#192【レポート】黒服・中村弥(わたよん)さん追悼式 ~ 生き抜いて、愛された人
59:21
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3/21に昼スナで開いた、黒服の中村弥(わたよん)さんの追悼式は、40人近くの人たちが入れ替わり立ち代わり、店内に入り切れずドアをあけて外までたくさん並んでいました。賑やかであたたかな笑顔あふれる、彼らしい時間でした。
飲み物を片手に、笑いながら泣きながら、みんなが中村さんのことを話してくれました。
昼スナに彼を連れてきてくれた、支援者であり友人の木戸勝也さんが、彼との出会いを振り返ってくれました。
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■生まれは雲仙普賢岳
中村さんは長崎出身、昭和48年生まれ、享年52歳でした。
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厳しい家に生まれ、子どものころから塗装屋を営む父親に木刀で殴られる日常だったといいます。体育の時間に着替えをすると、先生や友達がドン引きするほどあざだらけ。
家にいられないから、学校や公園で寝泊まりをすることもありました。雪の夜、どこにも行けなくて学校のトイレに隠れ、ゴミを集めてライターで火をつけて暖をとろうとしたら、学校が燃えてしまったこともあったそうです。
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それでも「それが普通だと思ってた」ので辛いとか、怖いとか、きついとは言えなかったといいます。
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中学生のころ、雲仙普賢岳が噴火しました。友達とカラオケに行って、家に帰ったら誰もおらず、警察が来て「今すぐ逃げろ」と。
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高校を出てから働き始めて、一番長く続いたのが長崎の旅館の仕事でした。中居さんのポジションで、お客さんと宴会で騒ぐのがすごく楽しかったと、よく語っていました。
昼スナのカウンターに立っていても、宴会の記憶がふと浮かんでくることがあったんじゃないかなと思います。その旅館が買収されてオーナーが変わり、職場がぎくしゃくして、嫌になって飛び出してきたのが福岡でした。
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■ 中村さんとの出会い
福岡でのホームレス生活は、2年続きました。申し訳ないとか、みじめだとか、そういう気持ちがあって最初は炊き出しにも行けなかったそうです。
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木戸さんが中村さんに初めて会ったのは、福岡市役所近くのローソン前のベンチでした。夜中に、ぼーっとしていた中村さんに声をかけたら「ほっといて」と。
施設に行こうと約束しても5回連続でスッポかされたといいます。「なんで来なかったの」と聞くと「行きたくなかった」と言う。それでも関わり続けるうちに、やっと施設に来てくれました。
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施設に入った後、中洲のホテルで働きましたが、ホテルが倒産してまた路上に戻りました。そのころ、首のあたりに大きなこぶ(ガン)ができていて、痛くて働けなくなっていました。救急車で病院に運ばれたことをきっかけに、生活保護を受け家に入ることになった、というのが、多くの人が知っているストーリーだと思います。
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■ 心に開いた穴のこと
中村さんはホームレス生活の4年間の記憶がほとんどないと言っていました。
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「心にでっかい穴が開いて、人の言葉がとどまらなくなる。話しかけたことも、話しかけられたことも、全部抜けていく」
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始まりと終わりはわかるから何年と言えるだけで、その間がすっぽりない。だから長く感じないのだ、と。
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木戸さんはそれを聞いて以来、ホームレス支援ってなんだろうとずっと考えてきたと言います。
「多分、その空白を埋めようとすることなんだろう。一番きつい時にただそばにいること。時間がかかっても関わり続けて、一番きついタイミングにそこにいる。それが大事だということを、中村さんが教えてくれた」と。
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■ 昼スナに来てから
「彼が一番変わったのは、昼スナに来てからです」と木戸さん。
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それまでは自分のことを話すなんてほとんどなかったのに、ここでは少しずつ話せるようになっていきました。元ホームレスだったことも、ここでは語れました。常連になって、黒服になって「自分のことを社会に発信してもいいんだ、ということと、発信することが怖い、その両方を持ちながら考えてくれるようになった」それってなかなかないことなんですよ、と。
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ある時、中村さんは昼スナで行われたファッションショーに出たいと言いました。でも参加費が払えないからと、出るのを諦めようとした。
「お金のことで諦めるのはやめよう」という木戸さんの言葉に背中を押されて、昼スナの4周年記念イベントの日、集まったお客さんたちの前でクラファンをしました。手作りの箱に募金を呼びかけたら、一日で集まりました。
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その日の写真が残っています。札束を前に満面の笑みを浮かべた中村さんが写っていました。「自分のやりたいことを応援してくれる人がいる」という体験したことは、彼にとってはきっと大きかったのではと思います。
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■ ラジオVoicy新着📻
#192【レポート】黒服・中村弥(わたよん)さん追悼式 ~ 生き抜いて、愛された人 ②
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■ 最後の夜のこと
亡くなる4日前の夜、木戸さんは炊き出しの場で中村さんと話したそうです。
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力の強い人が力の弱い人のところへ行くホームレス支援のしんどさ。炊き出しに来ること、もらうことへの抵抗。あげる側も、もらう側も、その両方にずっとジレンマがあること。そういう話をしたといいます。
ずっとうつむいていた中村さんが、最後に顔を上げて、笑顔でハイタッチをしてくれて、2ヶ月ずっとモヤモヤしていたものが、少し取れた気がしたと木戸さんは言っていました。
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今年に入ってから私はよく中村さんから「路上に戻る気がする」という言葉を聞いていました。
支援者みんなで集まる場を木戸さんと作ろうとしていましたが、日程は決まっていませんでした。
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最後に話したのは、2月28日の営業の日。
閉店の片付けが早く終わったので、「最近どう?」とつらつらと話しました。
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「大丈夫です」といいながら、中村さんは笑っていました。その笑いが「木戸さんがまた余計なこと言って…」という感じの笑いで。
お客さんが多いと、1対1でゆっくり話す機会はそんなにないのですが、その日はそうしたいと思ったのです。
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「お疲れさまでした、また来週もよろしくお願いします」と彼は笑顔で帰っていきました。久しぶりに話せてよかったなと思いながら、その日の夜、木戸さんと3人のグループLINEに「今日もありがとうございました💛」と送ったら「今日もありがとうございました😊」と返事が来ました。
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そこからLINEは止まったままです。
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路上で亡くなっていた、と知らせを受けた時、不思議と驚きはなく「やっぱり」と思いました。彼は最後まで自分の意思を貫いたなと思いました。
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木戸さんもそう言いました。
「亡くなってから彼の部屋を初めて見に行って、この人はここで生きようと思っていなかったんだとわかった。最後、外で亡くなったと聞いて、生き抜いたんだなと思った」と。
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■ 生き抜いて、愛された人
お葬式はありませんでした。検視、葬儀場、火葬場と淡々と進んでいく中、無理やり30分だけ待ってもらって、近しい人たちが顔を見に集まりました。家族とは離縁していましたが、20人以上の人たちが来ていました。
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昼スナでの追悼の会式では、一人ひとりが中村さんとのかかわりを語ってくれました。子どもをかわいがってもらった親御さん、一緒に支援活動をしてきた仲間、炊き出しで声をかけてもらった人、まつ毛をつけてもらった人、Facebookに投稿するたびに真っ先に「いいね」をしてくれていた人。みんながそれぞれの「中村さん」を持っていました。
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彼は自分の人生を生き抜いた、そして愛された人だった。それ以上に必要なことがあるでしょうか。
彼は寂しがりやだったから、これからも昼スナに来て彼のことを話してほしいです、忘れられたと思わないように。
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中村さん、出会ってくれて、一緒に生きてくれて、ありがとう。
中村さんのいのちは、私たちをつくり、私たちの一部となって動かしてくれています。
天国ではもう死なないから、好きなだけお酒を飲んでください。私たちもしばらくしたら行くから、ちょっとだけ待っとってね。
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この日店頭でいただいた合計68,000円、遠くから気持ちを寄せていただいたpaypayの合計31,000円を、中村さんが大切にされていたホームレス支援NPO福岡おにぎりの会に寄付させていただきます。
飲み物を片手に、笑いながら泣きながら、みんなが中村さんのことを話してくれました。
昼スナに彼を連れてきてくれた、支援者であり友人の木戸勝也さんが、彼との出会いを振り返ってくれました。
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■生まれは雲仙普賢岳
中村さんは長崎出身、昭和48年生まれ、享年52歳でした。
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厳しい家に生まれ、子どものころから塗装屋を営む父親に木刀で殴られる日常だったといいます。体育の時間に着替えをすると、先生や友達がドン引きするほどあざだらけ。
家にいられないから、学校や公園で寝泊まりをすることもありました。雪の夜、どこにも行けなくて学校のトイレに隠れ、ゴミを集めてライターで火をつけて暖をとろうとしたら、学校が燃えてしまったこともあったそうです。
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それでも「それが普通だと思ってた」ので辛いとか、怖いとか、きついとは言えなかったといいます。
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中学生のころ、雲仙普賢岳が噴火しました。友達とカラオケに行って、家に帰ったら誰もおらず、警察が来て「今すぐ逃げろ」と。
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高校を出てから働き始めて、一番長く続いたのが長崎の旅館の仕事でした。中居さんのポジションで、お客さんと宴会で騒ぐのがすごく楽しかったと、よく語っていました。
昼スナのカウンターに立っていても、宴会の記憶がふと浮かんでくることがあったんじゃないかなと思います。その旅館が買収されてオーナーが変わり、職場がぎくしゃくして、嫌になって飛び出してきたのが福岡でした。
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■ 中村さんとの出会い
福岡でのホームレス生活は、2年続きました。申し訳ないとか、みじめだとか、そういう気持ちがあって最初は炊き出しにも行けなかったそうです。
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木戸さんが中村さんに初めて会ったのは、福岡市役所近くのローソン前のベンチでした。夜中に、ぼーっとしていた中村さんに声をかけたら「ほっといて」と。
施設に行こうと約束しても5回連続でスッポかされたといいます。「なんで来なかったの」と聞くと「行きたくなかった」と言う。それでも関わり続けるうちに、やっと施設に来てくれました。
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施設に入った後、中洲のホテルで働きましたが、ホテルが倒産してまた路上に戻りました。そのころ、首のあたりに大きなこぶ(ガン)ができていて、痛くて働けなくなっていました。救急車で病院に運ばれたことをきっかけに、生活保護を受け家に入ることになった、というのが、多くの人が知っているストーリーだと思います。
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■ 心に開いた穴のこと
中村さんはホームレス生活の4年間の記憶がほとんどないと言っていました。
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「心にでっかい穴が開いて、人の言葉がとどまらなくなる。話しかけたことも、話しかけられたことも、全部抜けていく」
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始まりと終わりはわかるから何年と言えるだけで、その間がすっぽりない。だから長く感じないのだ、と。
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木戸さんはそれを聞いて以来、ホームレス支援ってなんだろうとずっと考えてきたと言います。
「多分、その空白を埋めようとすることなんだろう。一番きつい時にただそばにいること。時間がかかっても関わり続けて、一番きついタイミングにそこにいる。それが大事だということを、中村さんが教えてくれた」と。
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■ 昼スナに来てから
「彼が一番変わったのは、昼スナに来てからです」と木戸さん。
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それまでは自分のことを話すなんてほとんどなかったのに、ここでは少しずつ話せるようになっていきました。元ホームレスだったことも、ここでは語れました。常連になって、黒服になって「自分のことを社会に発信してもいいんだ、ということと、発信することが怖い、その両方を持ちながら考えてくれるようになった」それってなかなかないことなんですよ、と。
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ある時、中村さんは昼スナで行われたファッションショーに出たいと言いました。でも参加費が払えないからと、出るのを諦めようとした。
「お金のことで諦めるのはやめよう」という木戸さんの言葉に背中を押されて、昼スナの4周年記念イベントの日、集まったお客さんたちの前でクラファンをしました。手作りの箱に募金を呼びかけたら、一日で集まりました。
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その日の写真が残っています。札束を前に満面の笑みを浮かべた中村さんが写っていました。「自分のやりたいことを応援してくれる人がいる」という体験したことは、彼にとってはきっと大きかったのではと思います。
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■ ラジオVoicy新着📻
#192【レポート】黒服・中村弥(わたよん)さん追悼式 ~ 生き抜いて、愛された人 ②
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■ 最後の夜のこと
亡くなる4日前の夜、木戸さんは炊き出しの場で中村さんと話したそうです。
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力の強い人が力の弱い人のところへ行くホームレス支援のしんどさ。炊き出しに来ること、もらうことへの抵抗。あげる側も、もらう側も、その両方にずっとジレンマがあること。そういう話をしたといいます。
ずっとうつむいていた中村さんが、最後に顔を上げて、笑顔でハイタッチをしてくれて、2ヶ月ずっとモヤモヤしていたものが、少し取れた気がしたと木戸さんは言っていました。
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今年に入ってから私はよく中村さんから「路上に戻る気がする」という言葉を聞いていました。
支援者みんなで集まる場を木戸さんと作ろうとしていましたが、日程は決まっていませんでした。
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最後に話したのは、2月28日の営業の日。
閉店の片付けが早く終わったので、「最近どう?」とつらつらと話しました。
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「大丈夫です」といいながら、中村さんは笑っていました。その笑いが「木戸さんがまた余計なこと言って…」という感じの笑いで。
お客さんが多いと、1対1でゆっくり話す機会はそんなにないのですが、その日はそうしたいと思ったのです。
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「お疲れさまでした、また来週もよろしくお願いします」と彼は笑顔で帰っていきました。久しぶりに話せてよかったなと思いながら、その日の夜、木戸さんと3人のグループLINEに「今日もありがとうございました💛」と送ったら「今日もありがとうございました😊」と返事が来ました。
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そこからLINEは止まったままです。
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路上で亡くなっていた、と知らせを受けた時、不思議と驚きはなく「やっぱり」と思いました。彼は最後まで自分の意思を貫いたなと思いました。
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木戸さんもそう言いました。
「亡くなってから彼の部屋を初めて見に行って、この人はここで生きようと思っていなかったんだとわかった。最後、外で亡くなったと聞いて、生き抜いたんだなと思った」と。
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■ 生き抜いて、愛された人
お葬式はありませんでした。検視、葬儀場、火葬場と淡々と進んでいく中、無理やり30分だけ待ってもらって、近しい人たちが顔を見に集まりました。家族とは離縁していましたが、20人以上の人たちが来ていました。
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昼スナでの追悼の会式では、一人ひとりが中村さんとのかかわりを語ってくれました。子どもをかわいがってもらった親御さん、一緒に支援活動をしてきた仲間、炊き出しで声をかけてもらった人、まつ毛をつけてもらった人、Facebookに投稿するたびに真っ先に「いいね」をしてくれていた人。みんながそれぞれの「中村さん」を持っていました。
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彼は自分の人生を生き抜いた、そして愛された人だった。それ以上に必要なことがあるでしょうか。
彼は寂しがりやだったから、これからも昼スナに来て彼のことを話してほしいです、忘れられたと思わないように。
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中村さん、出会ってくれて、一緒に生きてくれて、ありがとう。
中村さんのいのちは、私たちをつくり、私たちの一部となって動かしてくれています。
天国ではもう死なないから、好きなだけお酒を飲んでください。私たちもしばらくしたら行くから、ちょっとだけ待っとってね。
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この日店頭でいただいた合計68,000円、遠くから気持ちを寄せていただいたpaypayの合計31,000円を、中村さんが大切にされていたホームレス支援NPO福岡おにぎりの会に寄付させていただきます。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 03:382.
笑顔いっぱいの楽しい会でした
- 49:543.
3/21(土) 追悼式
- 05:074.
中村弥さんの手記
- 00:285.
ちょっとだけ待っとってね。
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
茶柱2時50分
3月23日
悲しんで笑って本当に愛情のあるママさんときどさんの言葉が心に沁みました。ファッションショーの頃にお店を知ったので、懐かしさを感じました。
フィッシュ 明子
3月23日
茶柱さんは私たちの喜びや悲しみを、そのまま受け取ってくださっていると信頼しています。ありがとうございます☺