TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#96 修行と修業09:10 2024年1月9日 422再生 問題を報告する 再生する シェアする 修業と修行...どう考えると良いか?この一年をはじめるにあたって、考えたいことの一つです。AI目次「修行」と「修業」の明確な違いとは?スキル向上と悟りの境地、その本質とは?有限な人間の存在と、真の目的とは?目的達成のみに囚われない生き方とは?日常に潜む気づき、芸術の役割とは?AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。エリンジュの福川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 修業と修行...違いは? 今日は、修行と修行ということについてお話したいと思います。 修行といっても、修を収めるという字に、行くという字を書く場合の修行と、 それから同じ収めるという字に、業という字を書く場合と、両方あるんですよね。 この二つというのは、よくごっちゃがってしまっているんですけれども、実は意味がずいぶん違います。 今日はそのあたりのお話をしようと思っています。 はじめに、和田の方の修行ですが、これはスキルの向上と考えたりですよね。 技能の習得といったものです。 ですからこれは、とても現実的で目的がはっきりしています。 だから目的手段連感が明確であることが、上達の大事な鍵になるんですよね。 例えて言えば、ジグソーパズルのピースを探してきて、きちっと組み合わせていくようなトレーニングのことを言うんです。 この場合には、目的と手段と結果の連鎖というのが大事ですよね。 ですから、どうしたら向上するかというと、今お話ししましたように、 しっかりした目的、こうするためにというのをちゃんと持って、そのためにはどうしたらいいかということを分析して、 それを実際に丁寧に行動していく、目的手段結果の連鎖というものが大事です。 これをうまく底上げしていくためには、インセンティブがとても大事ですよね。 だからある意味では、人参がぶら下がっている、うまく人参をぶら下げて手続きをきちっとやるとうまくいく、 こういうものだと思ったらいいと思います。 もう一方で、行う方の修行というのは、特定の技能の習得ということではないんですよね。 パズルの例でいうならば、全体の絵柄がどんなものであるかということを読み取っていくこと、 あるいは全体の絵柄を作っていく、そういうふうに見たほうがいいかなというふうに私は思っています。 もちろんこの二つの修行、行う方の修行と技の方の修行というのは違うものではあるけれども、 技の方の修行、ピースをきちっとはめていく作業、この種現実的な作業を抜きにしては、 絵を描く、全体の絵を描く、行う方の修行にはならないんです。 反対に言うと、全体の絵がどんなものかということがわかると、ピースの輪をはめていく作業というのはどんどん進むんですよね。 これは創造効果になります。 だからこの技の方の修行と行う方の修行というのは、部分最適の行と全体最適の行というふうに言うことができるかもしれませんね。 ご視聴ありがとうございました。 # 修行に向かって行くために 今日この話をする理由というのは、1年の、まだ初めの頃ですね、今年1年どうするかっていうことを考えている時なので、 具体的なピースをはめる作業も大事ですけれども、全体として今年1年をどういう年にしていくか、 そういう全体を見る時でもありますので、この和田の方の修行と沖縄の修行を分けて、 行う方の修行、全体の絵をどういう風にするかという風に考えるべきだということで、ちょっとこの話をしたということもありますし、 それから私はお坊さんですから、仏教のあるいは禅の修行というのは、和田の修得ではなくてやっぱり行う方の修行なんですよね。 だからスキルの向上がなければ修行その中はできませんけど、スキルの向上が目的ではなくて、大文字の目的がちゃんとある。 それは何かというと、悟りとは何かということになります。 悟りとは何かということを考える時に、能力開発の延長みたいに考えてしまうと、結局欲望の延長の上にあるものですよね。 そうすると一種のスーパーマンみたいなものが思い浮かぶんですね。 だけどスーパーマンみたいに能力を拡大して、それでどうするのって、それで本当に幸せになれるのって、それで本当にいいのってなった時に大きな問題が起きてきます。 どうしてそうなるかって、それ一番大きな理由というのは、人間というのは有限な存在なんですよね。 生老病死のお話をいつもしますけれども、もう急遽的には最後、人間というのが寿命が来たらこの世を去っていくわけですよね。 そうすると、その能力開発的な発想、その目的を定めて手段を積み重ねて結果を出すという、その目的手段結果の連鎖をいくら積み重ねていって相当な能力開発をしたとしても、最後に人間って死んでいくものですから、全部ガラガラポンとなるんですよね。 どれほどすごい目的手段結果連鎖を積み重ねても、最後全部吹き飛んでしまうんですよね。 吹き飛んでしまった時に、よかったって、人生に向かってありがたいな、ありがとうございましたって言えるためには、その目的手段結果の結合体によって築き上げられた、 そういう欲望の牢獄みたいなもの、そういうもの、欲望の実現の牢獄みたいなものとは違う尺度が必要なんですよね。 だから、私たちの日常の修行というのは、丁寧に見ていけば、やっぱり技の習得の先にしかないです。 漠然と座禅をして、漠然とぼーっとものを考えるということはもちろん大事ですよ。 でも、漠然とものを考える、漠然とぼーっとすることと座禅はイコールではありません。 むしろ正反対かもしれない。 座禅というのは集中力を高めて観察することですからね。 だけど大事なことは、人間というのは意識して何かをする時には、必ず目的を定めて、手段と結果という風に繋がっていきます。 このサイクルを作っていくんですよね。 人間の行動ってみんな、このサイクルの中にほとんどのものは、意識的な行動って入ってきますから。 大事なことは、この積み重ねの先に何が見えるかということなんです。 そこでずっと目的、手段、結果、サイクルをずっと見つめていきながら、いきながら、いきながら、その向こうにパーッと見えてくる景色というのがあるんですね。 そのためには、目的、手段、結果、サイクルの中に自分が取り込まれてしまって、巻き込まれてしまっていたのでは、その先が見えないんですよね。 反対に最初から目的、手段、結果、サイクルというのを無視して、 じゃあそういう人生の究極の意味みたいな絵柄が描けるかというと、そんなのは描けないし、 大概の場合描いたものというのは、実は本人が気が付いていないだけで欲望の延長ですよね。 じゃあ欲望の延長ではないような、そんな絵柄、そんな目的って、これに気づくことが修行の頑目なんです。 そのためには日常生活の中で一つ一つのことを丁寧にやるながら、と同時にアンテナを高く上げて、そうじゃないものが目に入ってくるって。 こういう先を急いでいて、もう一生懸命先を急いで頭使いながら歩いていくんだけど、道端にふっとこの小さな名も知らずにきれいな花が咲いている。 ふっと見えてきた瞬間にハッとするってことが大事ですよね。 そうやって急いでいるときに鳥がパーッと投げながら飛ぶって、その鳥の声を聞いた瞬間にハッとするって、何かに気づくって、そういうのはとても大事ですよね。 で、私が思うに、そういうことを気づくための、アンテナを鋭くするための養うものに、芸術っていうのはとても大事だと思います。 音楽でもいい、絵画でもいい、歌でもいい、そういったものってのは、ほとんどの場合は目的手段結果のサイクルから外れたところにあるものを目指しているんですよね。 だから、アンテナの役立てにできるだけアートに触れるって、今、教養っていうのがちょっと声を大にして言われてますけれども、知識の集積ではないんですね。 ただの知識の集積ではないんですよね。知識の集積っていうのは一定の目的のもとにしますからね。 でも、そういう目的のもとに集積した知識ではなくて、ふっと気づくって、そのときの手当たりになるように、手当たり次第ですよね。 心の動くままに、いろんな芸術に触れるっていうのは、とても大事なことではないかなというふうに思います。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきました。 誠にありがとうございました。 今日もどうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #禅 #仏教 #能力開発 #生老病死 #有限性 #修業と修行 #技の習得 #感性のアンテナ #芸術に親しむ 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:091.初めのあいさつ03:012.修業と修行...違いは?05:493.修行に向かって行くために00:124.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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