TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#238 喜びの感じ方07:27 2024年7月24日 436再生 問題を報告する 再生する シェアする 「喜び」と一口に言っても、ていねいに見ていくと、そこにはさまざまな喜びの在り方があります。AI目次喜びの多様な様相を探る快感と充足感の違いとは?バブル時代の虚しさから学ぶ真の喜びへの道筋とは?心の底からの喜びを見出すAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「喜び」と一口に言っても 今日は喜びの感じ方ということでお話したいと思います。 一口に喜びと言っても、実はいろんなものがあるんですよね。 いろんなものと言うときにも、喜びのいろいろな内容も違ってくると思うんですね。 何を通じてその喜びを感じるかということ、それによっていろんなカラーがあるじゃないですか。 こういうもの、喜びを、単に喜びが大事ということを言うだけじゃなくて、どんなふうに喜びを感じるかということ、 それを丁寧に丁寧に自分自身でほぐしてみて、丁寧に丁寧に観察してみることが大事なんですよね。 喜びの中にも、例えば、成功とか豊かさを通じて得られるもの、成功の喜び、豊かなものを通じての喜び、 こういうものって、実はこの喜びがどんどんどんどん、もっともっとというふうになっていく。 喜びを感じた後、その次にもっともっとと、どんどんどんどん、もっともっとと、こうなっていく。 そういうタイプの喜びってあるんですよね。 これはどっちかというと、喜びと言いながら、快感に近い感じなんですよね。 手やほやされるようなものってよくあるじゃないですか。 手やほやされること、それによって得られる喜びも、どっちかというと喜びというよりは快感に近い。 贅沢を通じて、この喜び、喜びというのも、ものすごく強力ですよね。 でもこれって、どんどんどんどん、もっともっとと、というふうになるじゃないですか。 これもどっちかというと、快感に近い喜びなんですよね。 この快感によっている喜び、快感に近い喜びというのは、ものすごく強烈で、目を奪われるような強さというのがあるんですよね。 でも同時に、こういうものって、表面的なんですよ。 どうするかというと、バーッと強烈に心引き寄せられるんだけど、同時にそれがもっともっとと繋がっていくじゃないですか。 で、もっともっととって、何かというとこれ、欠乏なんですよね。 まあ、目の前の快感に目を奪われてしまっているから、欠乏ということは気がつかないんだけど、 もっともっとというふうなものに繋がっていくような喜びって、ものすごく表面的で、実は奥底は欠乏をもたらしているんですよね。 目を奪われてしまうけれど、心の底からこみ上げてくるタイプの喜びと違うんですよね。 で、一方では、そんな華やかさがあろうがながらがすごく違っていて、この心の底からジーンとこみ上げてくるような喜びというのがあるじゃないですか。 こういう喜びって実はもっともっととならないんですよね。 これは快感とは違うんです。 同じように喜びといっても、快感とは切り離されるものなんですよね。 だから、もっと丁寧に見ていったらいろいろあるんだけど、少なくとも喜びを感じるというときに、 それを丁寧に丁寧に見たときに、少なくともそういうふうに快感に近いようなもの。 強烈だけど、この表面的で、心奪われるけれども、何か実は欠けていて、もっともっとというふうに繋がってしまう喜びと。 そうじゃなくて、心の底からじわじわとこみ上げてくるから、もっともっとというのにはならない、 それ程度の喜びがあるって、それはちょっと立ち止まって考えてみる必要があるんじゃないかなというふうに思います。 # 虚しさに呑み込まれないように 私はバブルの時代に、青年時代を迎えている、ある意味では恵まれた時代を経験している人間なんですよね。 バブルの時代って、今でもノスタラジーを込めて言われることもありますけど、キラキラキラキラしている時代って言えるんですよね。 でも、今考えると、キラキラキラキラしているんだけど、その時に、じゃあ中身があった、充実していた時代かというと、それは違うんですよね。 バブルの頃の動画なんか皆さんご覧になると分かりますけど、ものすごく派手で、ものすごく楽しそうにしてますよね。 だけど、あの時代、あの雰囲気の中にいた自分たちって、実は同時に、どこかで虚しさというのを抱えていたんですよ。 あの当時、オウム・シンリクは当時そうでしたけども、信仰の宗教はすごく流行りました。 それから、もっと特徴的だったのは、オウム・シンリクはそういうものを説明していたんですけど、終末論というのはもうすごく流行ったんですよね。 だからオウム・シンリクはこの世界の終わりを説明する、最後の審判を説明する、春間ゲノンという言葉をそういうふうに繰り返していたんです。 あの言葉が説得力を持ったのは、ものすごくみんないろんな楽しみを持っていて、結構な贅沢を学生もしていて、海外旅行に行ったり、おうちも食べたりとやっていたんだけど、 その時に、どこかでこれ終わらないかなって、あれは終わっちゃうかなって不安を感じる人もいたけど、同時にこれ終わらないかなって閉塞感があったんですよね。 なんか楽しくてキラキラしたんだけど出口がない、なんか閉塞感があるんですよ。 で、なんか不安を感じていたって、あの時代に自分が感じていた不安みたいなもの、空虚感みたいなものを私ははっきり覚えているんですよね。 手探りをやっていたから特にそうなんです。 だから、あの頃ちょっとでもものを考えている人たちは、やっぱりどこかでこのキラキラしている中に、これでいいのかって、こんなのじゃないだろうって、そう思っていたんですよね。 だから、豊かさは必ずしも良いことをもたらしてくるわけではないって。 だから、同じように喜びを感じるって、楽しみを感じるって言っても、それがこの表面だけのものだと、もっともっとなっちゃうんですよ。 で、目を奪われちゃうから、気がつかないだけで、繰り返しますよね、繰り返していくと、目を奪われているから気がつかないだけで、もっともっともっとなってしまうって、もっともっとが繋がっていくような喜びっていうのは、あるいは楽しさっていうのは、その奥にものすごい空気を抱えている。 そうじゃなくて、本当に、もっともっとにならない充足感っていうのかな、心のとこからこみ上げてくるような喜びっていうんですかね。 じわじわと湧き出てくるような喜びっていうんですかね。 そういうもの、そういうものがどこから来るかって、自分の心の中から来るんですよね。 そういうことを忘れてしまうと、どんどんどんどん求めていくけど、いくら求めてもきりがないって、そういうとこに落ち込んでしまうと、なかなか出られないなって、そんなふうにも思います。 自分の人生を良くするというときに、その嫌なこと、ダメなこと、つらいことを良く展示しようというふうに思うことと同時に、自分がこれが良いことだと思っていること、その良いと思っていることが本当にそうなのかって、そういうことを考えることも大事じゃないかなというふうに思ったりもします。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #虚しさ #喜びの感じ方 #快感の喜び #こみ上げてくる喜び #もっともっと #バブルの時代 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:362.「喜び」と一口に言っても03:343.虚しさに呑み込まれないように00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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