TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#542 自分を責めてしまう時に...15:40 2月23日 429再生 問題を報告する 再生する シェアする ネガティブな思いにとらわれると、なかなか抜け出すことが難しくなります。自分のことを責め始めると、さらに...AI目次「自責」「他責」に潜む心の罠焦りが生む心の悪循環とその見分け方仏教に学ぶ心の本質「意馬心猿」パニックな心の処方箋「何とかしようと思わない」焦りを手放す瞑想と心の整え方AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 山梨県甲州岸、武田信玄公の部大臣、 エリンジの住職を務めております古川周健と申します。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 自責と他責 今日は、自分を責めてしまう時に、という事でお話したいと思います。 こちらは、Voicyから頂いているトークテーマ、ネガティブ思考の手放し方、という事からヒントを頂いてのお話になります。 日常生活の中で、どうしても自分を責める気持ちが強くなってしまって、どうしようもならなくなってしまう。 仕事が手につかなくなってしまったり、何にもしたくなくなってしまったり、それこそ日常生活から逃げ出したくなってしまうという事があるんですね。 もう心は、自分の心の容量オーバー、完全に容量オーバーになってしまって、心が悲鳴をあげている状態ですよね。 自責の念という事があるんですけれども、よく言われる事は、文化的に日本人って自責の念を持ちやすい。 他人を責めるよりも自分を責める気持ちを持ちやすいという風に一般によく言われていますし、実際そういう事はよくあると思いますね。 真面目な人ほど自分を責めてしまう。 今よくある事ですけれども、多責思考ではダメだという事をよく言いますよね。 何かあった時に、もう人のせいにしてしまう、自分は悪くない、何でも周りのせいにしてしまうという事がよく言われてしまって、 多責ではいけないよという事がよく否定されたりもします。 これは間違いではないんですよ。 多責思考になってしまうと良くない事は、責任を他所に転換するだけで、その次へ進む事は出来なくなってしまうんですよね。 しかも全部自分が悪い訳ではないとしても、どうしても多責、多責となってしまうと、自分の外に本能的に責任を探してしまったり、原因を探してしまったりすると、自分自身の中に原因があった時に、それを見過ごすという事になってしまいますから、 だから多責はいけないという指摘は間違いではないんですね。 じゃあ多責はダメだと言うから、自責が良いかと言うと、実は自責も良くはないんです。 多責も良くないけれども自責も良くない。 多責にせよ自責にせよ、責、責めるという事が良いかと言うと良くはないんですね。 誰かを責めれば良いという訳ではないんです。 大事な事は、的確に問題がどこにあったのか、的確に問題の原因がどこにあったのかという事をきちんと考えるという事は必要な事ではあるんだけど、責めれば良いという物でもないんですね。 だから繰り返しますけれども、多責はいけないというのはその通りだけれども、じゃあ自責が良いかと言うと、そうでもないって。 まずはここが大事ですね。 だからここで、多責も良くないけれども自責も良くない。 だから積極的にどうしたら良いのかという事に集中すべきだとなりがちですけれども、実はそれが良いとも限らない訳ですね。 どうしたら良いのかという事になった時に、人間ってどうしても焦るんですね。 まあ多責にせよ自責にせよ、責めなきゃならないぐらい追い詰められている時、要するに今日のテーマですね。 自分を責めてしまうような時、あるいは他人を責めてしまうような時って。 責めてしまうという発想が強く表に出てくる時というのは、実は状況を打開する事が簡単にはいかない場合なんです。 そういう時にどうしたら良いんだろう、どうしたら良いんだろうって積極的に考える事は良さげに見えるんだけど、 どうしたら良いかって前向きに思う事は焦りに駆り立てられている場合があるんですね。 だからどうしたら良いかという事をポジティブに積極的に考える事で問題が解決できる場合はいいですよ。 でも必ずしもそうではない事も多いし、むしろ自分を責めて責めてしまう時、他人を責めて責めてしまう時ってのは むしろ相場に行かない時、どうしようもならない時になりがちですね。 その時にどうしたら良いのかどうしたら良いのかって、自分を結果的には責めている事になってしまいますよね。 だから自分を責めてしまうような場合って、ある程度状況が深刻な時っていうのは、どうしたら良いのかって事も一旦知らなければならないって事。 そういう事が起こり得るって事は知っておいた方が良いですよね。 大切な事は自責にせよ他責にせよ、どうしたら良いのかっていう風に、一生懸命積極的に問題の解決を考えてぐるぐるぐるぐる回っているにせよ、 自分の心が焦りを感じている場合、あるいは焦ってしまって借り立てられている状態になった時、それは良くないって事なんです。 だから自分自身で借り立てられている状態っていうのに、なるだけ陥っている時には気づいた方が良いですね。 それは良い状況ではないよって。 集中力を高めて物に取り組んでいる時、心はぐぐぐぐっと前に動いてきますよね。 でも自分の心から、心の奥底から前に行こうと思ってどんどん進む時と、借り立てられてしまって焦って前に進む時っていうのは、実は似ているようで全く違うんです。 自分自身の心の主人公になって、よしやろうと記録が沸いていて前に前に進む時と、やんなきゃ、解決しなきゃ、何とかしなきゃって焦っている時って、 全く実は動く心の動き方が違うし、心の動き方が違うという事は、その時に心が力を発揮できるかどうかという事も全く違うんですね。 # ネガティヴ思考の手放し 仏教の世界の言葉、禅の世界でもよく言うのですが、その言葉の中に、「いばしんえん」という言葉があります。 いばしんえんの「い」というのは、意志を発揮する、意欲する、「い」です。 馬は馬、しんえんのしん、心は猿、い、思うところは馬のごとく、心は猿のごとし、という書き方をするのですが、 いばしんえんでどういうことかというと、実は人間の心というのは、馬みたいにダーッと走っていってしまう。 あるいは猿のように、キャーキャーキャーキャー、騒ぎ回って飛び回って、どうにもならなくなってしまう。 実は心というのは、思い通りにならないということを言っているのです。 仏教も、禅もそうですが、座禅をして心を整えて、集中力を増して、そういう技法になっています。 だからお坊さん、仏教の僧侶、特に禅の坊さんは、座禅をして、瞑想をして、自分の心を整えるということをします。 だから心を思い通りにする、そういうトレーニングをするわけです。 だけども、そういうトレーニングをするから、心は思い通りになるかというと、実はそうではないのです。 仏教徒、あるいは禅僧は、座禅のプロ、心のプロだけれども、 じゃあ、禅僧は、心は思い通りになるかと思っているかというと、そんなことは思っていないのです。 どうしてかというと、実際にトレーニングをして、瞑想をしてみて、心と向き合ってみると、 どれほどトレーニングをしても、心は思い通りにならないのです。 ええと、禅僧は思い通りになるのではないかと、仏教徒は思い通りになるのではないかと言いますが、実は思い通りにならないのです。 それは、何年も何年も瞑想して、何年も何年も修行しても、心は思い通りにならないのです。 心って、本質的には、そのままでは、やっぱり、今、深淵で、思い通りにならないのです。 だから、何年も何年も修行して、何年も何年も心を整えても、実は心は思い通りにならないのです。 それは、手と手とび、そういうものだと、ちゃんと分かっているということが大事です。 だけど、何だって、そうじゃ瞑想役立たないじゃないかって、すぐおっしゃる方もいるんだけど、そんなことないんですよ。 まず最初に、手と手とび、心って思い通りにならないということを知っておけば、どうしたらいいかって、対策が立つんですよ。 実は、心は思い通りになるんだって思うということは、力づくで心を犬ままにしようと思っちゃうんですけども、心って力づくで犬ままにしようと思ったら、余計に反抗します。 オオマさんが、わーっと恐怖に駆られて、オオマさんって臆病な生き物ですからね。 わーっと恐怖に駆られて走り出したら、何しても止まらないですよ。 ムチで叩いたら、もっと走っちゃいますよね。 パニックになったら、止まらないです。オオマさんは止まらない。 同じように、人間の心も、一旦パニックになったら、どんなにトレーニングしても止まらないですよ。 お猿さんが、ギャーッと割れた時に、綱で縛ろうと思って、縄持って追っかけたら、もっと逃げ回りますよね。 だから、心を思い通りにしようと思っても、ならんものはならんです。 それは、修行しても無理ですよね。 じゃあ、どうしたらいいかというと、まず最初に、心は思い通りにならないということを、まず、ちゃんとわーっと言うこと。 ある程度、落ち着いている時には、思い通りになるんですよ。 オオマさんも、恐怖に駆られて走り回るような前である状態、落ち着いている時だったら、ある程度は言うことを聞きます。 お猿さんも、ある程度、言うことを聞くようなしつけをして、少しずつ少しずつ飼い慣らしていけば、ある程度は言うことを聞くんだけど、 一旦スイッチが入っちゃったら、もうどうにもならないし、 例えば、今日のテーマは、自分を責めてしまう時に、というお話だけれども、 自分を責めてしまう時というのは、何か上手くいかなかったり、失敗したりという時ですよね。 その時、心がもう、バクバクバクバク胸が鳴っている時は、もう思い通りにならないですよ。 まず最初にそういう時に、思い通りになるなんて思い込まないことですよね。 思い通りにしようとも思わないことです。無理なんですね。 だから、まず最初に、自分を責めてしまうような時になってしまった時、 あるいは、どうしようか、どうしようか、何かしなきゃ、何とかしなきゃって、 心が焦っている時には、まずは何とかしようと、もう今は思わないことですね。 そういう時は誰もがあります。 むしろ、そんな風になってしまわないように、できるだけバランスよく、 落ち着いて暮らすということが大事だけれども、 なってしまったら仕方がないことですから、 まず最初に、まず心が思い通りにならないということは、 もう徹底的に理解しておいた方がいいですよね。 だから、まずスイッチが入って動き始めちゃったら、 まずは何とかしようと思わないことです。 どうしたらいいのだろうか、どうしたらいいのだろうかってプレッシャーがかかっている時には、 どうしたらいいのかって思うことを、一旦は捨てるということ。 だから、心を別の方に振り向ける必要があります。 洗っている時ほど、何かをした方がいいですよね。 そのためにも、心って思い通りにならないのであって、 もう骨身に徹して、お坊さんたちもそう思っているということを、 頭の隅に置いておいてほしいなって思います。 私たちは、まず最初、そんな風にならないように言えるだけ努力はするけど、 なっちゃったら、まず最初にしっかり落ち着くことですよね。 そのために、禅の坊さんたち、あるいは仏教の坊さんたちは、 瞑想のトレーニングを普段からしているから、 焦っている時は、何とかしなきゃと一旦手放して、 その上で、まず最初に、特に焦っている時には目をつぶった方がいいですね。 瞑想では目をつぶらずに半顔でやるんだけど、 焦っている時は、一旦は、違う場所に自分を移して、 静かな場所に自分を移して、目をつぶって、呼吸を数える。 いつもやっている座禅と同じように、息を大きく吐きながら、 スーッと吐きながら、1つ、2つって、バカバカしいようだけど、 目をつぶりながら、大きく息を吐きながら、1つ、2つって、 できれば10、できれば20、息を数えるんです。 で、どうしようか、どうしようか、何とかしなきゃっていう風に、 心がぐるぐるぐるぐる動く状態が収まってきて、落ち着いて、 呼吸が1つって、数えられるところまで、まず落ち着くことが大事です。 で、もう自分を責めなきゃならないような時、 あるいは、人を責めようと気持ちが強く湧いてしまうような状況っていうのは、 結構、自分で思っている以上に、ゆっくり時間がかかります。 本当の解決、本当に自分が問題の解決に向かって立ち上がれる時っていうのは、 実は、焦ってもどうにもならないんですね。 焦っている時じゃなくて、本当に落ち着いて、 うまくいかんくても、時間をかけてじっくり取り組んでみせる。 うまくいかんくても、思うようにならんくても、 ちゃんと自分でベストのところまで持っていってみせる。 問題を引き受けるぞっていう風に、 もう気力が心の底から湧いてくるところまでいかないと、 本当の解決までいかないことが多いんですね。 なかなかそのところまで逃げていかないじゃないですか。 だから、少しずつ少しずつ、いろんな形で問題を詰め出しながら前へ進むしかないっていうことですよね。 なんだって、がっかりするかもしれませんけど、 思い切って、そういう時はそういう時だって、 心が決まるところまで割り切ってしまうということが、実は大事なんですね。 急がば回れって言葉があるじゃないですか。 急がば回れっていうことは、結構真理なんですよね。 だから、今日の話、自分を責めてしまうときに、 自責も他責も良くないって。 どうしたらいいのかっていう風に、ポジティブに前向きに向かうっていうことも、 決して良いとは限らない。状況によっては、むしろ焦りが治まらないって。 まずは自分の心の中に、どうしよう、どうしようって、 ぐるぐるぐるぐるぐる語られてしまうようなことが、 焦りの状況があるうちは、うまくいかないから。 今、深淵であるから、だからまず落ち着くこと。 それからもう一つ、先ほども言いましたけども、 焦って、どうにかしなきゃ、焦って心がぐるぐる動くときと、 もう落ち着いて、よし、やろうと、心がこう、 心の奥底から、よし、やろうと、立ち上がるときの前向きの気持ちと、 前に向かって行くっていう気持ちは、一見似てるに見えるけど、 心の奥底から湧くときと、かりたたられて仕方なしに前に向かっているとき、 焦って前に向かうときは違うということ。 だから、今日はネガティブ思考の手放し方となりましたけども、 ネガティブ思考の手放し方のコツって、何とかしようと思わないことなんですよね、実は。 人間の心ってネガティブ思考に陥りがちなんです。 ほっといてもネガティブ思考に陥りがちなんですね。 他責にせよ、自責にせよ、そういうものに陥りがちだし、 焦りもネガティブ思考の種になるんです。 だからまずは、ゆったり呼吸ができるように落ち着くということですね。 そのためにも、普段から瞑想が大事ですよね。 そして心と体のバランス、日常生活の整った生活って、なかなか実現できませんけど大事ということ。 ですからまずは落ち着くということですよね。 そういうところから考え始めるということが大事です。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #ネガティブ思考の手放し方 #自分を責めてしまう時 #意馬心猿 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:161.初めのあいさつ05:272.自責と他責09:493.ネガティヴ思考の手放し00:104.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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