第2065回「感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の一 –」2026/9/2
14:11
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■弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kukai2026/
■管長日記「感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の一 –」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40708/
■YouTube
https://youtu.be/kBWLddhO79s
■note
https://note.com/engakuji/n/n1f2e1c4773bb
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
須磨寺の小池陽人さんから、東京国立博物館で開催されている『空海と真言の名宝』展のご招待をいただきました。
有り難いご縁であります。
八月二十六日に、一弦須磨琴のしらべとお話という催しがございました。
須磨琴の演奏と小池さんのお話を聴くことができるので、是非ともと思って参りました。
ご縁をいただいている栗山英樹さんもお誘いして須磨琴の調べに耳を澄ませ、小池さんのお話を拝聴し、そして名宝の数々を拝ませていただきました。
感動の一日となりました。
その日はとても暑い日となりました。
上野公園を歩いているだけで汗が流れます。
平成館の入り口では、お忙しいであろうに小池さんがわざわざお出迎えくださいました。
須磨琴の演奏が四十分ほどございました。
いただいたパンフレットには須磨琴の由来について書かれています。
「今から一千百余年の昔(平安時代初期)にさかのぼる。
中納言在原行平卿が勅勘を被って須磨の地に流されたとき、渚で拾った板切れに自らの冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられている。
このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきた。」
と書かれています。
在原行平は在原業平の兄だそうです。
その当時は、都から遠く離れた、流されて行くような土地であったのであります。
珍しい一弦の琴なのです。
そんないわれがあるだけに、何かもの悲しい音色がいたします。
小池さんのご説明では、この須磨琴が一度途絶えていたのを昭和四十年に前管長の小池義人和上の努力によって再興されたそうなのです。
ひとたび途絶えていたものを再興するというのは、たいへんなご苦労だったろうと察します。
そんな時代の変遷を経て、今その一弦須磨琴を聴くことができるのは幸いであります。
三曲が演奏されていました。
一曲目は「三千世界」という題でした。
二曲目は「須磨」という題です。
そして三曲目は、「弘法大師御生誕奉祝讃歌」であります。
この三曲目は今の管長である小池弘三猊下が作詞されたものでありました。
耳を澄ませて聴いていると、その音色には太古の響きがあるように感じました。
二曲目の「須磨」の歌詞は、
わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に もしほ垂れつつ わぶと答へよ
という在原行平の和歌であります。
意訳すると、「もしも、ふと私のことを気にかけて、どうしているのかと尋ねる人がいたなら、『須磨の浦で、涙にくれながら、寂しくわびしい日々を送っています』と伝えてください。」というところです。
「わらくばに」は「たまたま」「まれに」という意味です。
もしも偶然にでもという意味合いです。
「もしほ(藻塩)垂れつつ」という「藻塩」は、海藻に海水をかけるなどして塩を作る古い製塩法に関係する言葉だそうです。
その海水を「垂らす」という情景と、悲しみのために涙を垂らすこととが重ねられています。
今でこそ観光地となっている須磨の海でありますが、都から流されてしまった須磨の海の寂しい風景と、都を離れた行平の心の寂しさとが、一つになった歌であります。
それだけに須磨琴の調べにも悲しみが湛えられています。
三曲の演奏が終わって、そのあと小池さんのお話でありました。
弘法大師の生涯と題してお話くださいました。
お話は二十分ほどの時間しかなかったのですが、幼い頃の弘法大師の逸話から楽しく拝聴させていただきました。
インドでお釈迦さまから始まった仏教ですが、それが紀元前後に大乗仏教として発展して、禅や念仏の教えなどが生まれました。
そして大乗仏教は究極的に密教へと発展したのでした。
密教は大乗仏教の究極ということもできます。
私などは生涯届くことはない世界だろうと思っていましたが、小池さんとのご縁をいただいて、わずかですが、真言密教の世界にも触れることができました。
弘法大師は日本仏教の中でも特別な存在であります。
天才といってもよい方のように思うのですが、お話を拝聴していると、お若い頃から幾多の困難を乗り越えてこられたことが分かりました。
弘法大師は平安時代の西暦七七四年、讃岐国(現在の香川県善通寺市)で誕生したと伝えられています。
幼名は真魚(まお)と言いました。
幼い頃から聡明で「神童」と呼ばれていたそうです。
七歳の時、捨身ヶ岳の断崖絶壁から「世のため人のためになるならお救いください」と誓願を立てて飛び降り、天女に救われたというのです。
「捨身誓願」の逸話があるのです。
小池さんは「これは、生涯を利他のために生きたお大師様の姿勢を象徴している」とお話くださっていました。
一八歳で、官僚養成の最高教育機関であった大学寮に入り、母方の叔父である阿刀大足(あとのおおたり)のもとで勉学に励みました。
しかし、大学をやめてしまい私度僧となり、修行に打ち込みます。
二四歳の時、戯曲的な形式で書かれた『聾瞽指帰(ろうこしいき)』(後に「三教指帰」と改名)を著します。
これは儒教、道教、仏教を比較し、仏教の優位性を説く内容で、自身の出家宣言文であったというのです。
その出家宣言後の七年間は消息不明で「空白の七年間」と呼ばれるそうです。
山岳修行や経典の研究に明け暮れていたと推測されます。
修行の末、奈良の久米寺で密教の経典「大日経」と出会います。
その中の一節「如実知自心」の奥深さが理解できず、初めて「わからない」という体験をします。
これにより、多くの人々を救う教えは密教にあると直感しました。
遣唐使として入唐して恵果阿闍梨に出会います。
恵果阿闍梨に灌頂を授けられたことについては小池さんも熱意を込めてお話くださっていました。
お話から小池さんがいかに弘法大師をお慕いしているか、そのお心が伝わってきました。
お話の終わりに小池さんは、真言密教の教えは「生かせいのち」という一言に集約されると説いてくださっていました。
人間の命がどれだけ奇跡的で尊いものであるかということです。
真言密教で説く「即身成仏」というのは、来世ではなく、今この生を生きながら仏になること、つまり幸せになることであるというのです。
曼荼羅の世界観についても短い時間で、「曼荼羅には、中心の大日如来だけでなく、様々な存在が描かれており、そのすべてが仏の現れであるとされる」とお示しくださっていました。
この曼荼羅の世界観からすれば、一人ひとりに無価値な存在はなく、それぞれに大切な役割があるということなのでしょう。
熱のこもった小池さんの弘法大師のお話を拝聴して、そのあと名宝の数々を拝見できるのが楽しみとなりました。
横田南嶺
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kukai2026/
■管長日記「感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の一 –」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40708/
■YouTube
https://youtu.be/kBWLddhO79s
■note
https://note.com/engakuji/n/n1f2e1c4773bb
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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須磨寺の小池陽人さんから、東京国立博物館で開催されている『空海と真言の名宝』展のご招待をいただきました。
有り難いご縁であります。
八月二十六日に、一弦須磨琴のしらべとお話という催しがございました。
須磨琴の演奏と小池さんのお話を聴くことができるので、是非ともと思って参りました。
ご縁をいただいている栗山英樹さんもお誘いして須磨琴の調べに耳を澄ませ、小池さんのお話を拝聴し、そして名宝の数々を拝ませていただきました。
感動の一日となりました。
その日はとても暑い日となりました。
上野公園を歩いているだけで汗が流れます。
平成館の入り口では、お忙しいであろうに小池さんがわざわざお出迎えくださいました。
須磨琴の演奏が四十分ほどございました。
いただいたパンフレットには須磨琴の由来について書かれています。
「今から一千百余年の昔(平安時代初期)にさかのぼる。
中納言在原行平卿が勅勘を被って須磨の地に流されたとき、渚で拾った板切れに自らの冠の緒を張って琴を作り、岸辺の葦の茎を爪にして、その琴を弾じながら、はるか都を偲び自らの寂寥を慰めたのが始まりと伝えられている。
このため、古くから「須磨琴」と呼び慣らわされてきた。」
と書かれています。
在原行平は在原業平の兄だそうです。
その当時は、都から遠く離れた、流されて行くような土地であったのであります。
珍しい一弦の琴なのです。
そんないわれがあるだけに、何かもの悲しい音色がいたします。
小池さんのご説明では、この須磨琴が一度途絶えていたのを昭和四十年に前管長の小池義人和上の努力によって再興されたそうなのです。
ひとたび途絶えていたものを再興するというのは、たいへんなご苦労だったろうと察します。
そんな時代の変遷を経て、今その一弦須磨琴を聴くことができるのは幸いであります。
三曲が演奏されていました。
一曲目は「三千世界」という題でした。
二曲目は「須磨」という題です。
そして三曲目は、「弘法大師御生誕奉祝讃歌」であります。
この三曲目は今の管長である小池弘三猊下が作詞されたものでありました。
耳を澄ませて聴いていると、その音色には太古の響きがあるように感じました。
二曲目の「須磨」の歌詞は、
わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に もしほ垂れつつ わぶと答へよ
という在原行平の和歌であります。
意訳すると、「もしも、ふと私のことを気にかけて、どうしているのかと尋ねる人がいたなら、『須磨の浦で、涙にくれながら、寂しくわびしい日々を送っています』と伝えてください。」というところです。
「わらくばに」は「たまたま」「まれに」という意味です。
もしも偶然にでもという意味合いです。
「もしほ(藻塩)垂れつつ」という「藻塩」は、海藻に海水をかけるなどして塩を作る古い製塩法に関係する言葉だそうです。
その海水を「垂らす」という情景と、悲しみのために涙を垂らすこととが重ねられています。
今でこそ観光地となっている須磨の海でありますが、都から流されてしまった須磨の海の寂しい風景と、都を離れた行平の心の寂しさとが、一つになった歌であります。
それだけに須磨琴の調べにも悲しみが湛えられています。
三曲の演奏が終わって、そのあと小池さんのお話でありました。
弘法大師の生涯と題してお話くださいました。
お話は二十分ほどの時間しかなかったのですが、幼い頃の弘法大師の逸話から楽しく拝聴させていただきました。
インドでお釈迦さまから始まった仏教ですが、それが紀元前後に大乗仏教として発展して、禅や念仏の教えなどが生まれました。
そして大乗仏教は究極的に密教へと発展したのでした。
密教は大乗仏教の究極ということもできます。
私などは生涯届くことはない世界だろうと思っていましたが、小池さんとのご縁をいただいて、わずかですが、真言密教の世界にも触れることができました。
弘法大師は日本仏教の中でも特別な存在であります。
天才といってもよい方のように思うのですが、お話を拝聴していると、お若い頃から幾多の困難を乗り越えてこられたことが分かりました。
弘法大師は平安時代の西暦七七四年、讃岐国(現在の香川県善通寺市)で誕生したと伝えられています。
幼名は真魚(まお)と言いました。
幼い頃から聡明で「神童」と呼ばれていたそうです。
七歳の時、捨身ヶ岳の断崖絶壁から「世のため人のためになるならお救いください」と誓願を立てて飛び降り、天女に救われたというのです。
「捨身誓願」の逸話があるのです。
小池さんは「これは、生涯を利他のために生きたお大師様の姿勢を象徴している」とお話くださっていました。
一八歳で、官僚養成の最高教育機関であった大学寮に入り、母方の叔父である阿刀大足(あとのおおたり)のもとで勉学に励みました。
しかし、大学をやめてしまい私度僧となり、修行に打ち込みます。
二四歳の時、戯曲的な形式で書かれた『聾瞽指帰(ろうこしいき)』(後に「三教指帰」と改名)を著します。
これは儒教、道教、仏教を比較し、仏教の優位性を説く内容で、自身の出家宣言文であったというのです。
その出家宣言後の七年間は消息不明で「空白の七年間」と呼ばれるそうです。
山岳修行や経典の研究に明け暮れていたと推測されます。
修行の末、奈良の久米寺で密教の経典「大日経」と出会います。
その中の一節「如実知自心」の奥深さが理解できず、初めて「わからない」という体験をします。
これにより、多くの人々を救う教えは密教にあると直感しました。
遣唐使として入唐して恵果阿闍梨に出会います。
恵果阿闍梨に灌頂を授けられたことについては小池さんも熱意を込めてお話くださっていました。
お話から小池さんがいかに弘法大師をお慕いしているか、そのお心が伝わってきました。
お話の終わりに小池さんは、真言密教の教えは「生かせいのち」という一言に集約されると説いてくださっていました。
人間の命がどれだけ奇跡的で尊いものであるかということです。
真言密教で説く「即身成仏」というのは、来世ではなく、今この生を生きながら仏になること、つまり幸せになることであるというのです。
曼荼羅の世界観についても短い時間で、「曼荼羅には、中心の大日如来だけでなく、様々な存在が描かれており、そのすべてが仏の現れであるとされる」とお示しくださっていました。
この曼荼羅の世界観からすれば、一人ひとりに無価値な存在はなく、それぞれに大切な役割があるということなのでしょう。
熱のこもった小池さんの弘法大師のお話を拝聴して、そのあと名宝の数々を拝見できるのが楽しみとなりました。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
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感動の『空海と真言の名宝』展 – 其の一 –
コメント

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1000年前の須磨はどんなだったんでしょう? 一弦の琴の音が沁み入る静かなところだったのかな〜
生きている間に今後こんなことはないだろうと、どうしてもニ間観音さんのご尊顔を拝したくて行ってきました。
数々の仏様がいらっしゃいましたが須磨寺の十一面観音さんも思わず手を合わせてしまいました。
貴重な経験ができました。
ありがとうございました。
一弦須磨琴の演奏は、須磨寺で聞いたことがありましたが、ホールで聞くとまた、違った印象もあり、素晴らしく感じました。
その後の陽人さんの法話も時間は短いけれど、お大師様のことがよく伝わってきました。前方で法話を聞いて涙している方もいました。
イベントだけでなく老師にもご挨拶できて嬉しい会でした。🪷