TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#220 人生は修業?それとも修行?12:42 2024年6月28日 485再生 問題を報告する 再生する シェアする 人生を修業としてみるか? それとも修行として見るか?先行きの見えない時代だからこそ...AI目次人生は修行か?修養か?その違いとは?「道」の文化とは何か?人生の指針を探るスキルと心の葛藤、本当の修行とは?現代社会の不安、心の支えとなるものとは?自分自身の心に問いかけ、生き方を見つめ直すAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジュの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 修業?それとも修行? 今日は、人生は修行?それとも修養?ということでお話したいと思います。 このところ、将来がわからない、わからない中でも進むという話がついてますね。 これはとても難しいことなので、違う角度からお話したいと思うんですよね。 以前に、修行ということ、日本語では修行って一口で言いますけれども、 修行の修は納めるという字に、行が技という字の修行と、行うという字の修行があるということをお話ししました。 これは辞書で引いても意味的に違うんですよね。 なかなか普段の暮らしの中では区別がされていないんですよね。 だけれども、この区別はとても重要なんですね。 修行ということを言うときに、技を納める方の修行、これは技能の習得、スキルの習得ということなんですね。 基本はそうです。 だから何でもそうだけど、一員前になるために、この技術を身につけて、ちゃんとできるようになるという、 何をすべきかということがちゃんと見えていて、それをきちっと凝らすことができるという、それが技の習得の修行なんですよね。 では、行う方の修行とは何かというと、技の習得とは社会で生きていくための、人生の最初の学びというのは全部技の習得みたいなものですよね。 だから普通は業としての習得ですから、技の修行なんですよね。 では、行う方の修行とは何かというと、そうするとイメージとしては、竹に打たれたり、座礼をしたり、重さのある修行をしたりというのが、行う方の修行というイメージになりますよね。 だけどよく考えてみたら、善寺へ飛び込んでお金を稼ぐとか、何かプロになるかというのではなくても、実際には道場に行こう、何をしようが、やっぱり二次元生活の中にあることをきちっと見ていくと、全部技の習得でもあるわけですね。 それが社会の役に立つか、お金を稼ぐことができるか、有名になることができるか、なりわいに貢献するかどうかという観点から見たら、そうじゃないようなものですよね。 座礼がいくらできてもお金が儲かるわけではないから。 だけれども、何かを習得して身につけようとしている点では、やっぱり技の習得でもあるんです。 だから、なりわいとしての業としての習得と、行い方の習得の修行と修行って、簡単には配りできないんですよね。 禅の世界に飛び込んだら、世俗的な意味での技の習得というのは、何かよくわからなくなってくるはずです。 だけど、禅僧としてのスキルってあるわけですよね。座禅ができて、卓発ができて、お掃除ができて、いろいろあるわけじゃないですか。 だけれども、一人前の禅僧になるためのスキルというのは、目で見えるんだけど、一個一個取り上げたらどうなるかというと、それはやっぱり技として見えるわけですよね。 衣を畳むことができる、衣を着ることができる、上手に畳む、上手に着るって。 精進料理を作ったり、卓発をしたり、座禅をしたりって、全部一つずつ見るなら、禅僧としての観点から見れば、そのスキルの観点から測ることができるんですよね。 だけども、その観点は、禅僧の観点から見れば、スキルとして測ることができるんだけど、社会の目から見たら、どんなにすごい禅僧のスキルが高くても、禅僧って、釈迦から見たら、結局どれも素人ですよね。 お掃除がすごい、料理がすごいって言うけど、お掃除は掃除のプロには勝てないし、料理だって料理のプロには勝てないしって。 じゃあ、砂場にもっと上手いものがないっていう観点で言うと、何が大事かって、卓発とか座禅とかはプロかもしれないけど、社会的な観点から見ると、そんなものができて有名になれるの?って。 そんなものができて、社会のために役立つの?って言われたら、うーんってなってしまうじゃないですか。 だから、そういう意味では、禅僧っていうのは、修行の世界っていうのは、一般人ですかね、禅僧に限らずですけども、スキルっていう観点から見ることもできるけど、スキルから見たら、首ひねっちゃうようなことになってしまうんです。 だから、難しいですよね。どう考えるべきか。 その難しさの中に、この修行と修行っていう区別の難しさがあるわけですよね。 そもそも、何のために修行に行くのかっていうところが見えないと、この区別がやっぱり見えないということなんです。 # 「道」の文化 技の方ではなくて、行う方の修行。 この修行というのは、何がダメですよという形では、言い合っていることができないんですね。今お話ししたように。 何がダメでやってますってことを言い合っているんだったら、それを技の方の修行という観点で見えてくることです。 でも、技ではなくて、行う方の修行って、その先に見えるものなんですよ。 だから、スキルがどれくらいすごくても、何のためにやっているのかってことがしっかり見えていなければ、仏を作って魂レーザーになってしまうんです。 でも、技の方じゃなくて、他の方の修行を誰もがしているわけではないですよね。 やっぱり、生きていくためには、なりわいというものがあるわけだから、スキルを見つけないとならない。 だから、誰もがトレーニングするというか、一生懸命やる時にも、技の修行をやっているわけです。 でも、その先に、それをするのは何のためかという、そういう大きな目標が誰もがあるかというと、 基本的には、そこはあまり気にしないですよね。 なんとなく豊かになる、なんとなく成功するというふうに、あるいはなんとなく幸せになると思っているけど、 でも、このためにやっていますって、それはなりわいではなくて、技ではなくて、 これのためですというのが、日常生活の欲望とか執着とか、日常生活の延長線上にないような場合、 そういう時に人間って、技ではなくて、行う方の修行って考えがちだけど、誰もがそういうものがあるわけではないですよね。 でも、日本には昔から道、道という伝統があるじゃないですか。道という文化があるんですよね。 その道という文化、それは技ではなくて、行う方の修行なんですよね。 だから、日常生活の延長線の先に見えるような幸せとか成功とかっていうのは関係ないんだって。 何のためにやっているか分からないけど、大事なことがあって、それを一生懸命行くっていう、そういうのを道と言うじゃないですか。 そうすると、技の修行ではなくて、行う方の修行って結局は道のことなんですよね。 だから、日本にはこれって意識しなくても、何かこの人生を通じて道を求めるっていうのが無意識に定着している文化だってことが言えますよね。 それは何かというと、損とか得とか成功とか失敗とか、そういうことではないって。 何かこれが大事だと思うことをひたすら一筋に行くって。 それを道というものがね、この行う方の修行の本質なんですよね。 # 自分自身の心に問いかける 道の文化にはスキルだけではないものがあるわけですよ。 一生懸命道を極めていけばスキルは上がっていきます。 しかしスキルがいくらあっても道にならないという感覚が道の文化にはありますよね。 だから道って成功とか失敗とか損とか得とかとは関係ないんですよね。 関係あるけれどもその先にあるものが大事だから 直接スキルがあればいい、成功すればいい、うまくいけばいいというものとは違いますよね。 だから道の文化というのは時代や成功失敗やそういったことと左右されないようなものがあるわけです。 そうすると現在の社会って将来に対する不安がいっぱいあるじゃないですか。 それから自信が俺たちはなかなか得られませんよね。 だから不安だ、自信がないということが今の社会に覆っているものなんですけど感覚なんですけれども よく考えれば、例えば自信がないとか不安だというのは道というものがないからだという訳もないんです。 今の私たちが不安である自信がないというのは、かつての日本の先人たちに対してそういうものがあるというのは もちろん現在の社会が大きな変革にあるって、見通しが立たないからだって、人生が一瞬した先が闇だからっていうことももちろんあるんですよ。 だけども、だからこそその中で、社会が大きく変わって何をしていいかわからない、 自分の人生が一瞬先が闇で見通しが立たない、だからこそ社会の変革期とか見通しとか成功とか失敗とか そのとことは関係なく自分はこの道を行くっていう、そういうもっと大事なこと、 結果に左右されないような道を行くっていう大事な価値観というのがあるかないかって大きいんですよね。 これは道ということ、つまり修行ということになるんじゃないかな。 行うほうの修行ということになるんじゃないかなって。 修行、行うほうの修行というのは、ただの根性論だって一時期批判されたんですよね。 なんか知らんけど、ともかく理不尽だって。こんなことして何のためになるのって。 技の修行のスキルだったら理不尽じゃうまくいかないじゃないですか。 技の修行というのはゴール的にきちんと考え抜いて成果が出るように一歩一歩積み上げていくものです。 でも行うほうの修行というのは成功失敗とは無関係。 でも昔そういう成功と失敗とは無関係のトレーニングというのは根性論であって、もちろん根性論ではいけない部分もあるんです。 何もかもやっぱり基本には技があるから。 技という部分に関して変な根性論を振り回したらダメに決まってるんですよね。 だけれども根性論を全部排除しちゃうと、結局はスキルの積み重ねになっちゃうんですよ。 スキルというのは社会の変革系や見通しによって大きく差別されてしまうじゃないですか。 だから自分たちは見通しが利きやすいこと、モチベーションが上がりやすいことで人生を積み上げることにちょっと特化しすぎて、 遠くを見ること、成功失敗とは関係ないけれどもそれが大事と思っていくような精神的なものをどこかで見落としてしまった。 だから精神論というものをあまりにも排除しすぎちゃった結果、結果主義、結果によって成果を見せろということにどんどん足を取られてしまって、 社会が大きく変化して自分自身の能力にも競争にも左右されてしまうようなところに足を置いたら苦しくなるのは当たり前ですよね。 一つ考えなきゃならないことは、何のためにやっているかという大目標というのは人に押し付けられるものではないんです。 だから技の方の修行じゃなくて、奥の方の修行というのは人に言われてやるんじゃないんです。 だから精神論を押し付けるのは間違ってるんです。 でも精神論というのは、なきゃいいかって、なくてもいいかって、それは違う。 これは人に押し付けられるものではないけど、自分で決めてやることなんですよ。 自分で決めてやるという意味での精神論というのは実は大事です。 そういう意味での奥の方の修行がもう一度大事だという風になってくるんじゃないのかなって私は今は思っています。 技ではなくて、奥の方の修行というのは成功失敗とは無関係ですよ。 ひたすらどこに向かって生きていくかということなんです。 結果として成功失敗やスキルということがついてくることがあるかもしれないけど、本質は違う。 結果とは無関係なんです。 自分がどう生きることが大事かということなんですよね。 価値観なんです。信念なんです。覚悟なんですよね。 そんな意味で、社会がどうあろうと、人生がどうあろうと貫いて生きていくような信念と覚悟。 これが価値だって。これが修行だってこと。不透明な時代だからこそ、そういうものが必要だって。 表面から人生を見ることじゃないですよね。表面ではないんです。 その中にある心の問題ですよね。 だから、それを図るものさしも、人からの押し付けではない。 まずは自分自身の心によく尋ねて、どう生きたいのか、どう生きるべきなのかって。 その時の時に、これが大事ってことを、心を見つめることが大事だって思います。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #覚悟 #信念 #自信がない #修業と修行 #心ひとつのこと #技の習得とその先にあるもの #道の文化 #将来に対する不安 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:091.初めのあいさつ04:412.修業?それとも修行?02:293.「道」の文化05:154.自分自身の心に問いかける00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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