TOPライフスタイルメンタル・心理学禅僧と考える...日々の暮らしから人生まで#607 禅問答の意味とは?③~夢窓国師『夢中問答集』を読む(37)「祖意」(続)13:05 7月16日 253再生 問題を報告する 再生する シェアする 引き続き、「祖意」を通して禅問答への向き合い方を考えます。AI目次「意味」の深層:情報と納得の隔たり心の奥底にある「安心」の探求神光慧可、命を捧げる覚悟の真意儚い人生、納得して生きる道とは気づきを言葉で掴み直す禅の道AI文字起こし(β版) # 初めのあいさつ おはようございます。山梨県の甲州市、武田信玄公の母大寺、エリンジの留職を務めております。古川周券と申します。今日もどうぞよろしくお願いいたします。 # 「安心」は得られたか? 今日は、「全問答の意味とは?」の3回目になります。 引き続き、無双国主の無中問答集を読む第37章。 今日は前回に引き継いでですね、創意というところの続きを拝読いたします。 なんで全問答をやるのかって。 問答というのは、何らかの意味を探るわけですね。 何らかの意味を求めて、何かを分かろうと思って、こうやるわけです。 でも普通、意味が分かるという時には、理屈が分かる。 文章の意味が分かるみたいに、理屈が分かる。 言葉の背景にある意図が分かるということですよね。 それは、全ての意図は、私たちが情報と呼んでいるもの。 情報というものに全部置き換えることができるというのが、今の世間の、社会の基本的な考え方です。 だけども、そんな風にして、世界で起きる出来事を様々な形で、理屈で説明して、論理で説明して、言葉で説明して、概念で説明して、 それを組み合わせて、色々な形で有益な形で世界とコミットする、関わる世界を変えていって、色々なことをする。 人間関係を、例えば、うまく会社経営をしてみたり、うまく法律やルールを作ったり、社会をうまくマネジメントしたり、 あるいは、自然と向き合って自然を観察して、自然から有益なもの、成分を抽出できて、薬につかり、大村先生みたいな仕事ですね。 スペースシャトルを作ったり、あるいは携帯電話を作ったりいって、すべて、情報という世界の出来事ということも取れます。 だけども、情報という世界の中で、答えが見つからないものがある。 出来事の説明はできるけど、それを私たち自身が受け入れることができない。納得できない。 私たちはそれを意味がわからないと言うんですよ。 理屈でわかることだけが意味じゃないんですよね。意味がわかるということは、どこかで腹落ちする、納得するということも意味ということの中に、私たちは使っているんですね。 普通、意味がわかりますかというときには、論理的なつながりがわかっていますか。 あるいは、みんなが共有すべきような内容が、論理的理解できていますかという意味で使いますね。 でも、それだけじゃないんです。意味ということを言うときには、とってもプライベートな場合がありますよね。 それこそ、本当に理不尽なみにあったときに、意味がわからない。私たちがつい言葉を漏らすように、納得できない。受け入れることができない。 そういう場合がありますよね。 特に、命の儚さに直面したり、自分の無力さに直面したり。 理不尽なみにあったり、不合意なみにあったり。 不安とか、絶望とか、苦しみとか、悩みとか、悲しみとかって、触られたときに、自分がそれを受け入れることができるか。 嬉しいもの、楽しいもの、幸せなものは、簡単に受け入れられます。 だけど、受け入れがたいものは、多くは、人間の優減性に由来するんですね。 どうしても受け入れることができない。人間の命は儚いことがわかっている。いつか自分が来ることがわかっている。 それでも、なぜ今なのか、なぜここなのか、そういうことも含めて、受け入れることができないときに、私たちは意味がわからない。 だから、ここで、「い」って言っているところ、あるいは、「そい」って言っているところ、 妄想国師がここで意味っていうことで一貫しておっしゃっていることは、そういうところを指しています。 それは、科学的な解決もできない、技術的な解決ができない、論理的な解決ができない。 自分自身がその出来事と向き合って、そしてその中で、いろんなチャレンジをしながら、自分自身を変えていって、 いつか、ちゃんと納得できるように、ちゃんと和解できなきゃいけないんですね。 ちゃんと受け入れることができるような関係性と、上書きしていかなきゃならない。 関係性を結び直しなきゃならない。 そのためには、それまでの自分の考え方、感じ方が、いっぺんにガラッと変わらなきゃならない。 会心が起きなきゃならない。 で、どうしたら、その会心が起きるのか。 どうしたら、その意味を受け入れられることができるようになるのか。 それが意味だ、という話をしました。 全身全霊で向き合って、ぶつかって、全身全霊でぶつき合って、全身全霊で、そうだ、と受け入れるようになることが、意味が分かること。 それを、本来の面目、出見の本懐、とも言いましたね。 それが分かんないうちは、なんとなくぼんやり雰囲気や、イメージで生きていて、ぼんやり死んでいく。 それは夢でしかないから、そこから覚めろ、という話も前回しましたね。 じゃあ、そうじゃない言い方は、自分で命を捧げるものがありますか。 人生をかけてやるものがありますか。 人生を捧げるようなものがありますか。 自分がどうなってもいい、これが一番大事なんだ、というものが、ちゃんと見つかっていますか。 これがちゃんとあれば、一挙一動が整えますよね。 うまくいかない時、不安な時、苦しい時、あるかもしれない。 苦しいかもしれないけど、命をかけて、命を捧げるものがあれば、一挙一動が整ってきますよね。 つらいけど、整っていく。 でも、ここに命をかけるもの、命を捧げるものがなかったら、迷うしかないですよね。 そういうものが見つかったとしても、トレーニングが足りないと、どうしても都合のいいところに、心がフラフラといく。 だから、覚悟をちゃんと固めるためにも、修行を続けなければならない。 一生、修行しなければならない。 禅論道にたくさん数がある。1500とか2000とか3000とかって言われますけど、なぜあるかというと、 実は本当は、その戒心が行われば、それで終わるんですが、 お坊さんというのは、一緒に修行しながらやっていく時に、ある意味では、心のプロとして、心のリーダーとして振る舞わなければならない時に、 いろんな人の悟りや、いろんな人の気づきや、いろんな人の悩みの物語をたくさん知っておいて、 相手にふさわしい応対ができるようになるために、そのためにたくさんの禅論道を学ぶんですね。 たくさんのお経を学ぶのも、いろんな解き方、いろんな救われ方があるから、それをたくさん知っておいた方が、 共に生きて、共に助け合う時に、知識があった方が、入り口の差し示しがしやすいから、だからたくさん、禅論道を学ぶ。 でも、自分自身にとって大事なものは、ズバリと、ズバリと気づくことですよね。 でも、リーダーは、たくさんの物語、たくさんの縁、ご縁を知っている人がある。 で、じゃあ、お坊さんとしてそういう立場になるんじゃなかったら、自分の人生とだけひたすら向き合えばいい。 命をかけて生き物がいい。 さあ、でも大事なことは何か。そういうものを捕まえたら、それで救われるかというと、そうではない。 人間って迷う生き物ですね。捕まえた後、それをしっかり意識して捕まえて、 そして、それを捕まえたものを自分で言葉にして、そしてなおかつその言葉を見失わないようにして、一生たまっておく必要があるんです。 その時には言葉が必要なんですよ。 分かんない時に言葉に頼るのはダメですよ。迷うだけだから。 でも分かった上で、それを見失わないために言葉にして、掴んで、一生それを掴んで歩き続けていくって、それが大事ですね。 禅語と呼ばれるのは、そういうものです。 杖言葉と松原大臣先生がおっしゃっていたけど、杖言葉を見つけることですね。 さあ、ここで一番大事なのは何か。 それは、要するに安心があるかどうかということですよね。 その命を懸けるもの、命を捧げるものが見つかって、我が物となったらどこが変わるか。 その瞬間に心に安心がある。 いろんな辛いこと、悲しいこと、不安なことがいっぱいあっても、心の奥底に何らしかの安心感がある。 それは、そういったものを掴みつつある。掴めている。 そういう証なんですね。 とても象徴的な出来事。 禅習の始まりは、鳴馬大使のところに、神光絵家という人が入門します。 この人は、心が不安でたまりません。どうかを導きよ。 結果的に得たものは、安心だったんですよ。 この安心というものが、禅の始まり。 つまり、今お話しているように、命を懸けるもの、命を捧げるものが見つかった。 そこでどこにも分けるか。 それは、大きな安心があるかどうかということになるんですね。 # 達磨太子とその弟子・神光慧可の物語 このジンコウイカという人とダルマ大師の悟りのきっかけって、とても意味深いものがあるんですね。 このジンコウイカという人は、修行しても修行しても不安がとらない。 苦しくて苦しくて、で、まあいいやってぼんやりしてたら、ほんで終わったんですよ。 でもなんとなく生きていけるはずですよ。ぼんやりでもいいやって、いい加減にごまかしてたら、なんとなく不安ながらそれなりに生きてたはずですよ。 でも、このジンコウイカという人は、いい加減にしなかったんですね。 夢から覚めなきゃならないって。 それでもう徹底的に死を求めて、死傷を求めて、死を求めて、死を求めて、ずっと歩き続けていって、ダルマ大師に出会って。 で、全身全霊でダルマ大師にぶつかっていって、で、初めて安心がいた。 でもダルマ大師に入門するときには、全然ダルマ大師がそのジンコウイカという人の覚悟を認めてくれなかったから、 自分の腕を切って差し出したって、雪が血に染まったって言われてますけど、 まあこの物語が本当かどうか、それは色々言われてますが、それはあまり意味がないんですね。 本当かどうかなんかどうでもいいんです。 そうじゃなくて大事なことは、その腕を切ることができるぐらい、ジンコウという人は、この安心を得るっていうの? 不安をなんとかしたいっていう道に、自分の人生を捧げてたんですよ。 美味しいもの食べたい、楽をしたい、のんびりしたいっていうのに負けていたら、もう不安であってもなんとかなったんですよね。 不安をごまかしてごまかして、自分に嘘をついて、ごまかしながらふわふわ夢のように生きてたら、 わざわざダルマ大師のところまで行って、腕を切断しながらならなかったら済んだんですよ。 でも、ダルマ大師のところまで行って、修行を重ねて行って、腕を切っても切断してもいいぐらいのつもりで、 もう人生を投げ出して、楽とか損とか得とか関係ないんですよね。 そこまで、このジンコウイカという人は準備ができていたんですね。 で、問答が始まる。 さあ、実はこの問答、ダルマ大師は最後の瞬間に、このジンコウという弟子に気づかせるんですけれども、 本当はジンコウという人は、もう命を捧げるものがあるんですね。 命を捧げてここまで来たんですよ。迷いなくひたすら、もちろん本人にとっては苦しいだけだったんですよ。苦しいだけだったんだけど、 迷いなくひたすら、命を捨ててもいいからのつもりでやる、修行の道筋がすでにあったんです。 ダルマ大師はその準備ができている。覚悟が固まっている。自分を捨ててもいい。 自分を捧げるべきものがちゃんと見つかっていて、ぶれない人間だということを見届けたからこそ、 お前が命を捧げているものを見ろと言っただけなんですよ。 お前自分で不安だと言うけど、お前には命を捧げるものがある。命を捧げるものがあるじゃないかと。 それを見てみろと言っただけなんです。 で、はっとそれに気づく。 実は楽になりたいと思って道を求めているうちは、楽になりたいというフィルターでしか、物語は見れないですね。 でも本当に大事な道は楽な道ではないかもしれないんです。だって命ですから。 命って儚くて脆いんですよ。苦しいのが当たり前。迷うのが当たり前。不安なのが当たり前なんですよ。 不安で苦しくて迷う中でどうやって生きていくか。どうやって納得して生きていくか。 どうやって核を固めて最後に感謝できるか。そこがポイントです。 だから楽になるという結論を見てたら最初からもう楽になるべく人間なんてなってないですよね。 儚くて脆くて無力で愚かですよ。そんなものが楽に円満にいけるはずがあると思うのかって。 人間のあるいは自分の愚かさに対する自覚がちゃんとあればそうはならないですよね。 そんなわけでこの人工異化という人は自分を捧げても大事になるもの、自分をより超えたもの、自分を捧げるものがあったんだけど だから安心できて帰ったらそうじゃない。その次もう一歩ですよ。さっきお話ししましたように。 それを自分で意識して掴み直して始めて本当の安心が得られる。 ここは言葉が要るんです。ここは学びが要るんですね。 最初から学びから入ったら人の言ってることに振り回されて終わっちゃうんです。 だから一旦は言葉を忘れちゃいけない。 だから自分で気づいたものを見失ったりしないために、自分自身を冷静的に掴み直すために言葉は大事です。 ここでもう一度言葉が蘇ってきて、自分が物語に見ているもの、自分が体当たりでぶつかっているもの、 それは何ものかということを言葉とともにそれを見届ける。 それが禅の道なんですね。禅門論というのはそういうことです。 不利を文字と言いながら禅門論の語録がたくさんあるじゃないか。 喋るなと言いながらやたらめたら喋ってるじゃないか。この矛盾は? それは今言った経緯があるんですね。 プロセスによって言葉の扱いや向き合い方は変わるということです。 禅というのはそういうものを師匠と弟子の二次三脚で築いていくということなんですね。 ちょっと難しい話でした。 # 終わりのあいさつ さて、今日もお聞きいただきまして、誠にありがとうございました。 どうぞ、良い一日をお過ごしください。 もっと見る #夢窓国師 #夢中問答集 #夢中問答集を読む #祖意 #禅問答の意味とは 禅僧と考える...日々の暮らしから人生までプレミアム放送配信中!00:141.初めのあいさつ07:442.「安心」は得られたか?04:593.達磨太子とその弟子・神光慧可の物語00:084.終わりのあいさつコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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#639 AIの衝撃の大きさを受け止める① 14分・9月10日・ 132再生AI目次AI開発の原動力、IBMの熱狂人間の夢を映すAIという存在Watsonの誤答が示すAIの未来AIの冷静さと人間の情熱の対比AIにできない人間の情熱の真価
#638 辛い思いをして修行をしても、無駄になってしまうのではないか?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(47)「円満具足の本分」① 13分・9月9日・ 209再生AI目次厳しい修行と拭えない心の疑問成果主義がもたらす仏道への誤解誰もが持つ「円満具足」の真の姿他人との比較を超える喜びの源泉理屈抜きに「良い」と味わう体験
#637 どこまでも己にとって返す~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」② 13分・9月8日・ 148再生AI目次他人の是非を越え自己へ帰れ徹頭徹尾「自分のため」の修行「自他」の区別以前の自分を掴む「お前は何者か」という深遠な問い途方に暮れる悩み、悟りへの一歩
#636 他人の是非を口にする前に~夢窓国師『夢中問答集』を読む(46)「是非の念と大悟」① 16分・9月7日・ 189再生AI目次他人の是非に悩む心の現実修行者への唯一の指摘「一両剣」他者の評価が示す自身の未熟さ自己向上を促す「良い点を見る」教え他人の言動が示す自己の内面とは
#635 禅の物語~葉落ちて根に帰す 六祖慧能大師(其の五) 14分・9月3日・ 205再生AI目次禅の革命者 六祖慧能大師とは仏を見出す鍵 自身の衆生を知れ葉落ちて根に帰す 慧能の死生観形式を排した最期の教えの真意言葉を超えた慧能禅の遺志とは
#634 一切を棄てるとは?~夢窓国師『夢中問答集』を読む(45)「悟入」 14分・9月2日・ 212再生AI目次心の捉えどころない性質消えない記憶と煩悩の根源「一切放下」が示す悟りの本質達磨大師が語る「心牆壁」不完全でも歩み続ける境地