TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#412 人生を考える...道を求める生き方①10:14 2025年4月7日 448再生 問題を報告する 再生する シェアする 『十牛図』についてお話ししていますので、そもそも道を求めるということは、どういうことなのか、考えてみます。AI目次人生の道、探求の始まりとは?本当の自分探し、その難しさとは?挫折と絶望、そして新たな気づき本能と直感、欲望と執着のはざまで自分探しの旅、その先に何があるのか?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # なぜ道を求めるのか 今日は、人生を考えるということで、道を求める生き方についてお話したいと思います。 今、ちょうど従業主についてお話をさせていただいているんですね。 従業主というのは、それこそ道を求める生き方そのものなんですね。 牛を探す美が10枚の絵で描かれていますが、牛というのは本当の自分というふうに言われています。 本当の自分を探して、自分探しの旅に出る物語ですけれども、本当の自分を探しているうちに、そこにだんだん物語が進んでいくわけですよね。 探し求めていって、見つけて、我が物にしていって。 だから何か求めるものがあれば、それが道になるんです。 でも、それを求めるものがどれくらい切迫しているか、どれくらい自分にとって大事なものかということで、道の重みが違ってきますよね。 でも、本当の自分を探す道に出るということは、やっぱり熱烈に探すということじゃないですか。 自分の人生に意味があるんだろうかって、言い合って諦めることができちゃうんならば、大したことないんですね。 でも、どこかで本当にこれでいいのかな、本当にこれでいいのかなって、やっぱり思い続けるわけですね。 そうすると、どこかで他のことをかなぐらせてもいいから、これを追っかけることに専念したいって、そういう風になっていくわけですよね。 自分で望んでいないことを、まあ仕方ないなと思ってやっていく人生。 そこそこそれでも満足して納得していければいいんだけど、いや違うぞって、自分はこんなことするために生きてて生まれたんじゃないんだって思うんだったら、 もともとならないですよね。 そうすると、今私たちが豊かで安全な社会に生きてます。 恵まれてるってのは恵まれてるんだけど、でも、恵まれていて安全で豊かであれば、自分の人生はこういうもんだっていう風に納得できるかっていうと、ちょっと違いますよね。 安全で安心できて、便利で豊かであるっていうことと、自分の人生はこういうもんだっていう納得とはやっぱり違います。 じゃあ自分の人生ってどういうもの、何をすることが自分の人生になるんだろうかって、何をすると納得できるんだろうかって、やっぱりそれっていくら社会が豊かであっても、探し求めるっていうことはあるんですよね。 だから自分の人生に対して納得したいから、納得できるものを探すっていうことなんですね。 でも、そうはいったって、やりたいことをやろうと思っても思い通りにはなりません。 人生って可能性としては自由ですよね。 あれしちゃいけません、これしちゃいけませんっていうことは、はのづけてある程度自由に生きようと思ったってできますけれど、でもなかなかそうはいかない。 子供の頃だったら養ってもらって育ててもらって、社会に守ってもらっているわけだし、それからこれやりたい、あれやりたいっていったって、才能や能力やチャンス、 そういったことに恵まれないと競争に負けちゃったり、力が足りなかったり、見てもらえなかったり、やりたいと言っても許してもらえなかったりするじゃないですか。 だから思い通りにならない。そうするとどうすることが自分に許されていて、しかもなおかつ自分が納得できるんだろうかって。 ある意味では道を求めるっていうことは、どこかで座捻があったりするんですよね。 思い通りに生きることができるんだったら、もう何も考えないで思うがままだったら、道なんか意識して求めようとしないんですよね。 道っていうのはどうしたらいいのか分からなくなっちゃって考えるから生まれてくるものなんですよね。 人生をかけてこれをするっていう風に、他のことはダメでもこれができればいいってこれをするんだっていう風に、一転突破型ですよね。 集中してこう人生を考えるって、その時初めて道という考え方が出てきますね。 だからやっぱりそういう意味では自分の限界に直面するっていうことが道を求める生き方の経験になるんですね。 私自身もこの修行の生活に行くときには好きなことを最初のうちはやろうと思ってたんだけど、やっぱりいろんな形で座捻を経験して、 それで道って何だろう、自分の生きる道って何だろうって探して求めるところから始まるんですね。 普通は得意なもの、自分の成功体験を基にして得意なものって、あるいは好きなことでやっていけるっていう風にそこを突っ走っていくんだけど、 それが上手くいかないときにちょっと違うぞって、本当に自分が大事だったら上手くいかなくても上手くいかなくても絶対にやり止めないで頑張るわけですね。 でもやっぱりちょっと違うぞって本当にそうなんだろうかって、たまたま上手くいったから好きなだけで本当に命だけで犠牲を払ってでもこの道を行けるって、 そう思えるようなものだろうかってやっぱり振り返るわけですよね。そこで道を求めることが始まる。 だから座立や自分の限界と隣り合わせ、道ってそういうものなんですよね。 # 誰もが経験すること 獣牛図の有名な絵、シルブンが描いたとされる有名な絵ですが、これを見ると最初に人牛で自分の人生の道を探していく割には、後ろを振り返り、後ろを振り返り、不安そうに歩いてるんですよね。 体は前向いてるんだけど、顔は後ろ向いてて、もう元来た道へ帰れたと仕方ない。心細いんですよね。 この絵を見ると、私はもう自分のことを思い出してて、出家するときも結局は、出家するまで追い詰められて、思い切って出家して覚悟ができてるはずなんだけど、どうしても振り返っちゃう。 なぜそうなるかって、結局、今お話ししたように、そもそも道を求める旅っていうのは、挫折とか、絶望とか失敗ととねあわせですから。 それはどういうことかというと、人生を生きるときにどう生きたらいいかって、普通、本能と直感じゃないですか。 好きだってこともそうだし、これだと思うこともそうだし、だいたいほとんど本能と直感です。 子供なんて、本能と直感で生きてますよね。だから、どんどんどんどん自由自在に生きてます。 私たちも、本能と直感で生きることができれば、かなり自由ですよね。自由自在です。 でも、思い通りにならなくなったりする。 子供の頃は、思い通りにならなくても、感謝顔を起こして泣いちゃったりして、疲れて寝ちゃったら忘れちゃうんですよね。 でも、だんだんだんだん忘れなくなってきて、思い通りにならないことが起きるってこと? 思い通りにならないことばかりだってことが、だんだんわかってきちゃうんですよ。 知恵がついちゃうと、それまで何の疑念もなく、本能と直感に従って生きてたんだけど、 それでは通じないぞって、その通りになってないぞってことに気づいちゃうんですよね。 それで苦しくなっちゃう。 だから、何を頼りにして生きていったらいいかって、自分の思い通りにならないわけだから、無力ってことがわかるんですよね。 自分の人生でありながら、自分の思い通りにならないわけですね。 それで迷ってしまうんですね。 そうすると、本の直感が当てられないんだったら、本の直感よりももっとしっかりしたものがあるはずだ。 それは道じゃないかって思うんですよ。 自分の心で思うだけじゃなくて、自分が歩いている、生きているこの社会の中にも、自分が生きるべきこの道筋っていうのがあって、 自分のためにしっかりした道、ぴったりした道があるんじゃないかって、それを見つけるんだっていう風に考え方が変わっていくんですよね。 で、探し求めるってことが起きるんですね。 自分の心、自分の心の奥底に厳選があった。本能と直感という厳選があった。 でもその本能と直感というのは、自分をあるべき姿に導いてくれない。 そうすると、それまで自分を立ててくれたはずの本能と直感がどうなるかというと、欲望と執着だって見えてくるんですよね。 本能も直感も欲望だって。 で、それにしがみついて迷っちゃうことは執着だって。 で、執着するとうまくいかないけど、ズルズルズルズル、無駄なのに、うまくいかないのに頑張っているだけだから、愚かなって。 トンジンチだって。 むさぼり。 むさぼって、むさぼって、思い通りにならないことに対する怒り。 思い通りにならないという不満。 そして、そのむさぼりとその不満にグルグルグル囚われて、新しい道を開けながらってしまう愚かさって。 でとは、自分を覚えてくれた本能と直感が、トンジンチのむさぼりになってしまうって。 こういう経験をすると、人生ってガラッと喜びと満足の世界から不満と不満と、永遠の人生に変わってしまいますよね。 そこで道を求めるって。 これ、誰もが経験してますよね。 そうすると、何か道を求めるって言うと、振りかぶって見えるんだけど、誰もが経験することじゃないですか。 子供から大人になるって。 万能感というのが薄れて、自分の力が及ばない。 自分が無力なんだって、そう気づく。 己を知った瞬間に、意気を求めるってことが起きるって。 己を知るってことは、己がダメなもんだってことに気づくわけですよね。 でも、ダメなものとしても自分に気づくわけだから、自分を見失ったわけではないんですよ。 ある意味では、自分の本当の姿を知るんですね。無力な自分の姿を知るって。 だから、これ自分を見失って探すっていうよりは、無力な自分をどう受け入れて、どう新しい箇所を開いていって、 どう自分の定義を押し直して、どう自分と折り合わせるかって、これが修行の道って言えなくもないですよね。 なんか冴えない話ではあるけども、ある意味では、この人生を求める道って、そんな風にも取れるんですね。 # 終わりのあいさつ 今日もお聞きいただきまして、本当にありがとうございます。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #人生を考える #十牛図 #本能と直感 #貪贐癡 #道を求める生き方 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:111.初めのあいさつ05:072.なぜ道を求めるのか04:483.誰もが経験すること00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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