TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#354 令和7年新年を迎えて12:10 2025年1月2日 347再生 問題を報告する 再生する シェアする 令和7年に取り組むこと...AI目次令和7年、新たな年の抱負とは?広域視点と足元の実践、その両立とは?地域再生への種まき、未来への投資限られたリソースを最大限に活かす方法寺子屋活動に込めた、深い願いとは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エレンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # ものごとを考える時に...視点は遠く広く、行動は足元から 今日は、令和7年、新年を迎えてということでお話したいと思います。 昨日、正月のご挨拶をさせていただきましたが、今日は2日目ということですね。 新年のご挨拶をした後、今年1年、どういうふうにこの1年を送ろうかということですよね。 残念ながら、お寺を巡る状況でいい話題というのはあまりないんですよね。 私のお守りしているお寺、山梨県の縁山というところのエレンジは、過疎地域にあたるところ、消滅する危険性のある自治体ということで、 このエレンジがある公衆市も中々出てしまうような状態です。人口がどんどん減っていってしまって。 実は、ここ数年、人口が減っているということを日々と実感することがいっぱいあるんですよね。 私たちで言えば、お寺で例えば職員さんを募集するようなときに、なかなか人が集まらないということも実感としてあるわけですし、 お寺を訪ねてくださる人の人数がどんどん減っていくとか、法事がなくなっていくとかということを日々実感していますね。 私たちが5年前、10年前に予想していたよりも、もっと速いスピードでガタガタっと崩壊が始まっているという、そんな感じがするんですよね。 だから、マクロ的に見ると見通しはやっぱり悪いんです。 自分の将来に向かってどう生きていくかということを考えるときに、余裕があるうちは、いろんなアイデアが湧いたり、いろんな理想を掲げて、それに向かって努力をする。 ある程度、無理をしてでも頑張れるというふうになるんですけれども、 リソースが限られていて、状況が悪いときは、そういった努力をして頑張っていくという余地がどんどん削られていくんですよね。 そうすると、限られたリソースをどうやって生かすかという話になってきます。 そうすると、当然出てくるスタイルというのはどういうものかというと、面白くはないですけれど、 まずは、ものを考えて判断するときには、できるだけ広く遠くということですよね。 自分の目線を広く遠く取るということです。 将来どんなことが起こるのかということを、できるだけ広い視点から、できるだけ遠くに向かって予想を立てて投げていく。 そういう学びは絶対必要ですよね。 まあ、限界はありますけれども、私もまだまだ、できるだけいろんな情報を取るために、有料の情報源を持っていたりとかって、 それから今でもコツコツと学びを繰り返していて、できるだけ遠く遠く、時代に置いてかれることがないように、 できるだけ遠く遠く、ものが見れるようにいって、やっぱり最新の話を集めたい、そういう努力はしているつもりなんですけれども、 そういうふうに、できるだけ遠く遠く、広く視点を取るということ、それで得られる知識というのは、マクロ的なものですよね。 で、マクロ的な知識というのは、いつもお話しているんですけれども、 俯瞰的で大きなところから見るから、ちゃんと情報を集めてものを考えると、結構予測は可能なんですね。 ただ、予測は可能だけれども、その予測というのは、大きく大きく見ているから、 地方の小さな小さな場所とか、個人的なこととかって、その細やかなところまで的中するかというと、そうではないです。 それから、この遠く遠く見て、広く広く見ようと思えば思うほど、抽象度を上げないと情報の処理ができませんから、 因果関係というのは逆になっていくんですよね。 すごく単純化されて、すごく限定されているものごとを見るならば、因果関係ってわかりやすいじゃないですか。 目の前のものをいじるとか、目の前の出来事を扱うとかだったら、因果関係は見やすいですよね。 でも、もっともっと広い視点でもあって、もっともっと遠いところまで考えようと思うと、 因果関係はどんどんどんどん複雑なものの中に紛れていってしまうんですよね。 だから、マクロ的にものを見るというのは、それだけある意味では学問的な技術が必要です。 因果関係を見るというのは、学問的な技術がなくてもそこそこわかるんだけれども、 学問的な技術というものを使わないと複雑なものって見えないですよね。 複雑なものが見えないということは、因果関係が曖昧でも予想が立つという、そういう意味で学問ってすごいんですよね。 だけれど、因果的なものが見えないということです。 このことは裏返していくと、マクロ的に見た世界に対して、こうしたらいい、ああしたらいい、 こうすべきで、ああすべきだということを議論しても、対応策は実はないんです。 というのは、対応策というのは、因果関係が見えるからできるんですよ。 マクロ的観点というのは、その因果関係が一見見えるように見えて、単純な因果関係でものが語れるわけではないです。 大勢の人が、大勢の利害や大勢の要素が絡まっているものというのは、 私たちの目から見たら、因果関係が単純に見えるって実はそうじゃないことが多いですよね。 だからマクロ的な観点で見たときには、因果関係って実は語れないし、因果関係が語れなかったら対策なんかないです。 よく、例えば、仏教って素晴らしいものなのに衰退しているのは何とかしたいと、 だからどうしたらいいだろうかって、具体的なアクションや具体的な対策って聞かれることがあるんですね。 だけど、おそらくそれは正しいアプローチではないと私は思います。 どうしてかというと、仏教はという大きな工夫をしますよね。 しかも現代社会の中で仏教が衰退というときには、すごく複雑な要素が絡んでいるんです。 だから複雑な複雑な中で起きていることだから、現状を因果的な組み合わせで見ていくということはほぼ不可能です。 因果関係が見えなかったら、これをすればよくなるとか、これをすればこうなるということが簡単に予想はできないです。 それこそ本当に例えば、話を限定して、私がお守りしているエレンジー、私はこちらに来てもう江戸川一周、まだ江戸川一周ですけど、 いろんなことが分かってきましたけれども、自分のお寺のお長さのことについて、こうしたらいい、ああしたらいいって、やっぱり分からないことだらけです。 外から簡単に見たらこちらじゃないか、あちらじゃないかって思いつけばいくらでも分かってきます。 だけど10年住んできて、いろんなことが分かってくると、一見良さそうに見えることでも、実はダメなことって山ほどあるんですね。 そんな形にうまくいけません。そういうわけで、マクロディナ観点で選んだ知見というのは、因果関係が見えないから、 だから一見インディアが見えるように見えるからといって、何かアプローチができると思うのは、やっぱりちょっと尊敬すぎるし、資料が出さすぎるんですよね。 だから絶望する必要もないです。マクロディナ観点から見えることというのは、実は因果が見えないからどうどうことならないことばかりなので、 まず大事なことは、もどごと見るときにはマクロ的に見る必要ってあるんですよ。遠く遠く、長く長く、広く広く見る、それ大事です。 そうなっていくということは相当な部分を当たりますから、対応しなければならない。 だけど解決しようとか思う必要はないです。まずそうなったときに、解決を考えるときには自分の足元なんですよ。 だからものを考え、ものを見るときにはマクロ的に遠く遠く広く見る。 だけど自分が大切に考えるときには、今度はギューッと目を絞って、自分の足元に目を絞って、自分の次の一歩、自分の次の一歩を考える。 それ以上のことはできっこないし、それ以上のことを考えてもあんまり意味がないですね。 ただ自分の足元を見て、できることをギュッと集中してやるって、これにつけるんですよね。 そんなわけで、今年一年、マクロ的に見て、ミクロ的に行動するって、じゃあどうするかって、そんなふうに考えたいんですよね。 # やはりやるべきことの中心は、種蒔きの仕事 そんなわけで、今年1年何をしようかってことに関して言うなら、 とくとく広くんのところは、ともかく私ができることっていうのは、もう難しいことはありません。 まずは足場固めですね。 だからまあ、これまでいただいたご縁の中でやらせていただいていること、 それは引き続き一生懸命やりたいと思うんですよ。 まあ、お坊さんですから、私はお坊さんですから、ご縁を大事にするんです。 私の出家できて今があるのが、修行ができて今があるのは、 すべてご縁の力によるので、自分の意図でどうどうできたことではない。 すべてご縁ですから、ご縁は最大限に大事にしたいので、 やってきたご縁は全部大事にさせてもらうというつもりで仕事させていただいているので、 今までいただいた仕事に関しては、できる限り引き続きやらせていただきたいと思っていますけれども、 だけど、本当の自分の足場、自分の意思でやっていくことに関しては、 やっぱり自分の住んでいるこの場所、山梨県の公衆寺の縁山のこの縁寺というお寺で、 その足元でやれることですよね。 その中でやっぱり自分ができることというのは、種分けですよね。 そういう意味で、当然お寺としてやらなきゃならない役割は共にとして、 自分が意思を持ってこれをやるって決めることは、やっぱり引き続き寺倉ですね。 寺倉の活動を通じて種分けをするって。 種分けって将来に向けてやることだから、悠長に見えるかもしれないけど、でも悠長ではないですよね。 蒔いた種が育っていくというのは、私は手を離れていくということです。 種を蒔いて水をやるところまでは一生懸命やりますけれど、でも種というのは力を持っています。 だから私が見えないところで自分の力がどんどんどんどん大きくなりますよね。 だから私はできることを一生懸命すればいいです。 あとは蒔かれた種は自分で育っていってくれると信じてますのでね。 だからまずは種巻きということで寺子や将来のある子供たち、ご縁を持てる子供たちにできるようなことをするって。 私はできることなんて知られてますから、そんなにたくさんの人に対して丁寧なことはできませんから。 本当に丁寧なことができるのは相対してやることですよね。 面と向かって、面と向かって、手が届く距離で、声が届く距離で、リアルで面と向かってやる仕事が一番ちゃんとできるんですよね。 だからお寺でやる寺小屋に全力を注ぐって。 寺小屋の仕事、今まで通りですけど、コツコツコツコツ手抜きをしないように一生懸命やるって。 将来に期待かけて種蒔きをするって。 どんな種を結ぶか、どんな実を結んでどんな花を咲かせるかって。 多分本当の花が咲くところって私は見ることができないと思うんですよね。 寺小屋が本当に力を持って何十年もやってやっとのことですから、ささやかな最初の小さなリングを私は結ぶだけしかできませんけど、 でも自分で見ることはできないけど、将来どんなことが起きるか楽しみじゃないですか。 だからそんなわけで将来楽しみを持って足元を大事にするって。 そんなわけで今年も寺小屋教室っていうのをできるだけ秩序できるように。 それからやってきた公園、できるだけ守ろうと思ってますけれども、やっぱり自分としては地元ですよね。 川が見れるとこ、手が届くところでできることを本当に丁寧に丁寧に一つ一つやっていかなという風に思っています。 まあ好きではないことですけど、ここでこうやって皆さんにお話することによって自分で大路を立って頑張ろうという風に思っています。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お受けいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #令和7年 #令和7年新年を迎えて #視点は遠く広く行動は脚下から 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ08:092.ものごとを考える時に...視点は遠く広く、行動は足元から03:433.やはりやるべきことの中心は、種蒔きの仕事00:104.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#640 AIの衝撃の大きさを受け止める② 16分・一昨日・ 142再生AI目次IBM Watsonと開発者の情熱理想のAIが蝕む人間の本質知のブラックボックス化の危機人間的行為とコミットの喪失AI時代に蘇るソクラテスの問い
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#638 辛い思いをして修行をしても、無駄になってしまうのではないか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」① 13分・9月9日・ 209再生AI目次厳しい修行と拭えない心の疑問成果主義がもたらす仏道への誤解誰もが持つ「円満具足」の真の姿他人との比較を超える喜びの源泉理屈抜きに「良い」と味わう体験
#637 どこまでも己にとって返す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」② 13分・9月8日・ 148再生AI目次他人の是非を越え自己へ帰れ徹頭徹尾「自分のため」の修行「自他」の区別以前の自分を掴む「お前は何者か」という深遠な問い途方に暮れる悩み、悟りへの一歩
#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 189再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
#635 禅の物語~葉落ちて根に帰す 六祖慧能大師(其の五) 14分・9月3日・ 205再生AI目次禅の革命者 六祖慧能大師とは仏を見出す鍵 自身の衆生を知れ葉落ちて根に帰す 慧能の死生観形式を排した最期の教えの真意言葉を超えた慧能禅の遺志とは
#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地