第2099回「伊勢参りに因んで」2026/10/6
12:12
104再生
■管長日記「伊勢参りに因んで」
https://www.engakuji.or.jp/blog/40838/
■YouTube
https://youtu.be/yoecelj_vrM
■note
https://note.com/engakuji/n/ned3b08688b35
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
先日は三重県津市の四天王寺さまにお参りしたあとに、伊勢神宮にもお参りさせてもらいました。
外宮にお参りして、さらに内宮にお参りして、どちらも御垣内参拝をさせていただきました。
なにごともなく参拝させていただいたのですが、昔は、僧尼遙拝所というのがあって、お坊さんは正宮の近くまでは入れなかったそうなのです。
夢窓国師の『夢中問答集』に、夢窓国師が伊勢神宮にお参りされたことについて書かれています。
講談社学術文庫の『夢中問答集』にある川瀬一馬先生の現代語訳を引用させてもらいます。
「伊勢太神宮では幣帛を捧げることも禁ぜられているし、経・陀羅尼を読誦することも許されない。
私は先年伊勢へ下って、外宮の辺りに泊まったことがあった。
その時、一の禰宜という人にそのわけを尋ねたところ、この社に参詣する時には、内外の清浄(きよめ)というものがある。
外の清浄というのは、精進潔斎して身体をけがれに触れないことである。
内の清浄とは、胸中に名利の望みを持たないことである。
通例、幣帛を捧げて神慮をなぐさめることは、皆この名利の望みをお祈り申すためであるから、内清浄ではない。それでこれを禁ぜられている。」
と書かれています。
お願いごとをするのではないということが書かれています。
さらに夢窓国師は「この話のついでに、御社殿近く僧侶が入らないことになっているのは、どういうわけだろうと尋ねたところ、かの禰宜が答えて言うには、「世間ではいろいろとこのわけを説明する人もあるが、それらは皆あて推量の説明である。
日本に仏法が渡ってきたのは、第三十代の帝、欽明天皇の御時である。
太古に神さまがこの地にお鎮まりなされた時は、仏法はいまだ世に行なわれず、僧侶などもいたわけはない。
それ故、僧侶は参ってはならぬという御戒めもありようはずがない。
昔は宮中などへも、僧侶のなりで参ることはなかった。
それが仏法が広まった時世になって、国王が御信仰になったために、智者高徳の僧を宮中へも召し入れられた。
それ以来、僧侶も出入を許されることになったのである。
この神社は、昔のしきたりを改めず、また、内清浄ということを人に示さんがために、法楽を受けられないと御託宣(おつげ)があったために、自然に僧侶は出入しないしきたりになった。
神は皆仏菩薩がこの日本の国に姿を変えて出現なさったものである。
どうして、神が、真実、僧侶を憎まれることがあろう。
それ故、昔、高僧で神殿の中に入られた方もあった」という話であった。
本殿のそばまでは僧侶も差し支えないというので、翌日、内宮へお参りしてお宮の様子を拝見すると、古い崖に苔が重なり、大木が枝をさしかわしたありさまに、どれほどの歳月を経たのであろうと、遠い神代の昔を見る心持ちがした。」
と書かれています。
夢窓國師は内宮でご参拝されたことがわかります。
そして僧侶が入れないようになっていた経緯もわかります。
夢窓国師は、さらに当時ご覧になった伊勢神宮の様子について、
「高い山脈がずっとのび連なり、清流がみなぎって、本朝ならぬ遠く異国までも続いているかと思われるほど、奥の深い気色である。
社殿がその中にあって、土地を平らに地ならしをされたということもなく、ただ自然に傾斜した山容(やまのすがた)のままである。
本殿は茅葺で、椽(たるき)も皆まっすぐに、鳥居のおおいにもそりがない。
お供えの米はただ三杵つくだけである。
神主・巫女および参詣の貴賤の人々も、おしゃべりをせず、静かに歩みを運ぶのも、敬虔な態度である。」
と記述されています。
夢窓国師がご覧になった景色は、今もほとんど変わらないように思われます。
もっとも現在の伊勢神宮では「正宮は公の祈願をお祭りという形で行う場所ですので、感謝の気持ちを天照大御神に伝えるのが古くからの風習です。」と解説されています。
しかしさらに「ですが、決して個人的なことを祈ってはいけないところではありません。個人的なお願いごとは荒祭宮(あらまつりのみや)と多賀宮(たかのみや)でする、というような地元の風習としての信仰もありますが、どの宮社でもまず感謝をし、次にお願いごとをすれば良いかと思われます。」
と解説してくださっています。
円覚寺の朝比奈宗源老師も伊勢神宮にお参りされています。
昭和四十八年に伊勢神宮の式年遷宮を記念して世界連邦宗教者大会が伊勢の地で開かれました。
当時大会長であった朝比奈老師は伊勢神宮に参拝なされています。
その折に、天照皇大御大神からご神託を受けられたといいます。
「世界連邦の理想も大事だが、まず足元の日本の精神的再建が先決だ」と。
このことがもとになって、昭和四十九年に「日本を守る会」が結成されたのでした。
また朝比奈老師はお若い頃に、現在の津市一身田にある明覚寺に住されていた村田静照和上を訪ねて念仏の教えを学ばれています。
大正十一年、朝比奈老師がまだ三一歳の頃、村田和上はその頃六十七歳でした。
朝比奈老師が和上にお目にかかったのは、鳥羽の法筵だったようです。
毎晩夜を徹して、老師は禅を語り、村田和上から念仏を学び、お互いにまるで交換教授のように、研鑽されたのだそうです。
そんなご体験から朝比奈老師は、「禅は修行者だけの宗門ではない。自ら修行できぬものは、仏心を信ずればいい。信ずれば救われるのではなくて、すでにきみは救われているのだ。
すべての人々も、救われているのだ。そのことを信じさえすればいい。」(『覚悟はよいか』)と説かれています。
伊勢にお参りして夢窓国師や朝比奈老師のことを思い起こしました。
横田南嶺
https://www.engakuji.or.jp/blog/40838/
■YouTube
https://youtu.be/yoecelj_vrM
■note
https://note.com/engakuji/n/ned3b08688b35
最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
-------------------------------------------------
先日は三重県津市の四天王寺さまにお参りしたあとに、伊勢神宮にもお参りさせてもらいました。
外宮にお参りして、さらに内宮にお参りして、どちらも御垣内参拝をさせていただきました。
なにごともなく参拝させていただいたのですが、昔は、僧尼遙拝所というのがあって、お坊さんは正宮の近くまでは入れなかったそうなのです。
夢窓国師の『夢中問答集』に、夢窓国師が伊勢神宮にお参りされたことについて書かれています。
講談社学術文庫の『夢中問答集』にある川瀬一馬先生の現代語訳を引用させてもらいます。
「伊勢太神宮では幣帛を捧げることも禁ぜられているし、経・陀羅尼を読誦することも許されない。
私は先年伊勢へ下って、外宮の辺りに泊まったことがあった。
その時、一の禰宜という人にそのわけを尋ねたところ、この社に参詣する時には、内外の清浄(きよめ)というものがある。
外の清浄というのは、精進潔斎して身体をけがれに触れないことである。
内の清浄とは、胸中に名利の望みを持たないことである。
通例、幣帛を捧げて神慮をなぐさめることは、皆この名利の望みをお祈り申すためであるから、内清浄ではない。それでこれを禁ぜられている。」
と書かれています。
お願いごとをするのではないということが書かれています。
さらに夢窓国師は「この話のついでに、御社殿近く僧侶が入らないことになっているのは、どういうわけだろうと尋ねたところ、かの禰宜が答えて言うには、「世間ではいろいろとこのわけを説明する人もあるが、それらは皆あて推量の説明である。
日本に仏法が渡ってきたのは、第三十代の帝、欽明天皇の御時である。
太古に神さまがこの地にお鎮まりなされた時は、仏法はいまだ世に行なわれず、僧侶などもいたわけはない。
それ故、僧侶は参ってはならぬという御戒めもありようはずがない。
昔は宮中などへも、僧侶のなりで参ることはなかった。
それが仏法が広まった時世になって、国王が御信仰になったために、智者高徳の僧を宮中へも召し入れられた。
それ以来、僧侶も出入を許されることになったのである。
この神社は、昔のしきたりを改めず、また、内清浄ということを人に示さんがために、法楽を受けられないと御託宣(おつげ)があったために、自然に僧侶は出入しないしきたりになった。
神は皆仏菩薩がこの日本の国に姿を変えて出現なさったものである。
どうして、神が、真実、僧侶を憎まれることがあろう。
それ故、昔、高僧で神殿の中に入られた方もあった」という話であった。
本殿のそばまでは僧侶も差し支えないというので、翌日、内宮へお参りしてお宮の様子を拝見すると、古い崖に苔が重なり、大木が枝をさしかわしたありさまに、どれほどの歳月を経たのであろうと、遠い神代の昔を見る心持ちがした。」
と書かれています。
夢窓國師は内宮でご参拝されたことがわかります。
そして僧侶が入れないようになっていた経緯もわかります。
夢窓国師は、さらに当時ご覧になった伊勢神宮の様子について、
「高い山脈がずっとのび連なり、清流がみなぎって、本朝ならぬ遠く異国までも続いているかと思われるほど、奥の深い気色である。
社殿がその中にあって、土地を平らに地ならしをされたということもなく、ただ自然に傾斜した山容(やまのすがた)のままである。
本殿は茅葺で、椽(たるき)も皆まっすぐに、鳥居のおおいにもそりがない。
お供えの米はただ三杵つくだけである。
神主・巫女および参詣の貴賤の人々も、おしゃべりをせず、静かに歩みを運ぶのも、敬虔な態度である。」
と記述されています。
夢窓国師がご覧になった景色は、今もほとんど変わらないように思われます。
もっとも現在の伊勢神宮では「正宮は公の祈願をお祭りという形で行う場所ですので、感謝の気持ちを天照大御神に伝えるのが古くからの風習です。」と解説されています。
しかしさらに「ですが、決して個人的なことを祈ってはいけないところではありません。個人的なお願いごとは荒祭宮(あらまつりのみや)と多賀宮(たかのみや)でする、というような地元の風習としての信仰もありますが、どの宮社でもまず感謝をし、次にお願いごとをすれば良いかと思われます。」
と解説してくださっています。
円覚寺の朝比奈宗源老師も伊勢神宮にお参りされています。
昭和四十八年に伊勢神宮の式年遷宮を記念して世界連邦宗教者大会が伊勢の地で開かれました。
当時大会長であった朝比奈老師は伊勢神宮に参拝なされています。
その折に、天照皇大御大神からご神託を受けられたといいます。
「世界連邦の理想も大事だが、まず足元の日本の精神的再建が先決だ」と。
このことがもとになって、昭和四十九年に「日本を守る会」が結成されたのでした。
また朝比奈老師はお若い頃に、現在の津市一身田にある明覚寺に住されていた村田静照和上を訪ねて念仏の教えを学ばれています。
大正十一年、朝比奈老師がまだ三一歳の頃、村田和上はその頃六十七歳でした。
朝比奈老師が和上にお目にかかったのは、鳥羽の法筵だったようです。
毎晩夜を徹して、老師は禅を語り、村田和上から念仏を学び、お互いにまるで交換教授のように、研鑽されたのだそうです。
そんなご体験から朝比奈老師は、「禅は修行者だけの宗門ではない。自ら修行できぬものは、仏心を信ずればいい。信ずれば救われるのではなくて、すでにきみは救われているのだ。
すべての人々も、救われているのだ。そのことを信じさえすればいい。」(『覚悟はよいか』)と説かれています。
伊勢にお参りして夢窓国師や朝比奈老師のことを思い起こしました。
横田南嶺
【鎌倉円覚寺】毎日の管長日記と呼吸瞑想
臨済宗大本山円覚寺
- 12:121.
伊勢参りに因んで
コメント

感想・質問・応援メッセージを書こう
ここ数日、拝聴しながら伊勢神宮の下宮、内宮、猿田彦神社に参拝した記憶が蘇りました😌
自然そのままの山々や木々、五十鈴川の清流に清められた心地がしました🌿✨古より続く玉砂利の道を厳かに歩み進めたことも、夢想國師が歩まれた道と重なり、感慨深い朝になりました⛩️✨
ありがとうございます🙏
(-人-)
社殿がその中にあって、土地を平らに地ならしをされたということもなく、ただ自然に傾斜した山容のままである。
本殿は茅葺で、椽も皆まっすぐに、鳥居のおおいにもそりがない。
お供えの米はただ三杵つくだけである。
神主・巫女および参詣の貴賤の人々も、おしゃべりをせず、静かに歩みを運ぶのも、敬虔な態度である。」
→→夢窓国師の頃の伊勢神宮の様子を思い浮かべました。🙏
お伊勢詣りした時私はまだ若くて観光気分でした。
道の真ん中は歩かない、お願い事はせず、ただいつも有難うございます、と挨拶することだけはしましたがウキウキワクワクしながら参道を歩いていた気がします。
楽しいお伊勢参りでした。
有難うございました。