TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#448 豊かな感性を育むには②11:26 2025年6月9日 302再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、「感性を育む」ことについて考えます。AI目次感性を磨く、二つのアプローチとは?知識・技術・経験が感性を深める過程寺子屋が拓く、感性の新たな地平東洋と西洋、異なる磨きの技法枠を超え、感性を自由に羽ばたかせろAI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 臨時の古川修憲です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 知識と技術と経験を磨いて... 今日は、豊かな感性を育むには、ということの続きですね。 前回、木曜日にお話しさせていただきました。 Voicyからいただいた、感受性を伸ばすというテーマについてのお話ですね。その続きです。 前回は、子どもたちの持っている自由な感性のお話をしました。 だけど、現代の日本は、テクノロジーがすごく見事になっていて、情報工学が素晴らしく隅々まで張り巻きされていますので、 デジタルネイティブと呼ばれるような子どもたちになっていくんですよね。 そうすると、デジタルというのは、基本的にはやっぱり、鍵と鍵穴の関係です。 鍵と鍵穴の一対一のものが大量にやってくるという感じですよね。 だから、一個一個のものはクリアーで見事で、それが大量にやってくる。 鍵と鍵穴みたいな一対一の関係ではなくて、曖昧であったり、どんどん変化するものであったり、 魅力的なものとはまた違う魅力がデジタル社会にはあるわけですよね。 でも、私たちは現代の社会に生きているからには、そういった情報の氾濫な感をこれから生きていかなければならないわけですよね。 そう考えていくと、やっぱりこれからどんな風にして豊かな感性を育んでいくのかということには、 やっぱり意識して考えていかなければならないことがあると思うんですよね。 それで普通に教育を受けて、それで普通に成長していく過程の中で、やっぱり子どもの頃の豊かさというのは、一旦は失われていくと思うんですよね。 でもこれは悪いことばかりではないと思うんです。 例えば、感受性というのは、知識とか技術とかそういったあるいは経験ですね。 そういったものが裏打ちになって、どんどんどんどん磨かれていくところがあるんです、やっぱり。 子どもの頃のむぎ出しの感受性、生き生きした感受性も見事なんだけども、 だけどどんどんどんどん磨いていって洗練されていって、知識と技術を、そして経験を得ていくと、だんだんシャープになっていくって。 そういうふうにしなければ、わからない世界ってあるんですよ。 そうすると、細かく細かく、繊細に繊細に、鋭く鋭く、そして深く、高くわかるって。 こういうのは、やっぱり学んでいくということですよね。 プロの作るものというのは、やっぱり磨かれて磨かれて、墨塗りまで磨かれて見事ですよね。 これはすごいことなんです。 だから、どっちがいいということではない部分もあるんですよね。 そういう意味では、やっぱりこれだけ今、いろんなことをたくさん学べる、いい時代に来たということが言えるわけです。 で、既にお話ししましたように、いわばなく情報の範囲の中にあるわけだから、もうそれに逆行して抵抗しても仕方ないところがあるんです。 だからむしろ、この乗っかってしまって、徹底して学ぶって、そして徹底して磨くっていう道は大事だと思うんですよね。 だからどんどんどんどん学んで、どんどんどんどん磨いて、どんどんどんどん進んでいって、で、限界が見えるまで突っ走るということは大事だと思うんですよね。 そういう意味では、もうやる気になればどんどんどんどんどんどこまでもどこまでも徹底してやっていくって、そういうことがあるわけですね。 で、どんどんどんどんやっていくと、どっかでやっぱり行き詰まる。 クリアにクリアに進んでいる世界というのは、透明だけども奥行きはないですよね。奥行きはないんです。 で、成熟、余地を残していないんですね。 そういう意味では必ず限界が来るって。 その限界が来たところで、今度はこれは限界だって自分で気づくはずなんですよ。 そこで今度は、この限界を目の当たりにすることによってUターンをして、あれは全く違うところから新しい世界を作っていくって。 せっかく作ったものを捨ててしまうのはもったいないって。そんなことは言わないでいいんですよね。 どんどんどんどん作っては捨て、作っては捨て、うたたえればうたた捨てろって全然教えます。 だからどんどんどんどん進んでいって、そしてせっかく作ったものを捨てる。 でも逆に捨てることができているところまで来たっていうことなんですよね。 だから惜しげもなく捨てるってことは、ものすごく大事なんですよね。 ある意味では、歳をとってから全く違うことを始める、全く違う世界に行くってことは素晴らしいことなんですよね。 それは価値観として持っておいてはいいんです。 # 寺子屋を通じて... ここから先は私自身の経験も数あるところがあるんですけれども、 そうやってこうずーっとこう息苦しくなってきた時に、 全く違う世界が見えてくるということが人生にはあるんですよね。 だから人工物を捨ててしまうということ。 どんなにすごく見事なものであっても、一旦は人工物を捨ててしまう。 遠ざけてしまう。作為から離れる。 だから洗練の拠地から今度は素朴に向かう。 そういう道筋が私の場合にはありましたね。 人間というのは物事を受け入れる時に、どうしても無意識にフレームに陥りやすいんです。 作為というのはやっぱりフレームになってくるんですよ。 優れた芸術というのは、今までなかったような新しいフレームを作るからこそ、 その素晴らしいわけですよね。 今まであったものをただ壊すだけでは何も出てこないんです。 ただ壊したその先に何が見えるかということですよ。 そこに新しい創意があって、工夫があって、 それが新しいフレームになって、新しい時代を作っているわけですよね。 そうやって新しい時代を作っていける、 そういうフレームが素晴らしい、コチャンと言われるものじゃないですか。 いわゆる様式と言われるもの。 それもそういうものですよね。 だけども、私が言いたいことは、そういうものもいいんですけども、 でも、やっぱりそのフレームから自由になって、 ものを見てみるということがあるわけですね。 そういう意味では、例えば日本のアートだったら、庭園。 庭園というのは、そこに石を配置して、木を植えるわけです。 植栽をするわけですよ。そこに作為があるんだけれども、 一旦作られたら、今度は自然に木は伸びていく。 雨に打たれ風が吹いて、どんどん庭って変わっていくんですよね。 作られた瞬間から、どんどん変わっていくんです。 しかも、面白いことに、庭の持ち主が結構手を入れたりするんですよ。 庭師さんは、それも折り込み済みなんですよ。 そうやって、どんどん変わっていくって。 そういう意味では、いろんな衣装の変更、髪型の変更を重ねていくって、 松岡清吾先生が言っていた、編集ということ、それもあったりするんですけども、 この自然も編集し、人間も編集しって、その面白さがあるんですよね。 作り込まれているものというのは、そういう編集との相性が悪いんですよ。 そういう意味では、フレームから自由になるという、そういうものを築く。 私の場合は、一番自分の気づきにヒントを与えてくれたのが、茶乗りの世界だったんですよね。 お茶碗の視界、土を見るって面白いじゃないですか。 形が異別であったり不均衡であったりする、それも面白いんですよ。 もう、釉薬も偶然的なものであったり、それも面白いんです。 でも、例えば、地肌を見る、土の肌を見るって、そういう発想もとても面白いんですよね。 そして、この味覚、嗅覚、そして何となく空気がスッと動く、音とも言えないような、 空気がスッと動くって。 あるいは、空気感ですよね。春、夏、秋、冬の空気感って。 こう、いわゆるお墨で巻いて言われるものですか。 土の墨をいじるときに、濡れ梅をバーってやるときに、空気がスッと動く感じって。 あるいは、外で風が吹いて、カタカタッと障子が揺れる感じって。 それから、障子に映る夕日、時間によってどんどん障子の色が変わってきますよね。 それから、障子越しに聞く鳥の声って、あるいは風の音って、外で聞く音と全く違うんです。 ものすごくデリケートなデリケートな世界、繊細な繊細な世界。 例えば、額縁に囲まれてしまった絵を見るとか、コンサートホールで音楽を聞くとか、 そういうことと全く違う、日常生活や生きている生活の場からと、シームレスに繋がっている、 隙間がないような、区別がないような世界の中で、全部一体となって繋がっているような、そういう世界。 で、いわゆる路地があって、お茶に入るときの庭ですよね。 作り込まれているわけじゃないんですよ、路地があって。 そして、お茶室があってって。 ここ、ある種、フレームが崩れていくような、ずれていくような、重なっていくような不思議な世界なんですよね。 私はそれを通じて、新しい、新鮮な世界を得ることができたんですね。 で、そういうことをこう、自分の経験からするときに、寺小屋で私が考えていること。 子どもたちは、やっぱりこう、フレームから自由になるべきだと思うんですよね。 だから、私は、一旦、子どもたちにも学んでほしいんですよ。 知識と技術ということ、そして経験ということを通じた、磨き上げていくような世界って、絶対知ってほしいんですよ。 だけども、ヨーロッパ的な磨き屋の技術だけが、世界じゃないんです。 ここ、私が今話している茶の色の世界、あるいは書の世界でもいい、花の世界でもいい、 この東洋の世界、日本の伝統文化の世界、これも、このヨーロッパ的なものとは違った意味では、 磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、作り込まれていく世界があるんですね。 で、ほっといても、ヨーロッパ的な世界というのは、デジタルが通じて入ってくるわけです。 そして、本人が、アートに関心があれば、やったらいいじゃないですか。 でも、それは、日本の教育というのは、ヨーロッパのものを学んでいく教育だから、ほっといてもやりやすいんですよね。 でも、アジアのものの教育というのは、特殊な場面、自分で取りに行かなければ、なかなか得られないんですよね。 そういう意味で、私は、豊かな自然があるお寺で、 で、お寺というのは、日本のものですから、お寺には素晴らしい文化財がいっぱいあるわけですよね。 だから、そうやって、学校や社会の主流とはちょっと外れてしまっている。 残念ながら、外れてしまっているところがある。 そういったものを、この子供のうちに、たくさんたくさん浴びるように経験してもらって、 それで、磨いて、磨いて、磨いていって、 それも、ヨーロッパ的な磨き、そして、アジア的な磨き、日本的な磨き、 そういうのをずっと磨いていって、そして、将来、お寺に入った時に、磨きの作為を外して、帰ってくる。 そういう意味での、ひとつ違う洗練。ひとひねりした洗練。 一歩先も二歩先もいくら洗練。 そういう意味で、お茶の教室を通じて、 観世も知世も、違う角度のものを子供たちに持って帰ってもらいたいなというふうに思って、 手楽屋は一生懸命やっているんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日もごきげんようございまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #感受性を伸ばす #豊かな感性を育む 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ04:282.知識と技術と経験を磨いて...06:413.寺子屋を通じて...00:094.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#662 修行の究極を一言で言えば~夢窓国師『夢中問答集』を読む(51)「修行の玄旨(極意)」 15分・10月21日・ 109再生AI目次修行の究極とは?ステージ別の本質用心を極めた先に待つ「無用心」の境地修行の壁に直面した時の「新たな道筋」夢窓国師が示す「勤め」の限界とその先禅の「二条の道」を捨てる真の奥義とは
#661 人生を考える...悩みや不安が気になる時に... 17分・10月20日・ 195再生AI目次悩みや不安は成長の糧?賢い認識法全て解決不能?有限な命と向き合う姿勢生老病死が示す解決不能な問題の識別法テクノロジー社会が生む新たな「心の不安定」不安に惑わされず、心を鍛える知的整理術
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#659 人生を考える...「智慧」を会得すること 16分・10月15日・ 177再生AI目次私たちが普段認識する「知」の限界専門的・抽象的な「知」と日常経験のギャップ目的達成を追求するAIと「テクネ」の役割不明確な人生の目的と「テクネ」の限界「どう生きるか」を問う「智慧」の重要性
#658 修行に向かう人に:覚え書き 15分・10月14日・ 241再生AI目次修行の本質:損得を超えた覚悟とは「技の修業」と「人生の修行」の深い関係性修行現場の鉄則:明確な指示と沈黙の教え語られない「悟り」と個々の体験の価値本気の失敗が導く『自分に正直』な道
#657 本気で修行と向き合うために③~夢窓国師『夢中問答集』を読む(50)「無用心の用心」③ 16分・10月13日・ 203再生AI目次「無用心の用心」:意識を超えた心の深層意識に囚われぬ「無心」へのパラドックス無心に至る試行錯誤と覚悟の道のり「やってつき刀折れ」経験の重要性真の道へ:失敗リスクを恐れぬ本気の修行
#656 本気で修行と向き合うために②~夢窓国師『夢中問答集』を読む(50)「無用心の用心」② 14分・10月12日・ 265再生AI目次「無用心の用心」が示す修行の真理自己を縛る意識の限界と知覚極限の修行が生み出す「気づき」夢窓国師が説く「間違い」の瞬間「無用心の用心」に潜む矛盾と教訓