#158 2026年も「漏れ活(モレカツ)しようぜ!」乾燥した世界をみずみずしいエロスで分解していく
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新しい年の幕開け、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
2026年は初の放送ということで、今年の探求テーマは「漏れ活(モレカツ)」です 。
これは抱負というよりも、哲学者・歴史学者である京都大学の藤原辰史先生に助けていただき、これまでの活動の集大成として辿り着いた言葉でもあります 。
■循環が腑に落ちた
この数年、なんとなくふわっといい感じに話を収める方法として「循環」という言葉が安易に、便利に使われすぎていることを気持ち悪く思っていました。
いまの社会はとにかくスピードが速い 。「生産」と「消費」だけが猛烈な勢いで繰り返され、本来生命の循環に必要な「分解される時間」が切り捨てられています 。
汚れを嫌い、においを消し、境界線を明確に分けて綺麗に整えようとすることを、藤原先生は「乾燥している」と表現します 。一見清潔で美しいけれど、分解が止まり、新しい命が生まれる循環も止まってしまった「静止した死の世界」 。次から次へと消費を繰り返すスピードの中で、私たちのシステムはあちこちで「つまっている」のではないでしょうか 。
■人間は「ちくわ」であり、最高の貢献は「排泄」である
藤原先生は、人間を一本のチューブ、いわば「ちくわ」のような存在だとおっしゃいます 。私たちの胃や腸は、体の中にあるようでいて、実は外界に開かれている 。この管を通して生命を取り込み、分解し、そして排泄物として外に流す 。
人間が自然の循環に対して貢献できる唯一のこと、それは「排泄」です 。個体の殻を閉じ、クリーンによそうことをやめて、境界線から中身が漏れ合っている状態こそが、「生きている」ことの正体なのです 。
■聖なるプロセスとしての「漏れ」と不可欠な「ケア」
藤原先生との対話の中で、宅老所「よりあい」の村瀬孝生さんの言葉が深い示唆を与えてくれました 。お年寄りやケアが必要な場面において、排泄や漏れがコントロールできなくなることは「尊厳の喪失」として語られます 。しかし藤原先生の「ちくわ」の視点で見れば、それは個体としての殻が壊れ、ようやく自然の大きな循環へと帰り始める「聖なるプロセス」にほかならない 。
そして、この「分解」をただの崩壊に終わらせないために必要なのが「水分」です 。ケアという存在があるからこそ、漏れは汚いものではなく、瑞々しい生命力の発露となり、次の世界への栄養(記憶や愛)へと変わっていくのです 。
また、お年寄りが今と昔の時間を行き来するように、普段の私たちのスピードとは違う時間を生きていることも、非常に「分解」に近い営みであると先生は教えてくれました 。分解には、水分と時間が必要なのです 。
■「あの人、漏れとるよね」――カフェでの不穏な空気の正体
私は、うまく自分を調整してシュッとしている(乾いている)人より、どこか調整ができなくて、内側の命が溢れ出してしまっている人が大好きです 。現代のスピード重視の短い時間軸で見ると、あふれ出てしまうものは多くの場合「それで食えるのか」とか「生産性は」とか「役に立たない」と言われるものですが、そのみずみずしいエネルギーは水分であり、エロス(いきいきとした生命力)にほかなりません 。
昼スナではそんな「漏れている人」を合法的に愛でるためにイベントという形で推し活しています、とお伝えすると藤原先生は「フィッシュさん、それは推し活じゃなくて『漏れ活』だね」と名付けてくださいました 。きゃぁきゃぁそーです、そーなんです💛
100年とか1000年という長い時間軸で見れば、いかに効率よく生産したかよりも、いかに漏らしながら、みずみずしくエロスを発揮して生きたかということに私は価値を感じます 。
多くの方が生産と消費のスピードに、乾燥して生きることに疲れているのではないでしょうか。そんな時はスピードを落として、分解の時間と水分をたっぷり味わいに来てください 。私たちの不完全さや、枠からはみ出してしまうエネルギー。その「漏れ」を、今年も「昼スナ」で共に祝福していけたら嬉しいです 。
2026年、昼スナは元気に「漏れ活」していきます!
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 08:042.
人間は「ちくわ」であり、最高の貢献は「排泄」である
- 03:063.
聖なる生命のプロセスとしての「漏れ」と不可欠な「ケア」
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