからこそ、 習得する深度もそうやし、種類も違うし、みたいなところにも関与してくるって感じですか。 そうですね。結局、中野先生の最近新刊が出て、それを読んでる中にも、見方考え方を働かせる子供の姿として、考えの根拠として言葉を示すこと、いわゆる常実に即して読むってことですね。 もう一つ書かれていることをもとに、書かれてないことを語ることっていうようなことを述べられてるんですね。 校舎のほうが、子供たちの読みの経験とか、読書の経験とか、そういうバックボーンに支えられて、一人一人感じ方や考え方が違う。 その指導技巧の中に入ってるかなと思うんだけど、そこで子供たちの問いが多様になって解釈していく中で、子供たち一人一人の学習のペースを自由にできるかなって考えてる感じです。 なるほど。学習のペースが自由にっていうところがね、僕今まだしっくりと聞けないところで、自分なりにというか自分がやってる上でなんですけど。 ある意味、行間を読むじゃないですけど、いろいろ中学生見てて思うのが、書かれてないことを読み取るっていうことがすごく苦手になってきてるなって思うんですね。 というのも、その行間を読むの中で、特に漫画とかもそうなんですけど、僕ずっと漫画の研究を大学の頃からしてて。 まあ卒論も、名探偵コナンあるじゃないですか。 コナンを小学校の授業で、いろんな科学的な視点から授業で使うためにはっていう考察を書いて、15,000字くらい書いてたんですよ。 すごい。それめっちゃ読みたい、その卒論。 めっちゃ切なやつなんで、十何年前なんですけど。 そういうのの中でもね、もう10年前以上、15年、20年前くらいから言われてるのが、その頃から漫画が読めなくなってきてると。最近の頃から。 元として、漫画ってコマとコマを視点を移動させながら読んでいくわけじゃないですか。 僕らって基本的に右上から左上に行って、右下に行って左下に行くっていうその逆ゼットの形。 僕らというか、そもそも漫画をよく読んできている世代は、それが自然と頭に入ってると。 その中で、視覚の中で補いながら、要は自分で目で追っていないところ、周辺視野みたいなところで情報を得つつ、 コマの中の台詞と絵のみで、情報を自分の頭の中で自然と補いながら読んでるっていうのがずっと言われてることなんです。 なるほど。まあ確かに言われてみればそうですね。 そうなんです。例えば、心の中とかが本来は出てこないはずなのに出てきてるのが少女漫画っていう話で。 少女漫画は僕は研究してたんですけど、少女漫画は心の中がフワーとかそういう擬音語みたいなものが出てくるみたいな。 まあっていうのがあって、結論何やねんっていうと、その漫画を補いつつ読むっていうことが、漫画をもってしてできなくなっている子がすごく増えてると。 それ自体は漫画から漫画離れが進んでるとか、いろんな理由はあれど、そもそも国語の授業で行間を読むみたいなことが取り立たされてないからだっていうふうな指摘もあったんですね。 なるほど。 っていうのに考えると、僕それまで15年から10年くらいそこにもう一回振り返ったことなかったんですけど、 今言ってはったみたいに、子供たちのこれまでの経験とかを踏まえながら、書かれていないことを書かれたことから推測するってめちゃくちゃ大事やし、 まさにその元に戻っていくというか、25年前から30年前から指摘されたようなことに戻っていくなってすごい今感じて。 なるほど。 めちゃくちゃ大事やなって思うんですよ。 いやでもこれって結構難しいと思ってるんですよ。僕は国語の授業は好きなんだけど、実は国語は実は苦手なんですよ。 まさにその行間を読むみたいなことができてなくて、それこそ妻に、国語をちゃんと上手に即して読めば想像できるでしょみたいなことを教員になったぐらいのときに言われたことがあるんですけど、 これめっちゃむずいなと思ってるだけなんですね。 ただやっぱりバックボーンとか背景が違うから、だからこそ一人一人の感じ方や考え方が違うっていうことが指導事項として指導より解説にも示されてるけど、 そういうことを大事にしていくことが小学校のときから大事なんじゃないかなって思いつつ、一方で自立と学び手っていうことは言われるようになっているんだけど、そういった視点でも授業改善を図っていかないと、これからの変化の激しい社会に生き抜いていくっていうのはなかなか難しいっていう視点もあって、ここを自由進路っていう形を取ってるって感じですね。 なるほど。 すごい理論的に国語で自由進路で、なおかつ物語であれど説明文であれど、精査解釈の部分でそういうふうに考えておられるとすごい負に陥るのが嬉しいなと思う。 自分でもそうだけど。 全然専門じゃないからね。 藤井さんも専門だからだけど、言ってておこがましいなって思いながら喋ってる。 とんでもないです。 ただね、おっしゃられてたみたいにすごい難しいじゃないですか。 正直物語の行間を読むは簡単だと思ってるんですね。平たく簡単って言い意味を使いますけど、要はメロスは激怒したっていう一文あるじゃないですか。 8でメロスのね。 メロスは激怒しただけでは他の情報がないから、なんで激怒したんだろうという疑問は出てくるけど、 おそらくこういう理由があって激怒したんだろうはわからないわけじゃないですか。 その一文だけではわからないですよね。 そうそうそう。 じゃあその一文から何がわかるってなったときにね。 まずロジュースに即して言ったら、激怒したがまずメロスは激怒しただからメロス単体だと。 メロスたちはでもないし、メロスがでもないし、メロスは激怒しただからメロス単体として揃えて激怒した。 激怒しているという進行形でもなく激怒したという過去形の形で語られてるとか。 細かく言っていくとそこまで、まずロジュースに即して読むっていうのに必要になってくると思うんですね。 なるほど。確かに。 メロスは激怒した。 じゃあ激怒ってどういう状況っていうのが、ここが子どもたちの生活とか体験によって変わってくると思うんですよね。 そうですね。確かに。 激怒したことがある人とない人によっては激怒度合いが違うじゃないですか。 激怒している人を見て、今まさにあなたが見ている、あの人のあの怒っているあの姿が激怒って言うんだよって言われた人はたぶんいないと思うんですよ。 いないでしょうね、それは。 ってことは、おそらくあの姿が激怒なんだって認識するのって、テレビか漫画かアニメか、今時で言うとYouTubeか、そこだと思うんですよ。 昔はね、それこそ僕ら世代もそうだと思うんですけど、昔はその激怒が共通認識であったと思うんですよ。激怒だけじゃなくて。 それこそ昔ドラえもんでもね、野球のボールが飛んでいくとめちゃくちゃ怒られるみたいなシーンがいっぱいありましたもんね。 さっき言った。僕はドラえもんを言おうとする。 読んでる読んでる。 さすが。間違いない。そうなんですよ。だから僕らって昔は共通認識で、共通言語として持っているものがあまりにも多かったと思うんですよね。 激怒ってなっても、例えばさって言って、ドラえもんの中でのび太くんがあそこにバーンってボールを入れちゃったときに、他の子が入れたときに、中から飛び出てきて、 こらー、バカモンみたいに来るやろみたいな。今のバカモンはちょっとナミヘイ入ってましたけど。 ってなったときに、ほらあれが激怒やんって。あれってなんで激怒って言えるのって言ったら、大事に育ててきてた盆栽を何度も何度もお前らは何度言ったらわかるんだって怒ってるんだよ。 あれが激しく怒る激怒やんって言えるじゃないですか。でも今ってその共通認識があまりにもなさすぎて、ほらって言っても個人個人の差が大きいと思うんですね。 で、そこを整えていくのにすごく時間がかかるなって最近思うんです。 たしかに。だからその激怒っていう言葉一つ取ってもね、序述に俗して読もうとしたときに、共通の土台がないっていうところが、我々教師はちゃんと把握しておかなきゃいけないってことですよね。 間違いない。僕らはそれを土台を整えようって言いたいわけじゃなくて、土台違って当たり前の世の中になってるんだよっていうのをちゃんと分かっておかないと、 みんなが、「わかった、わかった、わかった、わかった、わかった。」って10人中9人が言ってたとしても、その9人のわかったは全然違うわかったやでっていうのをわかっておかないと大変なことになってくる。 だからこそね、共同的な学びを促す価値はあるかなと思っていて、やっぱりその激怒一つ取っても、藤井くんはこう考えてる、天野くんはこう考えてる、田辺くんはこうやって考えてるっていう風に、 それを交流することによって、そういう激怒もあるのかっていうか、俺の考えてる激怒って激怒じゃないかもしれないっていうような気づきが促されるっていうことでは、やっぱり共同的な学びの価値はあるかなって思ってますね。 本当にそうだと思います。天野さんと授業作りたいな。本当にね。そこで結局、僕ずっと思うのがね、ちょっと批判チックにあえて言いますけど、自由震度学習って言って、あまりにも横じゃなくて、自分自分だけでやってる人がすごい多いなと思って。 SNSとかではそう語られてるシーンが見られますよね。 ですよね。僕自身やってないんでなんとも言えないんですよ、正直。じゃあ、お前やれよって言われたらやってないし、お前はやったんか、実践で語れよって言われたら語れないんですけど。 とはいえ、今おっしゃってたみたいに、じゃあ、例えば同じものを見て、これは激怒ですかって言って、激怒メーターを1から10で設定してくださいって言ったときに、ばらつきがあるのが当たり前なんやったら、 じゃあ、その違いを整えようじゃなくて、違いを認識しようの視点じゃないと僕らは授業作れないし、そのために共同的な学びもそうやし、そこはアウトプットする何かを作ろうでは全くなくて、激怒に対して語れるかどうかだと思うんですよね。 そもそも激怒が全く何か分かれへん。激しく怒ってるのは分かるけど、自分の頭の中に全然イメージができないみたいな。ってなる場合も全然あるから、激怒ってこういうものだよっていうのを誰かから説明してもらうことが必要にはなってくると思うんで。 なるほど。これが激怒なんかが最初の出会いによってかなり変わってくるから、そこはやっぱり共同的な学びって言って、誰かに聞いたやつをそのまま鵜呑みにしましょう。鵜呑みにしましょうは言わないにしても、鵜呑みにしてしまったら絶対あかんと思うし。 なんかその辺がすごく僕自身引っかかってるのと、それを全部踏まえた上で時間内に終わるのっていう。神真似めっちゃ大事よねみたいなのを今おっしゃってたようにSNSで見てると思ってたりして。 そういう意味では僕も上手に得して読むっていう話をしてるけど、言葉に対する脚目具合はちょっと弱かったなっていう反省と、一方でこれは国語だけじゃないんだけど、特に国語は言葉を学ぶ教科だから、どの教科でも言葉を大事にするっていう視点が教師にも子どもにもないと、 そういう土台が揃ってないっていうことを認識した上で授業を作っていくっていうのは難しいかなって改めて思いましたね。 いやー、そこで僕まだというか、多教科2ってならないんですね。小学校じゃなくて。 その辺がすぐに添加できるのがすごいなって思うんですけど、どうなんですか。算数でも自由進路されてて、もちろん言葉を学ぶわけではないから算数は、そこまでやとは思うんですけど、 実際、他の教科でも言葉を大事にするみたいなシーンって、社会で、例えば日別、修行通商条約みたいな言葉を大事にするわけじゃないじゃないですか、別に。 覚えましょうはわかるけど、理解しましょう、覚えましょうはわかるけど、その多教科の言葉を大事にするタイミングってどういうタイミングなんですか。 これ例えば、算数で話しちゃうけど、例えば算数で円っていうね、用語があるでしょ。例えば3年生で円っていう言葉を学ぶんだけど、それまでは子どもたちは丸って捉えてるわけなんですよ。 丸って何?って言われたら、直線じゃないもので囲まれた形みたいな認識になってるわけですね。これこそドラえもんの頭みたいな形。 でも3年生で、ある点は中心だけど、中心から遠距離に並んだ点の集合が円だよ、そこまでね、集合とかって言葉は使わないけど、こうやって定義を支えるわけだよね。 そうなった時に、この単元で例えば円っていう言葉を使っていく時に、僕は定義に立ち戻るっていうことで言葉を大事にしてるかな。 つまり、曖昧であったものが一度定義で認識したものを、また曖昧にしないように円っていう言葉、子どもの状況によるけど、その円っていう定義は何だったかっていうところにちゃんと立ち戻って言葉を大事にしていく。 あとは、例えばこれも単数の話だけど、ある式を見ましたと。式も言語だから、言語の一つなんだけど、例えば0.3足す0.4っていう式を見ましたと。 0.7なんだけど、あるA君は3足す4は7って見てるんだけど、これどういうことか、気持ち分かるかい?って問うことで解釈を促すわけですよね。 そうすると、3というのは0.1が3個分と、4っていうのは0.1が4個分で、この0.1を元にすると7個ある。だから結局0.7なんだっていう解釈を子どもたちはしていくわけだけど、 そうやって解釈をしていく中でも、子どもが扱う言葉っていうのを、算数、数学で使える言葉にしてみたり、でも一方で子どもたちが普段使ってる素朴な言葉も、気持ちを問うという形で生かしていく、みたいな形で言葉を大事にするっていうことはしてますかね。 なるほど。いやー面白いな。 そうか。だから専門的に言うてもね、小学校レベルですけど、その教科の中で使われている言葉に即して書かれている文章や話されている言葉と、普段のということですね。 なるほどな。普段のってそんなに置き換えられるというか、そんなできるもんなんですか。 置き換えるっていうよりは、子どもたちが素朴に使っている言葉を、その各教科に関わる言葉に捉え直していくっていう作業を細かくやってるっていうニュアンスですね。 それ全体でですか、個別ですか。 全体でやる場合もあるし、個別でやる場合もある。 なるほど。面白いな。 あとは、これは小学校の先生だからできる部分もあると思うんだけど、例えばシンプルなことで言えば、僕は結構ね、子どもたちにはじめから宣言するんだけど、先生は習ってない感じとか、もしかしたらみんながうんって思うような言葉を使っていくよと。 で、その時に先生それ習ってないよとか、その意味わかんないよっていう問いを持ってほしい。 その問いを持ったらどうなるかっていうと、調べるとか、もう一回ちゃんと聞いてみるとかっていうふうに子どもたちが言ってくれるわけだけど、そういう細かなやり取りを普段の中でやっていって、言葉に対する着目を高めて、言葉に対する見方を精錬していくっていうようなこと。 これは本当に小さな積み重ねなんだけど、そういうことは大事にしてるかなって思ってますね。 なんか、そういうふうに小学校の先生の細かく多教科、国語以外の教科で言葉を大事にみたいなんてあんまり聞かなかったので、めちゃくちゃいいなって思いつつ。 多分マイノリティ。 ですよね。 そこまでやってくれてれば、もっと言葉に興味持つようなと思うんですよね。 手前見そうだけど、例えば自分のクラスは割と外に出ていくことが多いんだよね。 例えば2年生の時は市役役所に行って、地域の方にマインクラフトの体験ワークショップをやりましたとか、3年生の時も総合で同じようにミニマップ役所に行って体験ワークショップを開きましたとか、今4年生だけど4年生でもちょっとあるイベントにクラスとして応募しようとしてるんだけど、 あと例えばね、いろんな方がうちのクラスに見に来た時に子どもたち喋っている様子なんていうことを振り返ってもらった時に、やっぱり本当にすごく上手に話をしてくれたり、説明をしてくれたりっていう話をしてくれるんですよ。 やっぱり普段の言葉を大事にしているっていうことの積み重ねがあるからこそ出てくることかなとは思いますね。 そういうふうに生きた言葉というか、普段の言葉が、例えば友達同士とか家族との言葉が大人に近づくとか語彙が増えるみたいなのももちろん大事だし、それも生きていく上で自分の人生が豊かになることだと思うのでめっちゃ大事だと思うけど、 そういう外との繋がりじゃないですけど、外と話したとき、自分の知らない世界とか自分が新たに入った世界で話を進めていこうとしたときに、その力が発揮されるのって本当にこれからというよりはいつの時代でもそうですけど、絶対必要だなって思うんで。 それがでも語彙力として、全教科でそういうふうなをするってなかなか、本当に今大野君も言ってくれてるんですけど、マイノリティというか難しいですよね。教師の力量としてシンプルに、たぶん。 いやでもね、これはね、もしかしたら僕が国語が苦手だっていうところが子供の頃からあって、でも一方で今大人になって教師になって経験を積み重ねて、いかに言葉が大事かっていうことを実感していて、かつ語一もそうだし、Xや書籍なんかもそうだけど、やっぱり言葉を介して発信することが多くなってるから、言葉を磨きたいっていう思いが潜在的にあるのと、 やっぱり今藤井さんが言ったような、言葉の大事さみたいなことを感じてるから、子供たちにそれのモデルになるようにしたいなと潜在的に思ってる部分はあるかもしれない。 いやー、それがでも潜在的にって言うか、にじみじてるんでしょうね。いろんなところでね。 いやでも、うちのクラスの休み時間ではね、本当普通に僕友達なのかなって思うぐらい喋り方してるけど。 いやー、なんやろ。でも多分そういうふうに今、潜在的にって言ってらっしゃったけど、その潜在的にが、なんでしょう、潜在的にじゃないんでしょうね。出てるんでしょうね、本当にそれが。 やし、普段からそういうふうに意識してるようが十分に伝わってるんだと思うんですけど、ちょっとね、その話題追加していいですか。 もちろんです。 僕もそういうふうに子供たちにって思ってる一方で、そこにプラスして、最近僕よく思うのが、今の子たちはっていうのをもうちょっと解像度上げて考えたいなってずっと思ってて。 それをいろんなところでその視点で見てるんですけど、さっきもまさに漫画が読めないみたいなところからもそうなんですけどね。 言ったら、共通言語が少ない中で、大事にしようよとかこういう言葉をみんなで考えていこうってなったときにね。 さっきの激怒したみたいなのもそうですけども。 そこから、僕自身は基本的にすごくすごく一文ずつ精査解釈みたいなものをしていくタイプなんですね。あえて精査解釈と言うと。 だから全体をばーっと俯瞰してっていうよりかは、この部分のこの文章のここだけちょっと見えへんみたいな感じで結構言ったりするんですけど。 なんかね、やっぱりそのやり方をしていくと自由審度できないんです。 そうなりますよね。 そうなんですよ。僕自身さっきの自由審度的にやってるよって言ってたところが、どうしても文法。 しゅんさんのにある意味似てるなと思うんですけど、よく蹴手ぶれの文脈でも漢字からスタートみたいなんてよく言われてると思うんですよ。 言われますよね。 漢字って本当にやりやすいなとすごく思いますし、いいなと思うんですけど、文法も正直一緒なんです。漢字とやってることは。 結局はやり方とかを覚えて、小テストまで自分でどう進む、どんな方法でどれぐらいのスピードで、いつ小テストして、いつ振り返って、いつ次の単元して、誰とやるみたいな、そういうふうなことをしてるんですけど。 やっていく中で、どうしてもね、僕はずっと振り返りを重視しているので、振り返りにいろいろ自分の一日感じたことを書かせたいんですね。 自由進路もそうですけども、いろいろそういう自己調整みたいなものも含めて、自分で学び方を学ぼうっていうようなスタイルの授業で、やっぱり振り返りにいろんなことが現れてくるじゃないですか。 それは間違いないですね。 天野さんが、そこはあえて国語でって言いますけども、絶叫家でも一緒かもしれないですけども、 振り返り、自由進路的な、単元内だろうが何だろうが、そういうふうなことを子どもたちがしている、そういう学び方をしている中で、振り返りにこういうことを書いてほしい、もしくはこういう意識づけをしているみたいなことってあったりするんですか。 ありますあります。 ちょっとその話をする前に、さっき一文ずつ精査解釈していくっていう話をしてたけど、たぶん子どもの認知構造、子どもだけじゃなくて大人もそうだけど、さっき大野さんと助免さんの生放送でもその話が聞こえてきたんだけど、 結局一文ずつ読みたい子もいれば、全体を複算してから、じゃあここに着目しようって読みたい子もいるし、例えば物語文だったら、登場人物と場面ごとに読んでいきたい子もいれば、登場人物の気持ちに関わるところをピックアップして読みたい子もいるはずなんだよね。 で、例えば音読しながら解釈したい子もいるだろうし、読読しながら解釈したい子もいるだろうから、そういう子どもたちの認知のあり方が一人一人違うっていうことを考えると、国語でこの精査解釈するときに、一斉でやる良さもあるけど、自由進路的にやることの価値もあるかなって思ってます。 という前提の上で。 本なら、その話一つだけ深掘ると。 深掘っちゃう?振り返りのこと忘れてはないかな、俺。 振り返りを聞きたいので、後に置いておきたいんですけど。 中学校の国語の話になってくると、前メッセージでもちょっとお話してたみたいな、作品論とか作者論みたいなところにもどんどん進んでいくことが多くて。 そうなっていったときに、今おっしゃられてるように、昔ながらの中学校の授業って、物語だったら奇象転結とか、それぞれの段落ごとに、場面ごとに分かれていって、そこを解釈していったときに、 じゃあメロスで言うと、結局メロスは真の勇者だったのか、みたいな一つの問題を解いていくみたいな話がよくあるってメロスの授業なんですけど。 そのよくあるスタイルを踏襲していったら、メロスは真の勇者だったのかっていう一つの問題提起に対して、 いろんな視点から、例えばおっしゃられてたみたいに、登場人物たちの会話文から見ていって、メロスの真の勇者たる人なんていったのか、みたいなものを考えていく人と、 定点的に字の文だけで見ていく人とか、そういうような解釈の仕方があるみたいな、そういう話ですね、今のは。 ああ、まあそうそう。 そういうふうに考えると、おそらく僕もそういうふうにやってるんですね。 その中で僕がさっき言ってた、一文ずつっていうのは、今自分で喋りながら思ったんですけど、物語でももちろんするんですけど、 それはたぶん授業の中でも本当に毎時間じゃなくてワンシーンだけみたいな感じで、 ここの部分で解釈が分かれるからこそ、ここをみんなで考えたいみたいなところでよくやってるんですね。 でもそれはありですね。 結局そうなってくるなって、今話聞きながら自分が話したことをもう一回振り返って思いました。 だからこそ自由進路でやってても、例えばあるさっきのメロスが激怒したっていう文に着目した子が多くて、 そこが例えば中心の問いね、さっきの真の勇者たるエルカっていう問いに解決に関わるような部分なんだったら、 やっぱり一度一斉にする価値はあるだろうし、結局子どもの学びの状況をいかに教師が見とって、 そこに一斉が必要なのか、そのまま個別で互いに共同していけば大丈夫なのかっていう判断をしなければいけないっていうところでね、 教題研究をいかに深めておくかっていうことが大事になってくるかなとは思ってます。 そうですね、その判断ですよね。そこにつきますね。 ここは一方で教師としての経験とかね、いかに力量を高めてきたかっていう部分も必要だし、 教題研究っていう側面も大事なんだけど、いかに教師が言葉を意識してるかとか、 何をこの単元を通して、どんな資質能力を育みたいのかっていうところがぶれちゃうと、 やっぱりそこに至らないかなとは思いますね。 いや、本当におっしゃるとおりだと思う。 なんか目当てを、僕自身ずっと目当てを達成できたかどうかっていうのが、 この単元の最後の授業が終わった後の全体の振り返りであったりだとか、 これ今日で単元終わりましたってなった時に、自分は目当てを達成できたかどうかっていうのを、 ふわっと考えるんじゃなくて、明確に自分は達成できたか達成できてないのかっていうのが分かるようなしっかりと、 その学習活動がないと意味がないと思ってて。 それは確かに。 そうなってきた時に、自由進路的に進めていたそれぞれの学び方でゴールに向かって進んでいる状態で、 なおかつそれぞれがちゃんと目当てを達成できたかどうかを自分で認識できるような学習になっているのかどうかっていうのを見取っていく力と、 例えばこれに触れてればOKみたいな簡単な話でもなくなってくると思うんですよね、物語だと。 それは間違いなくそうですね。 なってくると聞けば聞くほど、自分がやってないからこそ分かる、専門家からこそ分かる。めちゃくちゃ難しいですよね。 いや、これはもう本当そうなんですよ。だから僕は専門外で国語の自由進路学習をやっているっていう部分で、専門の方に怒られても仕方ないなとは思っているんだけど、 藤井さんが言っていることは本当におっしゃる通りで、いかに難しいかっていうところではあるんですよね。 ただ一方で、この一斉理論の中でそれが同じようにできるかっていうと、これもはなはな疑問なんですよ。 そうですね。 やっぱり自由進路をやるときに何が大事かっていうと、やっぱり狙いだと思っていて、今本の中にも書いてるんだけど、 どの教科であろうと、やっぱり二つ目的があると思っていて、これはね、今誰一人取り残さない全ての子供に質能力を身につけるっていうことを国が言ってるけど、 これが一つだよね。もう一つはやっぱり、これも求められている力の一つである自立した学び手っていうところをね、 これこそコロナ禍ショックのときに先生に与えられたもの以外に全然子供たちが学習に取り組めなかったっていう課題がね、 答申の方で出てたけど、やっぱりその二つの視点を持って、一斉と自由進路。 というかこれは結局ニコ対策じゃなくて、グラデーションというか、子供に絶対に応じてやっていく。 ただ一方で、やっていかないと子供たちも僕たちも見えてこない部分はあるっていうところでやってる部分はありますね。 今のグラデーションみたいな、だからずっと今、天野さんも僕もそうですけども、今言ってなかったみたいに自由進路でやってる中で、 ここがポイントだってなってくるところは一斉指導的になるし、一斉指導の授業を中心として展開していたとしても、 じゃあここはそれぞれの解釈でいいっていうふうにしっかりと教材研究ができていて、 なおかつ自分の中での目当てに対する軸がぶれてなければ委ねられるっていうわけですよね、要は。 そういうことです。 いいですね。 こうやって対話するとするほど、いかに自由進路学習を実施する、取り入れて授業をするっていうことが、 授業界での一つの視点にはなるんだけど、難しいかっていうことが浮き彫りになっていくっていう。 そうですね。ただでも、どうなんですかね、実際。自由進路学習難しいけど、今難しいって言ってるところって、 何より難しいのはまず見取りやなって、これは自分で見当てて思うんですよね。 それを個々の学びを見取っていくためには、超高速で机の間を移動していてもそれはできないじゃないですか。 先生がそこに住人入っておってもたぶんできないと思うんですよね。 結局、一概には言えないですけど、全体を見取る上で、IC字端末を使うことって結構ベースにはなってくるかなと思うんですけど。 それもね、答申でも言われてるからね。 それの中で、やっぱりそれぞれの自由進路学習として学んでいる学習活動に合った方法みたいなのがもうちょっと広まってくれば、 普遍的になってくれば、IC字に限らず、もうちょっとみんな、「あ、そっか。そのために山野さんが今本を書かれてるんですね。」 それはね、飛躍してる論理です。 今、アジスって繋がったんですけど。 いやいや、でもこれはね、やっぱり結局一斉授業の重要性を浮き彫りにしてる話だと思うの。 なぜかっていうと、結局僕はその本の中で主張してるのは、結局は汎用的な学び方、例えば問題解決とか問題発見、自己調整とか、 情報活用とか、いろいろな場面で使えるスキル、そういった学び方を身につけるとともに、 やっぱり教科固有の学び方も身につけないと、自立して学べないよねっていうことなんです。 僕語で言えば、単的に言えば、叙述に即して読むっていうことだし、そもそも叙述に即して読むとは何かっていうことをね、 子供たちとどれだけ対話をしてるかっていうことも大事だし、 その学び方を一斉授業の中で学んで、どれだけ習得してくるかっていうことも大事だし、 そうなっていった時に、一方で学級の心理的安全性もないと、教師が一人だったら10人いても足りないって本当その通りなんだけど、 一方で教師がめちゃくちゃ授業中忙しいけど、ある子に個別指導してる間はその他の子には関われないじゃん。 これ一斉授業でもそうなんだけど、一方で子供たちが自分でわからないことをわからないから誰か教えてくれるとかって言える状況であったり、 教える側の子も悩んでいる子の悩みに寄り添うことで新しいものが見えてくるかもしれないっていうマインドだとか、 そういうものが複合的に持ってないと難しさを増してしまっているかなって感じですかね。 いやー、だからこその心理的安全性からのじゃないですけど、そこと繋がるっていうのはすごく踏み落ちるし、 今おっしゃるというような、それこそアマンさんがやっておられるようなことが根本ですよね、そもそもの。 これは本当にね、やっぱりこう、例えば味方考え方を成長とかっていう視点でもそうだし、学び方を習得するっていう視点でもそうだし、 自立した学び手っていう視点でもそうなんだけど、やっぱりそういうあだこだ言える雰囲気、 対人関係のリスクを取り払ってもケンケンガクガクと話せる状況になっているっていうことが土台としてないと、 それは孤立した学び手になっちゃうよねとか、共同的な学びがうんたらかんたらっていう話になっちゃうよねっていう感じは持ってますね。 なるほど、なんか全部繋がりますね。でもそうやって繋げて考えておられるのがまずは第一やし、 やっぱり授業の方法だけじゃないですけども、そういうのをありきり考えていくとどうしてもそっちの人間関係であったり、 そういうところがないがしろになりがちやなって。これは次回も込めてですけど、これまで考えると思うので。 そういうのを考えていくと、僕すごく中学校の話でいうと、 新時期安全性っていうものを自分の教室、これは小学校の専科の先生も一緒かもしれないですけど、 やっぱり自分の教室というか自分のクラスじゃないクラスにも教えるわけなので、 それが5クラスってなってくると、どうしてもその辺が一人では無理よねっていう話になってくるし、 次一人では無理やから、全クラスでそれが保てていればいいけども、そのレベルに応じた、 それぞれの新時期安全性レベルじゃないですけど、その状況に応じた方法に変えないと、 結局それぞれのクラスにあったやり方ではできないよねみたいなのもすごく思うので、 その辺りをもうちょっと僕自身学ばなあかんなと、今はまだそんなにそういうふうには感じてないんですけども、 いざやるってなったらそうやなって思いますね。 やっぱりね、もともと担任が持っているクラスの雰囲気っていうのをね、 例えば専科が入るとか教科担任の先生が入るっていうのでね、 なかなかその土台を一緒になってやっていかないと難しい部分があるので、 僕もね、1年だけ算数承認度をやらせてもらったことがあるんですけど、 それとやっぱり心理的安全性の理論からいけば、やっぱりそこの、 例えば入ったクラスの授業の心理的安全性を担保するのはやっぱり教師なんだよね。 リーダーっていうことだけど、そこにそのリーダーが、教師が心理的柔軟性、 つまりですね、子どもたちの実態や状態に応じて子どもたちを導くって言うと言葉が悪いな、 子どもたちに寄り添う具合を変えていける柔軟性を持ってないと、やっぱりこれも難しい。 でも今日難しいしか言ってないね。 いやでも今日のテーマがまずね、そんなやくるとやら話じゃないので、本当に言ってましたけど。 じゃあちょっと話、振り返りだっけ? そうそう、あと10分で話、振り返りをしたいって今ちょうど思ってたんです。 振り返りに関しては、大事にしてるところとか。 大事にしてることだよね。 まず大きく2つあって、まず1つ目は人より量っていうところ。 まあいいや、後で聞こう。 結局言葉を扱うときに、やっぱり書いた権利権、書いた量が後に響いてくるっていうのは間違いないと思う。 これも経験則的に間違いないと思うし、みんなも実感してることだと思うんだけど。 だから例えばどの教科でも、僕はまとめって言っちゃうんだけど、この振り返りとまとめの議論を一旦置いといて。 3分間で書けるだけ書こうって、間違ってたらずっと言っていくわけだよね。 はじめやった3分間でも、1行15マスのノートだったら、それが3行書けない子の方が多いわけですよ。 でもやっぱりこれを徹底的に量にこだわって、とにかく書こう、何でもいいから書いてみようってはじめは言うんだけど、ちゃんと視点は後から言うけど。 書いていくとね、3分で3行書けるようになるし、僕は3分で4行書くのが最低ラインとかって6月ぐらいには言うわけ。 で、プロレベルは3分で6行書ける。大体90分ぐらいかな。 ってなっていくと、ほとんどの子が1学期終わる頃には、半分ぐらいの子は3分で6行書く。 中には10行、20行、10行、15行書くとかってね、嬉しそうに言ってくれる子もいるわけなんですよ。 結局、振り返りをするときに、まず量を徹底的に使えないと、これは昨日ね、淡子さんも自由進路学習セミナーのときでも言ってたけど、やっぱりそこの視点がまず欠かせないかなと思ってます。 で、もう一つは、振り返りの視点っていろんな研究でね、この視点を示しますみたいなこといっぱい出てるじゃないですか。 それもそうなんだけど、僕はもうシンプルに2つなんですよ。 一斉だろうが自由進路的だろうが、そこは関係なくですね、まず一つ目は、自分の学び方がどうだったか。 つまり、はじめに立てた計画に対して、自分の学び方がうまくいってたのか、うまくいってないんだったとしたら、どういうことが原因だったのか。 ということを視点と一つ持っててほしくて、もう一つはやっぱり、深い学びの鍵は見方考え方だから、国語だったら言葉による見方考え方をいかに働かせたか。 物語でいえば、上手に即して読むっていうことがいかにできてたか。また、上手に即して読んだことによってどんなことが分かったのか。 こういう学び方っていう視点と、見方考え方を働かせたっていう視点の2つで、振り返れば書いてもらうようにしてますね。 うーん、もうね、本当に僕自身すごく嬉しさが今勝ってて、言葉にならないうーんってなったんですけど。 ちょっと今、天野さんにメッセージのほうで一つ送らせてもらったんですけど、僕自身、もし見てもらえたらいいと思うんですけど、ここに載せれないので。 まさにおっしゃってるように、質より量なんですね。 質より量っていうのの最終は、僕自身は何分でっていうのって中学校の中で僕は言ったことがなくて、 要は次の日までに。 次の日の朝8時半までに提出だよって形でやってて、授業内では絶対にやらないです、僕逆に。 授業内はもう徹底的に子どもらというか、自分らの授業の時間を使いたいので、授業内ではやらない。 そこはもうこだわりの一つなんですけど、その是非は置いといたとして、次の日の8時半に提出しましょう。8時半までに。 だからその日のうちに出すことがほとんどなんですけど。 3年生の最後のときに、最後の目標というか基準ラインとして持ってるのが、一回の授業の振り返りに対して800字加工なんですよ。 一回の授業ね。 そう、一回の授業。一回の授業に対して800字っていうのをラインで持ってて、 大体の子が600字ぐらいは書いてくるんです。 っていうのを3年生の末までには仕立て上げてたんですね。 でもこれ最後持ってた、ちゃんと持っててた、3年間持ってた子らはそこまでいってくれたんですけど。 まさにおっしゃるように、中学校だったら本当にもっと顕著に出てくるのが、 質より量をしていくと、圧倒的に子どもらが作文できるようになって、 高校入試のときの自己申告書。 要は大阪府だけだったかな、確か。 要は私立に対してとか公立に対してもそうなんですけど、 公立の高校受験するときに、あなたはどういう人ですかっていうのを1200字書いてこないといけないんですね。 それを当日じゃなくて、願書を提出する日に持っていくんです。 願書を提出するときに持っていくから、ある意味先生と一緒に書けるんですよ。 今時に言うとAIと書けるんですよ。 それを見て、例えば公立の先生らは判断するし、それを見て面接とかをしていくわけなんですよね。 学校によっては。 結局は自分の言葉じゃないとダメなんですけど、 そこが僕が3年間持って、最終的に600字ベースで振り返りかけ取った学年は、 ものの見事に全教師が、もう20年30年40年やってる教師たちがびっくりするぐらいにみんな書けます。 もちろんその中身に関しては正直質より量と言いつつ、 やっぱ質に関してはそこまで全員が高められたかというとそうではないんですけど、 まず作文を書くとか自分の気持ちを伝える、言葉として伝えることに億劫になっている生徒が本当に少なかったんですね。 僕自身はそこがすごく今は大事だなと思って。 それはめちゃくちゃ大事ですよ。 何を持ってしてもまずはそこをしっかりベースとして置いておかないと、 どんなところでもそれが生きてこないっていうのはもちろんそうだし、 量を書いてると、質ともなった短い文章よりも量があるほうが圧倒的自信がつくって、 僕自身はそれも経験で思ってるので。 これは間違いないね。 そこのところが、僕自身は本当に質より量って言ってるところの共感するところと一緒だなって思うところで嬉しかったっていうのが1点と、 ありがとうございます。 僕もありがとうございます。 そのもう一個のほうもそうです。 そこはおそらく天野さんの今の一番実践されてて研究されてるところなんで、もちろんそうだと思うんですけど、 ちょっと伝え方は違うものの、まず自分の学び方というか、 自分自身がこの1時間どうだったっていうのは、 学び方みたいな話はしてない。この1時間どうだったっていうのを自己認識しっかりしましょうと。 だから運動会の練習の後で眠たかったけど最初の15分はこうだったけどみたいな具体的に書きましょうっていうのを徹底して言ってて。 SELみたいな文脈が載ってるのかな。 まさに。 その話はまずは自分で絶対に自己認識しましょうと。 だから今回こういう学び方をしたからこうだったまで言えなくていいと。 正直自由心的にそこまで言えてる子たちでもなかったし、そんなに僕が研究できてなかったので、 そこまでは言ってなかったし今も言ってないんですけど、 ただ自分自身この1時間をどう過ごしたかっていうのは言語化できて、徹底的に具体的に書かないとっていう話をしてるのと、 もう一つは国語的な見方考え方っていうのもそうなんですけど、 まず今学んだことっていうのが、僕の今の授業は文法だけなので、 何がわかったか何ができるようになったかっていうのと、 それについて自分はどう思うのかっていう。 文法に対して感想を持つなんかまずないんですけど、 でも自分が学んだ文法に対しての感想を持ちなさい。 必ずそれを書きなさい。言語化しなさいって言ってる。 この2点と、僕はそれにプラスして曖昧な言葉を使うな。徹底的に具体的になれって言ってて。 具体化しないと横に不自由が出てくるってずっと言ってるんです。 僕は振り返りを授業の冒頭10分ぐらい喋るんですね。 だから振り返りに対して徹底的に勝ちづけしてるので、 振り返りこそ全てって言ってるので授業の最初10分近く使って、 振り返りの共有をしていたりするんですけど、 僕はツッコミお化けなんで、振り返りに対して具体的じゃなければ、 え、なんでこここういうふうに思ったの?とか、 例えばここがこういうふうなことができるようになりましたって書いてあるけど、 いやいや、じゃあ何ができるようになったか書いてないやん。 もう本当にそういうレベルで徹底的に具体的になるようにツッコんでいってたら、 子供らが言うてんのが、家で振り返り書いてるときに横に藤井がおるみたいな。 そのレベルになってて。 それがただただ僕が、怖いわけではもちろんないね。 今これね、怖い笑顔にって書いてあるけど、 怖い、絶対じゃなくて鋭いっていうふうに捉えてほしいっていう話をしてて、 結局横に藤井がおるっていうことは、その自分の中でセルフツッコミ。 自分に、自分の言葉に対して自分で構成できて、 自分に対しての言葉の反数ができるような視点が持ててるっていうことだから、 すごく大事なんだよっていう話をしてると、横に藤井がおることを名誉に思ってくれてて。 いやでもね、今の話ってまさに言葉による見方考え方の話だなと思っていて、 どこまで言葉に着目できるか、どこまで言葉に徹底的に深掘れるかっていうことが、 物語を通してメタネンキを働かせながらやれてるっていう意味では、 冒頭、中盤くらいでは物語文に関する見方考え方の話をしてたけど、 快感的な言葉による見方考え方を働かせてるっていうところで、 豊かになっていくっていうのは、つまり質が伴うっていうことなのかなって改めて感じましたね。 いや本当に、本当にもう、ね。 ここだと思います。 僕自身ずっと、そろそろ今56分なんでまとめの話に入っていくと、 自由進路学習みたいなもの、もちろん勉強もしましたし、本もたくさん読みましたし、 ただ実践してきてないんですね、正直。 的なものとか、それこそ単元ないとか、文法でみたいなのがあるんですけど、 僕自身すごいメロスで、ちゃんとした自由進路をしたいなっていうのがすごく思ってる正直な感想と、 さっき言ってあったみたいな、結局自分自身やってた。 自由進路的に子どもらに学ばせてたけど、 理論というか、自分の中でちゃんとこういうふうな仕掛けで、こういうふうな意味合いがあるからこういうふうにしてるんだじゃなくて、 感覚的にそれのほうが子どもたちにとっていいだろうと思って、 自由進路的に場面場面でなっていたっていうのが多分僕の中での結果論なんで。 結果的には今お話聞けて、自分のやってきてたことって国語の中においてはある程度間違ってなかったんだなっていう認識と、 もう少し勉強してちゃんとわかっておきたいなっていう2つの思いが今すごくあるので。 ありがとうございます。 めちゃくちゃおもろい。もう1時間もう経ったんですね。 いやいや、すごいなと僕も思いました。 僕からもね、最後一言っていうことで、やっぱり今藤井さんが言ってくれたことはまさにそうだと思うんだけど、 例えば心理的安全性とか言葉による見方考え方なんていうね、 他にも個別体的な学びと一体的な、共同的な学びの一体的な充実みたいな新しい言葉が入ってくるたびに、 不意気で流行じゃないけど、実はその新しいキーワードというフィルタ物差しを通して見てみると、 これまで先人が積み重ねてきた実験みたいなものは、 フィルタ物差しで見ると実はこういう価値があったとか、こういう意味があったっていうことを再認識できると思ってるんです。 だから例えば心理的安全性で言えば、教育現場では昔からずっと安心・安全っていう言葉で子どもたちの学習をより良くしてきたわけだけど、 やっぱりそれって別に心理的安全性って言葉使わなくても概念化できるものじゃないですか。 だからこうやって新しい言葉が出てくるときにギョッとするんじゃなくて、 この言葉っていう物差しで見たときに、自分の実践はどうだったのか。 これまで積み重ねられてきた知見はどういう意味だったんだろうっていう風に捉え直していくことが、 学び続ける教育のあり方の一つなのかなって、藤井さんのお話を聞いて思った次第でございます。 いやーもう、お後がよろしいようでありがとうございます。 ありがとうございます。 いやーいいですね。ちょっとこれ本当に今だいぶ端折ってお話させてもらったりお話聞いてるところがたくさんあったと思うので、 もうちょっと聞きたいことが多分増えてくるんだろうなと思いつつ。 それはね、会話のいいところだね。 そうですね。やっぱ面白いな。 やっぱあれですね、国語の話しか僕できないんですけど、 言葉っていうので捉え直して、他の教科で語ってくれると僕はすごく入っていきやすい。 小学校の先生としゃべるときに、やっぱり国語の授業とかちょっと汎用的な話になってしまって、 どうしても難しいなって正直思ってたんですけど、 今みたいに他の教科ではこういう風に言葉意識してるみたいな、言葉ベースでしゃべっていただけると、 やっぱりすごく僕自身しゃべりやすいし入っていきやすいなってすごく今感じたので、 すごくありがたかったです。 本当に良かったです。 そして僕は250%を初めて体感しました。 いやいや、結構お互い様ですよ。 間違いない。 それはね、まあまあな。 まあまあしゃべりたい方だった。 今日の熱量はパーセンテージで言ったらいつも通りの100%ですか? えーどうだろうな。 分かんない。 でも僕もね、パーセンテージで表すと難しいんだけど、 僕も富士山に劣らずしゃべりたい方だから、 ただね、やっぱりそういう二人が集まって対応することによって生まれる何かもちゃんとあるんだなっていうことを改めて感じたところでございます。 本当は何分の予定だったの? 別にあんまり何分で終わりましょうは言ってなかったですけど、 最初20分20分みたいに言ってましたからね。 そうだったね。 20分20分でお互いのチャンネルで、結局じゃあこっちで自由心の一本でやりましょうよっていう話があっただけだったんで、 まあ40分で考えるとまあ余裕でオーバーはしてますけども。 いやでも40分で考えてたらね、100分までいけるわけだから全然収まってるっていう。 確かにね。それはそう。 いやー。 いや改めてありがとうございました。 いや本当にありがとうございました。 いややっぱあの面白いです。 やっぱ天野さんしゃべるの面白いのは好きなんだ。 本当に面白いな。 8月22日待ってます。 そうだった。 えーちょっともうちょい告知しといてください皆さんに。 わかりました。 えーと最後に告示だけお願いしていいですか。 はい。OKです。 もろもろ。 8月22日ですね兵庫県三木市で、三木エデュケーションデイズ2という研修会があります。 そこでですね、私登壇させていただくんですけれども、深い学びを生む算数家の自由心度学習というミニセミナーと、 大きなセミナーとして、授業で楽器を作る心理的安全性の視点からというような講演をさせていただきます。 もしよろしければ、まだご参加できる枠は心理的安全性の方はありますので、 残念ながら自由心度学習の方はもう満員になってますので、もしよろしければよろしくお願いします。 はい。 あれ多分三木市の先生でほぼ埋まったんちゃいます? あーどうなんですかね。 いやー。だいぶ埋まるの早かったですよね。 自由心度学習の講座は割とすぐ埋まっちゃいましたね。 そうそうそう。 多分さっき三木市の先生に開放してから後でやるかどうか。 多分見た絵、結構早めに見たと思うんですけど、デイ2の方が応募されてから。 すぐ埋まっとったんで。 いやほぼ三木市の先生。僕もデイ1の方に入らせてもらって、いろいろお話ししてもらったんですけど。 まあめちゃくちゃ熱量高い先生らばっかりだったんで。 ちょっと今日ぐらいの熱量で行ってきます。 いやでもそれでも受け止めてくれました。 やばいんだ。 本当に。あとは今書かれてる本はいつ頃ですか? 一応今2冊書いてて、それこそ今回の講演テーマでもある、 深い学びを生む算数家の自由心度学習と、ゼロから分かる戦略的安全性というような形で出筆しているところでございます。 まさに今日お話ししていただいた2本立てですね。 1月ぐらいを目安に発刊できればなというところで出版社さんと進めているところなので、 もしよろしければこちらも興味持っていただけると嬉しいです。 今日の話聞いてれば、それがベースになっていることはもうね、 革命の利なのでもう分かると思っていただけますが、ちょっと僕も今路列回ってませんが。 いやー楽しかったです。ありがとうございました。 いやーありがとうございました。めちゃくちゃ楽しい1時間でした。本当にありがとうございます。 1時間ですね。じゃあまたちょっとAmazon折り見てまたやりましょう次。 ぜひやりましょう。次は私のチャンネルで。 ぜひぜひよろしくお願いします。ではありがとうございました。 もっと見る📕言葉を整える、思考の時間藤井 海|思考と言葉を整える国語教師01:021.めちゃくちゃアツかった1:04:092.教えて!天野さん!「国語の自由進度学習」コメント感想・質問・応援メッセージを書こう 天治郎2025年8月9日藤井さん、ありがとうございました!1時間なのに結構聞いてくださってる方々がいますね。ありがたい限りです!1返信 んば2025年8月8日遅くなりましたが拝聴しました!神回でした!系統性を踏まえた小中の「相違点」も考えてみたいなと思いました。続編も待っております!2返信 天治郎2025年8月9日んばさん、神回とのこと…めっちゃ嬉しいです。1時間も聞いてくださり!ありがとうございます😊2 シラトミズキ2025年8月7日聞きながらメモが止まりませんでした‼️勉強になりました。ありがとうございます。自分でももう少し考えてみようと思います。2返信 天治郎2025年8月9日国語専門のシラトさんにそう言っていただけると、めっちゃ嬉しいです!ありがとうございます😊1 よこぴょん2025年8月6日国語が苦手な国語の免許をもっている小学校の先生です!国語のことたくさん発信してくださると嬉しいです^_^放送楽しみにしてます!!1返信 福ちゃん2025年8月6日海さんの子供への見取り、そういう子達へのアプローチの真剣さなど、聴くだけで刺激となる放送でした!ただ、それ以上に、あまじろうさんの自由進度含め教材に対しての知見の深さと広さが感じられて、心奪われました!!めっちゃ素敵な放送でしたー☺️2返信 天治郎2025年8月9日福ちゃんさん、ありがとうございます!専門ではないので不安な対話ではありました(笑)2 もっと見る
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1時間なのに結構聞いてくださってる方々がいますね。ありがたい限りです!
神回でした!
系統性を踏まえた小中の「相違点」も考えてみたいなと思いました。
続編も待っております!
勉強になりました。ありがとうございます。自分でももう少し考えてみようと思います。
国語のことたくさん発信してくださると嬉しいです^_^
放送楽しみにしてます!!
ただ、それ以上に、あまじろうさんの自由進度含め教材に対しての知見の深さと広さが感じられて、心奪われました!!
めっちゃ素敵な放送でしたー☺️