#153 【新聞に掲載されました】心理的安全性はつくれない/自己満足はもっともパワフルで健全な社会貢献
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【西日本新聞に掲載されました】
https://www.nishinippon.co.jp/item/1436656/
中井けんとさんが昼スナで開催している「発達スナック」という概念について、最近Twitterで議論が起きていたのだそうです。
「自助会やバーといっても、結局はそこに出て来られる一部の“キラキラした発達障害者”だけの場ではないか」
「救いと言いながら、馴染めずに挙動不審になってしまうような人を排除するのは、偽善ではないか」
確かに「今ここに来られている人」だけを見て「みんな集まれている」「救われている」と語ることは、来たくても来られない人の存在を消してしまう危うさを孕みます。
中井さん自身も、一般社会の空気を読む場に放り込まれたら、決して“キラキラ”振る舞える側ではない、と正直に書いています。
だから「救助」という言葉が、場に来られない人から見れば傲慢に映るかもしれない、その感覚を他人事として切り捨てることはできなかったのだと思います。
議論の中では「文句があるなら自分で場を開けばいい」という声もあったそうです。
しかしその言葉は残酷だと、なぜなら自分が場を開けているのは、自分一人の力ではなく、「昼スナ」という場所があり、そこに関わる人たちがいてくれたからこそで、偶然と運が重なった結果だからで、その現実を無視して
「自分でやれば?」
と言うことは、環境や人脈という条件を持たない人にとって、
あまりに強い言葉になってしまうとけんとさんは言います。
では、けんとさんは何のために、誰のために、この場を続けているのか。
「誰かを救いたいからではない。自分が参加したかったから」
話さなさすぎることで生まれる社会との溝を、少しでも減らしたかった。
「分断をなくしたい」という立派な言葉で飾ることもできるけれど、結局のところ「僕がしたいから、している」
それは紛れもない自己満足だ、と言います。
そして会を重ねるほど、一番助かっているのは自分自身だと感じるようになったそうです。
けんとさんは、参加者の人生を背負わないと決めています。
「救われるかどうか」は、その人が決めること。
自分ができるのは「来てくれてありがとう」と言うことだけ。
なぜなら、来てくれることで、自分が助かるだと。
それはとても自己中心的に聞こえるかもしれません。
でも同時に、他人の人生や感情を支配しない、誠実な動機でもあると思います。
そして同時に、昼スナという場を開いている立場としてもう一つ、はっきりさせておきたい前提があるとも感じました。
私は、心理的安全性は、誰かが用意した環境やルールによって一方的につくれるものではないと考えています。
どれだけ配慮された空間であっても、本人が「ここは安全ではない」と感じていれば、その人にとってそこは安全な場にはなりません。
その場にいる人がここを安全だと感じるかどうかは、あくまでその人自身が決めることです。
中井さんが「自己満足だ」と言い切る姿勢
私が「心理的安全性はつくれない」と考えている立場は、
実はとても近い場所にあると思っています。
https://www.nishinippon.co.jp/item/1436656/
中井けんとさんが昼スナで開催している「発達スナック」という概念について、最近Twitterで議論が起きていたのだそうです。
「自助会やバーといっても、結局はそこに出て来られる一部の“キラキラした発達障害者”だけの場ではないか」
「救いと言いながら、馴染めずに挙動不審になってしまうような人を排除するのは、偽善ではないか」
確かに「今ここに来られている人」だけを見て「みんな集まれている」「救われている」と語ることは、来たくても来られない人の存在を消してしまう危うさを孕みます。
中井さん自身も、一般社会の空気を読む場に放り込まれたら、決して“キラキラ”振る舞える側ではない、と正直に書いています。
だから「救助」という言葉が、場に来られない人から見れば傲慢に映るかもしれない、その感覚を他人事として切り捨てることはできなかったのだと思います。
議論の中では「文句があるなら自分で場を開けばいい」という声もあったそうです。
しかしその言葉は残酷だと、なぜなら自分が場を開けているのは、自分一人の力ではなく、「昼スナ」という場所があり、そこに関わる人たちがいてくれたからこそで、偶然と運が重なった結果だからで、その現実を無視して
「自分でやれば?」
と言うことは、環境や人脈という条件を持たない人にとって、
あまりに強い言葉になってしまうとけんとさんは言います。
では、けんとさんは何のために、誰のために、この場を続けているのか。
「誰かを救いたいからではない。自分が参加したかったから」
話さなさすぎることで生まれる社会との溝を、少しでも減らしたかった。
「分断をなくしたい」という立派な言葉で飾ることもできるけれど、結局のところ「僕がしたいから、している」
それは紛れもない自己満足だ、と言います。
そして会を重ねるほど、一番助かっているのは自分自身だと感じるようになったそうです。
けんとさんは、参加者の人生を背負わないと決めています。
「救われるかどうか」は、その人が決めること。
自分ができるのは「来てくれてありがとう」と言うことだけ。
なぜなら、来てくれることで、自分が助かるだと。
それはとても自己中心的に聞こえるかもしれません。
でも同時に、他人の人生や感情を支配しない、誠実な動機でもあると思います。
そして同時に、昼スナという場を開いている立場としてもう一つ、はっきりさせておきたい前提があるとも感じました。
私は、心理的安全性は、誰かが用意した環境やルールによって一方的につくれるものではないと考えています。
どれだけ配慮された空間であっても、本人が「ここは安全ではない」と感じていれば、その人にとってそこは安全な場にはなりません。
その場にいる人がここを安全だと感じるかどうかは、あくまでその人自身が決めることです。
中井さんが「自己満足だ」と言い切る姿勢
私が「心理的安全性はつくれない」と考えている立場は、
実はとても近い場所にあると思っています。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 00:242.
西日本新聞に掲載いただきました
- 04:363.
結局のところ「僕がしたいからしている」だけの自己満足なんです
- 06:174.
心理的安全性は作るものではない
- 00:505.
来年も自己満足の場でお待ちしております☺
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