TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#335 人生を考える...孤独を感じることと寂しさと②10:22 2024年12月6日 628再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、寂しさと孤独、孤立について考えます。AI目次隠された依存関係に気づく方法とは?孤独と向き合うとは?真の自立への道孤独と孤立、修道院の教えから学ぶこと現代社会における孤独と孤立の問題点とは?寂しさの奥底にある真実とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジュの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 孤立と「隠れ依存」 今日は、昨日に引き続き人生を考えるということで、孤独を感じることと寂しさということの続きをお話ししたいと思います。 昨日はこの寂しさということを扱うときに、最初にただ単に人寂しいというものと、それから孤立感と孤独感という話をしました。 その寂しさの正体というときには、ただ単に人寂しいだけじゃなくて、その奥に孤立感と孤独感がある。 昨日は、もっぱらとこの孤立感の問題を扱ったんですよね。 孤立感というのは、ただ単に孤立を感じるだけじゃなくて、その底に私たちの一人一人がバラバラに切り離されてしまっているという事実があるとすると、 それの範囲だとすると、これはとても危険で怖い問題だという話をしました。 それを立て直していくためにどうしたらいいか。 結局はそのためには、人と人がちゃんと結びつくことができるために、共感力を磨き、思いやりをする能力を磨くということ。 そこからさらに進んで、一人一人が互いに相手を尊重するということ。 自分の価値観や自分都合を押し付けちゃって、わがままを押し通すんじゃなくて、 丁寧に相手に寄り添って、自分の感情や自分の思いをちゃんと抑えながら、相手に合わせながら、バランスをとみながらコミュニケーションを重ねていく。 そういう忍耐と自己抑制を学ぶということでもあるんですよね。 これができて初めて一人前の人間になることができる。 反対にこれができないと、互いにぶつかり合って孤立するしか道がなくなっちゃうんですよね。 共感という能力は人間に備わっているけれども、単に共感するだけというのでは十分ではない。 そこからさらにさらにトレーニングしていって、連帯して、助け合いに発展するためには、 やっぱり今言ったような形で、一人一人が精神的に自立していないと難しいんですよね。 互いに自立していないと依存関係になっちゃうんですよ。 依存関係になると自分に余裕がないから、相手に要求することばかり増えて傷つき合うしかなくなってしまうんですよね。 この依存というのの難しさというのは、隠れ依存というのがあるんですよ。 隠れ依存というのは、自分が相手に依存しているということを自分で気がついていない場合、 多くの場合は自分の価値観や自分の考え方が正しいというふうにご了承するんですよね。 相手が間違っていると立ち上げ思考になっちゃうんですよ。 相手がおかしい、相手が悪い、自分の思い通りにならないこと、相手が悪いと言っちゃうんです。 でも実は、そんなふうに自分の価値観を相手に押し付けている人というのは、 自分の価値観に相手が応じてくれないと付き合うことができないんですよね。 そういう形で自分の価値観しか出せないということは、相手がそれに合わせてくれているということ、 相手がそれに合わせてくれないとダメというふうに、そういう形で相手に依存しちゃっているんですよ。 そういう人ってうまくいかないですよね。相手が合わせてくれるには限度があるじゃないですか。 だからその自己中心的になることによって、自分が実は人に依存してしまっている。 自分を抑えることができないという依存関係を自分自身で隠蔽してしまっているという、 その隠れ依存の問題があるんですね。 今、社会にいろいろ扱っているいろんな問題、私のところにも持ち込まれるんですけども、 私が見ていて、この隠れ依存というのはものすごく多いんですよね。 それは自立ができていないということなんですけれども、 これはとても難しい問題なんですよね。 # 自分に向き合うことは孤独に向き合うこと その上で、昨日お話したことで言うと、 その、孤独の問題っていうのはまだあおらしてなかったですよね。 人寂しいっていうこと、それから孤立感と孤独感の、その孤独の問題ですよね。 で、孤独っていうのは、実はとっても大切なものだと思ってます。 人間っていうのは一人では生きていくことはできないけれども、 同時にですよ、その、群居本能で人に合わせて、集団に合わせて生きていくんじゃなくて、 人間っていうのは人格って問題がありますよね。 一人の独立した人格として生きていくってことが人間にはあるんですね。 そのためには自立が必要ですよね。 で、自立するってことの中には、人に頼ることができない時であっても、 不安に負けることなく、孤独に負けることなく、辛さに負けることなく、 自分の足で自分の道を行くってことがあるわけじゃないですか。 そのためには孤独に頼る力っているんですよね。 覚悟と決意ってのがあります。 勇気ってのがあります。 それは、孤独を通じて磨くしかないんですよね。 だから、孤立してしまうってことは、野望を得ない場合を除いては、 できる限り探るべきだけれども、 孤独っていうのはむしろ、自分の精神を鍛えるトレーニングとしてとっても大切だと私は思ってます。 自分に向き合うってことは、孤独に向き合うってことなんですよね。 やっぱり自分の一人の独立な人格があります。 人間の存在っていうのは、一人では生きられないけど、 同時に人の一人は同じ人間ではないですよね。ユニーク。 人の一人は特別な存在なんですよね。 その他の人間に変わることができない、人の一人が違うっていうこと、 それを指して人格と言いますよね。 人格、persona、パーソナリティという言葉は、キリスト教の言葉ですよね。 ボエティスって言葉があり始めていて、キリスト教の文化圏の中で育ってきたもんだけども、 どこにおいても、人の一人は他の人に変わることができないってことを言う、 これは普遍的な人としてあるんです。 でも他の人に変わってもらえないってことは、 ひょっとすると人から誤解されたときに、 自分自身で自分を背負って、自分自身で自分を担って受け入れて引き受けていくってことが、 人の場合もありますよね。 そういう意味で、自分に向き合うってことは、究極的には孤独に向き合うことだってこと、 それは覚えておいた方がいいですよね。 # 孤独と孤立...修道院のモットー 昔、私が、今はレンのお坊さんですけど、昔、キリスト教の勉強を一生懸命している頃に、どこかの修道院のモットーというのを読んだことがあるんですよね。 それは、沈黙は銀、孤独は金、服従は地獄というふうに書いてあったんです。 で、修道院というのは、神に身を捧げる人たちが集まって修行する場所ですよね。 だから、祈りの暮らしをするわけじゃないですか。 で、祈りの暮らしというものに身を捧げる人にとっては、沈黙して自分の心の中に向かっていくって、それはとても大事なことですよね。 大切なことで素晴らしいことじゃないですか。 祈りというのは孤独に神と向き合うことですから、沈黙って大切なことですよね。 だから、沈黙は銀。 で、沈黙を通じて自分と向き合って、自分一人となって、その上で神に直面する、神に向き合うということは、さらに素晴らしいことだ。 だから、それは金なんですよ。 辛いけども大変なことだけども、素晴らしいことじゃないですか。 そのために修道院に行くわけですよね。 自分はダメな存在だけれども、神に向かって祈るって、たった一人になって神に向かって祈るって。 でも、これは孤独じゃないんですよね。 神に身を捧げるという共通の目的の下に集まってきた者が、共に暮らすわけですよ。支え合っているわけです。 精算たくましているわけですよね。これが修道院の在り方ですよ。 孤独な者たちが集まっているんだけども、みんな助け合って、互いに刺激をし合って精算たくまして修行する。 助け合って精算たくまするんだけど、最後はたった一人になって神に向き合って祈るって。 だから、こいつは何ですね。孤独なんです。 で、人間というのはそんな風に、でもわがままですからね。服従を嫌うんですよ。 でも、これはいけないことなんです。 どういうのかというと、人が助け合っていくためには、互いにみんなが勝手なことを言ったら、集団生活は無理ですからね。 だから、自分の都合、自分勝手を抑えて、修道院のルール、修道会のルールに従わなければならないんですよ。 修道会、修道院には厳しいルールがいっぱいありますよね。戒律がいっぱいあって厳しいルールがいっぱいあるわけですよ。 でも、それはつらいことですよね。 例えば、祈りがメインだからといって、自分一人の祈りを重宣して、他の人に迷惑をかけちゃダメじゃないですか。 そんな風にして、身の回りのことを全部他人にさせちゃって、自分は勝手に祈るなんて、それは異相関係ですよね。それは良くないんです。 やっぱり、ルールの中で生きていかなきゃならないって。 でも、それはわがままな自分にとってはつらいことですよ。 祈りすらわがままにしたことが人間です。 だから、服従は地獄って。 服従って言うときつく聞こえるかもしれないけど、これは人が共に生きるためのルールなんですよ。 人は一人では生きていけないから、ただ単に霞み食って祈るだけで生きるわけにはいかないですよ。 食べるには、助け合っている中で食べられることができない。 食べることができなかったら、祈ることができないですよ、人間って。 だから、一人で向き合って、孤独に神と向き合うことが必要だけど、 同時に孤立することなく、自分を譲って最低限のルールに従いながら助け合っていくことが必要ですよね。 だから、自分として生きるための最低限のルールがあるわけです。 そういう意味では、この修道会の言葉、 沈黙は銀、孤独は金、服従は地獄っていうのは、とってもいい言葉だなって思いますね。 そんなわけで、元々はモイシーからいただいた、 寂しさの正体っていうことだけども、 寂しいことの奥底にある孤立と孤独の問題、これを現代社会はしっかり考えてほしいんですよね。 孤独であることは必要かもしれないけど、孤立してはいけないって。 寂しいってことの奥底にある孤立と孤独の問題っていうのを、 もう一度ちゃんと考えないと、現代社会のいろんな問題に向き合うことができないんじゃないかなって私は思います。 # 終わりのあいさつ 今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生を考える #孤独と孤立 #寂しいの正体 #修道院のモットー #沈黙は銀孤独は金服従は地獄 #自分に向き合うことは孤独に向き合うこと #共感し連帯し信頼を構築する 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:372.孤立と「隠れ依存」02:253.自分に向き合うことは孤独に向き合うこと04:044.孤独と孤立...修道院のモットー00:085.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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