#272 ただ生き残ること、それもとても必要なことなんだ
08:49
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今度授伺う高校の探究学習の準備をしていて感じたことをしゃべってみました。
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D×P代表の今井紀明さん
(Voicy #218【レポート】D×P 今井紀明さん~若者を孤立させないセーフティネットをつくる https://r.voicy.jp/389R8WLOQKX)
が、最近Facebookでヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を引用されていました。
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「具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課せられる責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代りになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
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強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。わたしたちは生きる意味というような素朴な問題からすでに遠く、なにか創造的なことをしてなんらかの目的を実現させようなどとは一切考えていなかった。わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた」
(「夜と霧 新版」ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳、みすず書房、2002年、131ページより引用)
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人が背負う具体的な苦しみは、その人にしか引き受けられない、たった一度きりの責務なのだということ。誰かが代わりにその苦しみを苦しんであげることはできない。だからこそ、その苦しみと向き合い、引き受けることの中に、その人だけの、二つとない可能性が宿っている。
強制収容所という極限状況の中で、フランクルたちはこの考え方だけを頼みの綱にして、絶望に踏みとどまっていた。そこでの「生きる意味」は、何かを成し遂げるとか、目的を実現するとかではなく、死をも含めた、生きること全体の意味だった。
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今井さん自身も、かつてイラクで人質になり、帰国後はバッシングを受けて、目標もやりたいことも一度は全部砕かれたという経験をした。それでも、なぜか生き残りたいという気持ちだけはあったといいます。希望があったわけではない。ただ、耐えようとする気持ちだけがあった年月。その経験があったからこそ、今井さんは今、若者支援という事業を続けている。でも、だからといって「あの経験があってよかった」とは決して言いたくない。苦しみを後から見つけて肯定してしまうことへの抵抗感があると書いていました。
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昼スナには子どもの支援に関わる方も多くいらっしゃるので、よく話題になりますが、2025年の中高生の自殺者数は538人で、統計のある1980年以降で最多。少し前の時代まで、平均寿命はずっと短く、多くの子どもが大人になる前に命を落としていました。それに比べると、今の日本は衛生面も医療面も治安も、世界的に見てずば抜けて整っている。命をつなぐこと自体が当たり前になった分、私たちの関心は別のところに移っていったように思います。どうすれば社会の中で強く、価値のある存在として生き残らせられるか。生物として生き延びる心配がほとんどなくなった代わりに、経済的に、社会的に生き延びる力を、どれだけ効率よく子どもに教えられるかが、大人にとっての関心になったわけです。
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先日お店に来てくださったある教員の方が、子供たちに「やりたいことをやっていい」と伝えることに罪悪感があるとおっしゃっていました。自分自身がそれをちゃんとできているのかという矛盾もある。それ以上に、学校というシステムそのものが、子どもを進学や就職といった社会の仕組みにうまく適合させることを目的として組み立てられている。その中で「やりたいことをやっていい」と言うこと自体に、矛盾を感じると。
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文科省は「生きる力(資質・能力の三つの柱)」を掲げていますが、現場では思考力、創造性、課題解決能力といった社会の中で価値を生み出すための力が強調されているように見えます。生きることは、本来その土台にあるはずのものなのに、いつの間にか置き去りにされているのかもしれません。生物学的には生き残っていけるはずの子どもたちが、それでも自ら命を絶ってしまうという現実は、その置き去りの延長線上にある気がします。
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私たちは、生きることに物語を求めすぎているのかもしれません。はっきりとした意味や目的がないと落ち着かない。何のためにここにいるのか、なぜこうなったのか、説明できる筋道をどうしても欲しがってしまう。生きることに意味や目的を持たなければならない、その延長線上に「自分で考えて、自分の好きなことを見つけよう」という探究学習があるのだとしたら、危うい気もします。
もちろん、何のために生きるか、何を成し遂げるかという問いを持てること自体は、素晴らしいことです。でも、それを持たなければ生きている価値がないというところまで追い詰められてしまったら、それは苦しみにしかならないのではないでしょうか。
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昼スナの店の名前である「役に立たなくてもいい」というのは、自分の価値を他人に決めさせないという意味です。自分が役に立つかどうかも、本来は自分で決めるもの。自分の心が本当に願うことを精一杯やる。それが結果的に誰かの役に立とうと立つまいと、やったことの価値は変わらない。価値があるからやるのではなく、やったことが後から結果的に価値になっていくこともある、ただそれだけのこと。
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「生きることに目的や意味を持てるなら、それもいい。でも、なくてもいいんだ。ただ生き残ること、それもとても必要なことなんだ」。
今井さんの言葉が、まるで自分に向けられたような気がしてホッとしました。
毎年お盆にお墓参りに行ったり、自分の誕生日を迎えたりするたびに、思ったより長生きしてしまったなという気持ちになります。ダメな人生だけど生き延びてきた。もうそれだけで、十分なんじゃないかと思うのです。
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D×P代表の今井紀明さん
(Voicy #218【レポート】D×P 今井紀明さん~若者を孤立させないセーフティネットをつくる https://r.voicy.jp/389R8WLOQKX)
が、最近Facebookでヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を引用されていました。
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「具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課せられる責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向きあい、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代りになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。
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強制収容所にいたわたしたちにとって、こうしたすべてはけっして現実離れした思弁ではなかった。わたしたちにとってこのように考えることは、たったひとつ残された頼みの綱だった。それは、生き延びる見込みなど皆無のときにわたしたちを絶望から踏みとどまらせる、唯一の考えだったのだ。わたしたちは生きる意味というような素朴な問題からすでに遠く、なにか創造的なことをしてなんらかの目的を実現させようなどとは一切考えていなかった。わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた」
(「夜と霧 新版」ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳、みすず書房、2002年、131ページより引用)
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人が背負う具体的な苦しみは、その人にしか引き受けられない、たった一度きりの責務なのだということ。誰かが代わりにその苦しみを苦しんであげることはできない。だからこそ、その苦しみと向き合い、引き受けることの中に、その人だけの、二つとない可能性が宿っている。
強制収容所という極限状況の中で、フランクルたちはこの考え方だけを頼みの綱にして、絶望に踏みとどまっていた。そこでの「生きる意味」は、何かを成し遂げるとか、目的を実現するとかではなく、死をも含めた、生きること全体の意味だった。
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今井さん自身も、かつてイラクで人質になり、帰国後はバッシングを受けて、目標もやりたいことも一度は全部砕かれたという経験をした。それでも、なぜか生き残りたいという気持ちだけはあったといいます。希望があったわけではない。ただ、耐えようとする気持ちだけがあった年月。その経験があったからこそ、今井さんは今、若者支援という事業を続けている。でも、だからといって「あの経験があってよかった」とは決して言いたくない。苦しみを後から見つけて肯定してしまうことへの抵抗感があると書いていました。
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昼スナには子どもの支援に関わる方も多くいらっしゃるので、よく話題になりますが、2025年の中高生の自殺者数は538人で、統計のある1980年以降で最多。少し前の時代まで、平均寿命はずっと短く、多くの子どもが大人になる前に命を落としていました。それに比べると、今の日本は衛生面も医療面も治安も、世界的に見てずば抜けて整っている。命をつなぐこと自体が当たり前になった分、私たちの関心は別のところに移っていったように思います。どうすれば社会の中で強く、価値のある存在として生き残らせられるか。生物として生き延びる心配がほとんどなくなった代わりに、経済的に、社会的に生き延びる力を、どれだけ効率よく子どもに教えられるかが、大人にとっての関心になったわけです。
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先日お店に来てくださったある教員の方が、子供たちに「やりたいことをやっていい」と伝えることに罪悪感があるとおっしゃっていました。自分自身がそれをちゃんとできているのかという矛盾もある。それ以上に、学校というシステムそのものが、子どもを進学や就職といった社会の仕組みにうまく適合させることを目的として組み立てられている。その中で「やりたいことをやっていい」と言うこと自体に、矛盾を感じると。
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文科省は「生きる力(資質・能力の三つの柱)」を掲げていますが、現場では思考力、創造性、課題解決能力といった社会の中で価値を生み出すための力が強調されているように見えます。生きることは、本来その土台にあるはずのものなのに、いつの間にか置き去りにされているのかもしれません。生物学的には生き残っていけるはずの子どもたちが、それでも自ら命を絶ってしまうという現実は、その置き去りの延長線上にある気がします。
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私たちは、生きることに物語を求めすぎているのかもしれません。はっきりとした意味や目的がないと落ち着かない。何のためにここにいるのか、なぜこうなったのか、説明できる筋道をどうしても欲しがってしまう。生きることに意味や目的を持たなければならない、その延長線上に「自分で考えて、自分の好きなことを見つけよう」という探究学習があるのだとしたら、危うい気もします。
もちろん、何のために生きるか、何を成し遂げるかという問いを持てること自体は、素晴らしいことです。でも、それを持たなければ生きている価値がないというところまで追い詰められてしまったら、それは苦しみにしかならないのではないでしょうか。
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昼スナの店の名前である「役に立たなくてもいい」というのは、自分の価値を他人に決めさせないという意味です。自分が役に立つかどうかも、本来は自分で決めるもの。自分の心が本当に願うことを精一杯やる。それが結果的に誰かの役に立とうと立つまいと、やったことの価値は変わらない。価値があるからやるのではなく、やったことが後から結果的に価値になっていくこともある、ただそれだけのこと。
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「生きることに目的や意味を持てるなら、それもいい。でも、なくてもいいんだ。ただ生き残ること、それもとても必要なことなんだ」。
今井さんの言葉が、まるで自分に向けられたような気がしてホッとしました。
毎年お盆にお墓参りに行ったり、自分の誕生日を迎えたりするたびに、思ったより長生きしてしまったなという気持ちになります。ダメな人生だけど生き延びてきた。もうそれだけで、十分なんじゃないかと思うのです。
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フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 08:332.
#218【レポート】D×P 今井紀明さん~若者を孤立させないセーフティネットをつくる
コメント

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いつもありがとうございます🙏
いってきまーす!
行ってらっしゃい!
国語の先生に、その問いをぶつけたところ、とても意外な答えが返ってきました。
「その答えを見つけるために生きているんじゃないかな」
今の私なら、18歳の自分に
「生きる理由がわからなくても生きていけるんだよ。
それよりも、どの瞬間に生きていることを実感できるのか、どんな自分でいると幸せを感じられるのか、に意識を向けてみて」
と言ってあげたいです。
多感な時期に国語の先生から返ってきた答えに、きっと何度も助けられたんじゃないかな、なんて想像しました。
目標に向かって精一杯努力することと同時に、どの瞬間に生きていることを実感できるのか、どんな自分でいると幸せを感じられるのかに意識を向けながら毎日を過ごすといいよ、って、私も10代の自分に言ってあげたいなと思いました。
素敵なお話のシェア、ありがとうございました!
「手のひらを太陽に」のフレーズが流れました。自分をそのまま受け入れられる感覚やその幸せを味わう、誰もが小さくてもいいからその瞬間を積み重ねられるチャンスを意識して作り作ってあげられたらいいなと思います。
今、BGMが流れています(笑)。
日々の自分の感情に目を向けて、苦しいことも悲しいことも、満たされることも幸せも、味わっていけたらいいですね。
いつもやさしいコメントをありがとうございます!