TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#272 「依存」について考える(続)06:39 2024年9月10日 375再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、「依存」について考えます。AI目次「依存」の本質とは何か?自立と依存、その狭間で危険な「オートマ化」の罠変化への対応力を磨く重要性依存から脱却するための指針AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 臨時の古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「依存」がいけないのは...力を借りることと縋ること さて、今日も引き続き、依存について考えるということで、昨日の続きのお話をしようと思います。 昨日お話したことで、依存というときに、自分の外のにあるものに依存する場合、 例えば誰かに依存してしまったり、あるいは何かに依存してしまったり、 自分の外のものに依存するということを考えがちだけれども、 逆に今度、自立していると、依存していなくて、俺が自立していると、 汚れずどっぽだと言うときに、自分自身の信念に依存するという場合もあるんですよね。 自分の中にあるものに依存するということが起きてくる。 結局その後ろの方の、自分の中にあるもの、自分の信念とか考え方とか、 自分が振り回す常識みたいなものに依存しちゃうと、 そういうものが気からもなってしまったときに、 結局は外の何かにひっくり返ってしまって、依存するということが起きがちだって。 では依存をどう考えているのか、依存ということをどう考えればいいのかというところで、 昨日のお話が終わったんですよね。 そもそも論で言うならば、人間というのはもともと有限で非力な存在だから、 何かに頼っていなければならないということがあるんですよ。 側面的にそういうのがあるんですよね。 人間というのは生かされている。自分で生きるということもあるんだけど、 やっぱり生かされているんですよね。 だから、依存が全くないかというと、そんなことはない。 でも何かに支えてもらって生きるということは依存とは違います。 そこを考えるのが必要なんですよね。 何かに支えてもらうという、それが悪いわけではないんですよ。 だから依存そのものが悪いわけじゃない。 じゃあ、非力であれば何かの力を頼るのはいいんだけど、 じゃあどうしていけないことが起きてくるのか。 いけない依存というのが出てくるのか。 頼るのはいいけど、縋るのはいけないという言い方をするのが分かりやすいですよね。 そこをもうちょっと考えるとどうなるか。 なぜ依存がいけないか。 それは大きな変化の中で、人間というのは時間の中でずっと生きていかなければならないんですよね。 いろんなことがあるんです。 変化の中でそれをいろんな形で生かしながら前へ前へ進むことができるならば、 力を借りたり、あるいは部分的に依存ということがあっても、 それは何とかなっていくんですよね。 だけど、変化の中で応対をすることがダメになってしまったり、 応対する力が削がれてしまうようなものがいけない。 そういうふうに考えたら分かりやすいと思うんですよね。 # オートマ化が一番危険? 悲劇で悠遠な私たちが、自分の力が及ばないこと、そういうものに直面したときに、自分より強いものや確かなもの、確固としたものに頼ったり、すがったりするということは、それは当然、生きていく上では、なかなかならないことですよね。必要なことではあるんです。 それ自体が悪いわけではない。 いけないのはどこでいけなくなるかというと、自分がすがったり頼ったりすることで、一定の安心とか、一時的に助かるじゃないですか。 そこで、次へ自分の力で進むということをやめてしまう。 頼ってすがった瞬間に、自分で見て、自分で考えて、自分で感じることをやめてしまうといけないんですよね。 一時的にすがること、一時的に頼ることは、私はいいと思うんですよ。そうじゃなきゃ人間だからいいというのはないんですよね。弱い生き物だから。 だけど、これでいいんだというふうに諦めてしまって、諦めてしまうというか、これでいいんだというふうに安心してしまって、次へ行こうとしない。 あるいは、自分の力の限界にあたって、何かにすがって、現状を切り抜けたときに、もう自分なんかダメなんだから、これにすがるしかないというふうにすがってしまって、頼りにしてしまって、自分であることをすることをやめてしまうことってあるんですよね。 だから、いそんなにいけなくなるときっていうのは、やっぱり自分で見て、自分で聞いて、自分で感じて、自分で考えることをやめてしまったら、どんなケースであってもよくないんですね。 だから、やっぱりそう考えていくと、大事なことって、依存しないことじゃないと思うんですよ。 依存しなくて自立するってことはいいと一概には言えない。 そうじゃなくて、見ること、聞くこと、感じること、考えること。 人任せや物任せじゃなくて、いつも自分で考えるっていう、そういう姿勢。 自分でいつも、これで言われるのかって、そういう姿勢を持つこと。 それが大事ですよね。 そういう当時姿勢があるということが、やっぱり大事だと思うんですよ。 依存がいけないとすると、そういう当時姿勢、自分で考えていくっていう、そういう姿勢を放棄してしまうことが、依存のいけないところだと思うんですよね。 そういうことで言うと、自立しようが依存しようが、例えばオートマチックになっていくってことって、とても危険ですよね。 オートマチックってすごく便利だし、一斉再生も上がっていいことも多いんだけど、前提が壊れてしまうこと。 例えば社会が変わってしまったり、自分の方の都合が変わってしまったり、その瞬間に前提が壊れたらどうなるのかなるんですよね。 社会で言えば、例えば自分で商売をやるとするじゃないですか、自分で考えてどんどん攻めていくんだけど、 そのままでは大きくならないから、いろいろシステムを考えて、オートマチックなシステムを考えていって、 自分がいちいち全部やらなくても収益が上がるような仕組みを作っていくじゃないですか。 例えばサポレーテーナーがそういうものですよね。 でもそれを安住すると、生産性も上がるし良くなるんだけど、それにアグラを変えちゃうと、 例えば社会が変わったり、自分の立場が変わったりするときにガラガラと崩れる危機感性がありますよね。 私の親戚に酒屋さんがいたんだけど、昔、米屋さんとかお酒屋さんって免許制で守られてるから、 資格を取って免許を取れば後は安泰だって、そういうことを言ってたんですよね。 でも、そこに安住してる人たちって今そうはいかないじゃないですか。 コンビニが出てきたときにグラグラしましたよね。 今いろんな仕事がどんどん社会の変化だから無くなると言われてますよね。 そうやって安住してしまうことが危険だということですよね。 だからそういう意味では、依存というよりはむしろオートマチック化がいけない、 縋ってしまうのがいけない、そういうことを考えた方がいいと思うんですよね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして誠にありがとうございます。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #有限性 #依存しすぎないために #力を借りることと頼ること #人任せにしない 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:091.初めのあいさつ02:302.「依存」がいけないのは...力を借りることと縋ること03:533.オートマ化が一番危険?00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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