TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#166 執着を手放す?11:00 2024年4月15日 759再生 問題を報告する 再生する シェアする 自分の心の中にある執着心を捨てきれないで苦しむ時があります。執着心との付き合い方を考えます。AI目次執着を手放す方法とは?物への執着から紐解く心の動き心と真正に向き合う覚悟執着を上書きする新しい関係性より良い関係へ、再構築の道AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。 エヒンジュの古川周券です。 今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 物との関係を手がかりに考えると 今日は、執着を手放すということでお話したいと思います。 私たちは、自分の執着を思うようにコントロールできないで苦労することがありますよね。 じゃあ、執着とどう付き合ったらいいかというテーマです。 で、じゃあ、執着とどう付き合うかというとなかなか分かりにくいので、もうちょっと踏み込んで、まずはじめに。 入り口のところで、物を例にして考えてみると分かりやすいと思うんですよね。 物に執着するということは私たちよくあるんですけれども、 その時に、とっても強く執着しているといったって、例えばそれが流行であったり、 たまたま何かで自分が欲しいなと思うように欲望を喚起されただけのものというのは、 その時にとっても強いものであっても、時間が経てば、実は自然にこの執着が弱まっていってしまうし、 そういうものは手放しやすいんですよね。 ある意味ではその時その時、一家制の一時的な偶然的な関係の中で執着するものというのは、 いくら強力なものでも、実は興味が冷めたり、集合すぎたりすると手放しやすくなるんです。 だから比較的そういうものって手放しやすいんですよね。 その時、自分の都合のいい時に手放すのは難しいかもしれないけど、 人生の時間の中で自然にそういうのは卒業して手放せるようになっていくんですよね。 だから比較的そういうものは手放しやすいんです。 だけれども、ただ単にそういう一家的なものじゃなくて、 何か自分の人生の中で大切な経験と結びついているようなもの、 特にその思い入れというものが深く自分の心に根差しているものって手放すのは難しくなりますよね。 例えば、親子や家族のような、自分の人生や命に関わるような関係性の中でできたもの、関係性。 それから、自由人や自分にとって大きな出来事、大切な出来事とか、 出会いに関わるようなものの中で執着を生まれるようなものとの関係性。 こういったものっていうのは、後からただ単に偶然的にくっついているんじゃなくて、 自分の生き方や自分が生きてきた人生と深く結びついているんですよね。 だからこれを手放すっていうのは、実は自分自身の人生の一部を切り裂くようなことになるんです。 時間が経てば凸凹できるっていうふうに簡単にはいかないんですよね。 だから、ものとの関係性において手放すっていうときには、 それがどれくらい深く自分に関わるかってことによって変わっておきます。 例えば、偶然的なものであるならば、忘れることができますよね。 時間が経てば、時間が過ぎるので忘れることができますよね。 そういうものであれば、たとえばそのときにとってもきつく結びついているとしても、 無理矢理だったって一瞬の痛みで済むんですよ。 あとは時間が経てば解決してくれます。 でも、中にはですね、今お話ししたような、偶然的じゃなくて、たまたまじゃなくて、 深く関わっているようなものっていうのは、軽く見えても実は深いところで結びついているから、 捨ててしまってから、後からその大切さに気が付いて、 いつまでもいつまでも尾を引いちゃって、手放すとはできないような関係になることがあります。 今日のテーマにあるような、その執着を手放すっていう、 そういう形で問題になってくるようなものっていうのは、そういう関係性のことを言っているんですよね。 # 手放すのではなく、より良い関係性を結び直す まずはじめに確認しておかなければならないことというのは、私たちは自分の心を思い通りに操ることができないということなんですよね。 自分の心なんだから自分の思い通りになるって思うかもしれませんけど、実は簡単にはいけません。 自分の心というのは自分の所有物ではないんですよね。 所有物だったら処分することも何も思い通りになるじゃないですか。 でも心って所有物ではないんですよね。 自分にとって対等かそれ以上の存在ですよ。 だから思い通りにならないです。 執着を捨て去ることができないで、どうしてもこだわってしまうという時に、そのこだわりを思い通りに捨ててしまうことができるということは、まず基本的にはないと思った方がいいです。 その執着が自分にとって都合が悪いものであったり、こんなものにいつまでも自分は執着しているんだという風に、たとえ思うかもしれない。 思うとしてもですよ。 そういう執着心というのは、自分の心に後から偶然的にくっついているものではなくて、本質的にそう思う心の動きというのは、自分の心の本当に奥底にある自分自身の一部なんですよね。 だからまずこれを簡単にしようと思うことはできないと思う。それを覚悟した方がいいんですよね。 こういうものに対しては、ちゃんと向き合って解決しなければならないんだけれども、その一番の方法ってどうやってやるかというと、結局自分が執着している関係性ってあるんですよね。 その執着している関係性を自分がより納得できるような方法で乗り越えていって、上から新しい関係性を築いて上書きしていくしかないんです。 だから捨てるってことはできないので、捨てるんじゃなくて、その関係性をより自分が納得できるような感じで上書きしていくって。 物理的に捨ててしまったとしてもですよ。いつまでもいつまでも心の方が捨てきれないで大引いてるって。 こういう関係性ですね。こういう関係性に対してはやっぱり忘れようとしてもなかなか忘れられません。 だからやっぱりその関係性をもっと違う別な肯定的な関係性で新しく結び直すしかないんですよ。 例えば自分は何か目指していることがあって、一生懸命チャレンジしてみて実現できなかった場合、 でもちょっと難しいな、実現できないなってことが分かってしまった場合どうするかって。忘れようと思ったりしても無理ですよね。 じゃあその時どうするかって言うと、自分がそういう風に憧れて目指そうと思っている時、目指してどうしたかったのかってことですよ。 どうなりたかったのかって。 そうなりたかったってことはどういうことだったかってことをきちんと自分自身に対してはっきりする必要があるんです。 例えば音楽をやりたかったと思うとするじゃないですか。その時音楽をやることができて、 例えば音楽の学校に行くとかって、あるいはバンドで成功するとかってことで、 で、そう成功したり音楽の学校に行ったりすることで何したかったのって。 それ本当に心の中にある音楽の衝動っていうものを何とか形にしたかったのか。 それともただ単に音楽が好きでチェアホヤされただけなのか。 あるいはただ単に自分が小さい頃に音楽で好きだなと思っているバンドがなんかあってね、 それを自分で応援しているうちにそういう風になってみたいと思っただけなのか。 チェアホヤされただけだったら別な形だってチェアホヤはされることができますよね。 あるいは自分がすごいなと思っているそういう存在、それになりたいと思っただけだったら、 自分が例えば人生の中で何か憧れるような存在、でも憧れるのはなぜ憧れるかなんですよ。 人の評価が高いから憧れているだけなんだろうか。それともその先にもっと違うものがあるのかって。 ここがはっきりしていないと実は自分の心の問題って解決できないです。 めんどくさいようだけど心ってめんどくさい存在なんですよね。 だから本当にそれを乗り越えようと乗り越えなきゃならないと思うぐらい、 克服しなきゃならないと思うぐらい辛いんだったらやっぱり直視して、 その関係性を自分にとって明らかにしなければ根本的な解決ってできないんですよね。 もうそんなことしたくないって言うんだったら、もう無理してても忘れるしかないです。 でもそんな風に無理をするんじゃなくて、本当にそれを自分の問題として取り組みたいになったら、 やっぱり今の例で言うならばどうなりたかったかって。 なりたかった、本当には自分が欲しかったものは何かってことをちゃんと自分ではっきりしてるべきですよ。 その上でその欲しかったものを手に入れる方法って他にないのかって。 多くの場合そういったもののきっかけは偶然的なんですよ。 たまたま見かけたとか、たまたまいいと思ったとか。 同じくらいかそれ以上に自分の心が動くようなものって、実は人生の中で出会うんです。 だから、もし人生の中で他に出会うことができないんだったら、もう苦しくてそこを爆心するしかない。 それが人生です。 し、そうじゃないんだったら、違うものであってもいい。 ただ、その時自分がいいなと思った、そのいいなと思ったものと同等かそれ以上のものを自分で新しく一から作り上げていって、 新しい自分の作った関係性で上書きするしかないんですよね。 だから、目指しているような人生が若い頃に実現できなかった場合ですよ。 その人生を得ることによって自分が獲得したであろう憧れの生き方ってどんなものかってそれを見た上で、 それとは違っていてもいい。 ただ、同じくらいかそれ以上に自分が納得できるような生き方っていうのをやっぱり努力して作り上げるしかない。 私自身がそういう経験があるんですよね。 私は音楽の絵だったし、憧れたし、目指したこともありましたけど、 自分でできないってわかって、覚悟した瞬間に違う形で自分で道を求める。 その時私は学問に行ったんだけど、学問の道も自分にとってはいろんな理由で閉ざされたわけですよ。 閉ざしたんです、自分で。 その時、じゃあ修行の世界で自分が納得できる生き方をするって、 努力をして、学問に憧れた時のその憧れ以上のものを行の中で求める道を自分が歩み始めることができたんです。 その時初めてそれまでこだわっていた音楽や学問、それを乗り越えることができて、 今はそういう執着を手放すことができたんですね。 だから、より良い関係性の結び直しってことですよね。 捨てて捨てるとか忘れるとかって、そっちの方向性じゃなくて、 もうちょっと自分が根本に憧れているものを目指した上で、認めた上で、見抜いた上で、 もうちょっとそれを自分にとって納得できる形で新しく関係性を結ぶって、 それしかない。難しいけど、そうしかないっていうことなんですね。 # 終わりのあいさつ さて、今日も長い時間お聞きいただきました。 誠にありがとうございました。 どうぞ良い一日をお過ごしください。 もっと見る #執着の手放し方 #物を手放す #心を思い通りにすることはできない #関係性を結び直す 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:101.初めのあいさつ03:332.物との関係を手がかりに考えると07:083.手放すのではなく、より良い関係性を結び直す00:114.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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