TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#340 自分を振り返るとはどういうことか08:52 2024年12月13日 383再生 問題を報告する 再生する シェアする 昨日、禅語「脚下照顧」についてお話しました。今日は、さらに「自分を振り返る」ということについて考えます。AI目次「当たり前」を疑うとは?自分の死角にどう向き合うか?固定観念からの脱却方法とは?他者の視点を理解する重要性とは?自分を見つめ直すための具体的な方法とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「あたりまえ」のことを「あたりまえ」だと流してしまわない 今日は、自分を振り返るとはどういうことか、ということでお話したいと思います。 昨日、前後のお話で、脚下症候ということをお話しました。 それで、この脚下症候ということを、もう少し掘り下げて、広げてお話したいと思います。 脚下症候ということを、昨日は自分を振り返るという風に言い換えてお話しました。 普通に考える、この脚下症候、自分を振り返るというのは、日常生活を送る中で、時々は立ち止まって自分自身を反省するということですよね。 これは、昨日もお話しましたけれども、とても大事なことだけれども、これだけでは十分ではないですよね。 昨日お話したことは、そこからさらに進んで、当たり前のことを当たり前に流してしまわないということですよね。 時々立ち止まって全体を見て、ざっくり反省するというのではなくて、一つ一つ丁寧に自分が当たり前と思っていることを洗い直すということですよね。 だから丁寧に丁寧に、一挙一動丁寧に丁寧に見るということ、これはなかなか難しいじゃないですか。 だけど、これは大事なことなんですよね。つまり、こういう意味での脚下症候というのは、ある程度トレーニングが要るんです。 例えばトレーニングが要るということの例で、この脚下症候の一つの私が、これは良い例だなと思ったことは、お茶の世界なんですよね。 お茶の世界で、例えば仙家のお茶だったら、この落茶碗というお茶碗が大事にされるんですよね。 落茶碗というと黒いお茶碗です。真っ黒なお茶碗ですよね。りくさんの好みです。 で、何の変とでもない真っ黒なお茶碗なんだけれども、まあ黒いから色の変化があるわけじゃない。丁寧に丁寧に見たら色んな見どころがあるんですよ。 だけど、キラッと見ただけだったら、黒い、ただの黒い茶碗なんですね。何もないんですよ。 でも、一つのこの黒い無骨な茶碗が毎日毎日同じように見えるわけはいけないというんですよね。 そういう教えがあるんです。 同じ一つの茶碗で毎日毎日お茶碗を飲むって。だけどその黒い何の変とでもない茶碗が、同じに見えてしまってて、ただ、あ、黒い茶碗でしょって。 そんなように終わってしまっていたんだったら、その人には何の進歩もないって。 お茶を学んで毎日磨いていけば、感性を磨いていけば、同じような茶碗なんだけど、同じ茶碗なんですよ。毎日見てるんだけど、そこに開発力が働いてきて、また違って見えてくるって。 当たり前だと思っても当たり前じゃなくなってくるって。そんな風に新鮮な切り口で、新鮮な見方ができるようにならなきゃ、お稽古にならないわねって。 まあ、そんなことですよね。 結構前に、キリキリンさんが出てた映画ですよね。 日々これ今日っていう、お茶のことを描いた映画がありましたけども、あの中でお茶の先生役のキリキリンさんが自分の弟子に向かって、 その10年、お稽古を習ってて、何にも工夫が出てこないようにして、あかん、やめた方がいい、みたいなことを厳しく意識になるんですよね。 ここは右手でこう取って、左手でこう茶碗を置いて、こうして、右手で左手でこうしてって、再び何番目のところに。 そんなこと決まりきったことだから、それをやってるんだけど、それをただただ機械的にやってるだけだったら、そこに何の発見もないって。 何でこの場所に置くの?何で右手で取るの?何で左手で置くの?って。 そこに発見や気づきがないようだったら、10年やっても機械的にやってるだけだったら、ただロボットと一緒じゃないかって。 それは何も習ってないんだって、厳しい言葉ですよね。 そんなことが起きないようにするってこと、それが結果証拠ってことになりますよね。 # 自分の死角に向き合うために それからもう一つ、今お話しした当たり前と思えてしまうことを当たり前として流してしまわないということの延長、その先にあることですけれども、 さらにもう一歩踏み込んでトレーニングがあるんですね。 どういうことかというと、要するに自分の物の見方というものをいつも足場から切り替えてしまってみるということですね。 自分はこう見る、自分はこれがこう思う、自分はこれは正しいと思うという、そういう自分なりの見方というのがあるじゃないですか。 それを持っているということはとても大事なことなんです。 ふわふわふわふわと言っちゃいけないんだけど、でもどのような見方にしても、自分が磨き上げていって、これが正しいと確信を持っているどんな見方にしても、 それに関して一定の見方から正しいということが言えるだけなんです。やっぱり、所詮物の見方というのは一定の見方なんですよ。 正しいと言うためには、この視点からだったら正しいということ、この視点からという条件なしに、いつでもどこでもどんな角度から見ても無条件正しいということはなかなかないんですよね。 だから、自分がこれが正しいと思っているような見方であっても、時々切り替えてみるということ、意識して切り替えてみるという、そういう努力って必要なんですよね。 で、いろんな見方を切り替えてみた上で、最終的にやっぱり自分は最初からとっていた見方に戻るって、やっぱりこうだったというふうに戻るにしても、 違う点から真剣に戻ることによると、最終的には自分がその考え方を採用しないにしてもですよ。 やっぱり人間っていろんな見方、真剣に真剣にいろんな人がいろんな見方をやるからいろんな見方があるわけです。 そうすると、最終的に自分がそれを受け入れがたいと思う見方であっても、真剣に誰かが見ているということは、そこにやっぱり何か発見があるはずなんですよ、やっぱり。 だから、自分の考え方とは違う視点からでも、やっぱり真剣に見てみるということですよね。 その人になりきって見てみるということです。 で、自分が気がつかなかったことがいっぱい出てこなければ、本物じゃないんですよ、やっぱり。 だから、いつでも自分の踊る見方というものを相対化して、違う観点から見るトレーニングって必要なんですよ。 で、実は全問答ってそういうものなんですよね。 全問答では疑いを持つことということをよく大事にするじゃないですか。 その疑いというのは、要するに自分がこうだと思う、当たり前と思っているその当たり前が本当にそれでいいのかということなんですよ。 それが疑いということなんです。 山は山だろう、川は川だろうって、でもそんな簡単に進まないって。 童謡伝授の有名な言葉があるじゃないですか。 鳥飛んで鳥のごとく、魚行きて魚にいたりって言うんですよ。 鳥が飛んでて鳥のごとく、でもあれは鳥だよって簡単に進まないんですよ。 鳥ってどんな鳥って、鳥って何って。 毛巾類もスズメもカラスもみんな鳥なのかって、違うだろうって。 鳥言うて鳥のごとくって、そんな簡単なことではないですよね。 そこに鳥は鳥だけど、そこにはっと気づきがあるかどうか。 鳥がいくらじゃないんですよ。 そこをじひっと見るってこと、そこに気づきがあるかってことですよね。 そういうふうに全問答って、当たり前をいかに破るかっていうことなんです。 だからあえてみんなが当たり前と思っていることに対して、本当にそうかって疑問を突きつけるって。 そのためにトンチコ像みたいなびっくりするような視点を持ち込んできて、はっとさせるってことですよね。 いわば食用法なんですね、全問答ってのは。 それをうまくやるためにいい方法として、自分に対する批判、自分の考え方や自分の見方に、自分の当たり前に対する批判を大事にしようって。 自分を批判する人の意見で大事にしようって。 あるいは自分に対する批判でなくても、自分にはちょっとわーって思えるような考え方を、あえて真剣に取り扱ってみるって。 自分とは考え方が違う人の考え方というものを真剣になりきって考えてみるって。 そうやって自分の見方の見直しを図る。 自分のフレームでいくら自分を振り返ったとしても、そのフレームから振り返っているんだったら、自分の見え方が見えない、視覚というのがあるじゃないですか。 自分が正しいと思い込んでいると、思い込みの視覚になっちゃうんですけど、その思い込みの視覚から抜けているためには、自分の信念を相対化して違う見方から見るしかないですよね。 そうやって、いつもいつもできるだけ本気で自分の当たり前、本気で自分の信念というものに挑戦をするって。 自分のフレームをいつも破る努力というのは大事ですよね。 そのために、いろんな場所に出て行って、自分の反対者、自分と体が違う人の意見にも耳を固める。 これがたまらないって、そういう努力は必要だなって。 それがね、自分を振り返ることだというふうに私は思います。 # 終わりのあいさつ 今日も来ていただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #脚下照顧 #看脚下 #自分を振り返る 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:432.「あたりまえ」のことを「あたりまえ」だと流してしまわない04:523.自分の死角に向き合うために00:084.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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