#213 「死にたいバー」に行ってきた
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昼スナのお客さんの紹介で行ってきた「死にたいバー福岡」のレポートです。
めちゃめちゃインパクトあるこのイベント、不定期開催で今回が2回目とのこと。
東京では毎週、大阪では2週間に1回開かれており、いつも満席。どちらも約体30人程度の参加があるそうです。
今回の会場には昼スナのお客さんも数名。まだお店に来たことはないけれど、昼スナのインスタをフォローしてくださっている方にも何人かお声がけいただきました。
Xでしか告知をしていないこともあって、参加者は学生さんなど比較的お若い方が多い印象でしたが、様々なバックグラウンドや年代の方が集まっていました。
このイベント、ルールが3つあります。
①営業中に店内で死なないこと
②「俺の方があいつより辛いし、俺の死にたい気持ちの方が本物」などの不毛なマウント禁止
③ここで知り合って連絡先を交換した方に、死にたいバーの外でネガティブな感情をぶつけまくらない
死にたいバーは極めて特殊な環境なので、安易に外の世界へ持ち出さないように、というルールの設計に、主催者の細やかな配慮が感じられます。
SNSの交換についても案内があり、LINEなどクローズドなSNSはトラブルの元になりやすいため、Xやインスタのアカウントをおすすめしているとのこと。イベントの外で集まったりしないように、似たようなイベントを開催してトラブルが起きないように、細心の注意を払いながら継続されているそうです。
参加費は1時間500円の前払い制、現金またはPayPayで支払い可能。予約不要で途中参加・途中退室もOK。会場は博多区にあるイベントバーで17時から22時までの開催です。
乾杯の音頭が「せーの、死にてー!」だったり、席替えのじゃんけんが「死にてーじゃんけん、じゃんけんぽん」だったりと、切実さゆえのユーモアがあります。
しんみりした場を想像していたのですが、実際はみんなでわいわいお話している。普段は話せないことをここで発散しよう、という方も多いようで、むしろ元気になって帰っていく方もいるようです。
入場時に名札の色で「話したい」「聞きたい」を分けるシステムになっていて、無理に話さなくていい設計になっています。
席替えのたびに違う方とお話しできて、1時間ごとに出会いが更新されます。
主催者の方もファシリテーター的に話に入ってきてくれますし、話すのが得意でない方でも自然と話せる雰囲気です。トークテーマも都度提供してもらえるので、何を話そうと気負わなくていいのも助かります。
発達障害やトラウマ、仕事のしんどさなど、それぞれの背景があり「人には人の死にたさ」という言葉が妙にしっくりきました。
おすすめのメンタルクリニックの情報が共有されたり、「Googleマップのレビューはあてにならないから実際に通っている人の感想を聞きたい」などと、こういう場でしか聞けない話があるなと感じました。死にたいバーとはいいつつ、生きるために必要なこと、誰かの救いになれる可能性の話をしている時間でもあったように思います。
ちなみに、この場で死にたい気持ちがなかったのは、もしかしたら私だけだったかもしれません。完全にマイノリティした。
それでも居心地が悪くなかったのは、ここが「死にたい気持ちを否定しない場所」だからだと思います。否定しないというのは、肯定するということでもなく、ただ、その気持ちがそのままある、ということです。
死にたい(ほど辛い)という言葉を、恋バナや仕事の愚痴みたいにカジュアルに話せる場所が必要とされているんだな、と感じました。
「死にたい」という言葉はタブー視されがちですが、吐き出せる場があって、受け止めてもらえるなら、それで少し前を向けることもあるのかもしれません。身近な人には心配をかけるから言えない、だからこそ、利害関係のない「その場限りの繋がり」の中で話せる場には、独特の意味があると感じました。
死にたいという気持ちをオープンに語れる社会になれば、もっと多くの人が救われるのかもしれません。
死にたいバーに来ている人たちは、辛い状況にあっても「誰かと繋がろう」というモチベーションがまだある人たちです。
死にたいという言葉は、圧倒的なマイノリティ性を持っています。だからこそ、隠さずに話せる場所があるというのはとても大切なこと。そしてそれは、生きたい気持ちの裏返しでもあるのだろうと思います。
「次の死にたいバーまで生きてようね」——そう言って別れていく人たちがいました。
昼スナでは以前、「縁起でもないスナック」というイベントをやったことがあります。
おひとりで暮らされている方の死後事務を受託している社会福祉士の方と、死について語り合うというものでした。
誰にでも死は訪れます。本当は身近なことのはずなのに、私たちは日頃「死」を遠ざけて生きています。「死」について語り合うことは、「生」について考えることでもあり、この「生」をどう生きるか、どう最期を迎えるか、自分の生き様を考えることにもつながっているんじゃないかと思っています。
予定ではありますがこの夏から、昼スナでALP(Advance Life Planning:事前の人生設計)ーACPに加え、住まい、お金、生活の質(QOL)を含めたより包括的な計画ーをテーマにした終活のセミナーをやっていきたいと考えています。
ALPはまだ新しい概念で定義も定まっていませんが「尊厳ある人生を生きるために、自分の人生を前もって考える習慣を持つこと」と私は理解しています。
多くの方は社会的な立場や役割を優先して頑張っています。「本当はこんな風に生きてみたい」という思いに、わざと気づかないようにしていることもあるかもしれません。
自分の揺るぎない尊厳を守るために、自分の大切なものや大切なことを明らかにして、それに基づいた人生を生き通す。それがALPです。
終活における手続き(遺言・葬儀・お墓)も、医療・介護の選択も、どちらもALPという価値観の根っこに基づいてなされることがとても大切です。つい「何かを決めること」が目的になりがちですが、なぜそれを選択するのか、なぜ決めたいのか——自分の根っこに立ち返ることが大事。
これは高齢になってから始めるものではなく、いくつであっても自分の人生について前もって考え続ける習慣として持つもの。私自身もこのALPを作成しています。
「終活」を通じて自分のマイノリティ性、話しづらい部分を安心して語り合える場を、昼スナでも作っていきたいと思っています。詳細が決まりましたら、またご案内しますね。
めちゃめちゃインパクトあるこのイベント、不定期開催で今回が2回目とのこと。
東京では毎週、大阪では2週間に1回開かれており、いつも満席。どちらも約体30人程度の参加があるそうです。
今回の会場には昼スナのお客さんも数名。まだお店に来たことはないけれど、昼スナのインスタをフォローしてくださっている方にも何人かお声がけいただきました。
Xでしか告知をしていないこともあって、参加者は学生さんなど比較的お若い方が多い印象でしたが、様々なバックグラウンドや年代の方が集まっていました。
このイベント、ルールが3つあります。
①営業中に店内で死なないこと
②「俺の方があいつより辛いし、俺の死にたい気持ちの方が本物」などの不毛なマウント禁止
③ここで知り合って連絡先を交換した方に、死にたいバーの外でネガティブな感情をぶつけまくらない
死にたいバーは極めて特殊な環境なので、安易に外の世界へ持ち出さないように、というルールの設計に、主催者の細やかな配慮が感じられます。
SNSの交換についても案内があり、LINEなどクローズドなSNSはトラブルの元になりやすいため、Xやインスタのアカウントをおすすめしているとのこと。イベントの外で集まったりしないように、似たようなイベントを開催してトラブルが起きないように、細心の注意を払いながら継続されているそうです。
参加費は1時間500円の前払い制、現金またはPayPayで支払い可能。予約不要で途中参加・途中退室もOK。会場は博多区にあるイベントバーで17時から22時までの開催です。
乾杯の音頭が「せーの、死にてー!」だったり、席替えのじゃんけんが「死にてーじゃんけん、じゃんけんぽん」だったりと、切実さゆえのユーモアがあります。
しんみりした場を想像していたのですが、実際はみんなでわいわいお話している。普段は話せないことをここで発散しよう、という方も多いようで、むしろ元気になって帰っていく方もいるようです。
入場時に名札の色で「話したい」「聞きたい」を分けるシステムになっていて、無理に話さなくていい設計になっています。
席替えのたびに違う方とお話しできて、1時間ごとに出会いが更新されます。
主催者の方もファシリテーター的に話に入ってきてくれますし、話すのが得意でない方でも自然と話せる雰囲気です。トークテーマも都度提供してもらえるので、何を話そうと気負わなくていいのも助かります。
発達障害やトラウマ、仕事のしんどさなど、それぞれの背景があり「人には人の死にたさ」という言葉が妙にしっくりきました。
おすすめのメンタルクリニックの情報が共有されたり、「Googleマップのレビューはあてにならないから実際に通っている人の感想を聞きたい」などと、こういう場でしか聞けない話があるなと感じました。死にたいバーとはいいつつ、生きるために必要なこと、誰かの救いになれる可能性の話をしている時間でもあったように思います。
ちなみに、この場で死にたい気持ちがなかったのは、もしかしたら私だけだったかもしれません。完全にマイノリティした。
それでも居心地が悪くなかったのは、ここが「死にたい気持ちを否定しない場所」だからだと思います。否定しないというのは、肯定するということでもなく、ただ、その気持ちがそのままある、ということです。
死にたい(ほど辛い)という言葉を、恋バナや仕事の愚痴みたいにカジュアルに話せる場所が必要とされているんだな、と感じました。
「死にたい」という言葉はタブー視されがちですが、吐き出せる場があって、受け止めてもらえるなら、それで少し前を向けることもあるのかもしれません。身近な人には心配をかけるから言えない、だからこそ、利害関係のない「その場限りの繋がり」の中で話せる場には、独特の意味があると感じました。
死にたいという気持ちをオープンに語れる社会になれば、もっと多くの人が救われるのかもしれません。
死にたいバーに来ている人たちは、辛い状況にあっても「誰かと繋がろう」というモチベーションがまだある人たちです。
死にたいという言葉は、圧倒的なマイノリティ性を持っています。だからこそ、隠さずに話せる場所があるというのはとても大切なこと。そしてそれは、生きたい気持ちの裏返しでもあるのだろうと思います。
「次の死にたいバーまで生きてようね」——そう言って別れていく人たちがいました。
昼スナでは以前、「縁起でもないスナック」というイベントをやったことがあります。
おひとりで暮らされている方の死後事務を受託している社会福祉士の方と、死について語り合うというものでした。
誰にでも死は訪れます。本当は身近なことのはずなのに、私たちは日頃「死」を遠ざけて生きています。「死」について語り合うことは、「生」について考えることでもあり、この「生」をどう生きるか、どう最期を迎えるか、自分の生き様を考えることにもつながっているんじゃないかと思っています。
予定ではありますがこの夏から、昼スナでALP(Advance Life Planning:事前の人生設計)ーACPに加え、住まい、お金、生活の質(QOL)を含めたより包括的な計画ーをテーマにした終活のセミナーをやっていきたいと考えています。
ALPはまだ新しい概念で定義も定まっていませんが「尊厳ある人生を生きるために、自分の人生を前もって考える習慣を持つこと」と私は理解しています。
多くの方は社会的な立場や役割を優先して頑張っています。「本当はこんな風に生きてみたい」という思いに、わざと気づかないようにしていることもあるかもしれません。
自分の揺るぎない尊厳を守るために、自分の大切なものや大切なことを明らかにして、それに基づいた人生を生き通す。それがALPです。
終活における手続き(遺言・葬儀・お墓)も、医療・介護の選択も、どちらもALPという価値観の根っこに基づいてなされることがとても大切です。つい「何かを決めること」が目的になりがちですが、なぜそれを選択するのか、なぜ決めたいのか——自分の根っこに立ち返ることが大事。
これは高齢になってから始めるものではなく、いくつであっても自分の人生について前もって考え続ける習慣として持つもの。私自身もこのALPを作成しています。
「終活」を通じて自分のマイノリティ性、話しづらい部分を安心して語り合える場を、昼スナでも作っていきたいと思っています。詳細が決まりましたら、またご案内しますね。
昼スナママ・フィッシュ明子の役にたたなくてもいいラジオ
フィッシュ 明子
- 00:161.
タイトルコール
- 06:492.
切実さゆえのユーモア
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縁起でもないスナックとALP
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