TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティドパガキから抜け出すために。「読みたい本」はいちばん最後に読む。09:41 8月28日 265再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次ドパ書化する現代人とその弊害読書を"ジム"と捉える北風の弊害読書は"旅"であるという新提案「読みたい本」を最後に読む真意読書の旅に必要な"仲間"とはAI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした台場型オンラインコミュニティ、和製サロンを運営しています。 さて、本日のお題は ドパ書から抜け出すために読みたい本は一番最後に読むというテーマでお話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入ってきますね。 昨日Xにドパ書にまつわるポストをしてみたら、思いのほか大きな反響がありました。 マーケターの方が書かれていた 脳内にドパ書のペルソナを買っておくといいというポストへの引用リポストになります。 簡単に要約をすると マーケターであれば脳内にドパ書を買うといいという風に語られていたんですけども でも僕が思うのは、そうやってみんなが脳内にドパ書を買って 自分たちが作るものを短く派手に分かりやすくしていくほど 今度はそれを受け取る側の人間たちがドパ書化していく 特に柔軟な子供たちほどそのペルソナの方に寄っていってしまうんじゃないか そして最後には大人たちが 最近の若い子たちはドパ書化して長いものはもう読めないっていう風に嘘吹くわけですよね でもいやいやそれは僕らみんなでかなり丁寧に育ててきた結果でしょう っていう風に僕なんかはいつも思ってしまいます 今日はこの話をもう一歩だけ深めてみたいなという風に思うんです つまり気づけばこうやって丁寧に育てられてしまった ドパ書化した僕らは自身は一体どうやってそこから抜け出せばいいのかという話です こういう話になるとよく持ち出されがちなのが もっと本を読もう読書は志向のジムなんだという言葉です 短く派手なものばかりを摂取していると志向の筋肉みたいなものが衰えてしまうから 負担をかけて鍛えましょうと 気持ちはとてもよくわかるんですが 僕はこの比喩がずっとしっくりきていません なぜならあまりにもそれはマッチョすぎるからなんですよね 教養のために将来も自分のためにってそうやって歯を食いしばって額に汗をして 重たいバーベルのような古典を持ち上げるみたいな行為 確かにそれは大事だという風に思いつつ そんな風に読書を語れば語るほど本はますますしんどいものになっていくなという風に思うんです 北風と太陽の偶話で言えば完全に北風側のやり方です 読まないとバカになるぞドパ書になっちゃうぞという風に吹き付ければ吹き付けるほど 人は本から意図的に遠ざかっていくんだろうなという風に思います じゃあ読書とは本当は何に近いのか 僕はジムではなくて旅に近いものだという風に思っています 例えば旅行に行ってまで普段と全く同じ場所ばかりを巡る人はあまりいないという風に思うんですよね せっかく京都まで行ってコンビニとイオンモールとチェーンの居酒屋だけを巡って帰ってくる人っていうのはそう多くはないはずなんです せっかく京都に来たんだからっていう風に普段なら絶対に行かないようなお寺に行き 庭を眺めたりとか宮石を歩き知らない土地の京都料理なんかを食べるわけですよね でも冷静に考えてみるとこれってかなり不思議なことだという風に思いませんか お寺や宮所名石なんていうものはまさに長くて地味で分かりにくいものの典型です ドパ書の真反対なわけですよね それなのに旅という枠組みの中に入った途端誰に強制されてもなく自然とそちらの方へ足が向いてしまうわけですから なぜそんなことが起きるのかといえば決して自分はお寺が大好きだからとかではないはずですよね そうじゃなくて何百年も残り続けていてこれだけ多くの人が訪れてきたのであればきっとそこに何かがあるだろう そうやってその土地や先人たちのことを少しだけ信頼してみるわけですよね 自分の現在の好みよりもその身体の方に一度身体を預けてみるわけです そしてここが一番大事なところだというふうに思うんですが 僕らはそういう場所に行かされるんじゃなくて自然と行きたくなるんですよね 例えそれがインスタ映えのためであったとしてもなんです つまり枠組みが変われば欲望の向きそのものが変わるということです そして僕は古典や名著を読むこともこれとかなり似ているなというふうに思っています むしろそっちに中は強制的に連れて行かれることそして気づけば自分から訪れたくなってしまうこと それこそが旅の醍醐味そのものなんじゃないかというふうに思うんですよね だからこそ僕は最近よく思うんですが読みたい本を読んではいけないというふうに思うんです 読みたい本はむしろ一番最後に読めどうせ読みたくなくなってしまうからと 一見するとずいぶん変なことを言っているように聞こえてしまうというふうに思うんです でもここまで聞いた方だったらきっとその意味合いのようなものが少しずつ伝わり始めているような気もするんですよね YouTubeもTikTokもXも僕らの過去の行動を眺めながらこれがあなたの好きなものでしょうというふうに 次のコンテンツを無限に差し出していきます それはとっても便利なわけです でもそれを繰り返していると現在の自分の好みが現在の自分の好みを再利用というか再生産し続けていくことになる 気づけば自分の周囲にはすでに好きなものばかりが並ぶようになってしまうわけですよね そして読書も全く同じだというふうに思うんです 今自分が読みたいというふうに思っている本というのは多かれ少なかれ脳内のドパ書きが選んだ本なわけですから 短く派手に分かりやすく今自分にとって得がありそうな本を並べるわけですよね 今の自分が好きで興味があって理解できる範疇の中だけで本を選び続けてしまうと 当然今の自分だけがますます強化されていってしまいます 冒頭の話につなげるとドパ書きに合わせ続けることによって本当に自分の中でドパ書きが育ってしまうって話と全く同じ構造です でもだとしたらその逆だってできるはずなんですよね つまり自分の読みたい本を育て直すことだってできるはずなんです そして読みたくない本の方へと巡回するというか迂回するその旅を続けていると ある時選書の主体そのものが入れ替わってしまうそんな瞬間がやってくるなというふうに思うんです 読みたい私自身が変わるわけですよね 例えばなら運動なんかと同じです 最初は健康のために仕方なくいやいやというふうに始めた運動が続けているうちに運動そのものが楽しくて 毎日の歯磨きのようにやらずにはいられなくなってくる ジャンクフードよりも健康的な食材の方がむしろおいしいというふうに心から思えるようになってくるのも全く同じです 我慢の先に報酬があるんじゃなくてそれ自体が気持ちいいというゾーンに入ってしまうこと 読書において本当に大事なのはこのゾーンの方だというふうに思うんですよね ただし繰り返しにはなってしまうんですが これはじゃあ興味のない本をまずは我慢して読めというそういう事務的な話ではないわけです むしろそれというのは僕が一番苦手な読書のあり方でもあります それではまた北風のやり方に戻ってしまいますからね 目指したい姿は我慢できる自分を作ることではなくて いつの間にか読みたいの向きそのものが変わってしまっていることの方だというふうに思うんです だから読書というのは事務ではなく旅だというふうに主張したいんですよね そう考えると読みたいものを読むの反対は読みたくないものを我慢して読むではないことがはっきりと分かります そうではなくてまだ知らない自分の読みたいに出会いに行くこと 旅をすると自分が知らなかった自分の好みに出会うことってありますよね 自分ってこういう景色が好きだったんだとかこんな歴史に対して興味があったんだとか 帰ってきてからのそんな旅先前の自分と今の自分が少し変わってしまっていることにはっと気づくわけです 読書でも全く同じことが起きるなというふうに思っています それまで興味のなかったジャンルを読んだことによって次に読みたい本が勝手に生まれてくる 一冊の小手を読んだことで何十冊も新しく読みたい本が増えていくみたいな現象って本当にあるよなというふうに思うんです つまり読書によって増えているのは決して知識だけじゃないということですよね 読みたいそのものが増えている 僕はここにこそ読書の一番面白い点があるなというふうに思いますし ドパ書から逃れる唯一の方法みたいなものだというふうにも思っています そしてこの循環みたいなものをぐるっと一回りした後に かつて読みたいというふうに思っていた本のところへ戻ってくると 不思議なことにもうあまり読みたくなくなっていたりもするわけなんですよね それっていうのは自分の欲望が枯れてしまったからではなくて 欲望の方が成熟をしていて本を選ぶ目が以前の自分と別人のものに変わってしまったからなんだというふうに思います ただとはいえなんですが話はここで終わってもいいというふうに思いつつ 一人で旅に出るのはなかなかに心細いしハードルも高いよなというふうに思うんです 慣れない土地で読めない言葉に囲まれてそれでも歩き続けるみたいなことは 正直しんどいものがあるなというふうに本当にいつも思います だからこそ旅にはそんな旅の仲間が必要になるんだろうなって そして読書における旅の仲間それが読書会だというふうに僕は思っています その時の課題図書となるような古典や価値ある書籍とは きっとそういう読書会仲間と訪れるためのそんな観光地なんだというふうに思うんですよね もちろん実際にそんな観光地に行ってみたら自分にはあまり響かないことだってあるというふうに思うんです というかそんなことが大半ですよね でもそれもまた旅の醍醐味だなというふうに思うんです 自分の好みだけでは決して選ばなかった場所へ一度神体ごと訪れてみる そのこと自体に大きな意味とか発見みたいなものがあるんだろうなというふうに思います とはいえ最後に念のために語り添えておくと これというのは決して古典を読まなければいけないという話では全くありません 旅だって強制的に行くものではないですよね 行きたくなった時にフラッと虎さんのように旅立ってしまうのが旅の醍醐味だというふうに思います 読まなければならないとなった瞬間にまたジムみたいなものに戻ってしまいますから そしてそんなフラッと行ってしまった旅先において 思わぬ角度から自らがガラッと変えられてしまうからこそ旅は面白いんだろうなというふうに思います 僕は旅が大好きで和製サロンというコミュニティをやっていて その中で読書会をものすごく大事にしているこの理由なんかも 今日この話をしてみて本当に強く自分自身で実感することができたなというふうに思っています さて今日のお話は以上となります いつもこのボイシーを聞いてくださっている皆さんにとっても 今日のこのお話が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです それでは今日はこの辺でまた明日 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:411.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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