TOPエンタメ映画・本鳥井弘文の旅と読書とコミュニティ見守られたいから祀るのではない。祀るから、見守られていたと感じる。09:40 9月3日 258再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次お台場ガンダムに見る「見守られ感覚」の反転長く存在し続けるモノが自己の時間を承認する時「祀る」順序の逆転:継続が価値を生むメカニズム感謝は失われる時に生まれる?弔いの機会の重要性反復が意味と神聖さを生むAI時代の新たな視点AI文字起こし(β版) # チャプター 1 こんにちは、鳥井博文です。 働くをテーマにした対話型オンラインコミュニティ 和製サロンを運営しています。 さて本日のお題は見守られたいから祀るのではなく 祀るから見守られていたと感じるというテーマで お話ししてみたいと思います。 今日も昨日ブログに書いた内容です。 それでは早速本題に入っていきますね。 先日Xに投稿したとある見たてが 思いのほか反響が大きくて驚きました。 それが一体どんな内容だったかといえば お台場のガンダムが撤去されて 9年間見守ってくれてありがとうという声が あちこちから出てきている。 それが地味に面白いなあというふうに思った話です。 だってこれっていうのは冷静に考えれば 僕らはずっとガンダムを見ていた側だったはずなんですよね。 お台場に行くたびにそれを見上げて写真を撮って その前を通り過ぎて帰ってくる ガンダムの側が僕らを見ていたわけではないはずです。 当たり前なんですがあれはただの立像です。 それなのにいなくなる瞬間になると いつの間にかその四脚みたいなものが反転をしている。 長い間見守ってくれてありがとうというふうになるわけですよね。 見つめる眼差しから見つめられていた眼差しへと変化したわけです。 これってのはめちゃくちゃ人間らしい現象だなあというふうに思ったんですよね。 多分人間っていうのは長く同じ場所に居続けるものを いつの間にか自分の時間の承認みたいなふうに してしまうんだというふうに思います。 毎日通っていた通学路の大きな木とかでも何でもいいです。 向こうがこちらを覚えているわけではないわけですよね。 でも自分が子供だった頃も学生だった頃も そして働き始めた頃もその存在はずっと同じ場所に存在していた。 こちらだけが変わっていく一方でずっとそこにあり続けてくれた。 そうすると不思議なことに自分がずっと見てきた存在だったはずのものが 自分の人生をずっと見てきた存在へと変わっていくわけですよね。 お台場のガンダムにも9年間という時間の中で似たようなことが起きたんだというふうに思います。 以前このポイシーの中で覚えるために書くのではなく 忘れるために書いているという配信をしたことがあります。 自分で全部覚えておく必要はなくてブログのような場所に記憶を預けておけば 安心して忘れることができるんだという話です。 今回の話を考えていてそれとかなり似ているものがあるなというふうに思いました。 人間は文章だけではなく物にも自分の時間を預けているわけですよね。 そしてその存在が何かを覚える必要なんて実は全くない。 ずっとそこに同じようにあり続けてくれたというその事実だけでこちらは勝手に自分の記憶を預けてしまう。 だから失われると寂しいわけですよね。 そりゃ大仏やお地蔵さんを人間は作るわけだよなってふうに思ってしまいました。 ここで僕が面白いなってふうに思うのはその順序なんですよね。 普通は神聖なものだから祀るというふうに考えられます。 ありがたい存在がまず先にあってそれに守ってもらいたいから像を作り出し手を合わせる神聖さが先で祀る行為は後だというふうに思いがちです。 もちろん実際の宗教の歴史や教義なんかはそんな単純な話ではないというふうに思うんですが ただこのガンダムの一見を見ていると人間の感覚としては逆の順序も同じくらい強く働いているように見えるんですよね。 祀って長い間そこにあり続けていると後からずっと見守られていたというふうに感じるようになっていくんだと。 神聖だから置くだけではなくて置き続けることによってそれが神聖になっていくみたいな話です。 お台場のガンダムは誰も祀っていなかったはずなのに9年間という時間だけでいつの間にかそれに近いものになっていたわけですよね。 で先日このボイスの中で必要じゃないのに残したものこそが文化になるのではないかという話をしたというふうに思います。 あのボイスの中で福岡の中津の歓楽街のど真ん中に合理性だけを考えればとっくに取り壊されていてもおかしくないお地蔵さんがずっと残されているということに触れました。 必要だから残っているんじゃなくて長く残し続けてきたからこそ簡単には動かせないものになっている。 それととても似ている話であって価値があるから残すだけではなく残し続けるという行為そのものが価値を生み出してしまうわけですよね。 そう考えると偶像崇拝が厳しく戒められてきた理由なんかも僕には少し違って見えてくるなというふうに思ったんです。 もちろん偶像崇拝の禁止にはそれぞれの宗教に固有の神学的な理由があるはずであってこのために禁止されたというふうに言いたいわけではないです。 ただ人間という生き物の側から眺めてみると像を置いてはいけないというそういう戒めには妙に不思議な説得力を感じるんですよね。 僕はずっとあの禁止みたいなものは神の姿を勝手に像にするのは不尊だからつまり無礼だからというそういう像そのものへの禁止だというふうに思ってました。 でも多分禁じられていたのは人間のこの習性の方なんですよね。 お前たちは置いたものをそのうち勝手に神にしてしまう。石でも木でも何でもいい一旦置いてそこにあり続けさえすれば必ずそれを見守ってくれていた存在に変えてしまう。 だからそもそも置くなというふうにです。 あとこれっていうのは像の出来栄えの問題ではなくて時間の問題なんですよね。置いた瞬間には誰も拝まない。 でも9年ぐらい経てば拝む人も出てくる。100年経てば拝まない人の方が少なくなる。 その先を見越して入り口で止めていたのが偶像崇拝の禁止なんだというふうに思います。 もう一つXには書かなかったことがあるんですが感謝の言葉が出てきたのが置いた時ではなくて失われる時だったってことも実はめちゃくちゃ面白いなってふうに思ってます。 9年前あのガンダムが立った時これから見守ってくれてありがとうっていうふうに言った人はいなかったはずなんです。 感謝は撤去が決まってから始めて言葉になったわけですよね。つまりこれっていうのも一種の弔いなんだというふうに思います。 以前儀式というのは折り合いのつかない悲しみを半ば強制的に終わったことにしてくれる装置なんだという話をしたというふうに思います。 ガンダムの場合も撤去の告知がまずあった。だから人々は最後に見に行って写真を撮ってありがとうというふうに語って区切りをつけることができたわけですよね。 告知という形式がちゃんと弔いの機会を用意してくれていたわけです。でも僕らの周りで消えていくもののそのほとんどは告知なく突然消えていきます。 いつも通っていたお店が気づいたら別のお店に変わっていたみたいなのはすごくわかりやすいですよね。 他にも近所の大きな木がその地域の災害はずでいつの間にか切られてしまっていたなんかもそうです。 そういうものっていうのは見守られていたっていうことに気づく機会すら与えられないまま消えてしまうわけです。 感謝は失われる時にしか言葉にならないのにその失われる時自体が奪われてしまうわけです。 一度置いてしまったものは下ろす時にも形式みたいなものがいるしそれが僕らに弔いの時間みたいなものを与えてくれる。 ガンダムはたまたまそれがあった幸運な例だったっていうふうに言えそうです。だからこれほどまでに話題にもなっているんだろうなっていうふうに思うんですよね。 そしてこの話っていうのは公共空間にある巨大な立像に限った話ではないんだろうなって。 もっと身近なところで全く同じことが起きている。例えば家の中のぬいぐるみです。 可愛いから部屋に置いた。それだけだったはずなのに5年とか10年とか同じ部屋に置き続けていると引っ越す時にもそれを連れていく。 落ち込んだ夜も仕事がうまくいった日もずっと同じ場所にそこに存在している。そうするといつの間にか自分がぬいぐるみを見ていた側のはずだったのに この子はずっと自分のことを見守ってきてくれたというそんな感覚が生まれてくるわけです。 だから捨てられないわけですよね。処分することが物を捨てることではなくて、そんな自分の時間を一緒に過ごした相手との関係性を立つことに等しいことになってしまうからです。 以前トイストーリーのおもちゃたちがなぜ子供たちの前で動かないのかという話を語ったことがあるというふうに思うんですが、 あれと全く同じ構想だというふうに思うんです。おもちゃたちは動かないからこそ、後からあれは造形だったというふうに気づくことができる。 ガンダムもぬいぐるみも動かない。動かないものが時間だけでこちら側に何かを返してくれるわけですよね。 この遅れみたいなものがなければ、見守られていたという感覚はそもそも生まれないんだってふうに思います。 だから何でもかんでもハイテクに動けばいいってもんでもないんでしょうね。 これってのはキャラクター ip の強さなんかを考える上でも意外とかなり重要な視点だなってふうに思います。 キャラクター商品の価値みたいなものは好きなキャラクターを所有できることだけではなくて、同じ存在を自分の人生のその時間軸の上に 居続けさせることができること。そして自分だけが年をとって環境が変わっていく中でそのキャラクターだけは同じ顔でずっとそこにいてくれている。 お台場のガンダムがたった9年間だけで見守ってくれていた存在に変わったことを考えれば、 何十年も続く ip が持つ力というのは本当に相当なものなんだろうなあって思います。 繰り返しにはなるんですがガンダムは本当にただそこに立っていただけです。僕らに何かをしてくれたわけではないし、本当に見守ってくれていたわけでもなんでもない。 でも9年間ずっと同じ場所にただ立っていて、その9年間の間に僕らの側にはいろんなことが起きたってことですよね。 言い換えると、意味っていうのは1回の強烈な体験によってだけ生まれるわけではなくて、同じ場所に毎日あって同じものを何度も見るその反復なわけです。 そして何年も同じことを繰り返す反復みたいなものが時間として堆積することによって、後から意味が初級的に宿ってしまって最初から特別だったわけではなく、 反復したからこそ特別になったんだ。そういう構造が生まれてくるという話です。 人間にとっての神聖さみたいなものっていうのは、案外そのような単純な反復から生まれてくるのかもしれないなというふうに思っています。 AI時代に結構大事な築きだなというふうに思ったので、今日のこのボイスの中でもお話ししておきました。 さて、今日のお話は以上となります。いつもこのボイスを聞いてくださっている皆さんにとっても、今日のこの内容が何かしらの考えるきっかけとなっていたら幸いです。 それでは今日はこの辺で。また明日。 もっと見る鳥井弘文の旅と読書とコミュニティプレミアム放送配信中!09:401.チャプター 1コメントプレミアムリスナーになるとコメント欄に参加することができます プレミアムリスナーに参加する
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