2025年8月
#030 『無門関』を読む...007:第2則「百丈野狐(ひゃくじょうやこ)」
39:12
二 百丈野狐
百丈和尚、凡(およ)そ参(さん)の次(つい)で、一老人有りて、常に衆に隨って法を聴く。
衆人退けば老人も亦た退く。忽(たちま)ち一(いち)日(じつ)退かず。師、遂に問う、面前に立つ者、復(ま)た是れ何人(なんぴと)ぞ。
老人云く、諾(だく)、某甲(それがし)は人に非ざるなり。過去、迦葉仏(かしょうぶつ)の時に於いて曾つて此の山に住す。因(ちな)みに学人(がくにん)問う、大修行(だいしゅぎょう)底(てい)の人、還(かえ)って因果に落ちるや。某甲対(こた)えて云く、因果に落ちず。五百(ごひゃく)生野(しょうや)狐(こ)の身に墮す。今請(こ)う和尚、一転語(いってんご)を代わりて、貴(ひと)えに野狐を脱せしめんことを。遂に問う、大修行底の人、還って因果に落ちるや。師云く、因果に昧(くら)まされず。
老人言下(ごんか)に於いて大悟し、作礼(さらい)して云く、某甲、已に野狐の身を脱し、山後に住在す。敢えて和尚に告ぐ。乞う、亡僧(もうそう)の事例に依らんことを。
師、維那(いのう)をして白槌(びゃくつい)して衆(しゅ)に告げしめて、食後(じきご)、亡僧を送らん、と。大衆(たいしゅ)言(ごん)議(ぎ)すらく、一衆皆安(いちしゅみなやす)し、涅槃堂(ねはんどう)に又人の病む無し。何が故に是くの如くなる、と。
食後、只だ師、衆を領(りょう)して山後の嵒(が)下(んか)に至りて、杖を以て一(いつ)の死せる野狐を挑(か)き出だし、乃(すなわ)ち火葬に依らしむるを見る。師、晩に至りて上堂し、前(さき)の因縁を挙す。黄蘗(おうばく)便ち問ふ、古人、錯(あやま)って一転語を祇(し)對(つい)し、五百生野狐の身に墮す。転々(てんてん)、錯らざれば、合(まさ)に箇の甚麼(なに)にか作(な)るべき。師云く、近前来(きんぜんらい)、伊(かれ)が與(ため)に道(い)わん。黄蘗遂に近前して、師に一(いっ)掌(しょう)を與(あた)う。師、手を拍(う)って笑って云く、將(まさ)に謂(おも)えり、胡鬚赤(こしゅしゃく)と。更に赤鬚胡(しゃくしゅこ)有り。
百丈和尚の説法があると、いつも一人の老人が修行僧たちの後ろで説法を聴いていた。修行僧たちが退場すると、老人もまた退場していた。ところが或る日、老人は退場しなかった。百丈和尚は問うた、そこにおる者は、一体どなたかな?
老人は言った、ハイ、私は人間ではありません。かつて釈尊がまだこの世に現れる以前の迦葉仏(かしょうぶつ)の時代に、この山に住んでいました。或る時、弟子の修行者が私に問うてきました、仏道修行を完成させた偉大な修行者が、因果に囚われて苦しむことがあるでしょうか? 私は答えました、因果に囚われることなど無い、と。その時以来、五百生の長きにわたって野狐の身に堕ちて、死ぬこともできず苦しんで参りました。師よ、私の代わりに答えを出して、この野狐の身から救い出して下さい。そして改めて問うた、修行を完成させた偉大な修行者が因果に囚われて苦しむことがあるでしょうか? 百丈和尚は言われた、因果に迷うことは無い。
老人はその言葉を聴いてガラリと悟りを得て、礼拝しながら言った、私もやっと野狐の身を脱することができて、裏山に横たわっております。師よ、どうかお願いします、僧侶が亡くなった時の作法で葬送してください。
百丈和尚は、一山を管理する役割の維那(いのう)を呼んで、合図の槌を打って、修行僧たちに告知させた、昼食後に僧侶の葬儀を行うぞ、と。すると修行僧たちは噂をはじめた、皆は元気で、病に臥せっている者もいないのに、一体どういうことなのだ、と。
昼食後、百丈和尚は修行僧たちを引き連れて裏山の岩の下に行き、杖で一匹の狐の亡骸を引き摺り出して、火葬にして送った。
晩になると百丈和尚は説法壇に上り、老人との経緯を説いて聞かせた。すると弟子である黄檗禅師が問うた、その老人は、誤った言葉を発したために、五百生もの長きにわたって野狐の身に墮ちて苦しんだということですが、一言一言間違えることが無かったならば、一体何になっていたというのですか? 百丈和尚は言われた、こっちに来なさい、お前さんのために説いてやろう。黄檗禅師は百丈和尚の傍に行くと、師の横っ面を張り飛ばした。百丈和尚は手を拍って笑いながら言われた、達磨さんの鬚は赤いのだと思っておったが、ここにも赤い鬚の達磨さんがおったワイ。
百丈和尚、凡(およ)そ参(さん)の次(つい)で、一老人有りて、常に衆に隨って法を聴く。
衆人退けば老人も亦た退く。忽(たちま)ち一(いち)日(じつ)退かず。師、遂に問う、面前に立つ者、復(ま)た是れ何人(なんぴと)ぞ。
老人云く、諾(だく)、某甲(それがし)は人に非ざるなり。過去、迦葉仏(かしょうぶつ)の時に於いて曾つて此の山に住す。因(ちな)みに学人(がくにん)問う、大修行(だいしゅぎょう)底(てい)の人、還(かえ)って因果に落ちるや。某甲対(こた)えて云く、因果に落ちず。五百(ごひゃく)生野(しょうや)狐(こ)の身に墮す。今請(こ)う和尚、一転語(いってんご)を代わりて、貴(ひと)えに野狐を脱せしめんことを。遂に問う、大修行底の人、還って因果に落ちるや。師云く、因果に昧(くら)まされず。
老人言下(ごんか)に於いて大悟し、作礼(さらい)して云く、某甲、已に野狐の身を脱し、山後に住在す。敢えて和尚に告ぐ。乞う、亡僧(もうそう)の事例に依らんことを。
師、維那(いのう)をして白槌(びゃくつい)して衆(しゅ)に告げしめて、食後(じきご)、亡僧を送らん、と。大衆(たいしゅ)言(ごん)議(ぎ)すらく、一衆皆安(いちしゅみなやす)し、涅槃堂(ねはんどう)に又人の病む無し。何が故に是くの如くなる、と。
食後、只だ師、衆を領(りょう)して山後の嵒(が)下(んか)に至りて、杖を以て一(いつ)の死せる野狐を挑(か)き出だし、乃(すなわ)ち火葬に依らしむるを見る。師、晩に至りて上堂し、前(さき)の因縁を挙す。黄蘗(おうばく)便ち問ふ、古人、錯(あやま)って一転語を祇(し)對(つい)し、五百生野狐の身に墮す。転々(てんてん)、錯らざれば、合(まさ)に箇の甚麼(なに)にか作(な)るべき。師云く、近前来(きんぜんらい)、伊(かれ)が與(ため)に道(い)わん。黄蘗遂に近前して、師に一(いっ)掌(しょう)を與(あた)う。師、手を拍(う)って笑って云く、將(まさ)に謂(おも)えり、胡鬚赤(こしゅしゃく)と。更に赤鬚胡(しゃくしゅこ)有り。
百丈和尚の説法があると、いつも一人の老人が修行僧たちの後ろで説法を聴いていた。修行僧たちが退場すると、老人もまた退場していた。ところが或る日、老人は退場しなかった。百丈和尚は問うた、そこにおる者は、一体どなたかな?
老人は言った、ハイ、私は人間ではありません。かつて釈尊がまだこの世に現れる以前の迦葉仏(かしょうぶつ)の時代に、この山に住んでいました。或る時、弟子の修行者が私に問うてきました、仏道修行を完成させた偉大な修行者が、因果に囚われて苦しむことがあるでしょうか? 私は答えました、因果に囚われることなど無い、と。その時以来、五百生の長きにわたって野狐の身に堕ちて、死ぬこともできず苦しんで参りました。師よ、私の代わりに答えを出して、この野狐の身から救い出して下さい。そして改めて問うた、修行を完成させた偉大な修行者が因果に囚われて苦しむことがあるでしょうか? 百丈和尚は言われた、因果に迷うことは無い。
老人はその言葉を聴いてガラリと悟りを得て、礼拝しながら言った、私もやっと野狐の身を脱することができて、裏山に横たわっております。師よ、どうかお願いします、僧侶が亡くなった時の作法で葬送してください。
百丈和尚は、一山を管理する役割の維那(いのう)を呼んで、合図の槌を打って、修行僧たちに告知させた、昼食後に僧侶の葬儀を行うぞ、と。すると修行僧たちは噂をはじめた、皆は元気で、病に臥せっている者もいないのに、一体どういうことなのだ、と。
昼食後、百丈和尚は修行僧たちを引き連れて裏山の岩の下に行き、杖で一匹の狐の亡骸を引き摺り出して、火葬にして送った。
晩になると百丈和尚は説法壇に上り、老人との経緯を説いて聞かせた。すると弟子である黄檗禅師が問うた、その老人は、誤った言葉を発したために、五百生もの長きにわたって野狐の身に墮ちて苦しんだということですが、一言一言間違えることが無かったならば、一体何になっていたというのですか? 百丈和尚は言われた、こっちに来なさい、お前さんのために説いてやろう。黄檗禅師は百丈和尚の傍に行くと、師の横っ面を張り飛ばした。百丈和尚は手を拍って笑いながら言われた、達磨さんの鬚は赤いのだと思っておったが、ここにも赤い鬚の達磨さんがおったワイ。
禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで
恵林寺 古川周賢
- 00:101.
初めのあいさつ
- 02:412.
百丈和尚、凡そ参の次いで...
- 09:423.
修行をすれば因果を超えることができるのか?
- 05:524.
「不落因果」と「不昧因果」
- 09:585.
悟りと迷い...区別がつくのか?
- 09:496.
問題の所在は...
- 01:037.
終わりのあいさつ
コメント
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