2025年5月
#016 沢庵和尚『不動智神妙録』:心の「偏」と「正」
36:53
或(ある)人(ひと)間ふて云ふは、心を臍(へそ)の下に押込んで働かぬも、不自由にして用が欠けば、我身の内にして何処(いずこ)にか心を可置(おくべき)ぞや。
答へて曰く、右の手に置けば、右の手に取られて身の用欠けるなり。心を眼に置けば、眼に取られて、身の用欠け申し候。右の足に心を置けば、右の足に心を取られて、身の用欠けるなり。何処なりとも、一(ひと)所(ところ)に心を置けば、余(よ)の方の用は皆欠けるなり。然らば則ち心を何処に置くべきぞ。
我答へて曰く、何処にも置かねば、我身に一ぱいに行きわたりて、全体に延びひろごりてある程に、手の入(い)る時は、手の用を叶(かな)へ、足の入る時は、足の用を叶へ、目の入る時は、目の用を叶へ、其(その)入る所(ところ)々(どころ)に行きわたりてある程に、其入る所々の用を叶ふるなり。
万一もし一(ひと)所(ところ)に定めて心を置くならば、一所に取られて用は欠くべきなり。思案すれば思案に取らるゝ程に、思案をも分別をも残さず、心をば総(そう)身(み)に捨て置き、所々止めずして、其所々に在(あり)て用を外さず叶ふべし。
心を一(ひと)所(ところ)に置けば、偏(へん)に落(おつ)ると云ふなり。偏とは一方に片(かた)付(づ)きたる事を云ふなり。正(しょう)とは何処(いずこ)へも行き渡ったる事なり。正(しょう)心(しん)とは総身へ心を伸(の)べて、一方へ付かぬを言ふなり。心の一(ひと)処(ところ)に片付きて、一方欠けるを偏心と申すなり。偏を嫌ひ申し候。万事にかたまりたるは、偏に落(おつ)るとて、道(みち)に嫌ひ申す事なり。何処に置かうとて、思ひなければ、心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり。心をば何処にも置かずして、敵の働によりて、当(とう)座(ざ)々々、心を其所々(そのところどころ)にて可用心歟(ようじんすべきか)。
総身に渡ってあれば、手の入る時には手にある心を遣(つか)ふべし。足の入る時には足にある心を遣ふべし。一(ひと)所(ところ)に定めて置きたらば、其(その)置きたる所より引出し遣(や)らんとする程に、其(そ)処(こ)に止(とどま)りて用が抜け申し候。心を繋(つな)ぎ猫のやうにして、余(よ)処(そ)にやるまいとて、我(わが)身(み)に引(ひき)止(とど)めて置けば、我身に心を取らるゝなり。身の内に捨て置けば、余(よ)処(そ)へは行かぬものなり。
唯(ただ)一(ひと)所(ところ)に止(とど)めぬ工夫、是れ皆修行なり。心をばいつこにもとめぬが、眼(がん)なり、肝(かん)要(よう)なり。いつこにも置かねば、いつこにもあるぞ。心を外へやりたる時も、心を一方に置けば、九(く)方(ほう)は欠けるなり。心を一方に置かざれば、十方にあるぞ。
答へて曰く、右の手に置けば、右の手に取られて身の用欠けるなり。心を眼に置けば、眼に取られて、身の用欠け申し候。右の足に心を置けば、右の足に心を取られて、身の用欠けるなり。何処なりとも、一(ひと)所(ところ)に心を置けば、余(よ)の方の用は皆欠けるなり。然らば則ち心を何処に置くべきぞ。
我答へて曰く、何処にも置かねば、我身に一ぱいに行きわたりて、全体に延びひろごりてある程に、手の入(い)る時は、手の用を叶(かな)へ、足の入る時は、足の用を叶へ、目の入る時は、目の用を叶へ、其(その)入る所(ところ)々(どころ)に行きわたりてある程に、其入る所々の用を叶ふるなり。
万一もし一(ひと)所(ところ)に定めて心を置くならば、一所に取られて用は欠くべきなり。思案すれば思案に取らるゝ程に、思案をも分別をも残さず、心をば総(そう)身(み)に捨て置き、所々止めずして、其所々に在(あり)て用を外さず叶ふべし。
心を一(ひと)所(ところ)に置けば、偏(へん)に落(おつ)ると云ふなり。偏とは一方に片(かた)付(づ)きたる事を云ふなり。正(しょう)とは何処(いずこ)へも行き渡ったる事なり。正(しょう)心(しん)とは総身へ心を伸(の)べて、一方へ付かぬを言ふなり。心の一(ひと)処(ところ)に片付きて、一方欠けるを偏心と申すなり。偏を嫌ひ申し候。万事にかたまりたるは、偏に落(おつ)るとて、道(みち)に嫌ひ申す事なり。何処に置かうとて、思ひなければ、心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり。心をば何処にも置かずして、敵の働によりて、当(とう)座(ざ)々々、心を其所々(そのところどころ)にて可用心歟(ようじんすべきか)。
総身に渡ってあれば、手の入る時には手にある心を遣(つか)ふべし。足の入る時には足にある心を遣ふべし。一(ひと)所(ところ)に定めて置きたらば、其(その)置きたる所より引出し遣(や)らんとする程に、其(そ)処(こ)に止(とどま)りて用が抜け申し候。心を繋(つな)ぎ猫のやうにして、余(よ)処(そ)にやるまいとて、我(わが)身(み)に引(ひき)止(とど)めて置けば、我身に心を取らるゝなり。身の内に捨て置けば、余(よ)処(そ)へは行かぬものなり。
唯(ただ)一(ひと)所(ところ)に止(とど)めぬ工夫、是れ皆修行なり。心をばいつこにもとめぬが、眼(がん)なり、肝(かん)要(よう)なり。いつこにも置かねば、いつこにもあるぞ。心を外へやりたる時も、心を一方に置けば、九(く)方(ほう)は欠けるなり。心を一方に置かざれば、十方にあるぞ。
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:101.
初めのあいさつ
- 03:432.
或る人問うて云うは...
- 08:103.
全身に気力を漲らせて
- 09:204.
心の働きを放ち捨てて、全身に捨ておく
- 09:425.
偏心と正心
- 05:416.
心を一つの事に止めない、これが修行
- 00:107.
終わりのあいさつ
コメント
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