TOPトーク教師📕言葉を整える、思考の時間#178-2 「んばさん」と話す国語授業「ワザ」について 後編39:59 1月7日 134再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「技」の知識伝達と自己発見タイプ子どものオリジナリティ生む「表現の技」自己認識を深める「技」と個別最適な学び国語で学んだことの「見える化」の必要性物語を分析しすぎる国語授業への本音AI文字起こし(β版) # チャプター 1 はい、ということでこちらが後編となっております。 トラブルで間飛んでしまっておりますが、こちら後編から。 まずは前編をお聞きいただいた上で、後編をお聞きいただければなと思います。 ではよろしくお願いします。 # んばさん💦すみません!対談再スタート! 先ほどちょっと切れてしまいました、第2弾というか続きということで。 まずはすみません、続きからっていけますか。 どこまであるんですかね、今。 創造的な子供らのっていうので、いろいろ言ってもらってて、心の声の話とかそういう話をしてもらってて。 その続きのところを今話しされておったんですけど。 ちょっと一旦リスタートする形で、もう一回僕からいいですか。 はい、お願いします。 すみません。今お話しいただいた、自己発見的な子供らが自分で発見してっていうようなお話だったと思うんですけど。 今の先ほど言ってはった、もともと比較をするっていうのが、言ったら知識伝達タイプの技ですね。 知識伝達タイプの技。その教科書の中とか、いろんな僕らの指導書の中にも載っているようなことから、 それをより具体的にしていくのが、子供たちの自己発見的なところにつながってくるってことですよね。 先ほどの話でいうと。 そうですね。それが一つっていう感じですね。それが全てではない気はしますけれど。 例えば、表現の技とかのほうだと、結構子供たちのオリジナリティとか想像性が出てきてるなっていうのはあって。 話がそれちゃったらあれなんですけど、表現というほうに目を向けていくと。 藤井先生にも見てもらったかもしれないですけど、ヤバイよヤバイよスタートみたいな技を自分で発見して、 わざとして位置づけていく生徒がいたりだとか、あとはこれを教えたわけじゃないけど、 文体、自分が表現したいイメージによって文体を変えるみたいなものを表現の技に位置づけてきてる生徒がいたりだとか。 割と想像的ってところで言うと、表現の技のほうが子供たちが考えやすいというか出てきてる印象かなっていうのはありますよね。 なるほど。 なんかそういうふうに子供らから出てきた、自己発見的な、より想像的な技みたいなところって、 なんて言うでしょう、僕らが、なるほどそういうのもあるような、まあ僕らがというかそれこそおばあさんがですけど、 そういうふうにあるような、土俵もぬくわれるまでじゃないですけど、 簡単するようなものって子供らから出てきたことってありますか。 あーなんだろうな。 ある程度はやっぱり、うばさんのというか、我々の教師の想像し得る範囲内に収まりますか、そういうのって。 そうですね。ちょっとパッと思いつかないってことはそうなのかな。 ってことですよね。 なんかでも、あった気もしなくもないですね。 なんかその辺が、それが悪いとかいいというわけではもちろんなくて、 結局そこを子供らに、別にそれがすべてではないものの、 やっぱり、たとえば村上春樹が好きって言ってる子とか、 村上春樹の小説を読むのが好きなんですって言ってる大人は、 その秘有を想像する力にすごく長けてると思うんですよね。 だからそうやって、それぞれが自分の好き好みによってとか、 自分の人生経験とかを背景として、 技が蓄積されて創造されていくのってすごく素敵やなと思って。 なんかだから、たとえばおじいちゃん子、おばあちゃん子の子が、 過去の回想シーンを自分の中で創造して、 そこから今の物語の中の関係性みたいなものを読み解いていくみたいなのが、 すごく得意な子もしかしたらおるかもしれへんし、 なんかそう考えると、そのバックボーンみたいなものがすごくその技に出てきていいなって。 今お聞きしていいと思って。 そうですね。確かにそういうものが出てきたらとってもいいですよね。 すごいいいですよね。それが別に今出てこなくてもいいですよね。 そうやってしっかり技として、 馬さんの授業を受けた中で自分たちが自己認識していってると、 いつしか自分の好きとか自分の好き嫌いも含めて、 いろいろ現れてきたときに、 それがより実ってきて自分の血肉になっていくというか。 そうですね。 めちゃくちゃいいですね。 なんかそう考えてたから受験用ではないんですよね。 やっぱりちゃんと子どもたちの人生が豊かになるための方略になってるっていう。 そうなんです。 自分がなんでこの技っていうのを大事にしてるかっていうのの理由の一つが、 やっぱり今その探究とか探究的な学習ってところがすごくフォーカスされていて、 その重要性みたいなのはいろんなところで言われてると思うんですけど、 国語科の中で探究的な学習っていうのの実現を図るときに、 個別最適な学びみたいなところともつながると思うんですけど、 やっぱりこの探究とかが個別最適な学びっていうところで言うと、 その学習者がそれぞれ自分で課題を設定して、 自分で情報を集めて、自分で整理分析をして、 自分でまとめ表現していくっていうその過程を経ていくと思うんですけれど、 一斉授業みたいな形だったら、同じように課題を設定して、 この技を発揮して追求していこう、分析していこうっていうことができると思うんですけど、 探究とか学習が個性化していく中では、 子どもたちがそれぞれ自分の技を発揮できるようにしていくことってすごい大事だなって思っていて、 その中で今藤井先生がおっしゃっていた、自分の好きとか自分の得意な技っていうものを自覚していく。 それが一人一人の探究的な学習っていうのを促進していく上でもすごい大事なんじゃないかなってことを思って、 そういうのもあって、技っていうものを大事にしたいなって思って日々やっていますね。 お便りというかコメントをたくさんいただいてて、 肉球さんが、読みの技、思考の技、表現の技を知識伝達タイプ、自己発見タイプで分類できる?みたいな話をしてはるんですけど、 読みの技、思考の技、表現の技を知識伝達タイプと自己発見タイプで分類できる? 今言ってたように分類っていうので言うと、分類する必要はどうなんですか?あるんですか? 知識伝達は要は先生からとか、形として教えられたもので、 自己発見はその教えられたものが根っこになったりとか、 それが逆に枝葉から幹になって、抽象と具体を行き来しながら、子どもらが自己発見していくっていう感じですよね、イメージは。 そうですね。それが大行きかなって感じですね。 そこから合わせて、肉球さんなんですけど、客観的な分析の観点で事故の物語が反映されていく話とか、今話されてて、すごくいいなと思うんですけど、 無意識で使っていた技に対して、技として自覚すると自分を客観視できていいなと思います。自分の必殺技を持ったみたいな。 この辺りが結局、自分の必殺技、それこそゲームではないですけど、この相手にはこれで倒せるみたいなのがポケモンであるじゃないですか。 ありますね。 火タイプには水やみたいなね。 ありますね。 自分自身のタイプだけじゃなくて技のタイプもあるじゃないですか。 ありますね。 それを意識的に使えるようになるっていう話だから、別に倒す倒さないっていう話はもちろんないけど、 それが物語を読むだけじゃなくて、結局それが広がっていくと、人の思考を読んだりとか、人の感情を考えたりするところにつながってくるから。 結局、物語とか、そういう説明文とかを含めた国語の学びのところがつながっていくのって、 帰結するのはそこになるんですよね、生活にね。 そうですよね。 読解力っていう言葉を広く捉えると、それは文章から読み取ることだけじゃなくて、 コミュニケーションにおいて相手の気持ちを理解するとか、そういうものも読解力っていうものにフォーカスされる考え方もありますもんね。 うんうんうん。 そうですね。すごくいいなあ。 あとは、ポケモンの話が出てきましたけど、 技っていう言葉にすることの良さっていうのも、自分は体感的に持っていて、 例えば、読解放略っていう言葉で子どもたちに卸す実践もあるし、 読みの観点っていう言葉で子どもたちに伝えていったり、蓄積していく実践もあるんですけど、 技っていう言葉だからこそ、そのいろんなものが分かりやすい形で包括されて、 得意技とか必殺技っていうふうな発想にもつながってくるし、 やればやるほど技って言葉であるほうがいいなっていうのを感じながらやっていますね。 そういう側面もあるかなと思います。 いやーいいですよね。だからマンタロウさんのカード実践もそうですけども、 やっぱりああやって、それこそ蹴手振れとかQ&Aのケースみたいな、ああいうのも含めて、 僕は、ああいう実践じゃないですけど、それぞれの一等並みに名前をつけることに大大大賛成の人で、 共通言語化されるってすごく大事だなと思うんですよね。 だからそれが例えば、高校行ったときにそんな技って言わんやんじゃなくて、 そのもん誰もがわかってる話で。 そこで高校行ったときに、俺の技は?みたいなのとか、 ここではこの技を?みたいなのを言うのはたぶん誰もいなくて、 そう考えたらやっぱり、共通言語になるような言い換えってすごく大事だなと思いますし。 そうですね。 え、これちょっと… いやごめんなさい。先に聞きます。 そう、それをやっぱり技として位置づけていくことで、 それを更新したりしていく余地みたいのも生まれるなと思っていて。 おー、なるほどなるほど。 それが本当に国語化的なきっちりとした学習用語みたいなもので、 位置づけば位置づくほど、 窮屈になっちゃったり、更新したりオリジナリティを出していく余地っていうのが生まれづらいのかなって思っていて。 もちろん、学習用語として抑えなきゃいけないものも当然あるとは思うんですけれど、 全てが全てそういうふうに、かっちりと抑えて蓄積していくことによって、 窮屈さみたいなものも生まれていくのかなーなんてことを、今ちょっと話聞きながら思いました。 そうですね。 技の進化みたいなんで言うと、さっきの抽象と具体みたいなのをちゃんと子供らが意識し始めるとすごくいいなと思うんですけど、 やっぱり僕らが授業で伝えることって、どうしてもこのメロスを読むための方略じゃなくて、 結構汎用的なところにもちろんなってくるじゃないですか。 汎用的なスキルなんだけど、でもそれって実は別にそんな抽象的なことじゃなくて、 割と具体に寄ってることも多々あるなと思って、それこそ物語の中の額縁構造みたいなのって、 じゃあそれって実生活においたらどういうふうに変わるのとか、 自分の中での思考として考える、思考スキルとして考えるなら何に変わるのって言うと、 やっぱりだいぶ具体だと思うんですよね。 でもそれを知ってることで、そこからじゃあこれってどういうことだろうって抽象化していくような、 そういう時間が授業の中で取れたらいいなってすごく今感じたんですけど。 だから例えば色彩表現とかが多分読み取りの中での方略の一つになってくると思うんですけど、 色彩表現を見ていくっていうのが、じゃあそれはどのレベルで具体的なことで、 どのレベルで抽象的な方略なのかなとか。 どうなんですかね。 でも詩を読むときの色彩表現の読みと、物語を読むときの色彩表現の読みは違うじゃないですか。 そうですね。 でなれば、説明文でも中学校で学ぶというかね、 学校で学ぶ文章としての種類で言うと、 詩とか物語には色彩表現ってあるけど説明文には使えないよねってなれば、 色彩表現みたいなものに着目していく読み方って何なのって言ったときには、 ある種特定の表現を追っかけていくっていう読み方に変わっていくってことですよね。抽象とかがあると。 そうですね。 だからそれだったら説明文でも使えるよって。 例えば、「だから」とか「けれども」って接続詞だけ見ていくことも、 それの一つの種類になるみたいな。 そうですね。ありますね。 なんか今聞いててぼんやりと浮かんだのは、抽象具体っていう意味で、 階層化できる感じはありますね。その一つ一つの技。 いいですね。階層化していくのはすごくいい気がしますね。 じゃあ今の話で言うと、一つ一つの表現を捉えて見ていくことが、 じゃあ他の転移をできる転移できることに考えるとどうなるのかですよね。 強化にこだわらず。 そうですそうですそうです。 まあでもより本質を見る、具体を見るってことですよね。 そうですね。そういうこともできそうだな。 面白いなあ。 なんか技の階層もそうですけど、その構造化というか、どういうふうに体系化していくかってところが今やっぱ自分は課題に思っているところで、 今はその読解の技表現の技の2つをベンズで整理していくっていう形でやってるんですけど、 やっぱりなんか限界はあるなあって思ってて、 かといって、その構造化を複雑にしてしまえばしまうほど、技っていうものの柔らかさみたいなのが失われていくなって思っていて、 複雑な構造になってしまうと、子供が自分でその技を想像して位置づけていくってことがより難しくなってきちゃうなって思って、 そこの頭で今悩んでるところではあるんですよね。 3年間では難しいですね。6年欲しいですね。 もっと言うと9年欲しいってなってきますね。小学校から義務教育段階全てでそれをやっていきたい。 そうですね。 なるほど。 小学校とのつながりで言うと、やっぱり中学で自分が技として積み上げてるものって、おそらくほとんど小学校でできてる技なんですよね。 そうなんですよ。なのに中学生は読めない、使えない。 僕の問題意識の一つとして、国語化学んだことを自覚できていない子供たちがすごく多いなって思ってて、 自分もそういう授業してきてしまってた部分はあると思うんですけど、よく言われますよね。 読んだ文章は覚えてるんだけど、何を学んだかっていうことはなかなか子供たちは言語化できない。 自分も研究するにあった最初、研究対象としているクラスの子たちに、これまで国語の授業で何を学んできたのか、理解しているかっていうアンケートを取ったことがあったんですけど、 物語の学習で学んだことを理解しているっていう質問に対して、そう思うとか、どちらかというとそう思うっていうふうに、 要するに学んだことを自覚してますっていうふうに答えた生徒が半数もいなかったんですよね。 中1の子たちにとったアンケートだったから、6年間、7年間物語の学習をやってきてるはずなのに、 そこから学んだことは何ですかって言われると、それを答えられない子供たちが半数以上いるっていうところに、すごく僕は問題意識を感じていて、 だからこそ技っていうもので見える化していくことが大事なんじゃないかなと思って始めたっていうところもありますね。 そうですね。結局、指導要領とかの中でもそうですし、単元とか教科書会社の思惑とか構成みたいなところにも関わってきますけど、 ある教科書会社さんの国語の編集の方とお話ししてると、 やっぱり単元名が走れメロスとか、物語説明文のタイトルになっているのは、他の教科書と違う一番のポイントで、 だから二次法定式っていう、そこで学ぶべきことがタイトルになっていないっていうのが、 当たり前なんだけど、そこがすごく問題の原点にあるよねって話をしていて。 だからそこに果たして比較して読むみたいな、あるじゃないですか、章と章の間の。 ありますね。 ああいうので、それがタイトルになる。 だから逆転してもいいんじゃないのっていう話は僕もしてて。 例えば、比較して読むっていう単元の中にいくつかの文章がある。 本来そうなんですよ。 本来そうなのに、子どもたちも先生もそこを意識してないっていう話で。 だから教科書の中に大きく、ここではこういうことを学びましょうって書いてあって、 そういう大枠の中に、いろいろな物語や説明文があるはずなのに、 一つ一つの教材だけで、材を見てるから、 単元計画の中に二つの教材が入ってるみたいなイメージがないっていう。 そうですね。 コンテンツベースと文書ベースみたいな話ですよね。 まさにそうですね。 そこらあたりがすごく問題意識の根源にもなってきてるのかなって思ったりはするんですけど。 そうですね。 やっぱ授業を考えていくときに、本来はコンピテンシーベースで考えなきゃいけないところを、 教科書があって、教材が配列されているから、 そのコンテンツで授業作りって始まるんじゃないですか。 そうですね。 それ自体はコンピテンシーを意識していれば問題ないと思うんですけど、 このわざっていうものがあると、その教材から、 ちょっとここうまく言語ができないな。 教師も子どももそうです。コンピテンシーのところに目を向けていく一つの手立てにはなるかなっていうのは思いますね。 そうですね。だからそれを、たとえば、わかんないですけど、二次方程式なら過去に学んだこういうものが使えるって多分わかるじゃないですか。 だけど、じゃあメロスを読もうってなったときに、過去に学んだこれが使えるっていうのがポンポンポンと言葉として、名称として出てこないとやりづらいですよね。 大人とか、僕らは別にそんなこと意識せずともそのように読むけど、意識しないといけなくなって、意識しないとできないのであれば、 要は、わざを並べて、先生の反読を聞いている間に、これもあったこれもあったっていうのを見ていくのほうが、 その教材の中に入っていく前に、おそらくこれが使えるだろうってわかるってことですよね。 そうですね。 やっぱりそう考えると、ここにも書いてあるみたいな、わざ実践の価値っていうのが答えられないのは学んでいないからなのか、言語化する術を知らないのかっていう話ですけど、 たぶん、わざ名になっていれば言語化はできていて、学んでいなければ言えないはそりゃそうだと思うので、 やっぱり言語化しておく、共通言語にしておくっていうのがすごく大事な部分なんだなって、やっぱりおっきしてて思いましたね。 そうですね。 いいんですよね。 今もうひとつ、比較するが全面に出ると生徒の主体性が換気しにくい。 目標設定は本当に悩ましいと。 だから比較することが目標。 目標の二重構造の話ですよね。 そうですね。昨日もその話出ましたね。 そうですよね。 やっぱり技っていうのは、手段であるっていうことは意識したいですよね。 目標は別にあって、その目標を達成するための手段として比較っていう技が使われてくるっていう。 でもね、本当にこれは言い方がすごく悪くなってしまって、ボイシーに残ってしまうんですけど、 小学校段階でできていないとそれってできなくないですか。 小学校段階で、本来であれば習得しておいてほしい技を、 言語化できていなくとも技として習得することができていれば、 中学校でそれを目標にしなくてもいいと思うんですよ。当たり前ですけど。 ただ、小学校段階でおそらくやっているんです。 やってるけども、あまりにもそれが自分自身の読みの方略として身についていなかったり、 言われてみればやったし、もう一度さらえばわかる子が大半なんだろうけど、 自分の中で、よしじゃあこういう読み方をしようとか、 これはこういうのっていうふうに言語化できない生徒が大半だから、 中学校の1、2年生でそれをやることになっちゃうんですよね、結局。 だから芥川龍之介のトロッコとか読んでるときも、 車用に火が差し掛かってみたいなところも、 そこを情景描写のここやねんっていうときに、 なんでオレンジ色のって言ってんの?みたいなところを子どもらに引っかからせ。 子どもらが自分自身で引っかかってくれないと、 その段階ではもうすでにやってるはずなんですね、小学校の段階では必ず。 なのに、光の表現とか色の表現とかやってるはずなのに、そこに引っかかることができない。 ここに意味がある。芥川龍之介はここに言葉として意味を持っているんだっていうのをできないから、 1、2年でそれをやると、3年でしか目標をそこに設定しない授業ができないっていう。 そうですね。 難しい話ですけど。 難しいですね。 今聞きながら思ったのは、生徒が持つ目標と教師が持つ目標っていうところをちょっと分けて考えたらいいのかなと思って。 教師としては、その方略っていうか手段を身につけさせたいっていう目標で授業をするけど、 それと同じ言葉で子どもの目標としても位置づけてしまうと、きっと主体性で換気しづらいんだろうなと思って。 そうですね。 子どもたちが追求したい課題、解決したい問いがあって、 子どもたちの目標としてはそれを明らかにしたい、解決したいっていうところを目標に据えるんだけど、 教師としてはそれを通して、その方略っていうものを身につけさせたい、自覚させたいっていうところを目標にする。 そこをちょっと切り分けて考えることが大事なのかなっていうのをお聞きしながら考えたんですけど。 このあたり、アドコクさんも言ってるんですけど、1年間で小学校の先生ってやらなあかんことが多くて、 中学校の先生は3年間持てることが多くてって考えると、 僕ももちろん小学校の先生がっていうわけではないですし、おそらくやってはるんだろうけどっていうのを言うと、 なかなか難しいところではあるなと思いながらも、 やっぱり小中連携と言いますか、やっぱり公立の中で言うと、お互いにこういうことやってるんだよっていうのを知ってるだけでも、教師が。 5、6年生と中学校の先生とだけでもやっぱり違うなって思ったりはするので。 今言ってあったみたいな、課題、自分が解決したい課題っていうのを国語科の中でどう見出すかってなったら、 結局、昨日の話ですけどパフォーマンス課題みたいな、課題設定をどういうふうに考えていくかっていう、 こっちが課題設定することもそうやし、自発的に子どもらが考えたというか、出会った課題を、みたいなのもいいなと思うんですけど。 だから、さっきの村上春樹の話で言うと、村上春樹の比喩がなぜあんなに飛躍的な表現になって、 誰もついていけなくなってしまってるのかみたいなのを、 私は村上春樹よみたいなのに、もう全然比喩が想像できへんっていう子が、授業の中で比喩の勉強をしていって、 そういうふうな種類があるのかって学んでいって、 自分の中で課題の解決じゃないけど、自分で思ってたことがクリアされていくみたいなのが理想だなとは思いながら、 そんな国語の自由研究って本当に難しいと思うので。 自由探究もそうですし、まあまあまあ難しいなと思うんですけど、 すごく価値があるからこそ、もっと小中で一緒にやっていきたいみたいな、その技の実践みたいなのがね、すごくいいなと思いますね。 今、肉球さんが言葉に立ち止まれないということは、さっきの社養とかなんですね。 テキストという対話相手と自分との間にもやがかかっているような状態なのかもな。 もやがかかっているとどうなるんですか。 視界がクリアじゃないから、そのもののよりリアルなものが見えない。 それが何を表しているのかがわからないってことですね。 そうですね。 でも物語ってそれもそれでいいやんっていうのもあるじゃないですか、側面として。 そうですね。 結局、感情的に物語を読んでいくのか、論理的にじゃないですけど、しっかり読み解こうという頭で読んでいくのかの違いですよね。 そうですね。自分はどうしても論理的に読むっていうほうに授業は寄っちゃうな。 昨日のクロスさんとの先生の話もそうですけど、僕もそっちなんですけど、 やっぱりその物語を読んで、その授業を受けて人生感が変わったみたいなんて、 やっぱり国語の授業でこそできることなのかもしれへんなと思ったりしてるんで。 そうですよね。 僕はその域に全然達することができてないんで。 僕もそうですよね。 技っていうものを使うと、どうしても分析的に読むってほうに寄ってしまうっていうのもあるかもしれないですね。 そうですね。確かに。でも僕もそっち早などっちかっていうと、それのほうがなんか面白いんですよね。 僕もそうなんです。そうやって読むのが僕が何より好きだからこそ、寄ってしまうというか。 そう考えると、中学校のときに出会う先生の質というか、種類によってタイプによって全然本語の読書感みたいなのが変わっちゃいますよね。 僕、一回子供に言われたことある言葉で、すごく印象に残ってるのが、 馬先生の物語の授業は説明文の授業みたいで嫌だって言われたんですよね。 はー、なるほど。 それってまさにそういうことなんだろうなって、分析的に論理的に読み解こうとしていくその授業が、 たぶんその子にとってはあまり面白くないというか、もっと文学の世界に浸りたいし、 もっと別のことをきっと考えたいんだろうなっていうことを思って、すごく印象に残ってますね。 それ言われてどう答えるか、たぶん僕も同じようなことは言われたことがあって、 詩をそんなふうに読んだことはありませんでしたって。 J-POPの詩の実践の話ですけど、それの後にまともに歌詞を聞けなくなりましたみたいな。 全部そういうふうに背景とか考えちゃって、すごく分析をしてしまうようになってしまってみたいな。 それが楽しいからいいんですけど、なんか違うと思うんですみたいなことを言ってやった子がおって。 それこそ最近ボイシーの中で、クリープハイプのしおりの歌詞を分析してみたやつ。 あんなんとかを、まさになんですけど。 最高でしたあれも。僕にとっては最高の。 そうなんですよ。僕らはニヤニヤしながらそれを語れるし、それを酒のつまみにできる人じゃないですか。変態なんで。 シンプルにあれに涙する人たちは余計なお世話なんですよね。 だから別にそれがあってもなくてもいいとは思うんですけど、 それを授業の中でするっていうことの罪はありますよね。 そうですね。それと関わる言葉で、最近振り返る中で子供が書いた言葉にして、 国語の授業だからこれだけ深く読むのであって、家で一人で読むときはこんなに深く掘り下げないから、所得の印象が全てなんじゃないかって書いてくださった。 いい鋭いなあ。 これもすごく考えさせられたんですよね。 この技を使った読みっていうのが、生徒の日々の読書生活の中にどれくらい関わってるのかなっていうところを、すごく考えさせられる言葉でしたね。 そう考えると、子供らのそういう生身のリアルな振り返りとか、所得の後の初発の感想みたいなのってすごく嬉しいですよね。 単元が終わった後に、振り返ってどうやったっていうときに、そういう言葉が出てくるとはっと気づかされるというか、いいですね。 結局合わせて今50分ぐらい喋ってるんですけど、 いやとんでもないですよ。 ぼちぼち納めにいこうかなと思うんですけど、 結局、これ肉球さんが書いてくれてるんですけど、 ウンバさんと子供の関係が良いんだろうなっていう、そこがすごくあるなと思って。 やっぱり先生が楽しそうに、僕もそうですけど、たぶん一緒だと思うんですけど、 こういうことをすごく楽しそうに授業中に喋ってると思うんですよね。 これがこうなって、見てここのこの表現、なんでこんな表現すんだろうなと思うみたいなのを、 すごくニヤニヤしながら僕も授業してるんですけど、 そこの関係性をしらけてみたりする子たちももちろんおると思うんですけど、 どんだけ巻き込んで、国語の波に乗せられるか、 技の価値を子供らが感じられるかっていうのが、 やっぱり先生との関係性にあるんだろうなってすごく思うんですよね。 黒先生が、その二人のやり方が、生徒の課題解決の方略になったとき、 認識変革と重なったとき、生きて働く力になるのではないでしょうか。 自分のこととか自分で考えたことが、そのまま生きて働く力になるそうですね。 ここなんですよね。文科省というか全部が求めているところは、 結局黒先生が言ってあるような、ここが全てというのが最終的にはなってくるし。 そうですね。 面白いなあ。 ちょっと話逸れてしまいましたけど、技の話から始まり、 技でも実際どやねんっていう話から、僕らの罪の話に終わりましたね。 そうですね。 面白い。いいですね、やっぱり。 もともと僕はね、おんばさんのキャンバの実践もそうです。 オールインマン型の実践も後編になりますので、前編後編でタイトル分かれて出てしまいますので、 あえてその前編のほうもお聞きくださいっていうのを、 こっちではお伝えしておこうと思うんですけど。 でもやっぱりその実践もそうですけど、 僕はその話を聞いたときにこの技の実践の価値みたいなのが、 もともとマンタロさんのカード実践ですごく感じていて、 そこからの、EXOの中でいうとケンケンさんもカード実践をされていて、 僕もケンケンさんの授業を実は見に行かせていただいたことがあって、 そうなんですね。 リアルに、去年かな、行かせてもらって、小学校の授業を見に行って、 すごい興味あります。 そうなんです、めちゃくちゃ面白かったです。 すごくいろいろお話もさせてもらって、いろいろ興味がある中でだったので、 ちょっと僕はこの技の実践、 なんていうんですかこれは。 なんていうタイトルですか。 技実践とかでいいですよ。 いいですか。 技実践のこれをね、もっともっと深めていけたらっていうのと、 ぜひぜひそれを残す、たぶん今書いてはるものがベースになると思うんですけど、 なんか本とかになってまとまってくれたら嬉しいなーって思ったり、 個人的にはしてるので、ぜひぜひまたよろしくお願いします、馬さん。 こちらこそよろしくお願いします。 あ、でももう時間ですね。はい、大丈夫です。 また第二回しましょう、これは、ぜひ。 そうですね、ぜひ。 よろしくお願いします。 今肉球さんもオールインワン型菌になってますっていうのと、 あるこくさんも技を深めるのは教師と生徒の関係っていうので締めてくれはったんで、 これぐらいのところで終わっておこうかなというふうに思います。 はい、馬さん今日はありがとうございました。 すいません遅くなってしまって、途中で切れてしまって申し訳ございません。 とんでもないです。こちらこそありがとうございました。 ありがとうございました。後半戦なんで、今いろいろコメントいただいた皆さん、本当にありがとうございます。 今見えてる名前でのぐちさん、あるこくさん、たかしさん、 しゅんさん、まんなみさん、おぺんさん、たかはしさん、 さいぐさゆきさん、きやまさん、くろすさん、すーじのごさん。 はい、たくさん聞いていただいて、20人にも聞いてくださってます。 ありがとうございます、本当に。 ぜひぜひ馬さんのXのほうもフォローしていただくのと、 X中学国語の会も、ぜひまたフォローという。 入ってもらって、馬さんに連絡してもらっていいですよね、たぶん。 私でもいいですし、あおぺんさんがメインでやってくださってて、 次は詩の授業を考える会を1月17日にやりますので、 あの素敵な実践発表者の先生に発表していただくので、ぜひお越しください。 そうですね。それならまた放送のほうには、 そのコメントというか情報も入れておきます。 ぜひぜひお願いします。 ありがとうございます。 はい、ということで、そしたら以上で終わらせてもらおうかなと思います。 馬さん、改めてありがとうございました。 ありがとうございました。 またよろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。失礼します。 もっと見る📕言葉を整える、思考の時間藤井 海|思考と言葉を整える国語教師00:121.チャプター 139:482.んばさん💦すみません!対談再スタート!コメント感想・質問・応援メッセージを書こう けんけん1月8日んばさんの「ワザ」実践、僕がやってるカード学習法とすごく似てますね!2返信 リュシス1月8日小中連携ワザ実践いいですね!一緒にやりましょう!2返信 宮島 あゆみ1月7日学習方略…ワザっていうもの。以前は全く意識してなかったです。生徒がどう理解を深めるか、生徒の理解を助けるか、そんなことを意識した教材準備をもっとしていかなければ、って反省しました。面白いお話をありがとうございました。2返信
#384 学校現場で考えるべき「褒めのエビデンスって?」〜ドクターりんさんとコラボ放送! 52分・一昨日・ 198再生AI目次教育現場のEBPが抱える課題経験則とエビデンスの正しい見極め方「褒め」の有効性を示す科学的根拠行動特定賞賛の効果的な実践方法自身の介入を検証する研究デザイン
#383 大阪ってやっぱオモロい〜たけちゃんさんとコラボ放送 33分・11月2日・ 149再生AI目次大阪プロガイドの裏側:深掘り観光術驚愕!木津川水門の壮大な開閉見学大阪市営?無料渡し船で体験する日常継承したい地域の歴史:八尾の桃畑秘話なぜ?大阪人の会話を紡ぐ「擦り込み」文化
#382 実はずっとネガティブに考えてました。ちょっとだけ話させて下さい。金曜日の公開授業の話〜 22分・11月1日・ 175再生AI目次クリエイト・ザ・ネクストイベントの舞台裏中学時代の「授業未見」への葛藤木村先生が語る授業の価値と転換点「藤井のメガネ」から普遍的理論への道筋他者の視点が拓く自己成長の可能性
#381 「もっと可愛くして」が伝わらない。娘とAIと言葉の話 15分・10月29日・ 166再生AI目次AI活用で娘の言葉に変化の兆し「もっと可愛く」AIに伝わらぬ言葉の壁「可愛い」を伝える言葉、娘の気づきとは言葉が伝わる喜び、AIと日常の共通点AIが引き出す子どもの創造性、親の役割
#380 にゅ〜ぶるさんと初コラボ放送!「AIと学校教育」についてエンジニアの方に聴いてみた👂 40分・10月28日・ 178再生AI目次エンジニア対談: AIと学校教育の可能性ボランティア活動「コーダー道場」の実践プログラミング初心者の壁と効果的指導AI教育: 思考力育成とアルゴリズム理解教師・生徒・AIが紡ぐ未来の学習対話
#379 初読の感想って何書けばいいん。に対して、なんと伝えますか? 19分・10月27日・ 234再生AI目次初読の感想「何を書く?」の壁「どこで難しい?」の問いかけ「わからん」が「問い」に変わる時筆者の言葉選びの真意とは?感じたことを言葉にするプロセス
#378 その質問、意見として届いてない?〜月曜日は言葉を整える 15分・10月26日・ 473再生AI目次質問と意見、どう区別する?対話での「聞く」力、3つの視点「質問」が相手に届かない理由とは言葉を届ける「枕言葉」の威力対話のすれ違いを防ぐ「型」の重要性
#377 金木犀の香り漂わせるコメント返し(無臭) 18分・10月25日・ 91再生AI目次AIと作文論争、指導の鍵は偏見とメディア情報の向き合い方中学生「言語化」授業の野心語彙力と実践、教育談義の深淵同僚S先生と語る「失敗」の価値
#376 説明したのに伝わらない。「知っている」の差を埋めるには 16分・10月24日・ 282再生AI目次「見える」の差が呼ぶ認識ギャップ「バリさん」から学ぶロゴ解読の鍵文章の真意を掴む知識の力とは「知っている」の差を埋める思考術相手に「届く」言葉を選ぶ視点
#375 Zangyo侍「まひろさん」と初対談!定時退勤したい人、必聴です! 36分・10月23日・ 171再生AI目次定時退勤の覚悟と秘訣上司の一言が変えたキャリア残業80時間が2時間へ!その秘訣定時で帰る人のチーム貢献発信継続の鍵、ネタ発掘術
以前は全く意識してなかったです。
生徒がどう理解を深めるか、生徒の理解を助けるか、そんなことを意識した教材準備をもっとしていかなければ、って反省しました。
面白いお話をありがとうございました。