#208 大阪・北芝(もと被差別部落)/住民参加型・地域発信型の開放まちづくり
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大阪府箕面市の萱野地域に、「北芝」という地区があります。
もともとは被差別部落です。60年代の写真を見ると、トタンの家に一家が6畳一間で住み、トイレとお風呂は共同。仕事はその日の生活費をその日に稼ぐ日雇いが基本で、子どもたちが家事をして家族の世話をする、今でいうヤングケアラーが当たり前の暮らしだったといいます。
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教育者の藤原さとさん、武田緑さんのご縁で伺うことができました。
正直に言うと、行くまで、被差別部落という重いテーマに向き合う場所だと思っていたのですが、実際には全然違いました。あたたかくて、しかもめちゃめちゃ先端をいっているまちづくりがありました。
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■金髪に真っ赤なスニーカーの案内人
視察を案内してくださったのは、丸岡朋樹さん。NPO法人暮らしづくりネットワーク北芝の代表であり、北芝地区のご出身で、北芝解放太鼓保存会「鼓吹(こぶき)」の代表・和太鼓奏者でもあります。
そして、めっちゃ金髪でした。足元は真っ赤なスニーカー。
この格好でよく学校に講演に行く。本人は全然気にしないそうなのですが、「周りが気にしてるんですよねえ」と笑っておられました。
帰り際に2人でツーショットを撮影。私はいつも通りの普段着でうかがったのですが、並んで写真に収まった2人を見ると、どう見ても堅気には見えない2人でしたw
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■行政要求型から住民参加型・地域発信型のまちづくりへの転換
1969年の「同和対策特別措置法」以降、北芝は「行政要求型」のまちづくりを続けてきました。行政に困りごとを訴え、支部に相談すれば何とかなる。そのやり方で、団地も道路も整備されていきました。
ところが1988〜89年ごろ、転機が訪れます。市の教育実態調査で、衝撃的な事実が明らかになりました。
調査は4段階評価——「よく理解している/理解している/あまり理解していない/全く理解していない」——で、当時の北芝の子どもたちのうち、学校の授業内容を「よく理解している」と答えた子が1人もいなかった。理解していない側に8割近くが集中していました。
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なぜ学力が低かったのか。当時の北芝の子どもたちは極貧の環境で育ち、親は日雇いで毎日働き、家に安定した勉強の場がありませんでした。学校に十分に通えなかった子もいたそうです。「夜間学習(夜学)」という補習制度がわざわざ設けられるほど、学力の底上げが課題だったといいます。
同和対策事業で団地や道路などの生活環境は改善されたものの、子どもたちの学力や自尊感情は改善されていませんでした。つまり「箱(環境)は整えたが、中身(人)が育っていなかった」ということです。それだけでなく、住民全体に「支部に言えばなんとかしてくれる」という依存的傾向が広がっていました。
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その現実を直視した活動家たちが、大きな方針転換を決めます。「自分たちのものは自分たちで作る」——住民参加型・地域発信型のまちづくりへの転換。
これが当時、部落解放同盟の大阪府連から猛批判を浴びたといいます。上意下達のピラミッド型組織が常識だった時代に、ネットワーク型の水平な市民活動を選んだ。異端中の異端でした。
その後、1995年の阪神淡路大震災で、自発的なボランティアが動くネットワーク型市民活動の力が可視化されると、北芝がやってきたことが「先端」として評価されるようになっていきます。
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■7つの団体が「有機的に」育った
北芝では今、7つの団体が連動しながら地域を動かしています。
土台は部落解放同盟北芝支部。その上に、2001年に生まれたNPO法人暮らしづくりネットワーク北芝が、人と組織をつなぐ中間支援の役割を担っています。「であい・つながり・げんき」をキャッチコピーに、子どもから高齢者、若者、生活困窮者まで、あらゆる困りごとに対応しています。
さらに、高齢者福祉を担う一般社団法人、地域の雇用をつくる合同会社、地域内外とのイベントや企画を担うまちづくり協議会、財産管理のための一般財団法人、そして生きづらさを抱えた若者を支援する一般社団法人YDP。
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もともとは「なんでもやったるデイ」という、若者がお年寄りの大型ごみを出したり家具を動かしたりするボランティア活動として2015年ごろにスタート。それが事業へと成長し、今では遺品整理・資源回収を担う法人になっています。
「制度でカバーできないから、自分たちで作る」——その言葉を証明するように、7つの団体はすべて、必要が生まれた順番に立ち上がっています。 ㅤㅤ ㅤㅤ ㅤ
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■「手をあげたらなれる」——親子2代のまちづくり
活動は、丸岡朋樹さんの父親が支部長として始められたものだといいます。
丸岡さんが子どものころ、父親に聞いたことがあるそうです。「どうしたら支部長になれるの?」
返ってきた答えは「手をあげたらなれる」。
丸岡さんはそれを信じて、手を挙げました。そして今、親子2代にわたってこの町をよくする活動を続けていらっしゃいます。
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子どもの頃から父親はほとんど家にいなかったといいます。学校に行く前にはもう仕事に出ていて、丸岡さんが寝るころに帰ってくる。夏休みに自転車をこいでいたら、前から父親が歩いてきて、「久しぶりやな」と声をかけられたこともあったそう。
でも村全体が子どもを育てていました。親がいない時間は、別の家でご飯を食べ、お風呂に入り、誰かに迎えに来てもらって帰って寝る。それが普通として成り立っていた。もちろん、それはそもそも自分たちが生き延びるために助け合わなければならなかったという歴史があったからです。貧困と差別の中で生まれた相互扶助が、いつの間にかこの地域のDNAになっていたんですね。
今でも、子どもを地域全体で育てるカルチャーは普通にあるといいます。
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■地域通貨「まーぶ」——お金をもっと人に近づける実験
北芝発で、いまや箕面市全体に広がりつつある取り組みがあります。地域通貨「まーぶ」です。
100まーぶ=100円の価値を持つこの通貨は、子どもが稼ぎ、子どもが使うことを中心に設計されています。月1回ほど近隣のみのおキューズモールで開かれる「まーぶハローワーク」では、子どもたちがモールのお店で20分働くと100まーぶもらえます。商品の陳列、呼び込み——普通のアルバイトと変わらない仕事です。
稼いだまーぶは、コープ箕面やファミリーマートをはじめとした箕面市内の加盟店で1まーぶ=1円として使えます。循環すればするほど、地域の経済が活性化する仕組みになっています。
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さらにまーぶには、「ありがとうの気持ちを渡せる」という側面もあります。誰かに助けてもらったとき、お礼のかわりにまーぶを手渡します。お金のやりとりなのに、なぜかあたたかい。金額ではなく関係性のやりとりになっているからだと思います。
この仕組みの本当のねらいは、就労体験だけではありません。「稼ぐ・使う・また稼ぐ」というサイクルを子どもたちの日常に組み込むことで、多様な仕事や生き方に出会い、未来の選択肢を広げることを目指しています。ロールモデルが身近にいない子どもたちにとって、20分間の「はたらく体験」が最初の一歩になります。
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■「おやおや感知器」というまちのやさしさ
若者支援の話で、丸岡さんからこんな言葉が出てきました。
「地域の人たちには、いろんな背景の人を受け止める素地があります。私たちは『おやおや感知器』と呼んでいるんですが、新しい若者が来たとき、地域のおっちゃんたちはすぐに『おやおや、この人は訳ありやな』と感知するんです」
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差別を受け続けてきた経験が、排除されてきた人を見分ける感度を育てました。この「おやおや感知器」は、訓練で手に入るものではありません。差別され、貧困を生き、傷ついてきた歴史の中で、地域全体の皮膚感覚として育まれてきたものです。技術というより、生き様からにじみ出るやさしさ。
制度としての若者支援は、就労の準備がある程度整った人を対象にしがちです。北芝が対象にするのは、そこからはみ出した人たちです。不登校、引きこもり、貧困の連鎖、若くして妊娠——修学旅行にも行けなかった、青年期の体験から排除されてきた若者たちに、「まず地域の中に居場所をつくる」ことから始めているそうです。
就労が唯一の目標ではありません。「地域の中で役割と居場所を獲得して、いろんな人に支えられながら生活していくモデル」を目指しています。
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■「楽しい」が入口になる——芝樂とまちの文化
地域の土地を取得し、コンテナ倉庫2つを土台にみんなで手づくりした活動拠点「芝樂(しばらく)」があります。おしゃれなカフェ、チャレンジショップ、映画上映、コンサート、マーケット、そしてコミュニティ畑——楽しそうなことが次々と生まれていく場所です。
「思いついたらやってみる。できる方法を考える。カネと時間は、知恵を絞って作るもの」——これが北芝のDNAです。
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その結果、地域外の若者が「なんかおもろいことやってる」と集まってくるようになりました。どうしてこんなに若者が集まるんですかと視察に来た人たちは驚くそうです。丸岡さんはこう言っていました。
「楽しい地域だなって思ってもらったあとに、ここが部落だったんだって知ったら、マイナスにはならないでしょう。差別はおかしいって、自然に思えると思います」
これが「解放まちづくり」という考え方です。差別問題を正面から訴えるのではなく、まず楽しい関係を作る。その関係の中で、排除してきた社会への怒りを、楽しさとつながりに変換していく。30年かけて積み上げてきた、北芝にしかできない方法です。
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■ただ歩いているだけで、泣きたくなる
フィールドワーク中、丸岡さんと一緒に街を歩いていたら、偶然にもお父様にお会いすることができました。それだけでなく、どこに行ってもあちこちから声がかかります。
街全体がお互いを知っている。表情や言葉だけでなく、雰囲気そのものが、街そのものが——私がただ歩いているだけで、すごくやさしくて、大事にされているような、不思議な空気でした。自分が緩んでいくような、泣きたくなるような、幸せな気持ち。
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昼スナは、困った人が来る場所に見せないために店舗という形をとっています。「相談所」「居場所」みたいな看板を掲げると、困っている人しか来られなくなる。困っていようが、困っていなかろうが、誰でもふらっと立ち寄れる場所があったらいい——そう思って始めました。
6年目になった昼スナックが、30年後にはどうなっているんだろう。その時まで私、生きている気がしないけど——なんて思いながら、北芝を後にしました。
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■歴史の上に今があり、今の上に未来があるㅤ
帰ってから大阪に住む方々に「北芝に行ってきた」という話をしたところ、驚くほど誰もご存じありませんでした。でも丸岡さんに教えてもらったのですが、福岡は実は部落解放運動がとても進んでいる自治体なんだそうです。
私は福岡で生まれ育ったわけではないから学校でこれを学ぶ機会がなかったけれど、意外と自分の住んでいる地域のことは知らないものだなと思いました。これを機に、自分の住む地域の解放運動について調べてみたいと思っています。
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丸岡さん、素晴らしい学びを本当にありがとうございました。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 09:072.
行政要求型から住民参加型・地域発信型のまちづくりへの転換
- 13:423.
北芝まちあるき
- 07:054.
ロールモデルに出会う地域通貨まーぶ
- 01:125.
「楽しい」が入口になる開放まちづくり
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