2025年3月
#008 沢庵和尚『不動智神妙録』:初心と無心
21:13
扨(さて)初心の地より修行して不動智の位に至れば、立帰(たちかえり)て住地の初心の位へ落つべき子細(しさい)御入り候。
貴殿の兵法にて可申候(もうすべくそろ)。
初心は身に持つ太刀の構(かまえ)も何も知らぬものなれば、身に心の止る事もなし。人が打ち候へは、つひ取合ふばかりにて、何の心もなし。
然る処にさまざまの事を習ひ、身に持つ太刀の取様(とりよう)、心の置所、いろくの事を教へぬれは、色々の処に心が止(とどま)り、人を打たんとすれば、兎や角して殊の外不自由なる事、日を重ね年月をかさね、稽古をするに従ひ、後は身の構も太刀の取様も、皆(みな)心のなくなりて、唯最初の、何もしらず習はぬ時の、心の様になる也。
是れ初と終と同じやうになる心持にて、一から十までかぞへまはせば、一と十と隣になり申し候。調子なども、一の初(はじめ)の低き一をかぞへて上無(かみむ)と申す高き調子へ行き候へば、一の下と一の上とは隣りに候。
一、壱越(いちこつ)。二、断金(たんぎん)。三、平調(ひょうじょう)。四、勝絶(しょうぜつ)。五、下無(しもむ)。六、双調(そうじょう)。七、鳧鐘(ふしょう)。八、つくせき。九、蛮(らん)(打けい)。十、盤渉(ばんしき)。十一、神仙。十二、上無(かみむ)。
づゝと高きと、づゝと低きは似たるものになり申し候。仏法も、づゝとたけ候へは、仏とも法とも知らぬ人のやうに、人の見なす程の、飾も何もなくなるものにて候。
故に初(はじめ)の住地の、無明と煩悩と、後の不動智とが一つに成りて、智慧働(はたらき)の分は失せて、無心無念の位に落着申し候。至極(しいごく)の位に至り候へば、手足身が覚え候(そうらい)て、心は一切入らぬ位になる物にて候。
貴殿の兵法にて可申候(もうすべくそろ)。
初心は身に持つ太刀の構(かまえ)も何も知らぬものなれば、身に心の止る事もなし。人が打ち候へは、つひ取合ふばかりにて、何の心もなし。
然る処にさまざまの事を習ひ、身に持つ太刀の取様(とりよう)、心の置所、いろくの事を教へぬれは、色々の処に心が止(とどま)り、人を打たんとすれば、兎や角して殊の外不自由なる事、日を重ね年月をかさね、稽古をするに従ひ、後は身の構も太刀の取様も、皆(みな)心のなくなりて、唯最初の、何もしらず習はぬ時の、心の様になる也。
是れ初と終と同じやうになる心持にて、一から十までかぞへまはせば、一と十と隣になり申し候。調子なども、一の初(はじめ)の低き一をかぞへて上無(かみむ)と申す高き調子へ行き候へば、一の下と一の上とは隣りに候。
一、壱越(いちこつ)。二、断金(たんぎん)。三、平調(ひょうじょう)。四、勝絶(しょうぜつ)。五、下無(しもむ)。六、双調(そうじょう)。七、鳧鐘(ふしょう)。八、つくせき。九、蛮(らん)(打けい)。十、盤渉(ばんしき)。十一、神仙。十二、上無(かみむ)。
づゝと高きと、づゝと低きは似たるものになり申し候。仏法も、づゝとたけ候へは、仏とも法とも知らぬ人のやうに、人の見なす程の、飾も何もなくなるものにて候。
故に初(はじめ)の住地の、無明と煩悩と、後の不動智とが一つに成りて、智慧働(はたらき)の分は失せて、無心無念の位に落着申し候。至極(しいごく)の位に至り候へば、手足身が覚え候(そうらい)て、心は一切入らぬ位になる物にて候。
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:101.
初めのあいさつ
- 03:112.
さて初心の地より修行して...
- 03:403.
初心から不動智へ上り、再び初心へ
- 06:234.
高く登れば最初に帰る
- 07:435.
初心と無心
- 00:096.
終わりのあいさつ
コメント
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