TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ「好きにしていいよ」は、自由の言葉であり、見捨てる言葉でもある。09:56 8月30日 267再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次「推し活眼鏡」が映す現代の営みSNS疲れと「好き」の解放論「好きに推していいよ」の落とし穴共同体の責任から切り離される「好き」「推し活」が示すコミュニティの未来AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは。鳥居 博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は、好きにしていいよは自由の言葉であり、 見捨てる言葉でもあるというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 子育ては現代の押し勝つの一種だ。 最近こんな言葉を耳にする機会が増えたなってふうに感じます。 確かに言われてみればわからなくもないです。 時間もお金も感情も我が子に注ぎ込んで少し成長しただけで嬉しくなる。 自分に直接の見返りがなくてもその存在そのものを応援したいと願うような気持ち。 そこだけを切り取ればなるほどうまいことを言うなっていうふうに思います。 だから僕は子育てを押し勝つと呼ぶなんてけしからんっていうふうに言いたいわけではありません。 今気になっているのはその先の話なんですよね。今日はそんなお話になります。 で、原来では押し勝つという言葉が便利な共通言語になった結果、僕らは世の中のいろいろな営みをこの眼鏡越しに見るようになったんだっていうふうに思うんですよね。 子育ても押し勝つ、学術研究なんかも押し勝つ、そして地域起こしも押し勝つみたいです。 伝統芸能を守ることも、地方の小さな書店なんかを続けることも好きだからやっているんだと言われれば確かにそう見えてきます。 で、この文章の中ではそれを押し勝つ眼鏡っていうふうに呼んでみたいんですよね。 ではなぜ僕らはこの押し勝つ眼鏡を好んで書けるようになったのか、まずはその功績の方から考えてみたいっていうふうに思うんですよね。 そもそも今のインターネットでは好きということがとても難しくなりました。難しい本が好きだって言えば教養マウント、仕事が好きだと言えば意識が高い系、 高級ブランドが好きだと言えば成り勤であって、子育てが楽しいと言えば幸せ家族アピールですかっていうふうに言われるわけですよね。 私はこれが好きですという単純な、そんな一人称の発話みたいなものがそのままダイレクトには受け取ってもらえない。 それを好きだと言える自分を見せたいんでしょう、みたいなそういうメタメッセージを聞き手の側が勝手に読み込んでしまうわけです。 実際そういうマウント合戦が2010年代の後半頃には横行したからこそ、そんな穿った見方も広がってしまったわけです。 でも本人としては高校生の頃に読んだこの一冊に救われたとか、自分の人生の思い出をただ語っているだけの場合もあるわけですよね。 好きなものについて語ることは他人について語っているようで、実際には自分がどう生きてきたのかを語ることでもあるわけです。 それなのに公共の場、特にSNSではマウントやアピールみたいなふうに変換されてしまう。 だから人はだんだん好きなものについて語らなくなったっていうふうに思うんです。 SNSをやめましたみたいなふうに宣言する人の中にも、このメタメッセージのやり取り、その読み合いに疲れた人っていうのはかなり多かったような気がしています。 そんなふうにSNS文化がギスギスし始めたとき、推し勝つという言葉はかなり大きな役割を果たしたなっていうふうに思うんです。 別に偉いとも正しいというふうにも思っていない。ただ好きなんですと、そう言える場所をこの推し勝つという言葉は確保してくれたわけですよね。 推し勝つという言葉には最初から主観性の宣言みたいなものが含まれているわけですから、世界で一番優れていると主張しているわけでもないし、 みんなも好きになるべきだっていうふうに強要しているわけでもない。ただただ私はこれが好きなんだと。 このボイスの中でも何度もご紹介してきたリチャードローティーのリベラルアイロニストみたいなそんな小難しい言葉を推し勝つっていう言葉一言で言い表したわけです。 世の中にはいろいろあるけど、それでも私はこれが一番好きなんだってことです。 だから堂々と偏愛を語ることができるし、目一杯愛を叫ぶこともできる。 かつてだったら笑われたり、詐欺すまれたりした行為に、市民権みたいなものを与えたわけですよね。好きを他人の評価軸から開放したわけです。 これこそが推し勝つという言葉の大きな功績の部分だというふうに思うんです。 ところがこのただ好きなだけなんだから放っておいてくれという論理には続きがあるわけです。 同じ論理において社会の側からこうも言えてしまうわけですから、ただ好きなだけなんですよね。 じゃああなたが勝手にやればいいですよねというふうにです。好きだから口は出さない。ここまではものすごく寛容な態度に見えます。 でもその寛容さというのは裏を返せば口は出さない。だからお金も手も出さない。 あなたが好きでやっているんだから、あとは好き勝手どうぞというふうにです。 つまり好きに推していいよという言葉っていうのは自由を与える言葉であると同時に相手を見捨てる言葉なんかにもなり得るわけです。 好きを他人の評価から解放してくれたその同じ論理が好きを共同体の責任からも切り離してしまうわけですよね。 つまり解放と孤立みたいなものが表裏一体となっているわけです。 ここで冒頭の子育ての話に戻りたいんです。子供を愛しているのは基本的にはその親ですよね。 だから親が時間もお金も注ぎ込み、そこだけを見れば確かにお仕方によく似ているんです。 でもあなたがその子を好きなんでしょ。だったらあなたが勝手に育てればいいんじゃないっていうふうに変わった瞬間、 意味は全く違ってくるはずです。次の世代を育てることは本来社会全体、世間全体の営みでもあったはずなんです。 にも関わらずこれを究極の押し勝つというふうに呼んでしまうと、子育てを家庭の内側へと閉じ込めてしまう危険性があるようなというふうに思うんです。 愛情の主体が個人であることと責任の主体までを個人に留めることっていうのは全く別の話なわけですよね。 そしてこれっていうのは子育てだけに限らないというふうに思います。 古代の歴史的文系を一生かけて研究している人がいるとする方から見ればそれは押し勝つに見えるかもしれないんです。 でも本人が好きで研究してるんだから自分のお金で好き勝手にやればいいとなった瞬間、学問みたいなものは成立しなくなります。 今は何の役にも立たない研究だったとしても50年後100年後には重要な意味を持つことだってあるわけですからね。 地域だって全く同じです。祭りを守りたい人や商店街を残したい人その中心にいるのは大抵その地域が好きな人です。 でもその人がいなくなった時失われてしまうのは個人の趣味だけではないはずなんですよね。 僕らが共有していた風景や記憶そして文化でもあるわけです。 社会の大切なもの多くは誰かの強烈な好きによって維持されているわけです。 でもそれを好きな人だけのものにしてしまったら社会は維持できないわけですよね。 昔はそこあまり分けては考えていなかったんだっていうふうに思うんです。 誰かが好きでやっている。だからその人に任せる。 でもみんなにとっても大事なことだから周りも少しずつ手や口やお金を出すわけです。 本人の情熱と共同体の責任みたいなものがもっともっと曖昧に混ざり合っていたってことですよね。 ところが現代の押し勝つ眼鏡はそこを綺麗に切り分けてしまった。 この眼鏡をかけることによって僕らは世界のすべてに対して消費者の位置に立つことができるようになるわけです。 興味があれば支援をするし興味がなければ離脱をする。 そして私には一切関係がないというふうに言えてしまう。 でもこの眼鏡で世の中すべてを見通してしまうと 自分は好きではないけれどみんなの課題にしておいた方がいいという そんな領域までもが一瞬にして消え去ってしまうわけです。 僕は自分が利用しない図書館にも税金が使われていいというふうに思います。 自分に子供がいなくても保育や教育にお金が使われてほしいなというふうに心から願います。 自分には理解できない研究であったとしても 抗菌の一部で続けられるようなそんな社会であってほしいなって本当に強く思うんです。 でもそれっていうのは僕がそれを押してるからではないんです。 自分の好き嫌いとは別のところに社会に残しておくべきものがあるというふうに思ってるからなんですよね。 押していないことと支えなくていいことは決して同じことではない。 ここには押し勝つという言葉ではどうしても取りこぼしてしまうような感覚があるよなというふうに思います。 そう考えると共同体というものの役割も少し違って見えてきます。 共同体の役割は全員で同じものを好きになることでも それは素晴らしいというふうに全員でコンセンサスを取ることでもない。 むしろ誰かの好きをその人だけの責任にしないことです。 ある人が何かを心から愛していて自分はそこまでそれを好きじゃない。 それでもそんなに好きなんだね、その話もっと聞かせてよっていうふうに 共同体の共通の問いにすることができるというふうに思うんです。 それが祭りや研究や子育てであれば 僕自身はそこまで興味はないけれどそれがなくならないようにはしたいっていうふうにも自然と思うこともできるはずだからです。 好きと無関心の間には本当はものすごく広い領域があるということですよね。 押すもしくは押さないのその二択では捉えられない関係性がそこにはあったんだよなっていうふうに思うんです。 誤解のないように繰り返しますが、押し勝つという言葉自体はとてもいい言葉です。 他人から見れば理解できないそんな情熱に対してそれでもいいんじゃないっていうふうに言ってくれる。 そして押しへの情熱を語ることは自分が一体どう生きてきたのかそんなことを語ることでもあります。 まさに村上春樹のかきフライ理論そのものです。 みんな押しを語っているようでいて、その押しの対象をくぐらせた私自身を語っている。 それは本当に素晴らしいことです。 だから自分自身を語らずに押しを語れっていうふうに本気で思います。 ただそのメガネがあまりにも便利だからこそ静かに生まれているそんな押し勝つ講座への 罪の方にも目を向けていきたいなっていうふうに思うんです。 世の中にはその人が好きだから続けていることとその人だけにその責任を背負わせてはいけないことが同時に存在しているはずだからです。 そしてきっと今のコミュニティ文化の復興もここにあるっていうふうに思うんですよね。 メタメッセージを読み取らない形で目一杯愛を叫べるそんな場所を作ること。 その上でそれを一人の自己責任にもしないこと。 なるべく共同体の問いにする。一緒に重たい荷物を持ち合うって感じです。 お互いのそんな好きに対して敬意と配慮と親切心を持ち合えるような関係性です。 つまり共同体っていうのは好きを安心して叫べる場所であると同時にその好きを叫んだ人を決して一人にはしない場所でもあるんだろうなっていうふうに思うんです。 押し勝つメガネが当たり前になった現代だからこそその講座について考えながら本当に人間にとって必要なコミュニティとは何なのかということを引き続き考えていきたいなっていうふうに思っています。 さて今日のお話は以上となります。 いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日!! 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