#201【レポート】認定NPO法人Silent Voice(サイレントボイス) 尾中友哉さん~聴覚障がいの子どもたちの学びをアップデート
11:49
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教育と就労を通じてデフ(聴覚障害・ろう難聴者)と聴者の関わりをアップデートし「共にできる」コミュニケーションをふやし続ける認定NPO法人サイレントボイス。
代表・尾中智哉さんは、聴覚障害のある両親のもとに生まれたCODA(Children of Deaf Adults)で手話を母語として育ちました。昨日放送の4月12日に「情熱大陸」で取り上げられたばかりです。
#TVer
https://tver.jp/episodes/eppezfwpm6?p=1040
3月に開催した10周年イベント「サイレントボイスの10年と聞こえない人の世界〜手話と共存社会の構築〜」に参加させていただいた際のレポートをお届けします。
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■なぜ手話が必要か
冒頭に尾中さんが声を出さずに口を動かし、「卵」か「タバコ」かを当てるというクイズがありました。
「口の形というのは、ほとんど母音、だから、これは推測になるんです」
聞こえない子どもが教室で先生の口元を見ながら学ぶとき、その頭の中は「推測」でいっぱいになっている。本来、学習中に脳のメモリーを使うべきは暗記や思考のはず。でも、口パクを読み解くことにリソースが奪われてしまう——そのことが、たった数分の体験で伝わってきました。
「これは、僕が一番短い時間で、聞こえない人にとってなぜ手話が必要なのかを伝えられる方法だと思ってやっています」
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■手話の歴史
難聴には大きく2種類あると尾中さんは話した。音が小さくなる「伝音性難聴」と、音そのものが崩れてしまう「感音性難聴」。前者は補聴器で補えるが、後者は大きくしてもわからない。「見てわかる」支援が必要な理由がここにある。
明治時代、目の見えない人と耳の聞こえない人は同じ学び舎で学んでいた。見えない人が聞こえない人の顔を確かめるために、手の甲でそっと触れた——それが「誰?」という手話の由来になったという。
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ところが100年前、「口話法(こうわほう)」が広まり、手話は排除されていく。声を出すことが正しい、手話を覚えると口話の妨げになる、という考え方が支配的になった時代だ。
「お父ちゃんから聞きました。手話をしようもんなら、はたかれる。だから机の下で手話をしていた。高校3年間、先生の口パクだけ見ていて、内容が1個もわからなかったって」
目を合わせたら「お前」、指を2回たたいたら「トイレ」。それだけのコミュニケーションで過ごした時代があった。
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日本手話と書記言語としての日本語は、実は別の言語だ。日本手話には独自の文法があり、表情や首ふり、眉の動きなども含まれる。手話ができることと日本語の読み書きができることはイコールではない。聞こえない子どもたちの学びが複雑な理由のひとつがここにある。
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■聴覚障害=不幸、じゃない
それでも、そのお父さんとお母さんは手話で語り合い、恋をして、尾中さんが生まれた。
印象的だったのは、両親へのインタビューの話。子どもだから聞ける「聞こえるようになりたいか?」という質問に対して、お父さんは「決まってるやろ」。でもお母さんの答えは違った。
「私は旦那がいて、子どもがいて、お店があって、お客さんがいて幸せだから、自分を変えようとは思わない、って言ったんです」
2人は同じ障害等級2級で、聴力もほぼ同じ。なのに、捉え方がまったく違う。
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「聴覚障害イコール不幸じゃない、ということが、まずわかります。じゃあなぜ違うのか。環境だと思っています。環境によって、捉え方が変わる」
だからこそ、子どもたちの環境を変えることがサイレントボイスの核心にある、と。
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■お母ちゃんの接客術
お母さんは滋賀県の大津駅前で16年間、喫茶店を続けた。コロナも乗り越えた。
なぜうまくいったのかを聞いたとき、お母さんはこう言ったという。
「言われて動くことはできない。聞こえないから。でも、見て気づいて行動することができる。お客さんはそれを気遣いと思ってくれる」
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「聞こえる聞こえないとかじゃないんです。これは接客の本質だと思います」と尾中さんは続けた。
聴覚障害のある人が「見て気づいて行動する」力を持ち、それが聞こえる人のコミュニケーションを豊かにする——そこからサイレントボイスの企業研修事業は生まれた。阪急グループなど、多くの企業の接客力向上に、聞こえない人が講師として活躍している。
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■「できること差し出しあう」社会を夢見る
尾中さんが6歳のころから担ってきたのが、家族の電話通訳だった。知らない人から電話がかかってくる。聞いた内容を手話で親に伝え、親の手話を声に変えて返す。
「僕が聞こえない親を助けていた話をしました。でも、ほんまのことを言うと、僕は親にいっぱい助けてもらいました。だから育ちました。家族の中でできないことがあったら、できる人が助ける。お互いに助け合っていた。誰が健常者で誰が障害者か、考えたことがなかった」
「できないことを見るんじゃなくて、できることを差し出し合う。これがサイレントボイスの原点です。これを社会全体に伝えたい」
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■孤立の構造
聞こえない子どもは1000人に1人。その親の9割は聞こえる人だ。親子間のコミュニケーションが詰まることもある。ろう学校は統廃合が進み、地域の学校に通う子どもが増えているが、担任の先生が「難聴の子は初めてです」という手探り状態も珍しくない。
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手話で教えてくれる民間の塾は存在しない。聴覚障害向けの福祉施設は全国に1700人に1件しかなく、発達障害向けの30人に1件とは比べものにならない。
「学力が低い、年収が低い——それは、その子に力がないということでしょうか。僕は、環境を直さないといけないと思っています」
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さらに深刻なのが「孤独」の問題だ。全校生徒のなかで自分だけ聞こえない子もいる。18歳まで孤立していたと打ち明ける若者も少なくないという。就職してから「チームワークがない」と言われても、そもそもチームワークを経験する機会が育ちのなかになかった——その構造的な問題が、サイレントボイスが子どもの居場所づくりに力を注ぐ理由だ。
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■デフアカデミーの現場
サイレントボイスが運営する「デフアカデミー」は、聴覚障害・難聴の子どもたちのための放課後等デイサービスだ。
ユニークなのが「月間テーマ」。たとえば「チームワーク」がテーマの月は「円陣」をキーワードに、遊びやゲームを通してその意味や使う場面を体験していく。物に名前のシールを貼って語彙を覚える家庭は多いが、「友情」や「愛」のような概念は物として存在しない。だからこそ、体験を通して言葉と意味をつなげる工夫が必要になる。
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また2024年からは言語聴覚士による個別支援も始まった。ある子は補聴器で音声を聞くコミュニケーションが中心で手話は未経験だったが、1年間の手話支援を経て、自然に顔の向きが変わり、音声と手話を両方使えるようになっていったという。
スタッフは聞こえるスタッフと聞こえないスタッフが混在する体制で、「声で話したい子、手話で話したい子、どちらの声も拾える状況を作っておくことで、気持ちを理解し合える瞬間が生まれる」
現場は、孤立の問題とは裏腹に、笑いにあふれている。
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死かうオンラインが、距離をなくす
サイレントボイスが取り組んでいるのが、オンラインと対面を組み合わせた支援モデルだ。地域に施設がなくても、鳥取の子が大阪の先生とつながれる。月に一度リアルで集まる機会もつくれる。
「オンラインでつながって、顔を合わせて話せる。それだけで、明るくなっていく子どもたちの様子が見える」
このモデルはまだ全国で他に例がなく、こども家庭庁への働きかけや大阪府スーパーシティ特区との協議も進めている。制度改定は3年に一度。2027年、2030年を見据えて今モデルをつくっている。
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■「コーチ」を増やし、社会を変える
今後の目標として尾中さんが語ったのが、「コーチ」という資格の創設だ。
聞こえない子どもたちが孤独に陥るとき、そこには「自分の気持ちをうまく引き出してくれる存在がいない」という問題がある。補聴器を周りに見られたくなくて髪を伸ばして隠す子、自分の思いをずっと言えないままでいる子。そういう子どもたちに寄り添えるノウハウを持った人を育て、この領域に関わる人を増やしていく——それがサイレントボイスの次のビジョンだ。
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「聴覚障がい者が自分らしく生きていく人を増やしたい。そして納税者になっていただく——それができると思っています」
10年間の熱量と重みを感じる言葉です。
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できないことを見るのではなく、できることを差し出し合う。そう考えると、家族が、地域が、社会がだんだんとやさしく、いきいきとしてくるイメージが持てます。
今月、デフアカデミーを見学させていただけることになりました。また、尾中さんにもインタビューできることになりましたので、また改めてレポートさせていただきます。
サイレントボイスの皆様、素晴らしい機会に参加させていただき、感謝いたします。
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代表・尾中智哉さんは、聴覚障害のある両親のもとに生まれたCODA(Children of Deaf Adults)で手話を母語として育ちました。昨日放送の4月12日に「情熱大陸」で取り上げられたばかりです。
#TVer
https://tver.jp/episodes/eppezfwpm6?p=1040
3月に開催した10周年イベント「サイレントボイスの10年と聞こえない人の世界〜手話と共存社会の構築〜」に参加させていただいた際のレポートをお届けします。
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■なぜ手話が必要か
冒頭に尾中さんが声を出さずに口を動かし、「卵」か「タバコ」かを当てるというクイズがありました。
「口の形というのは、ほとんど母音、だから、これは推測になるんです」
聞こえない子どもが教室で先生の口元を見ながら学ぶとき、その頭の中は「推測」でいっぱいになっている。本来、学習中に脳のメモリーを使うべきは暗記や思考のはず。でも、口パクを読み解くことにリソースが奪われてしまう——そのことが、たった数分の体験で伝わってきました。
「これは、僕が一番短い時間で、聞こえない人にとってなぜ手話が必要なのかを伝えられる方法だと思ってやっています」
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■手話の歴史
難聴には大きく2種類あると尾中さんは話した。音が小さくなる「伝音性難聴」と、音そのものが崩れてしまう「感音性難聴」。前者は補聴器で補えるが、後者は大きくしてもわからない。「見てわかる」支援が必要な理由がここにある。
明治時代、目の見えない人と耳の聞こえない人は同じ学び舎で学んでいた。見えない人が聞こえない人の顔を確かめるために、手の甲でそっと触れた——それが「誰?」という手話の由来になったという。
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ところが100年前、「口話法(こうわほう)」が広まり、手話は排除されていく。声を出すことが正しい、手話を覚えると口話の妨げになる、という考え方が支配的になった時代だ。
「お父ちゃんから聞きました。手話をしようもんなら、はたかれる。だから机の下で手話をしていた。高校3年間、先生の口パクだけ見ていて、内容が1個もわからなかったって」
目を合わせたら「お前」、指を2回たたいたら「トイレ」。それだけのコミュニケーションで過ごした時代があった。
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日本手話と書記言語としての日本語は、実は別の言語だ。日本手話には独自の文法があり、表情や首ふり、眉の動きなども含まれる。手話ができることと日本語の読み書きができることはイコールではない。聞こえない子どもたちの学びが複雑な理由のひとつがここにある。
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■聴覚障害=不幸、じゃない
それでも、そのお父さんとお母さんは手話で語り合い、恋をして、尾中さんが生まれた。
印象的だったのは、両親へのインタビューの話。子どもだから聞ける「聞こえるようになりたいか?」という質問に対して、お父さんは「決まってるやろ」。でもお母さんの答えは違った。
「私は旦那がいて、子どもがいて、お店があって、お客さんがいて幸せだから、自分を変えようとは思わない、って言ったんです」
2人は同じ障害等級2級で、聴力もほぼ同じ。なのに、捉え方がまったく違う。
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「聴覚障害イコール不幸じゃない、ということが、まずわかります。じゃあなぜ違うのか。環境だと思っています。環境によって、捉え方が変わる」
だからこそ、子どもたちの環境を変えることがサイレントボイスの核心にある、と。
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■お母ちゃんの接客術
お母さんは滋賀県の大津駅前で16年間、喫茶店を続けた。コロナも乗り越えた。
なぜうまくいったのかを聞いたとき、お母さんはこう言ったという。
「言われて動くことはできない。聞こえないから。でも、見て気づいて行動することができる。お客さんはそれを気遣いと思ってくれる」
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「聞こえる聞こえないとかじゃないんです。これは接客の本質だと思います」と尾中さんは続けた。
聴覚障害のある人が「見て気づいて行動する」力を持ち、それが聞こえる人のコミュニケーションを豊かにする——そこからサイレントボイスの企業研修事業は生まれた。阪急グループなど、多くの企業の接客力向上に、聞こえない人が講師として活躍している。
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■「できること差し出しあう」社会を夢見る
尾中さんが6歳のころから担ってきたのが、家族の電話通訳だった。知らない人から電話がかかってくる。聞いた内容を手話で親に伝え、親の手話を声に変えて返す。
「僕が聞こえない親を助けていた話をしました。でも、ほんまのことを言うと、僕は親にいっぱい助けてもらいました。だから育ちました。家族の中でできないことがあったら、できる人が助ける。お互いに助け合っていた。誰が健常者で誰が障害者か、考えたことがなかった」
「できないことを見るんじゃなくて、できることを差し出し合う。これがサイレントボイスの原点です。これを社会全体に伝えたい」
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■孤立の構造
聞こえない子どもは1000人に1人。その親の9割は聞こえる人だ。親子間のコミュニケーションが詰まることもある。ろう学校は統廃合が進み、地域の学校に通う子どもが増えているが、担任の先生が「難聴の子は初めてです」という手探り状態も珍しくない。
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手話で教えてくれる民間の塾は存在しない。聴覚障害向けの福祉施設は全国に1700人に1件しかなく、発達障害向けの30人に1件とは比べものにならない。
「学力が低い、年収が低い——それは、その子に力がないということでしょうか。僕は、環境を直さないといけないと思っています」
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さらに深刻なのが「孤独」の問題だ。全校生徒のなかで自分だけ聞こえない子もいる。18歳まで孤立していたと打ち明ける若者も少なくないという。就職してから「チームワークがない」と言われても、そもそもチームワークを経験する機会が育ちのなかになかった——その構造的な問題が、サイレントボイスが子どもの居場所づくりに力を注ぐ理由だ。
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■デフアカデミーの現場
サイレントボイスが運営する「デフアカデミー」は、聴覚障害・難聴の子どもたちのための放課後等デイサービスだ。
ユニークなのが「月間テーマ」。たとえば「チームワーク」がテーマの月は「円陣」をキーワードに、遊びやゲームを通してその意味や使う場面を体験していく。物に名前のシールを貼って語彙を覚える家庭は多いが、「友情」や「愛」のような概念は物として存在しない。だからこそ、体験を通して言葉と意味をつなげる工夫が必要になる。
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また2024年からは言語聴覚士による個別支援も始まった。ある子は補聴器で音声を聞くコミュニケーションが中心で手話は未経験だったが、1年間の手話支援を経て、自然に顔の向きが変わり、音声と手話を両方使えるようになっていったという。
スタッフは聞こえるスタッフと聞こえないスタッフが混在する体制で、「声で話したい子、手話で話したい子、どちらの声も拾える状況を作っておくことで、気持ちを理解し合える瞬間が生まれる」
現場は、孤立の問題とは裏腹に、笑いにあふれている。
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死かうオンラインが、距離をなくす
サイレントボイスが取り組んでいるのが、オンラインと対面を組み合わせた支援モデルだ。地域に施設がなくても、鳥取の子が大阪の先生とつながれる。月に一度リアルで集まる機会もつくれる。
「オンラインでつながって、顔を合わせて話せる。それだけで、明るくなっていく子どもたちの様子が見える」
このモデルはまだ全国で他に例がなく、こども家庭庁への働きかけや大阪府スーパーシティ特区との協議も進めている。制度改定は3年に一度。2027年、2030年を見据えて今モデルをつくっている。
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■「コーチ」を増やし、社会を変える
今後の目標として尾中さんが語ったのが、「コーチ」という資格の創設だ。
聞こえない子どもたちが孤独に陥るとき、そこには「自分の気持ちをうまく引き出してくれる存在がいない」という問題がある。補聴器を周りに見られたくなくて髪を伸ばして隠す子、自分の思いをずっと言えないままでいる子。そういう子どもたちに寄り添えるノウハウを持った人を育て、この領域に関わる人を増やしていく——それがサイレントボイスの次のビジョンだ。
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「聴覚障がい者が自分らしく生きていく人を増やしたい。そして納税者になっていただく——それができると思っています」
10年間の熱量と重みを感じる言葉です。
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できないことを見るのではなく、できることを差し出し合う。そう考えると、家族が、地域が、社会がだんだんとやさしく、いきいきとしてくるイメージが持てます。
今月、デフアカデミーを見学させていただけることになりました。また、尾中さんにもインタビューできることになりましたので、また改めてレポートさせていただきます。
サイレントボイスの皆様、素晴らしい機会に参加させていただき、感謝いたします。
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フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:252.
10周年イベント「サイレントボイスの10年と聞こえない人の世界〜手話と共存社会の構築〜」
- 02:103.
デフアカデミーを見学予定
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