TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#454 日常に活かす禅...心との向き合い方③10:40 2025年6月18日 319再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、心との向き合い方と、心に向き合うための修行について考えます。AI目次日常に活かす禅の極意とは?座禅と日常生活の調和とは?集中と観察、心のあり方とは?興奮と気力の充実、その違いとは?穏やかな心で過ごす秘訣とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 臨時の古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 禅が日常に生きてくると... 今日も、昨日に引き続き、日常に生かす禅ということで、心との向き合い方についてのお話をしたいと思います。 月曜日、火曜日と日常に生かす禅の話をしているんですけれども、基本的には足を組んで、静かな部屋で集中して座禅をする。 こういうことができれば、一番理想的ですね。大人はなかなかそんな時間は取らないです。 実は、こういう時間を取れるとしても、もっと大事なことは、日常生活の座禅の以前と座禅の以降。 日常生活の中でどれだけ心を整えるような心構えをするかということが大事という話をしているんですよね。 これは、スポーツ選手の例を出すとわかりやすいので、させていただきましたけれども、 良い記録を出す、良いパフォーマンスを上げるためには、実は普段からやはり注意して暮らしを送っていかなければならない。 アスリートのような大げさなことはないんだけれども、普段から自分の心が良い状態でいるように、注意して日常生活を変えていく。 だから、この座禅の主要というのは、日常生活を整えていくということと実はセットなんですね。 日常生活を全く配慮しないで、例えば週に1回とか2回とか座禅会に通って座禅をする、集中的に座禅をする。 これはもちろんしないよりはした方がいいんですけれども、これよりももっと効果があるのは、実は人との関係において、 朝起きてから夜寝るまでの間の日常生活の中で心構えを少しずつ変えていくということが大事なんですね。 もし皆さんが座禅を始めて、例えば週に1回座禅を行く。それからだんだん慣れてきて、自分でも座禅を日常生活に取り入れる。 そこまで大げさに座禅の布団を買ってきて、座禅の部屋を作って、静かな部屋で座禅する。 そこまでいかないにしても、座禅の時の心の状態がとても良いから、普段の暮らしの中でもそういう心の状態になれるように注意する。 そんな風にして、ライフスタイルに少しずつでいかない変化がある。 あるいは、自分がこれが良いなと思うような好みとか、そういったものが少しずつ変化していく。 そういうことが実感できたら、その人の座禅はかなり本物なんですね。 例えば、毎週座禅会に通っていて、以前は足がしっかり来なかったんだけど、もう今は1時間ぐらいで座禅が平行できる。 これもとてもすごいことなんです。 だけども、もしかして日常生活の中でライフスタイルが変わったり、自分の好みが少しずつ少しずつ変わっていく。 こういうことが実感できたとすると、ひょっとすると1時間すごい座禅ができるよりも、本当は効果が大きいかもしれない。 あるいは反対に、そういう風に変化を感じられるようなところになってくると、実は毎週1回の座禅会の座禅の質も上がってくるんですね。 スポーツもそうです。やっぱりある程度以上のところに行こうと思ったら、日常生活を中心にしないとパフォーマンスが頭打ちになるんですよ。 なぜもそうです。自分の心を見つめるときに、普段から心構えがとても大事ですよね。 昨日お話ししましたように、例えば不満が湧いていたり、怒りを感じたり、怒りとか不満とかネガティブな気持ちがワーッと巻き上がって、それをぶちまけるような状態では、もうある程度以上心は進化しないです。 そういう気持ちがなくなっていくような、そういうところまで行かないと、ぐるぐるぐるぐる、この山でいうと1ゴメ2ゴメだったらぐるぐるぐるぐる回るわけです。 本当に修行が進んできて、自分の心が整ってきたら、人間ですから誰でも不満なことはある、腹が立つことはある。 だけど、不満をぶちまけたり、怒りを振りまえたり、そんな風にして自分で怒りや不満を増幅させることはやっぱり嫌だなって感じてくるようになるのが、むしろ心が健全に整っている証なんですね。 だからそういう意味で、昨日お話しましたように、ネガティブなものと関わらないようにするって、それは自然に育っていくはずなんです。 それが日常の心分けであり、日常の修行。そんな大げさに、ものすごい雑言なんかしなくてもいいんです。 そうじゃなくて、普段から心構えに気をつける。そこが一番大事なんですよね。 それと同時に、溜め込むというのもダメです。 心と向き合って、うまく雑言を日常生活でとろえていくって、そんな大げさなことがなくてもいいけど、イライラはうまく解消する方法を覚える。 不満をうまく転化していく、消化していく方法を自分で覚える。 溜め込まないようにするって。健やかで、穏やかで、穏やかな気持ちで言う時間が増えていくって。 基本はそういう時間で過ごせるようになるって。これが実は自分の心の修行が進んでいる証なんですね。 そんな風に思っていただいたらいいと思うんですよね。 # 「興奮」と「気力の充実」とは違う ザ・レンのポイントというのは、何回も繰り返しお話させていただいているんですけれども、基本的には集中と観察なんです。 感情とか、外の世界の変化、いろんな刺激に対して心が持っていかれてしまう。 傷ついたりとか、好きなものに釣られてしまったりとか、興奮状態になったりとかって、 心がどこかに行ってしまって、心がここにあらずという状態になってしまわないために、ぎゅっと心を留めておく。 そういう意味で集中力が必要。 それから、苦手だったり嫌だったり、いろんな目先のことに囚われたりすることがないように、深く深く集中してしっかり丁寧に観る。 いい加減にしない。チラッと観るだけで済ませない。 冷静に慎重に物事を観る。そういう習慣をつけるためには集中力が必要です。 そしてその上で、この集中力を使ってしっかりしっかり鋭く深く細やかに観察をする。 普段から集中して観察するという機能が、無意識のうちに自然に働くようにするということが身につくということが座禅の目標なんですね。 座禅を通じて特殊な心の状態に至る。 そういうこともあるんですけど、それが第一目標じゃないんです。 座禅の暮らしをする中で、集中力と観察力が養われている。 そうすると当然、いろんなことに対する感性がシャープになるから、喜びが大きくなるんですよね。 それから嫌なものに、あるいは目くらましのものに心を奪われたりすることはなくなる。 本質を見る目が養われてくる。 だからまず最初に、いろんな経験に対して集中して観察する。 そういう習慣を身につけていくということが座禅の目標なんです。 その結果として経験の質が上がっていく。 そしていい経験ができるようになるという、そういう順番なんです。 だから何か無茶苦茶に自分を追い込んでいって、何かある特殊な心理状態まで座禅で持っていくというのは、本末が転倒しているんですね。 せっかく集中力と観察力を養っているのに、わーっと興奮してしまって、異常心理みたいなものを持ってから出てしまう。 そういう異常心理みたいになってしまう、そういう行き過ぎた座禅のことを魔境、魔法の魔の字に境地の境、魔境といいます。 ピカピカものが光ってきたり、喜びに体が震えたり。 一見いいように見えるけど、それは一時の興奮状態ですね。 本人は気持ちがいいかもしれないけど、観察力は失われています。 物事を見る、真実を認める、見つめるこの目が失われてしまっているんです。 いいものではないですよ、やっぱり。 そんな風に思っていった方がいいんですよね。 そんな風に見ていくと、例えば、興奮する状態というのは決していいことではないんです。 気力が充実していることはいいことですけど、興奮している状態はいいことではないんです。 興奮してしまうと、気力に振り回されてしまうんですよ。 自分の感情やパッションに振り回されちゃう。 興奮状態というのは、心はここにあらずなんです。 地に足がつかない状態になってしまいます。 だけど、気力が充実している時というのは、気力を使いこなすことができていますよね。 どんどんに素晴らしいような気持ちになったとしても、宇宙天になったとしてもですよ、 自分が見えなくなってしまうと必ずしくじります。 異域になってしまいます。 落ち着いて静かに、気力が満ちている状態を我が物とする、これがベースなんです。 繰り返しますけれども、興奮の喜びというのは、 まあ、それが心に良いものをもたらすんだったら悪いものではないけれど、質が良いものではないです。 せっかく座禅をして、瞑想を手に入れるなら、質の良い心の状態を手に入れた方が良いんですよね。 興奮が悪いと言っているわけではないんですよ。 だけど、興奮というのは必ずしも質が良いわけではないから、だから取り扱い注意です。 別に興奮することを避けるとは言いません。 まあ、ブッダだったら避けろと言うんですけどね。 私は避けろとまでは言いません。 だけども、興奮状態の時には、自分を身後の危険に晒されているということを決して忘れてはならない。 禁止することのことではないけれど、あまり良いものではないということ、これはしっかり把握しておけば良いですよね。 まあ、よく言うのは、恋は盲目というじゃないですか。 若いうちは良いです。そうやって失敗することも若いうちは良いんだけれども、 結局、盲目の恋って一人おかれだから、実は本人が気が付いていないこと、周りには散々迷惑かけているんですよ。 歳をとったら分かります。 長い目で見て良いこととは言えないですよね。若い人の特権ではあるけど、良いものではないということです。 そこは絶対に見失ってはならないです。 ですから、興奮の状態と気力の自由と区別する。 一つは、興奮というのはアドレナリンがバンバン出ちゃうんですよね。 それはあんまり良い状態ではない。 気力が充実する状態というのは、アドレナリンとはちょっと違うんですよね。 まあ、ひたると人とかお気持ちとかいろいろ言いますけど、そんなホルモンの名前を言っても仕方ないから、私はあんまり言いたくないですけれども、 でも自分自身の体感として、興奮状態、血が足に付かない興奮状態と、 血が足に付いていて、気力がみんな上げている状態の区別というのは、やっぱり持っていた方が良いですよね。 ご視聴ありがとうございました。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございます。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #日常に活かす禅 #心との向き合い方 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ05:012.禅が日常に生きてくると...05:233.「興奮」と「気力の充実」とは違う00:084.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 189再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
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#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地