#155 「何もしなくても、ここにいていい」~西新宿れもんハウスに芦田加奈さんを訪ねて
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東京・西新宿にある「れもんハウス」を訪ねました。ぶきっかけは、1月5日・6日に行われるDeeper Learnig Japan 2026のメンバーである芦田加奈さんがかかわっておられたからです。
れもんハウスは、新宿区の子どもショートステイの協力家庭として登録されている場所で
日々、子どもから大人まで、本当にさまざまな背景を持つ人が出入りしています。
れもんハウスを立ち上げた藤田琴子さんは、母子生活支援施設で支援員として働くなかで、施設を退所したあと、誰かと話したいとき、行ける場所がないと感じられたそうです。
「おばあちゃんの家にちょっと行ってくる、みたいな感覚で来られる場所があったらいいなと思ったんです」
住宅街の中の細い道を抜けた先にある一軒家のれもんハウスは、本当に「おばあちゃんの家」のような佇まいでした。
ただ来る。
ただいる。
それだけでいい。
それを「たまたま」ではなく、意図的につくられている場所だということが印象に残りました。
家族や友だちは、過去を知りすぎている分、無意識の役割や期待が生まれやすくなります。
「あなたはこういう人」
「こうあるべきだよね」
れもんハウスでは、そうした役割から一度降りることができます。
虐待を受けた子ども、◯◯ちゃんのママといったラベルを外して、ただ一人の人として過ごす時間があります。
福祉業界の人だけでこの場がつくられていない、という点も特徴的でした。
ITやアート、不動産など、異なる領域の人たちが関わっています。
福祉だけでは生まれにくい視点や広がりが、自然に持ち込まれています。
制度はあっても、知られていなかったり、申請が難しかったりして、使えない人は少なくありません。
平日の昼間に役所へ行けないだけで、支援にアクセスできない。ここはそうした制度の「手前」にある場所として機能しているのだと思います。
福祉施設に関わるには役に立たなければいけない。ボランティアをしなければいけない。
そう思ってしまう人は多いと思います。
でも、ここではそれは必要ないと言われました。
「自分がここにいたいかどうかが大事です」
実際に訪れてみると、赤ちゃん連れのお母さん、高校生くらいの子ども、若い男性など、本当にいろいろな人が、何かをしていなくても、説明しなくても、そこにいていい空気がありました。
その感覚で、私は以前大阪・西成の釜ヶ崎芸術大学のゲストハウス・ココルームに泊まった場所のことを思い出しました。
歯のないおっちゃんや近所のお姉さんやバックパッカーの外国人が朝体操をしている中で、誰からも名前や肩書きを聞かれず、皆でつくったご飯が私の前に置かれたときに「何もしなくもていていいんだ」と言われた気がして泣いてしまったのです。
れもんハウスにも、同じ感触がありました。
いつ誰が、自分が助けが必要になるか分からない。
困ったときに、誰かが助けてくれる。
ここにいてもいいと思える。
その感覚があれば、人は孤立しにくくなるのだと思います。
助けてもらった相手に、直接返さなくてもいい。
自分ができる形で、また別の誰かに送っていけばいい。
れもんハウスは、そうした「送り合い」が、無理なく起きている場所だと感じました。
一言で説明できない、カテゴリーに当てはまらない。
だからこそ、今の社会に必要とされているのだと分かりましたし、琴子さんに「役にたたなくてもいい場所をやっています」と言ったら、それだけで通じてしまうのも、本当に嬉しい時間でした。
(洗濯ものをたたむ梅小路ACWA BASEの齋藤さんとバッタリここで出会ってしまったのも、面白すぎました。だいすき)
れもんハウスは、新宿区の子どもショートステイの協力家庭として登録されている場所で
日々、子どもから大人まで、本当にさまざまな背景を持つ人が出入りしています。
れもんハウスを立ち上げた藤田琴子さんは、母子生活支援施設で支援員として働くなかで、施設を退所したあと、誰かと話したいとき、行ける場所がないと感じられたそうです。
「おばあちゃんの家にちょっと行ってくる、みたいな感覚で来られる場所があったらいいなと思ったんです」
住宅街の中の細い道を抜けた先にある一軒家のれもんハウスは、本当に「おばあちゃんの家」のような佇まいでした。
ただ来る。
ただいる。
それだけでいい。
それを「たまたま」ではなく、意図的につくられている場所だということが印象に残りました。
家族や友だちは、過去を知りすぎている分、無意識の役割や期待が生まれやすくなります。
「あなたはこういう人」
「こうあるべきだよね」
れもんハウスでは、そうした役割から一度降りることができます。
虐待を受けた子ども、◯◯ちゃんのママといったラベルを外して、ただ一人の人として過ごす時間があります。
福祉業界の人だけでこの場がつくられていない、という点も特徴的でした。
ITやアート、不動産など、異なる領域の人たちが関わっています。
福祉だけでは生まれにくい視点や広がりが、自然に持ち込まれています。
制度はあっても、知られていなかったり、申請が難しかったりして、使えない人は少なくありません。
平日の昼間に役所へ行けないだけで、支援にアクセスできない。ここはそうした制度の「手前」にある場所として機能しているのだと思います。
福祉施設に関わるには役に立たなければいけない。ボランティアをしなければいけない。
そう思ってしまう人は多いと思います。
でも、ここではそれは必要ないと言われました。
「自分がここにいたいかどうかが大事です」
実際に訪れてみると、赤ちゃん連れのお母さん、高校生くらいの子ども、若い男性など、本当にいろいろな人が、何かをしていなくても、説明しなくても、そこにいていい空気がありました。
その感覚で、私は以前大阪・西成の釜ヶ崎芸術大学のゲストハウス・ココルームに泊まった場所のことを思い出しました。
歯のないおっちゃんや近所のお姉さんやバックパッカーの外国人が朝体操をしている中で、誰からも名前や肩書きを聞かれず、皆でつくったご飯が私の前に置かれたときに「何もしなくもていていいんだ」と言われた気がして泣いてしまったのです。
れもんハウスにも、同じ感触がありました。
いつ誰が、自分が助けが必要になるか分からない。
困ったときに、誰かが助けてくれる。
ここにいてもいいと思える。
その感覚があれば、人は孤立しにくくなるのだと思います。
助けてもらった相手に、直接返さなくてもいい。
自分ができる形で、また別の誰かに送っていけばいい。
れもんハウスは、そうした「送り合い」が、無理なく起きている場所だと感じました。
一言で説明できない、カテゴリーに当てはまらない。
だからこそ、今の社会に必要とされているのだと分かりましたし、琴子さんに「役にたたなくてもいい場所をやっています」と言ったら、それだけで通じてしまうのも、本当に嬉しい時間でした。
(洗濯ものをたたむ梅小路ACWA BASEの齋藤さんとバッタリここで出会ってしまったのも、面白すぎました。だいすき)
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