TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#462 今年一年の折り返しに③13:35 2025年7月2日 375再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、一年の折り返しを迎えて、考えること...AI目次前半期の成果と課題を振り返る心機一転するための秘訣とは?哲学的視点から見たお祓いの意味自分と向き合い成長を実感する感謝を込めて、後半戦へ出発AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エリンジの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 気持ちを切り替えるための儀式・行事 今日は、昨日に引き続き、今年1年の折り返しに、ということでお話ししたいと思います。 いよいよ、今日は7月1日、この令和7年の後半、折り返しの第一歩に入りました。 この1年の折り返しに、いろんなことを考えているわけですけれども、 その中で基本になるところというのは、一つは折り返しだから、これまで半年間の間に心の中に溜まってきたいろんなもの。 人間というのは毎日毎日いろんな形で経験をするわけです。 特に失敗とか、辛いこととかって、そういうものが少しずつ心にくっついてくるんですよね。 それでしんどくなっていくわけです。 何かいろんなことがあると、それをふっと吹き飛ばして、また改めて前へ進む。 だけども、いろんなものがきれいに吹き飛ばせなくなってくるんですよね。 そうすると、長い年月の間に、だんだん重くなって、重くなって、いろんなものが絡みついて、巻きついてしまって。 そんなことなんですよね。 だから、できれば半年に1回、気持ちを大きく切り替える。 1年に1回、大きく気持ちを切り替える。 折り返し、折り返し、要所要所、節目節目、大きく気持ちを切り替えて、前に一歩進めるように。 これは、やっぱり私もこの年齢になると特に思うんですけども、 意図してやった方がいいかなって思うんですよね。 若いうちは元気ですからね。 人生のステージが変わるたびに、マインドセットを買えるチャンスっていくらでもあるんですけども、 それを取ってきて、立場が安定してくると、なかなか心を切り替える機会ってなくなってくるんですね。 だから、やっぱりお参りに行ったり、何か自分なりの気持ちの切り替え。 新しい節目、節目に何か自分で気持ちを切り替えるシンボリックな、 象徴的な行動や習慣っていうのを取り入れるって結構重要な気がします。 修行道場というところは、例えばですね、修行道場というところは、 もう反対をしたような、同じような毎日が続くんですけれども、 その同じような毎日だけれども、気持ちの切り替えがいっぱいあるんですよね。 やっぱり行事っていうのはそう決まってて、気持ちを切り替えて、気持ちを切り替えてって、 1週間に単位にして、1週間の節診という単位にして、 1週間して休みを1日もらって、また1週間して休みを1日もらってって繰り返しですよね。 それから、夏と冬で分けたりとか、やっぱりこの細かく細かく切って、切り替えて、切って、切り替えてっていうことが、 よくよくできてるんですよね。 そうすると、道場のトレーニングの仕組みっていうのも、やっぱり気持ちを切り替えていって、 道場暮らしっていうのは未熟な人間がやるわけだから、失敗もたくさんあるし、ってなることも多いんだけど、 それでも続けられるっていうのは、細かく細かく切って、溜め込まない。 長く溜め込まないで、どんどんどんどん開放して、新しく前へ進めるような仕組みに作ってあるんですよね。 だから、そういうことを思い起こすにつけ、やっぱり普通の社会における日常生活も、 気持ちの切り替えっていうのは、自分でいいとしてやる必要があるって。 その時に、今回は名越の原江のことをお話しして、神社に行くお話をしたんですけれども、 やっぱり昔の人たちの知恵っていうのがあるから、そういう年中行事とか儀式っていうのを、あえて取り入れて気持ちを切り替えるって。 そんな風にして、自分の心をきれいにさっぱりする時に、昔からある習俗っていうのは、うまく使えたらいいなって、そんな風に思うんですよね。 # 世界と向き合う時に 去年からご縁をいただいて、交付の単語学校へ哲学講座を持たせていただいているんですね。 若い学者さん、年配の方、いろんな方がおられるんだけども、ご質問をどんどんどんどんもらっているんですね。 自由に自由に質問してくださいって、そんな風にすると、もういろんな質問をいただけるんですね。 それに対して哲学的にはどう考えたらいいかって一つの筋道ですね。 私の個人的なものにしかないんだけども、一つの筋道をお話ししていく。 こういうことはこういうこと、こういう風に考えたらどうですかって出していくんだけども、 その中で、例えばお祓いについてのご質問なんかがあるんですね。 お祓いってどんな風に考えたらいいでしょうかって、占いってどんな風に考えたらいいでしょうかって、 そんな感じのご質問があるんですよね。 私自身の考え方が昔に比べたら随分変わったってこともあるんですけども、 お祓いって結構重要だと、私は今は思っているんですよね。 それはどうしたかというと、お祓いをしたから因果関係で何かが良くなるとか、何かが変わるとかってことは、 科学的な証明はできないんですね、やっぱり。 物理的な証明もできないんです。 ただ大事なことは、人間って物理的世界に生きているわけじゃないんですよ。 物理的世界の中では生きています。 だから物理的因果関係って、もうはっきり明確ですよね。 これは科学的に証明もできることで、間違いない真実です。 でも私たちが寝たり起きたり、泣いたり笑ったり、苦しんだり喜んだり、生きがいを感じたりって、 人間って意味の世界の中で生きてるんですよ。 意味っていうのは、実は物理法則だけじゃないんですよね。 そこに意味づけがあるんですよ。 だから本当に手から物が落ちるって、うっかり不注意で何か落としてしまって、パリンと割れるって、 物理法則からすれば当たり前のことなんですよね。 重力で物が落ちて、物が壊れてしまうって。 その時に心が痛んだり、失敗しちゃったなと思ったり、いつまでもそのことをずっと引きずったりって。 物理的には、クルクルクルと入れ替えたら、右も左も分からなくなっちゃう。 同じグラス、同じコップを右と左にクルクルクルと回しているうちに、どっちがどのグラスか分からなくなっちゃうんですよ。 でもそのどっちか片一方一方が、大切な人からもらった大切なグラスだったとするって。 でも目印つけなかったら、クルクルクルクル同じ製品のグラスを回せたら、区別がつかなくなるんですよね。 でも同じ、物理的に言うとほとんど人間には区別がつかないようなグラスでも、大切な人からもらったグラスって意味があるじゃないですか。 だから、同じように物理的空間の世界、物理的世界だったら、同じものでも、私たちの目印つけな世界では違ってくるんですよね。 だから人間とそのようにして、認知の枠組みの中で生きている物理的空間の中に、私たちは認知の枠組みを重ねて生きているわけですよね。 物理空間はそのまま受け取るわけじゃなくて、物理空間を認知の枠組みで解釈しながら生きていて、その解釈を外すわけにはいかないわけです。 そうするとその認知の枠組みの中には、感情がくっついているし、パッションがくっついているわけですよね。 欲望がくっついていて、欲望とか執着とかということは、無明だ、それが苦しみの原因だと言うけど、そういうものを抜きには生きていけないし、 しかも、無明と同じ根っこのものが、私たちにとって美しいと思うもの、よかったと思うもの、幸福を感じるもの、そういうものがセットになったわけじゃないですか。 だから、お祓いというのも、そういう認知の枠組みの中で、私たちが感じている世界と向き合い、世界を受け入れる、世界と向き合う、世界を受け入れる、 その枠組みに従って世界を我が物にして引き受けていく。 それは認知の枠組みで、その中に私たちのパッションや、そういったものが入っていたんだったら、お祓いとか祈りということは絶対にくっついてくるし、 それを取り去ったときに、私たちは本当にいいのかって、そんなものは物理的な現象だから証明できないからといって取ってしまっていいのかって、 それは生きがいとか、昨日の言葉だったらリアリティですよね。 私たちが確かに自分の人生を生きているというリアリティと無関係じゃないですよね。 そういうものを取ってしまったら、私たちが生きているというこのリアリティもなくなってしまうんですよ。 そういう意味で、やっぱりお祓いをしたり、祈ったりって、私たちは宗教で読んでいるもの、そういうものはとても大事だなって、年をともにそういう思いが強くなっていくんですよね。 # 自分と向き合い、いただいた智慧に感謝する そこで、この一年の折り返し、 半年間のいろんなわざかまり、いろんな穢れ、いろんな失敗、いろんな罪の意識、そういったもの、もやもやしたもの、 それを、昨日、私もお参りしてきたんですけども、 名護市の払い、名護市の払いをして、きれいさっぱりとするって、 で、新しい一歩、今日、7月付いてるんだから、新しい一歩、一歩踏み出すんだけども、 どんなふうに踏み出すのかって、 どうなりたいのかってことですよね。 お払いを通じて清らかになるって言いましたけれども、 清らかってどんな状態なんだろうって、 なんとなく漠然とどす黒いものがなくなって、 澄み切った世界って思うんだけど、 澄み切るってことを気を付けないと、実はリアリティがなくなっちゃうんですよ。 清らかだけど無関心、清らかだけど無神経、清らかだけど冷徹で冷え切ってるものって、 で、清らかだけど温かいってあるんだろうか。 そこに握り出た感情、泣いたり笑ったり、共感したり、涙を流したりってことはあるんだろうか。 清らかってどういう状態なんだろうかって、 なってみたらがっかりって、そんなことならないだろうかって。 簡単に清らかって言うけれど、本当に自分たちが欲してるものはどんなものか、 本当にはっきり具体的なイメージを持てるだろうかって。 私たちが清らかとか言うときには、一応生活の中で嫌なことがあったり、辛いことがあったり、うんざりしたり、特に人間だけなんかですよね。 うんざりしてるからこそ、きれいさっぱり切り捨てて楽になりたいと思うんだけど、 それって楽になりたいってことが本意なんですよ。 実はうんざりしてるから楽になりたいって思いで清らかさって言うんだったら、 それは口では清らかさかもしれないけど、本当はその後ろに大きなエゴがあるわけですよ。 楽になりたい。うんざりしてるから楽になりたいってのが清らかさの本当の意味ですよね。 清らかさってフリはしてるけど、正体は実は楽になりたいだけって。 そんなこと山ほどありますよね。 清らか清らかって言ってるけど、きれいさっぱりって言ってるけど、実は面倒なことを全部捨てたいだけって。 そんなことを人間って次やら返したんですよね。 じゃあどうなりたいのかって。 それをきちっと自分自身に立てることができないと、折り返しにきれいさっぱり前へ進むってできないですよね。 これは一年の終わりもそうじゃないですか。 だからどうなりたいかってこと、いつもそこと向き合い続けて大事なんですよ。 どうなりたいんだろうかって。本当にきれいさっぱりでいいんだろうかって。 大切なことを守るために辛くてもきれいさっぱりとはいかないって。 辛くても引き受けることっていっぱいあるんですよ。 でも引き受け引き受け引き受けしてるうちに自分がバッタリ倒れちゃったらダメだって。 じゃあどうやって生きていくか。どうやって引き受けてどうやってきれいにするかって。 何を選んで何を捨てるのかって。 いつも死ぬまでに人間ってこういうことに向き合い続ける。 でもそれが当たり前なんですよね。どうしてかって言うと、 二十歳の軽若さ、三十の軽若さ、四十の軽若さ、六十、七十の軽若さって違ってくるんですよね。 人生のステージ。やっぱり人間ってどんどん変化するから体力が衰えていって、 どんどん人間って変わってくるんですよね。 そうやって人生の経験積んで人間は変化していく。 変化すると清らかさとかきれいさっぱりの意味が変わってくるんです。 そんな風にして自分がどんどん成長していくからこそ、 その時その時の清らかさが変わってくる。 その時その時の自分のなりたい自分が変わってくるって。 だからやっぱり自分自身にその通りその通りと尋ねることが大事ですよね。 で、尋ねているうちに五年前と違う。 十年前と違うって。 その自分の違った、変わった自分というのを見ることによって、 どこまで自分は来れたかなって。 どう生きて来れたかなって。 で、それに気づくとともに、 ああ、自分ってこういうことに気づくことができたって。 十年前ならわからないことに気づく自分がいるって。 実は一年の折り返しに笑いをするとか祈るとか、 そういうことをするときれいさっぱりとやるんだけど、 同時に去年もこうした。 一昨年もこうした。 その時、五年前の自分と十年前の自分と違っている自分に気づくじゃないですか。 実は一年の折り返しに自分を振り返ることによって、 自分が変わることができた。 成長することができた。 相変わらずダメダメで、相変わらずダメダメで。 ヨボヨボして、もともとはしているけれども、 でも、いろんなことがわかってきたって。 で、こんなふうにわかってくると、だんだん感謝の気持ちが出てくるわけですよね。 そんなふうにして、 折り返しのときに自分の心をきれいにするということは、 実はいろんなものを振り落とすだけじゃなくて、 マインドセットをもう一回整えて、 自分と向き合うことになるんですよね。 そうすると、達成したことに喜ぶことも大事だけど、 達成できなくても、ダメダメであっても、 いろんなことに気づかせてもらったって、 知恵はあるなってことに気づくんですよね。 その知恵をわがままにするためにも、 やっぱり折り返しって大事だなって思ったりもするんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #今年一年の折り返し 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:111.初めのあいさつ03:352.気持ちを切り替えるための儀式・行事04:373.世界と向き合う時に05:054.自分と向き合い、いただいた智慧に感謝する00:095.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう fumihiro2025年7月2日精神的、物理的世界の丁寧で分かりやすいお話しを繰り返し拝聴させて頂いております。聞く毎に心のモヤモヤが解けていくのを感じると共に考えが深くなります。祈りと霊性について考えます。頭でっかちにならないように注意して!「無一物中無尽蔵」1返信
#641 先ずは一歩を踏み出す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」② 14分・16時間前・ 93再生AI目次成果に囚われず見つける人生の真の価値「無理」と決めつけずに踏み出す一歩の重要性未知の可能性を拓く「縁」と「挑戦」の力遠回りから得られる人生を豊かにする知恵人生と真剣に向き合う「行」としての修行
#640 AIの衝撃の大きさを受け止める② 16分・昨日・ 142再生AI目次IBM Watsonと開発者の情熱理想のAIが蝕む人間の本質知のブラックボックス化の危機人間的行為とコミットの喪失AI時代に蘇るソクラテスの問い
#639 AIの衝撃の大きさを受け止める① 14分・9月10日・ 132再生AI目次AI開発の原動力、IBMの熱狂人間の夢を映すAIという存在Watsonの誤答が示すAIの未来AIの冷静さと人間の情熱の対比AIにできない人間の情熱の真価
#638 辛い思いをして修行をしても、無駄になってしまうのではないか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」① 13分・9月9日・ 209再生AI目次厳しい修行と拭えない心の疑問成果主義がもたらす仏道への誤解誰もが持つ「円満具足」の真の姿他人との比較を超える喜びの源泉理屈抜きに「良い」と味わう体験
#637 どこまでも己にとって返す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」② 13分・9月8日・ 148再生AI目次他人の是非を越え自己へ帰れ徹頭徹尾「自分のため」の修行「自他」の区別以前の自分を掴む「お前は何者か」という深遠な問い途方に暮れる悩み、悟りへの一歩
#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 189再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
#635 禅の物語~葉落ちて根に帰す 六祖慧能大師(其の五) 14分・9月3日・ 205再生AI目次禅の革命者 六祖慧能大師とは仏を見出す鍵 自身の衆生を知れ葉落ちて根に帰す 慧能の死生観形式を排した最期の教えの真意言葉を超えた慧能禅の遺志とは
#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地
頭でっかちにならないように注意して!「無一物中無尽蔵」