TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#286 思い出すこと...道場時代の思い出③17:45 2024年9月30日 426再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、道場時代の思い出です。今回も、失敗の思い出です。AI目次道場での料理修行、最初の失敗談天ぷら事件と意外な指導内容慢心と成長、その狭間で何を学ぶか贅沢と御馳走、真の意味とは?忘れられない経験から得た大切な教訓AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 少しずつ慣れてきて... 今日は思い出すことということで、道場時代の思い出をもう一つしたいと思います。 今まで2回喋っていますので、今日で3つ目ですね。 今日は最初の1回目と同じで、やっぱり道場時代の失敗の思い出になります。 何回もこの機会でお話ししていると思いますけど、 修行道場に入って、私はともかく段取りの力がなくてとても苦労したんですよね。 特に苦労したのが、お料理を作るということなんですよね。 禅寺は精神料理で有名ですけれども、前もお話ししましたように、半年ずつ自分の役割というのがぐるぐる回ってくるんですよね。 その中で天蔵といってご飯を作る役割ですが、お料理というのはともかく段取り力が全てなんですよね。 例えば包丁を切る手が速いとか、そういうのも大事なんですけれども、やっぱり物事を段取りよく段取りよくやっていくというのが一番大事でしたね。 そういう段取りがダメだったから私は本当に苦労したんです。何年もかかりましたのでね。 今日お話しするのは私が4年目になる頃ですかね。 まったく段取りが悪くてひどかったのが、やっと少しずつ覚えてきて、何となくわかってきたんですよね。 こうやってやればいいのかって、段取りっていうことが、もともとそういうセンスがないのは仕方ないんですけれども、 頭で、あるいは体で、何となくこうやってやるんだって、物事をやるときにはこういうところに気づかれて、こういうふうにやるんだっていうことが、何となくわかってきた頃のことなんです。 普通に、例えばご飯を作ったりとか、お師匠様の身の悪いことをするとか、お経を読むとか、そういう係が全部だいたい一回り回って、 今度は自分もいろんな役職を凝らしながら、自分の道場の後輩たちを束ねて、一丸となっていろんな行事に立ち向かうじゃないですか。 そのときのまとめ役みたいな、付随っていうんですけどね。まとめ役みたいなことをしているときのことなんですね。 最初の頃、私は料理がダメだったんですけども、付随って役になるとだんだん腕が良くなってくるんですよね。 さすがにいろんなことができるようになるわけです。 就業当初というのは、基本的には物を買わないところですよね。 卓発でいただいた物を中心にやるので、料理なんて普通は粗末なものです。 麦飯に出汁のない、出汁って贅沢金だから禁止ですからね。 塩と醤油と味噌しか使っちゃいけないので、味噌汁はもう水に味噌を入れて、塩と醤油で味を整えるだけです。 そこに野菜のぶつ切りが入って煮込まれているだけ。 あとは野菜炒めみたいなのが作っているだけのことなんですけども。 時々、1週間ギューッと厳しい修行をするときとかに、この修行僧に御馳走が出るんです。 その御馳走を作る役が私に回ってきたんですね。 もうその頃には私、いろんなことができるようになっていたので、 いろいろメニューも考えて、滅多に物なんか買えませんけど、 そういう特別なときには多少物を買ってきてもよかったので、 食材を買ってきて、準備して、それでやったわけですよね。 そのときになんで失敗したかというと、要するにその頃自分もやっとできるようになってきたんですよ。 それで、まあ愚かですけどプチ自信がついたんですよね。 プチ自信がついたので、いい気になって、それで料理を作ってやらかした失敗なんですね。 # ご馳走と贅沢 その時私は天ぷらをやったんですね。小陣天ぷらです。 お野菜を切って天ぷらにして出すんですよね。 ご存知のように天ぷらってなかなかタイミングとかあって難しいんですけど、 その頃には私もだいぶ慣れてきてたので、それでパパパパッと作っていって出していくんですよ。 いつもより上手くいったわけですよね。 それは何でもやってるからさすがにできるようになってるんですけど、 でも私としてはどうだって気になってたんですよね。 いろんなところに気を使って、細かいところに気を使って、うまくできてたんですよ。 それで作って、みんなが宅発から帰ってきて、それでパッとお昼出して、 作った人間はついたての陰でずっと裏方で回って待機してるんですけど、 その時にご飯を食べ始めるタイミングが来てパーンと表紙屋になったんですけど、 一向に食べ始める景色はないんですよ。 それでついたての陰からパッと変だなと思って様子を見たら、 一番修行のリーダーの直実さんって言って、修行のリーダーの方が 箸も取らずにじっと俺を睨んでるんですよね。 なんかおかない感じだったんですよ。どうするかなと思って、 ちょっとこれ違うぞと思ってたら、 直実さんだった人が私においって入って出れたら、 これ何だって言ってたんですよね。 何だって言われても分かんないじゃないですか。 いや、あの天ぷらをって言ったら、ああ見たら分かるって言われるんですよね。 何に怒られてるか分かんないんですよ。 その時にね、こう言われたんです。 お前は道場の畑のどこに何がなっていて、 どこのどれが取れ頃で、どのどれが食べ頃でってことを ちゃんとお前は分かってるのかって言われたんですよ。 で、道場っていうのは役割分担の社会なんですよね。 だからお料理を作る係、お共有の係、それから畑の係もちゃんと決まってるんです。 で、畑の係は、その畑はずっと運営維持するわけですよね。 で、この頃にこれを収穫して、この頃にこれを収穫してって言って 取り過ぎたりしないように、取り遅れちゃって育ち過ぎて傷んだりしないように そういう管理しながら、その日料理に使っていいお野菜を 縁側に並べておくんですよ。 で、料理係っていうのは、その縁側に並んでるお野菜を使ってくださいっていうことで それで料理を作っていくんですよね。 それが普通なんです。 だから、実は料理作る係は、畑で何がなってるかなんてことを気にしなくても 並べてあるものを見て、それをパッパパッと作っていけばいいんです、実は。 だから、そんな観点で自分の畑がどうのって、そんな観点で見たことも考えたこともなかったので ぎょっとしたわけですよね。わからなかったんですよ。 それで、思わず、何も言えずに口を持っちゃったんですよね。 で、そしたら、こう言うんですよね。 お前、道場の仲間が一生懸命作ってくれてるんだぞ、畑でって。 で、私は当然、まったく言っていないことだけど、食材を少しは買っていい時ではあったので やっぱり、いつもよりもいいものを作りたいじゃないですか。きれいなものを作りたいから 野菜なんか、買って準備するとこもあるわけですよ。道場のものも使ったけど、買ってくるのもあったんですよね。 でも確かに、買ってテープラーで使った料理の野菜のいくつかは、道場にもなってるものであったんですよね。 でも、自分は買った方のものを使ったんです。きれいになりますからね、形が整ってるので。 道場は薬とか一切使いませんから、虫食いが結構あったりしますからね。 で、そんな気にもしなかったんだけど、そのことを言われたんですよ。 道場でお前、仲間が一生懸命畑作ってんだぞ、お前って。 で、お前、贅沢と御馳走地が分かるかって言われたんですね。 で、私がドギマギしてるとね、御馳走ってのは、地層って走り回るって書くだろうって。 で、御馳走ってのは、走り回って走り回って、畑を、道場の走りを畑回って、何が一番食べごろか食べごろか、 それを見て、仲間の作ってくれた野菜をどう生かすかって、走り回って、頭で考えるんだって。 体で考えるんだって。それが地層だって。 で、修行僧が、こんな贅沢してどうするんだって怒鳴られたんですよね。 で、俺はこんな贅沢の真似事みたいなものは食いたくないって言って、怒鳴られたんですよね。 ある意味では理不尽っては理不尽ですよ。 だって、畑にあるものを出してもらって、それで作るものは決まってるんですよ、最初からね。 言い訳ですよ。じゃじゃでもいいですよ。言い訳ですけど。 だから、考えもしなかったです。この仕事はこの仕事、この仕事はこの仕事って。 でもね、これってもう典型的官僚主義なんですよ。 私の仕事は作る人って。で、畑の人は畑の人をやるからって。 でもまあ正直言うと、翌日というかその後ですよね、お昼に私すぐに畑に出て見に行ったんですけど、やっぱり畑作る人も未熟だったりするんです。 私の方が年数長いから、これ出した方がいいのにって、どうしても遅れがちになるんですよ、取るのが。 だから、これ出した方がいいのにっていくつもありました、やっぱり。 そしたら、変わらずに済んだですよね、今思うと。 だから、私は言い訳ながらしちゃダメなんですね。言い訳聞かないんですよ。 それで、全然見たこともなかったし、考えたこともなかったしって。 で、その時には、贅沢するな、ご馳走なんだぞ、ご馳走が大事なんだぞって、そういう風に言われたけど、自分の姿勢ですよね。 自分いくら役が違うからって言ったって、道場で長くいるわけです。 で、本来ならめくばさしなきゃいけないんですよ。自分の役じゃなくたって、ちゃんと見てないわけないんですよ、道場の仲間をね。 それができないでいて、自分はこの役だからって、この役の中でベストを作るって、そりゃいいですよ。いいけど、最初の素手ならいいですよ。 でも、もう真ん中辺になってきて、自分の下に若い人がいっぱい入ってきていて、そういうのを束ねて、みんなで一種よしながな立場じゃないですか。 そんなことも全然考えないで、自分がこんだけできますよみたいなつもりで、いい気になって料理作るなんてね、醜いっていうか、何やってんだお前って。 今考えたら、どうにもならんですよね。そこを私、満身があったのを、そういうふうにズバッと言われて、刺さりましたね。 いい気になってて、どうだぐらいのつもりで言いましたからね。それが、お前どうなんだって、それほんと主張になってんのかって、何のために主張してんだって言われてるな気がしましたからね。 # 慢心を起こさないように... この時に私がやったことは妥当であったかどうかってことに関して 例えば言い訳はいくらでもできるんですよね 双方で言ったって役が違うからとか そうは言ったって畑のものを使っていいかどうかってことは やっぱり未熟でも担当者は決めることだなって そういう言い訳はあるしそれは正しいかもしれないけど 私が大事にしたいことはそんなことどうでもいいんですよ そうじゃなくて結果はどうあれ お前は本当にってかその時の私ですよ その時の私はお前はですよね その時にそういうことをちゃんと考えるべきじゃなかったのかって 結果的に相手の言う通りにするのがシステム上ルール上正しいことだけど お前そんなつもりで本当に主張になってんのかって 何でたまにいるんだって お料理上手になるたまに道場で仕事してんのかって 結果的にお料理上手になること大事ですよ だからそんなことで本当にいいのかって 道場にいる時に身につけたがならんことってそんなことなのかって だから言い訳なんかしちゃダメなんですよ その言った言葉が当たってたとかそんなことどうでもいい 自分自身がそこで言われてることをちゃんと自分ができてなかったってことですよ 考えもしてなかったって 自分自身だからに料理が上手くなってって まあ最初の頃全くダメダメだったから余計に コスコ手術上達した時の嬉しさがあったんですよね でも嬉しさ自体は悪くないですよ でもそれで勘違いしてどうするんだって 大事なことを全然気がついてないですよね お前そんなことも考えないでいてそれで本当に主張なのかって やっぱり今でもね今でも恥ずかしくて 何にも分かってなかったなって で実はこの件はやっぱりすごくブスッとここにさせてずっと傷を残しましたから 最初の頃しばらくはそれでもやっぱり時々言い訳をしたかった自分がいたんですよ そうはいたってってだけどそんなこと言い訳してるうちは何にも分かってないんですよ そんなやっぱり何も分かってないそのことが正しかったかとかその発言が妥当であったかどうかじゃないんです それは世間のことはそうかもしれないしかしね修行やる人間がどういう気持ちで 日常向き合うべきかってことは何にも分かってなかったらやってることが正しかろうと言い訳が 妥当とそんなこと何の役にも立たないですよ どっちが正しかったかなんてことは自分の修行と自分の成長と何の関係もないです その時に何も分かってなかったら要するにちゃんとしたことをしようがしまいがダメでもダメですよ だんだんだんだそれが分かってきて最初のうちはね いろいろな言い訳してたけどそれがだんだん分かってきてそういう心の中にいろんな言い訳を考えた自分が もうどうにもならんなって 今度はそういう時どうしても反発していろんなことを思っちゃう自分が恥ずかしかったし 自分が嫌でしたけどでもね最初の頃やっぱりいろんな思いがグラグラグラグラして 渦巻いてなかなか納得できなかったですね まあ未熟で未熟でどうにもならんって今も大事とありませんけど当時も未熟で未熟で たしことなかったですよ まあこのあたりのことがこうわかるかどうかということが修行道場が長く続くかどうかって いうことでもあるんですやっぱり ちょっとしたことなんですよ自分の心の針をどこへ向けるかということが分かってないと 反発心が湧いたり納得できなかったりって グルグルグルグル回ってる自分に対して私はね今だったらいいことができますよ グルグル回ってることが正しいかどうかじゃないってそんなくだらんことに1分1分1秒 使うなってんですよ 自分は正しいことに心を向けて正しいことを身につけて入って自分を切り替えて進めばいいんだって 言ってることが正当かどうかそんなことは まあそれが大事な場合もあります大事な人もいるかもしれないとお前自分で本当にそれが 大事なのかということです 自分が大事なことを気づいてそれを改めることが一番大事なんですよやっぱり やっぱりですよ その時に私は今思うんだけどそのね 当時はの先輩ですけど本当にお世話になった方なんですけどねそうやって まあある意味では味方によっては理不尽なことですよ それをこう厳しくいうことでまあ何が言いたいかというと私の満身がちゃんとわかっていて 私の満身をピシャーンとやったんですよねそれはその 修行数人間として成長できるようにってことじゃないですか その満身がわからなかったらやっぱり花持ちなら人間なるんですよ だけど考えてみたら長いことやってんだから d 色が当たり前じゃないですか そんなことでどうだなんてまあ なぜかね話ですよまあほど修行者がってことです大事なことなのかそれはって 料理うまくなるとか役が仕事ができるならとかそんなことはやっついてくるんですよ やってりゃ後からもっと大事なことがあるだろうって 同時やっぱり自分の満身がムラムラッと湧いてくるときにこの時のことがわーっと頃に 浮かんで これじゃいけないって何度も何度も猫のでぎおうと これで行動が何度も何度も自分の満身に気づかせてくれたってことがあって 実は私にとってとっても忘れられない大事なエピソードです 難しいですよだって少しずつ自分が良くなってきたらそこに喜びを感じて前進む そういう原動力を得るってことは大事なことだから私はねこの話を人に振り回そうと思って ないんですよ それはめめめ一人一人やどう考えるかどう感じるかの話じゃないですか でも私は今はやはりは今でもですよ今でもこの話は自分があかんって思ってます だからどっちかというとこの時今の自分はこの物語を思い浮かべるにつけ なさがなかったなってこうならないようにって これがちゃんと自分のものになってないと主要って怖いよって自分をね今占めるための経験としてね 大事に大事に思ってるんです まあそんなわけで皆さんいろんな考え方があると思いますけどね 私はその修行する人間がどんな心持ちでいけなきゃならないのかってそんなことをね 厳しくちゃんと横っ面張ることで一生ねそうやって道を踏み出さないようにね 自分で自分をあれしろって教えてもらったらな気がする そんなわけでとっても大事にしている自分の思いです # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきまして、誠に有難う御座います。 修行のことになるとどうしても心に染みることがね、10年あったのでね、長くなっちゃいますね、すみません。 今日も長い時間お聞きいただきまして、誠に有難う御座いました。どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #思い出すこと #道場時代の思い出 #慢心を起こさない #修行者の心がけ 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:482.少しずつ慣れてきて...07:083.ご馳走と贅沢06:184.慢心を起こさないように...00:225.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
#641 先ずは一歩を踏み出す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」② 14分・14時間前・ 88再生AI目次成果に囚われず見つける人生の真の価値「無理」と決めつけずに踏み出す一歩の重要性未知の可能性を拓く「縁」と「挑戦」の力遠回りから得られる人生を豊かにする知恵人生と真剣に向き合う「行」としての修行
#640 AIの衝撃の大きさを受け止める② 16分・昨日・ 142再生AI目次IBM Watsonと開発者の情熱理想のAIが蝕む人間の本質知のブラックボックス化の危機人間的行為とコミットの喪失AI時代に蘇るソクラテスの問い
#639 AIの衝撃の大きさを受け止める① 14分・9月10日・ 132再生AI目次AI開発の原動力、IBMの熱狂人間の夢を映すAIという存在Watsonの誤答が示すAIの未来AIの冷静さと人間の情熱の対比AIにできない人間の情熱の真価
#638 辛い思いをして修行をしても、無駄になってしまうのではないか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」① 13分・9月9日・ 209再生AI目次厳しい修行と拭えない心の疑問成果主義がもたらす仏道への誤解誰もが持つ「円満具足」の真の姿他人との比較を超える喜びの源泉理屈抜きに「良い」と味わう体験
#637 どこまでも己にとって返す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」② 13分・9月8日・ 148再生AI目次他人の是非を越え自己へ帰れ徹頭徹尾「自分のため」の修行「自他」の区別以前の自分を掴む「お前は何者か」という深遠な問い途方に暮れる悩み、悟りへの一歩
#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 189再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
#635 禅の物語~葉落ちて根に帰す 六祖慧能大師(其の五) 14分・9月3日・ 205再生AI目次禅の革命者 六祖慧能大師とは仏を見出す鍵 自身の衆生を知れ葉落ちて根に帰す 慧能の死生観形式を排した最期の教えの真意言葉を超えた慧能禅の遺志とは
#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地