TOPトーク教師📕言葉を整える、思考の時間#361 物語の授業ってなんで難しいの?with田鍋くん1:23:36 昨日 119再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次物語が難しいと感じる先生の共通点対話を生む教室づくりと教師の振る舞い子どもの考えるを引き出す発問の極意「打ちのめされる」言葉の深層理解とは物語の「魅力」を伝え合う難しき道AI文字起こし(β版) # おはようございます おはようございます。 言葉を整える思考の時間、パーソナリティの藤井海です。 この番組では教室で見つけた学びを出発点に、 仕事や子育て、日々のコミュニケーションにもつながる 考えるヒントをお届けしたいと思っております。 チャンネルのフォローやいいねもぜひよろしくお願いいたします。 # めっちゃ良かった おはようございます。10月4日、日曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。 さて、えーと、何ですか? えーと、阪神優勝おめでとうございまーす。そうそうそうそう。 ねー、アジアカップというか、アジア大会か。 あれはね、残念ながら日本は韓国に負けてしまいましたが、 阪神優勝ということで、えー、あんまりね、野球は、 まあ見ないんですけど正直、全然見ないんですけど、 はい、あの、阪神の優勝だけは喜んで、えー、なぜかというと、 上心で、えー、買い物をするのが安くなるからです。 はい、よろしくお願いします。ありがとうございます。ほんとにねー。 いやー、まあ良かったなと。えー、これで大阪がちょっと平和になるんでね。 いや、いいなと思いますが。 たぶんね、阪神優勝と、こう、犯罪のこう、数とかね、 たぶん関係性あるんちゃうかな? ね、えー、知りませんが。 さあ、そんな話ですね。えーと、昨日の晩にですね、えーと、 30分間だけ、えー、田辺くんとお話をしました。 はい、えーと、もともとはですね、Xのポストで田辺くんが、 まあなんか授業楽しいってずっと言ってたから聞いてみたかったんですけど、 その話とは違うところで、なんか、物語難しいみたいな話をしてたんですよね。 で、物語の授業が難しいっていうのは、まあ小学校の先生よくこう、話張るし、 僕も聞いてきたので、まあそこをちょっとこう、深掘ってみようというところで、 コメントしたのかな?で、まあ、やりましょうという話で。 まあちょっと僕がすっぽくしたりとかして、えー、昨日の夜になってしまったんですけど、 はい、30分と言いながら300%話している、そんな時間です。 えーと、結論をね、ちょっとここでお伝えしておくと、えーと、 まあ物語は難しいよねと、難しいし、物語の授業を、うーんと、 まあ、なんでしょう、雑に言うと、しっかりとした授業にするには、 あまりにも先生に求めることが多いよねっていう。 で、指導書通り言っとっても、うーん、無理よねっていう結果でした。 でも、その中で大事なこととか、まあ、そもそもね、僕が深掘りしたい部分とか、 あと、授業の中で、やっぱりここは丁寧にしたいよね、言葉を丁寧に扱いたいよね、 みたいなところも、だなべ君と喋りながら、でも難しいよねっていうことをずっと喋っています。 はい。っていうので、ぜひ聞いていただければなと思います。 はい。ということで、えーと、一番最後のね、まあ1時間半喋っておりますので、 2倍速をお勧めしますが、一番最後、どんな形で終わるのか、 結末をお楽しみにということで、よろしくお願いします。 # 田鍋くんと土夜の国語話 さあ、阪神優勝おめでとうございまーす。 今日は阪神が優勝したというテーマで、たなべくんと放送をさせていただきます。 じゃあ、たなべくんよろしくお願いします。 アジアカップに残念やったっていうのは話じゃないの? それはちょっと… たぶんか。 うん、見てた。全部見てた。阪神優勝はさっきニュースでチラッと見た。 あ、そうか。 ということで、昨日はね、すいませんでした。 昨日帰りなんか撮ってたみたいな。 いや、そうなの。収録はしてへんけど、帰り道Voicyバージョンを珍しくやってて。 うんうんうん。 いや、そこにホンマは登場する予定やったんかな?分かれへんけど。 昨日もね、言うてたけど、僕が寝落ちしましてね、昨日はね。 うんうんうん。 まあ最近ね、ちょっと忙しいからね、みなさん。 忙しい?忙しいっていうか、寝るタイミングが難しなった。 夜全然ミーティングしてないだからホンマに。 忙しいね。 息子が寝えへんようになった。より寝えへんようになったし、 より自我が芽生えてきたから、3歳と9歳はめんどくさいね。 ああ、そうか。 この組み合わせが。 お姉ちゃんの方が今2年生? 長2。 お姉ちゃんも寝ない? 寝ないね。 なんか別に、うだうだしてるだけで早寝えんやっていう。 自分で寝れるようになれよっていう感じやけど。 ああ、なるほどなるほど。 でも、3歳は一生、いやいや期の最盛期やからな。 ああ、ね。 まあまあまあ、そんなもんやと思いながら。 そうですね、はい。 そう、ということで。 いや、そりゃこれを、なんか久しぶりに頼んでくると、そんなことないな。 そんなこと、まあちょこちょこしてるけど。 まあでも久しぶりですよ、久しぶり。 そうそう。 今日のたまたまその、なんや、えっと、ボイシーじゃないか、Xか。 Xで、えっと、物語の授業が難しいみたいな先生多いよねっていう話やね。 そうそうそうそう。 まあそれに、なんでなんっていう話をしたところからやけど、どうしよっかな。 まあ早速本題に行くのもあれやけど、え、どうなん? 最近国語もそうやけど、授業楽しいみたいな、永遠コスチューム。 そうなんですよ。めっちゃ授業楽しい。 パフォーマンス?パフォーマンス? え? パフォーマンス? いやいや、事実事実。僕は子供の事実からしか語りませんから。 あー素晴らしい。 いやでも、マジで、マジでね、今年、去年もめちゃくちゃよくて、 で、そのコラボ、まあ当然クラス外はあったとはいえ、持ち上がっててっていうのもあると思うんですけど。 2クラス?3クラス? 3クラス。 やけど、なんかね、もうハマってるというか。 うんうんうん。 ハマってるんですよね。 それさ、まあハマってる楽しいもんさえけどさ、ちょっと言語化するとそこはなんなん? ハマってるっていう感覚は何なん? あーとね、うーん。 自分の授業を、自分の設計した考えてた授業が、別にレール引いてるわけとかそういう意味じゃなく、ちゃんと子供たちに伝わってるなみたいな感じ? そう、えっと、超端的に言うならば、学ぶ土壌がめっちゃ輝かされてる。 もう端的じゃない? 端的じゃないな。 でももう、すごいカーブしたよな。進化ぐらいだった。 まあでも、そやな。 感謝優勝おめでとうございます。 あのー、あんまり、あんまりこういう話とか、意識してるとかはあんまり言ってへんけど、学びの共同体。 はいはいはい。 ね、近い。 クラブは。 研究所の先生ね。 うん。 それは何? 意識して、子供たちにそういうふうには言ってないけど、そうなってきてる。 そういうか、そうさせようとは思ってる。 えっとね、この辺も、実は去年までの校内研が、それこそ学びの共同体とか佐藤学生先生とかの話とかは出てないんだけれども、 その研究所の先生が、そこの教えのもとで結構困難校を立て直してきやがった先生が移動してきやがって、その先生主導のもと、校内研が。 だからそういう感じだったんですよ。 子供がグループでとかペアでとか、ジャンプの課題を設定して子供らが学び合うとか。 教師も必ず全員公開授業、1年間の中でやってるか、年間で30回ぐらい公開授業があるんですけど、それの事前研と事後研もきっちりやるっていうような感じのことをずっと進めてて。 僕自身の授業の形とかも、子供同士がどんな教材とか授業のネタを放り込んでも、子供らが学び合うっていうような、そういう感じでやってるんですよね。 それが、今再生域を迎えてるって感じです。 学びの共同体とか、どんなものを掘り込んでも子供らが学び合うみたいなんて。 学びの共同体は、もともとの大田自治体の中でもむちゃくちゃずっと研究し続けてる学校があったから、割と勉強はしてたんやけど。 どんな教材、国語ちょっと例に出してあげてみたときに、学び合うってさ、ちょっと雑に聞いてみていい?あえて。知ってるからこそちょっと雑に聞くけど。 学び合うって、よくそういうテーマをさ、学校とかで掲げてる学校行ったりとか、研修テーマとかそういうのであったときに。 学び合ってる姿って何ですかって、具体で言うと割と違う先生が多いんだけど。 学び合ってる姿って、いま実現できてるというか、いま田辺くんがそうなってるって言ってる、その実際のクラスの学び合ってるって何なの? あとね、2つ。これは端的に言います。端的に2つで。 端的に言ったらハードル上がるけどね。 一つは聞くことができてるか、人の話を。もう一つはわからないが言えるか。この2つですね。 聞くことができているか、わからないが言えているか。 もうちょっと細分化すると、聞くも、これは前の僕が出した本の中にも書いてたんですけど、いわゆる耳の聞くね。 目と心と耳で聞くの、あの聞くと。 あとは、尋ねる方。文弁にQみたいなやつの聞くね。 あの3つの聞くがちゃんとできてるかどうか。授業の中で子どもらが使い分けられてるか。 なんかその辺が、その辺結構割と徹底してたんですよ。学級経営の中でも。 その辺徹底した結果、グループにしたときに、例えば一つ問いを子どもたちに。 最近、飛鳥さんも尋ね人の話を出してくれているから、このその尋ね人の物語の話で言ったらば、 この物語の中で最も登場人物の心情が、気持ちが大きく変わった場面はどこだろうという問いをポンテが投げたんですけど、 それについて、とにかく子どもがずっと喋ってるんですよね。 ずっと喋ってて。分からん子は分からんって言って、周りの話を聞いてるし。 で、自分の考えを述べてる子も、聞いてる子も自分と比べながら聞いてて。 で、ちょっと不倫おちひんところとか、すっこみポイントがあったら、その子に聞くんですよね、それを。 っていうのが、それぞれのグループで同時多発的に起こってるみたいな。 っていう感じ。 その分からないが言えてるっていうのは、要は菊の中の3種類のうちの1つに入ってるってことだよね。 3つ目に近いですね。 要は菊がベースの授業というか、作り方っていうところで考えたら、 分からないが言えるかどうかって、 前これ、俺が自分の本の方での田辺くんにインタビューしたやつでも言ってたと思うけど、 まあもちろん、何しにできない安全性みたいなももちろんそうだと思うけど、 発言したらほらリアクションをするみたいなね、田辺くんがずっと言ってくれてたやんか。 そんなんも伝わってくるから、その辺もつながってるんやなとは思うんやけど。 分からないが言えてたら、菊のうちの3つ目はそこやとして、 あと2つの菊は具体的に言うとどういう風なの?その尋ね人のその瞬間で言うと。 1つ目の耳の菊の方は単純に指示ですよね。 教師の話を聞いてるってまさにそういう感じだと思います。 指示を聞くことができる。 今何問われたんかとか、これからやることなんなんかとかっていうのを聞いてて、 子供が話し始めたり何か書き始めたり行動にとっかかるきっかけの菊ですよね。 2つ目の菊が、子供同士が話し合いを始めたときに真摯にちゃんと目の前に座ってる子の話を聞けてるか。 ここは100%では全然ないし、 ながら劇をしてる子もやっぱりいるし、聞けてない子も多分いる、見とれてはないけど。 パフォーマンスだけで聞いてるふりしてて、全然内容を理解できてないとこもあるかもしれへんけど。 でもそれでも相手の言おうとしてることをちゃんと理解しようと思って聞いてる。 話すの方は、学び合いのその学級の中ではどういうふうにつながってくるの、そこでいうと。 先生の指示で聞けてるよねって、多分学び合いとは直接関係ないと思うんだよな。 土壌を作るっていうのはもちろん大事だから、前提としては分かってるとして。 友達の話を聞く、目の前の子の話をちゃんとうがってみたりとか、 そういうふうに者に構えてみたりとか、最初から脳を言う前提で聞いてないみたいな、そういうふうな聞くができていたとして。 分からんが言えるのは分からんでいいとして、その分からん子が他の人の行動を聞いて、 そうなんや、へーって言って、自分のものにしていくとか、分からんところをちょっとでも分かるようにしていくがいいとして。 自分の意見を持ってる子たち同士は喋ってるわけやんか。 そこでの話すの方、言い方とか言い合いとか、話し合いたいわみたいなところってどうなってるの? どんな感じなん? わーって言いやってて、でもさ、でもさのタイプなのか。 それもいいよね、それもいいよねっていうのが乗せ方なのか。 どっちかというと後者ですね。あ、なるほどって、一回みんな受け止めるって感じ。 なんか戦わせて、より深めていくっていうよりかは、そういう授業をするときもあるけど、 基本的に、基本は、ちゃんと相手が言って、あ、確かになーって、ちょっと自分は違うかもなーとか、 あ、確かになー、うちも結構似てるんよーとか、って感じですね。 今何年生だっけ、それ言うてるの。 5年。 5年生だな、タズネビドって。 今の本では書き聞いてないんやけど、なんかその、そうやって対話の機会を設けてんのに全然子供らが対話しないんですっていう相談も多くて。 なんか例えば、学び合いをテーマにしてますとか、国語の授業で対話をテーマにしててとか、 対話的な学びを実現するための授業みたいな感じでやってるんですけど、みたいな。 で、だからこう、意見交換の機会は絶対作っててーとか、言語活動は一日、あの一授業で一回は入れましょうみたいなとかやっててーみたいなって聞くけど、 対話、その時間をとってんのに子供らがなかなか話し出さなくてーとかって言ってんねんけど、 まあその、わからんもそうやけど、そもそも対話とかそうやってやってる、 田中くんのそういうのの大前提、子供らが多分ちゃんと知識があるよね。 その、読んでるものに対して、感じ取ることができるだけの知識とか、感じ取ることができるだけの読みの経験とか。 あーそうですね。話すための材料とかは揃えてます。揃えますね、絶対。 うーん、いやそれがさ、どうなんやろっていう難しさがさ、その、 まあわからん子が多いみたいな、地域柄とかそういうのはちょっと一旦置いといたとして、 まあわからん子は一定おるし、わかる子は一定おるし、 読んでる中でその、対話するためにはっていうかまあ、じゃあ今考えたことをお互い話し合ってみましょうみたいな雑な指示でも、 子供らが動いてくれるとすれば、なんかこうしっかりそこに向けて読めてなあかんやんか、まずは。 読めてなあかんし、読んでる中で何を今話さないといけないのかとか、 話さないといけないとか話そうとしているのかとか、どういったことに自分の考えっていうものを載せることができるのかみたいな、 その読みの経験ってすごい大事やと思うんやんな。 大事。 で、いやその読み物語の指導につながっていくと思うんやけど、結局そういうふうにこう、 うーん、まあ初読の感想、初発の感想みたいなのを言い合うときとか書くときにも、 その、そもそも型を教えてないこともすごい多いなと思ってて。 うんうんうんうんうん。 なんか読みの方略とかまあいろんな言い方はあるけどさ、それこそXの中であの、 千葉先生って沼さんってあのずっとこう、まあやろな、いろいろな好きであの話絡んでる先生もいるんやけど、 その先生とか読みの技とかの、そういうふうにこう、 マンタロウさんのほら算数の実践、カード実践みたいな感じで技化してるみたいな、ああいうのとかいろいろあったりすると思うんやけど、 そのものに対しての読み方とか読んだときの意見の持ち方みたいなその、 型をどんだけ言ってるんやろっていうのがすごく気になってて、 そんなんで田中君の教室だったらどうなの? まあ今場所送ってくれたのもちょっとそれぞれ見ながらね。 物語ですよね。 うーん、物語。 うーんと、なにやろな、型っていうほど、なにやろな、 カチカチに僕は物語読むときに固めてるわけではないんだけれども、 まず絶対物語やるときに、まずこれは子供のそういう対話を促す、 それこそ知識とか読みの前提を揃えるっていう意味で、 おじいさん送らせてもらったバージョンのXチャートのやつやけど、 Xチャート使って絶対物語の設定とか、中心人物誰なんとか、 脇役、一番中心人物に影響を与えた人物は誰なんとか、 物語にもよるけど、今回たずね人だったら、 場所がどんどん変わっていくんですよ。 家の中で、駅のコーナー、家、夢の中に一回入って、 実際広島に行って、広島でも資料館行ったり供養棟行ったり、 いろんな原爆ドーム行ったりっていうような変遷を行って、 最後また川土手で、同じ川の景色。 ちょっと川の景色の表現が違うから、 まだそこも対比で話し合わせようとは思ってるんやけど、 そういうふうに流れてってるっていう。 それぞれの場所で見たもの、どんなものを中心人物、 今回やった楠木綾っていうのが中心人物なんだけど、 何を目の当たりにしていったのかっていうのをしっかり揃えて、 ちゃんとみんなが、このお話ってどういうお話っていうのが、 あらすじがシャラシャラシャラシャラと言える状態は絶対作る。 なんかさ、ちょっと雑に言うけど、 これってさ、でも全先生絶対やらなあかんことじゃない? そう。そうやと思う。 ほとんどの先生が、あえてちょっと主語を聞くけど、 やってると思うんだ。 別にその細かさとかさ、そこに対するテクニックはあると思うんで、もちろん。 だからその、楠木くんが使ってるように、 例えばXチャートでみたいなのをずっとこれまでしてて、 物語を読むときにはこの方法で読むんだっていうのもめっちゃ大事だと思う。 だからそれって、書読の感想の後に、 じゃあはいいつも通りやってみようでできるようになるのかとか、 そういうのはすごい読みの方略として大事やから、 そういうのはもちろん経験として絶対あると思うんだけど、 とはいえさ、それが初発のときに自分でできるかっていうのと、 じゃあこれを初発でできへんかったとしても、 先生と一緒に、授業でみんなと一緒に、 理解した後にやるのとやったら、まあどっちでもええわけやん。 要は自力でここにたどり着いた。 自力でこれを、今回のこの物語の基盤となるものを全部把握することができて、 あらすじ避けて、あらすじをある程度しゃべれるようになるっていうのは、 授業を通して、一斉授業だろうがなんだろうが、 授業を通して、たとえば2、3時間使ったとしても、 1時間で自分一人でやったとしても、理解したっていうのは一緒なわけやんか。 で、さっきのって前に言った、その後の活動になるわけやん。 さっきの先生しゃべらせるのってこと? そうそうそう、この途中もあると思うよ。 けどさ、要は深めていくところって、この後のところにも、 さっきの話で言うとさ、これを持った上でっていう話やんか。 まさにまさに。 ってなったらさ、もう一回戻るけど、全先生がしてるはずやん。 なのになぜできない教室があるの? あー、うんうんうん。 今のさっきのざなべくんの前提やったら、 これがあるから、まあ前提ってか、俺が作った前提やけどな。 知識が必要よねと。 だから、じゃあこれって何でだろうって言うときに、 何でだろうとか、これに対してはどう思う?って言うときに自分の意見が持てる。 で、この前提基盤があれば、全員同じ基盤を持ってるわけやから、話せるはずやん。 けど、話せない教室があるわけやん、実際。 それって何が違うの?って。 これね、今藤井さんがまさに表現した、話せない教室があるっていうところが絶妙やと思ってるんですけど、 話せない子がいるんじゃなくて話せない教室がある。 ちょっと、さっき言わんといて。 いや、これですよね。これに尽きるなと思ってて。 あー腹立つ。 おもろい、おもろいわ。 そういうことやろう。 僕の今回のタズネミトで5時間ぐらいやったんですけど、 この実践が成り立つのは僕の教室でしかないんですよ。 あるいは、今年の5年生やったらどの教室でもある程度同じ形は僕はできる自信があるけど。 でもこれが、例えば全く受け持ったことのない学年を4月から担任し始めて、 その学年にもよるけど、その学年がどういう学びをこれまで積み重ねてきたかとかにもよったりするやろうけど、 やっぱり国語の話じゃないと思いますね、それは、僕は。 教室づくりの話? 教室づくりの話だと思う。 ちょっと国語の話に戻そうよ。 国語の話としてしゃべろう、そこを一旦。 じゃあここ国語の話でいくんやったら、まず先生の振る舞いとしてね。 先生の振る舞いとして、どれだけ子どもの読みとか、 たぶん4月とか5月って、対話が起こらない教室って今悩んでおられる先生のクラスでも、 4月、5月はもうちょっと対話が起こってると思うんですよ。 というか、子どもがしゃべってると思うんですよ。 逆にそうなんや。 これはある。この現象はあると思う。 それは教室を否定するとか、全くそういうわけではないんだけど、 現象として4月、5月は出る。 そっからより出るようになるか、あるいはあまり出なくなってくるようになるか。 僕は両方経験したことがあるからすごくわかるんですよ。 いろんな要因あると思うんですけど、 それは子どもの心の状態、心の発達段階が成長していって、 だんだん1年生みたいに手を挙げて発言せんくなるようになってくるのも当然やけど、 もう一個は教師が、国語の授業とかの話で言ったら、 教師が子どもの読みの、ある程度読みの正解を持ってしまってる状態で授業望んじゃうと、 先生、答え持ってるやろう。 どれだけ隠してても、先生の反応を見てたらなあ、みたいな。 あの子の発言、今の子が言われた発言のときに、 先生、やけに確かにだよね、みたいなこと言ってるよな。 他の発言のとき、ふーん、なるほど、しか言わへんよな、とか。 要は、先生のそのリアクションを子どもらが見極めるようになっちゃうってこと? うん。リアクション。 どっちかっていうと、子どものせいっていうよりは、 教師がどんだけ全ての子どもの発言を面白がれるかどうか。 それをでも見透かされたらあかんってこと? あー、見透かされたらあかん。 だから僕はね、あえて、今回のタズネミとかもそうで、物語とかまたにそうなんですけど、 こう読んでほしいって思いを持たずに、絶対に参加する。授業に。 ほー、でもそれだとさ、まあそうだよな。年数買ったらいけるか。 ああ、そうなんだ。そやな。その辺はある。その辺はある。 ああ、確かにね。 で、なんでそれができるかっていうと、 やっぱりその物語でも、たとえばタズネミだったら、 その狙いが物語の全体像を想像し、考えたことを伝え合おうっていう単元の目標なんですよね。 だから子どもがその物語をどう読もうといいんですよ。別に。 なるほど。上位目標がそこにあるってことか。 そうそうそう。 あくまで今回物語を読むっていうところの話だったら、物語の全体像を想像する。 だから、ちゃんと教科書の序述にすべて変えて、子どもが話をしていれば、 だから全然、どんどん離れていって、サイエンスフィクションみたいな、 根も葉もないような想像ばっかりしてたらあかんけど、 ちゃんと序述に変えて、ここから僕はこういうふうに考えたんだっていうことを話せてたら、 僕はどんなに読みでもいいんですよ。 そう考えたんだね。そう読んだよね。みんなどう思う?って言って。 私ちょっとちゃうわーとか。俺めっちゃその話、それ気づかなかったけど、思わんかったけど、でもそれはめっちゃ納得できたとか。 先生はそう読まんかったけど、でもそれ聞いてはーっと思ったわーっていうやり取りをひたすらしてるんですよね。 そこも、今あったらギリギリ抑えたけど、難しいなっていうか、先生によってやっぱり技量がいるよなっていうのが。 だからその、序述に戻ってくればどこまで広がってもっていうのも、 多分先生の中ではその枠組みとして持ってる必要はあるけど、 でもやっぱり解釈は自由だっていうのを、どう先生が捉えてるか、子供たちに言うのはもちろんダメだし、 それを解釈は自由っていうのを国語では本当に、もう最近本当になってるけど、 その自由進路学習を国語に取り入れようとしてる先生ほどそう言ってて、すごくやきもきするんだけど。 だから、最終的にずっと、本番に今あすかさんも言ってくれたけど、序述に変えるっていうか、根拠として本文を元にするっていうのは大前提必要。 だから本文で言ってないことはそれは、結局事実か解釈か感想かっていうところを自分が判断できれば、そこは大丈夫っていうのはもちろんそうだけども、 そこの塩梅が、多分難しいんだろうな。言語化も難しいしやっぱり。 どこまでが帰ってこれるレベルなのか。それを先生がやっぱり見取って判断しないと、 そのAくんが喋ってる中で、ああ、こうはそうだったんだねって言って、根拠はそこに本文持ってたんだねっていうのが、 Aくんと先生の中で成立してても、教室の中の他の子は絶対に本だまま序述に戻ってこれないよね。 そこをみんなはどう思うっていうところだけで返してしまうと、 そのみんなはの中の、俺はこう思った、私はこう思ったって言ってない子たちの中に戻ってこれてない、帰れてない子たちがいて、 結局後で振り返りとか、改めてどう思うみたいなときに突拍子もないことを書いて、いやいやちゃうやんっていうのが起こるみたいな。 これ割とよくあるアレだと思うんだけど。それはどう? そこの、例えば、僕はこういうふうに読みました。なぜなら本文にこう書いてあるからですっていう発言が全体発表で出てくるじゃないですか。 僕は、さっき藤井さんが言ったように、みんなはどう思うって言ったら返すんですよね。 返したときに、例えば発表した名前が、田辺くんの田辺くんのっていうことにしよう。 田辺くんが言ったことについて、グループで一人一言ずつ自分の解釈をつけて話してごらん。 解釈って言葉はあんまり使わないけど、「田辺くんは…?」っていう言葉に続いて、もう一回自分の言葉で言ったことを喋ってごらん。ってやるんですよ。 これは国語に限らずやけど。 そしたらみんな、田辺くんは、ここの本文のこういうところからこういうことを言おうとしてたんやと思う。っていうような話がちゃんと一人一人できたり。 これできん子もいるんですよね。できんときに支える子がいるんですよ、ちゃんとグループに。 ああ、それはいいね。 で、それがその子が言ったことが理解できてるような問いだったとしたら、 じゃあ自分はその、例えば田辺くんが言ったことに関してみんなはどう思う? みんなの、そういう読みもできるよね?なのか、それはちょっと違うんじゃない?なのか。っていうような、自分自身の考えも同じように喋らせる。 で、そのときにわからないがあってもいい。そこまで読めてへん。わからへん。何言ってるかわからへん。 で、グループでちゃんと喋らせた後に、話せた?それとも、わからんかった?何話したらいいかわからんかった?みたいな話も聞いて。 今の自分のクラスは、わからんが出るんですよ、全体で。 で、そう、わからん。ってか、顔見たらわかるし、何々したらどこがわかったって。 いや、わからんみたいな感じで、よう言うてくりやる子もいるんやけど。 そしたらどこがわからへん。どこまでわかって、私は今どこがわかってない。っていうようなことを言葉にしてくりやるから、 そしたら周りがあそこに、また別の子がそこに入ったりだとか。っていう感じ。伝わるかな。 わかるわかるわかる。 そのやっぱり、戻るけど教室づくりよね。それが例えばグループになった時に、グループみんなが全然気づけないみたいなところになったりとか、 それが続くとやっぱり、そのグループ難しくなってくるだろうし、他の子がその後に全体に戻った時に、今みたいにサポートしてくれても難しくなってくるから、 やっぱりその辺は楽器経営の大きい部分かなと思うけど、ちょっと話、最初のテーマに戻していって、そういうこともさ、今、自由進路とかそういったこととか、 そんなもう大前提、いろんな環境が変わってきてる中で、改めて田辺くんが言ってた、もうちょっと最初最後に戻していくけど、物語難しいっていうところ。田辺くん自身はどうなの?そもそも。 僕ね、この2年ぐらいですよ。物語が面白いって感じるようになった。それまで大嫌いでした。物語は。 それさ、ちょっと今あえて突っ込んでいい?物語難しいと物語大好きって面白いって、裏表ちゃうやんか。難しいけど面白いのか、どうなの? 難しいけど面白いが今。難しいし、面白いから好きが今。 じゃあ難しさは、今も昔も変わらん。 っていうのが一つと、今も昔も変わらんのなら、世間で一般の難しいって言ってる先生たちが感じている難しさと、田辺くんの難しさは一緒なのか違うのか。 それはね、僕が決めることではないかもしれへんけど。でも、たぶん僕は一般的に難しさを感じてた人やと思うから、それを言うなら……。 何を教えたらいいかわからん。 はいはいはい。 っていうのを一言で言うなら。 でもよく聞くよね、それは。物語って何を教えればいいのかわからんみたいな。 なんかさっき言ったような上位目標、単元目標は教科書にちゃんと書いてあるし、 手書きの教科書にも指導要領のここの要点を抑えるんですよって書いてあるし、わかるんだけど、それを読んでるこの姿、それを身につけたこの姿の具体があんま想像できんかったりだとか。 だから結果として音読させて、登場人物とかそういうのは捉えるんだけれど、 何を子供たちに問うたらいいのかもわからへんし、書いてあることを問うような質問。 質問みたいになっちゃってたり、発問、なんか広がりのない、すごいクローズドな、答えがわかるような問いしか、テストに出てくるような問いしか言えんような授業をしてたんですよね。 読み取りやな。読み取りの授業になってた。 なるほど。読み取りな。読み取りの授業じゃないものは何の授業? 読み取りの授業じゃないもの。 要は、読み取りの授業になってたがダメな授業というか、まだレベル2の授業だとしたら、それよりレベル高い授業になっていくと。 たずねびとやったら、全体像を想像して考えたことを伝え合おう。考えたことじゃないですよね、読み取りって。 読み取りとその間には何かあるん?読み取りの次がその田辺くんのところ? 子供が考えてないというか、考えてる時間を生み出しにくいかな。 でも読み取りって、要はあの最初に言ってたエクスチャートみたいなの。 物語の基盤となるような情報を読み取ることとか、登場人物の心情を読み取ることが読み取るやんか。 そこの部分って、それこそここにこう書いてあるからこう考えられるよね。だってこうだもんっていう一般論とか前提となるようなこととか、当たり前のようなことを読み取っていくことやんか。 それは書いてるからこういうふうに読める。Aさんは涙を流していましたって書いてあるから悲しいんだと思う。これがその登場人物の心情を読み取ることだとしたら、そこに田辺くんの次の考えてるってなったらどういうふうに入ってくる? 今のAさんは涙を流していました。に対して考えてるなってなるような続きが。読み取るは心情を読み取りましょう。やったらそうなってくるやんか。じゃあどう発問したら考えるに変わる? っていう、ちょっとさっき言うけど、っていうここの、多分田辺くんは答えれると思うんだけどね。今別にあえて考えてくれたと思うんだけど、そこのパターン連が先生になれへんねんってすごく思って。引き出しが。今のって、例えばAさんは涙を流していましたっていうところに、要は行間を読むが読み取るは無理なわけやん。行間を読むことは読み取りには入れへんから。 じゃあそこって何なのって言ったら、その前のAさんの行動描写とか情景描写とかっていうところをしっかりと読み取った上で、その情景描写とかの表現されている、要は象徴性とか、そういったものを前提知識として知っていて、それがここに書いてあるからこうだろうなって読み取っていて。 Aさんのこれまでの行動とか周りの人の反応とかっていうのを読み取った上で、じゃあ私ならここはなんでAさんが泣いたかっていうと、っていう風に一個先に考えられる。 でなったときに、じゃあその前提知識を持ってるけども、考えるに至る一つのステップのポイント?踏み台というか。ステップ上がれるためのポイントって何だろうっていうところやねんけど。 これはまさに今回たずね人で僕も狙ってやったところがあって。 ちょっと教科書の本文の話になるから、藤井さんも何のこっちゃかわからんかもしれないですけど。 いや知ってるよ、たずね人は。 くすのけあやが、心情が変わったって子どもらが取り上げたところに、 打ちのめされるような気持ちのまま資料館を出たっていう表現があるんですよね。 で、子どもは打ちのめされるような気持ちのままっていうと、子どもにここを説いたいとなったときに、僕必ず音読をさせてるんですけど、 次のね、また子どもたちにはここを考えさせたいっていうのはまだ出してない状態で、子どもらに読ませてるんですよ、音読を。 で、この打ちのめされるような気持ちのままって書いてるページの差し絵とかがあるから、全員がその差し絵のところ、打ちのめされるような気持ちのままっていうフレーズを音読したのを見取った段階で音読ストップして、 みんな打ちのめされるような気持ちのままって表現あったよねって。 これってこの前、誰かが言ってくれたことでもあったんだけど、ここって、どこから打ちのめされるような気持ちのまま、打ちのめされるような気持ちになったんだろうねみたいな。 何をもとにそうなったんだろうねってこういうふうにしてる。 だから要は、そこをちゃんと子ども全員が音読した、だから頭の中についさっきそこにちゃんと出会ってる、考えるところに出会ってる状態を担保してから飛ぶ。 っていうのをやりました。 打ちのめされる、今いいところすごく取ってくれたなって思ったんやけど、打ちのめされる、なんで綾は打ちのめされた気持ちになったんだろうやるな、要は。 でもそれは直接表現ではないんよな。 全部覚えてないからあれやけど、綾はものすごい写真を見た、その瞬間綾は打ちのめされた気分になった、ではないってことよね。 だから、資料館出た後に打ちのめされたって書いてある、ってことは資料館の中でのことがきっかけなんだろう。 じゃあ資料館の中のどこがきっかけなんだろうっていう思考回路をしっかりと子どもらが持っているから、まずは。 で、その思考回路がついさっきの話やから遡りやすいでしょっていう話やね。 そういうこと。 ああ、なるほど。 そうね、いや、なんかこういうのをやるたんびに、いろんな話出てくんねんけど、まず一つ目に、辞書の話は絶対、辞書的な意味は絶対喋るやん。 うん。 その打ちのめされるっていうのが、辞書で言うたら、そのままで言ったら多分肉体的とか精神的なダメージを受けるみたいな、立ち直れないようなダメージみたいな、多分そういう話で、じゃあ今回肉体的精神的って精神的なダメージだと。 じゃあ立ち直れないようなダメージを受けたってことは、どこにダメージを受けたのかっていうと心にダメージを受けたってなったときに、 打ちのめされるほどの経験がその子にあるかどうかってすごい大事だと思ってて。 ああ、なるほどね。 これが、そうそうそう。 だから、これが本当に昔の人はよくそういうふうに言ってて正解だったんだなって思うのが、国語の勉強、国語がよくなるためには、国語力がつくためにはどうしたらいいですかって、新聞読みましょう、本を読みましょうってずっと言い続けてたその人が正解やと思ってて。 要は打ちのめされたっていうのをどこかで本で読んでて、それを経験として持ってたら、自分が経験してなくてもその人のものの経験になってくるわけやんか。 新聞でそれを見ててもそうなるわけで。 だから文章として、もっと言うと俺らの世代で言っても、まだドラマを見てた世代やん。 もちろん。 だから、ドラマの中でそういう表現であっとったら、それがその時代を生きてた人たちのほとんどが、ほとんどって言ったらあれやけど、大多数が経験している、要はコンテンツとして打ちのめされたっていうような表現が、残ってる可能性もあるわけやん。 でも、今の時代のその子たち、もう生後とかでもそうやし、うちの小児の娘でもそうやけど、同じテレビ見てないし、同じYouTube見てないし、同じ経験してないし。 ってなった時に、打ちのめされたっていう経験とか、それに近しい状況がある内でかなり変わってくるっていうのが、中学校高校にいって紛失に出てて。 ってなったら、わかるよっていう、意味はわかるよって、すごい心に来るんやろ、みたいな。 でも、その度量、そのレベルがわかれへんとか、そんな経験ないとか、っていう風になってしまうと、たぶん子供ら文章の中では理解したとしても、たぶんそれが読み深める中での、自分の中での本物のその考えの中の一つに入ってけへんような気がしてて。 だからその辺ってすごい難しいなって思うよね。 確かに確かに。 ちょっと話ずれるけど、打ちのめされるを言ってくれたから。 そこに関わっていいですか。おっしゃるとおりで、打ちのめされるっていう実感を伴ってる子は、うちのクラスでも、おじいさんおっしゃるとおり、皆無やと思います。 なんだけど、この打ちのめされるような気持ちの問いを扱った時間の中に、もうあと2個表現を取り上げてたんですよ。 これ全部子供から出てきて、あやの心情が書かれてるところだったんですけど。 一つ目が、頭がクラクラしてきた。これは原爆資料館で。 あ、違う。原爆資料館じゃないわ。 資料館で原爆の被害を受けたお弁当箱とか、溶けてしまったガラス瓶とか、そういうのを見たときに頭がクラクラしてきた。 で、あやはこう感じてるんですよね。 で、その次に打ちのめされるような気持ちっていうのが、資料館を出た後にあやが感じてて。 で、実はさっきのなんで打ちのめされるような気持ちになったかって言ったら、14万人っていう数が死んじゃったとか、うちの学校の200倍の人数の人が死んだとかっていうのを知って、打ちのめされるような気持ちになってるんですよね。 で、さらにその後に、もう一つあやの気分で、気が遠くなりそうだったっていう表現があるんですよ。 これは、モニター記念館かどっかのモニターに、原爆で亡くなった子どもたちのいろんな顔がどんどんどんどん映っているモニターを見て、あやが気が遠くなりそうだったって感じてるわけなんですが、 うちのクラスのある子が、どれも、そこまでは聞いてへんけど、たぶん経験としてはそんな経験したことがない言葉だし、意味としては言葉でしか意味を理解してないんだけれども、それぞれのあやのショック度は、頭がクラクラしてきたより打ちのめされるようなほうが強くて、 それよりも気が遠くなりそうのほうが、より強くショックを受けてるって、その子が言ったんですよ。それ、みんなどう?って言ったら、あ、確かに。 だから、その打ちのめされるような気持ちっていう言葉を実感を伴ってなくとも、他の同じようなショックを受けた表現と比較することで、その強さ、度合いっていうものを想像することは子どもたちしてたんちゃうかなと思ってて。 そこのさ、なんでその順位づけなのっていうのは、根拠持ててるの?その子は。 あー。 いや、たぶんそこまではできへんはずやん。小学校でできへんっていうの大前提で。 そこも気になってしまう。どうしても。めっちゃいろんな視点は持ってて言ってるとして、授業の時間があるとか、どーでもいいとして。 だから、すごいいい考え方やんか。それでも考え方やと思うんやん。知らん子とかに出会ったときにその子が対処できる方法としてはすごくいい方法やと思う。 でもそれはあくまで読み取り方であって、そう読み取ったのであれば、解釈として何を根拠にそう解釈したの?っていうのはやっぱり気になるよね。 うん、たしかにたしかに。 合わせる時間はないし、それをやっとったらたぶん3、4倍時間かかると思うんだけど、授業のな。 やけど、それを同じようにみんなランキング付けしてみようよってなったときに、そんなせえへんけど、やったときに、じゃあおのおの知らん言葉に出会って、辞書も調べてないけど、たぶんこういう順番なんだろうっていうときに、やっぱり言葉を大事にできるかになってくると思うよね。 打ちのめされた気持ち? 頭がクラクラするか、打ちのめされるような気持ち。 気が遠くなるだろ?ってことは、名詞として頭、気、気持ちっていうのが出てきて、 で、動詞として、まあ動詞じゃないのもあるけど、打ちのめされる、遠くなる、クラクラするって、一応知ってるっぽい言葉では比較できるわけよ。 そのへんの、なんか丁寧に言葉を扱うみたいなの、経験はさせたいよね。 どっかのタイミングでそこまで深掘れてたらいいと思うねん。 毎時間これやっとったら、大学の変態やから、じゃあこれ今みたいな、俺みたいになってくるから。 でも、その丁寧に言葉を分解する経験を持ってると、たぶん子どもらは、一瞬でそこまではたどり着かれへんけど、先生のその意図は汲み取ってくれると思うよな。 確かに確かに。 気が遠くなる、頭がクラクラするっていうのも、頭がクラクラするだけは子どもらなんとなく、自分の行動とか頭で理解できそうな気がする。 頭がクラクラするって。で、そこでよくあるのが、そのほら、頭がクラクラするってさ、こういう時ない?って先生よくたぶんシチュエーション言うと思うねん。 ってなったら、子どもの中ではそのシチュエーションで固定されちゃうから、ほらなんか、何宿題やってるけど訳分かれへんってなった時に、ほらもうなんか、あー分からんってなるとき、あれ頭クラクラするって言うねんって言っちゃったりとか。 ってなった瞬間に、その子の中のレベルで頭がクラクラするが決まっちゃうから、その前に子どもにそこまで深掘りさせたいよ。 なるほどねー。深い。 頭と気って、頭って頭やろって、頭の中ってことやろって。気が遠くなるって、なかなか気ってすごいもうちょっとなんかこう、頭の中だけに収まらん感じするし、みたいな。 で、でも最後の気持ちってなった瞬間にすごく自分がその自分がその自分の気持ちを理解してる感じがするし、手触りとしてね。 だから、最後の最後出た瞬間にはいったん頭冷静になって打ちのめされた気分になってた気持ちになってた。 これは自分でしっかりと自分の気持ちを理解できてるけど、頭がクラクラするときは整理ついてないし、気が遠くなるってなった時にも気が遠くなってるんやから、どこから遠くなるのって言ったら自分の体から遠くなってるわけやから、それも整理できてない。 気が遠くなると頭がクラクラするは、史上下の中で起こってて、外に出た瞬間に気分気持ちの整理ができて、打ちのめされて気持ちになるっていう風に自分の具体に返ってくるみたいな。 それは絶対子供は理解できへんで。でもその辺が、小学生にどう伝えるのか俺は分からんけど、そういう経験が、俺は中学生にこのレベルで喋ってるんよ。 喋ってたんよ。でもまぁ分かってんのなんか、あれやで。それを一生やっとって、変態が移っていって気持ちのことは分かってんね、子供は。 そういう経験はさせたいなって思いながら、別に今回の物語の本質の話じゃないけど、ずれてるけど、そういうのも意識させたいなとは思うね。 なるほど。それはなんかいいっすね。僕は全然そこまでの視点とか全く持ってなかったし、逆に結構僕は言葉に、それこそ情景描写に着目しましょうとかっていうような狙いがあったら、ちゃんとそこはやろうかなと思うけど、 今回特別そういう狙いでもないものであったら、そんなに言葉にそこまで意識することはなかったから。 でもそれはだから、毎回やってるとさ、毎回扱ってしまうとしんどいから、それをだから子供、いいなって思うのがそういうカード実践みたいな話で言うと、それが子供の中で手札として持ってられると、先生が言わずとも手札の中から自分で召喚できるっていうのはいいよね。 確かに確かに。 それが多分読みの法略に繋がってくるし、大野君も言ってるスキルになってくると思うし、このスキルは毎回ほらあそこでやったろって言ってるとキリがないことやから、やっぱその辺は教室の作り方よねって思うし。授業とか。 大野さんのコメントをいただいてたスキルについては、僕は逆に全然子供たちには身につけさせられてないと思ってて。 でも、身につけられてないっていうのを実測してない、観測してないだけで、子供らの中には身についてるっていう可能性はあるよね。 その可能性はありますね。その可能性はあるけど、でも僕はあんまり子供にここをちゃんと、こういうスキルを使って呼んでいこうみたいな話はあんまりしてこーへんかったから。 だから逆に、自分が子供たちに問うときに比べて、こことここの表現を比べて読んでみようとか。ここに打ちのめされるっていう気持ちがあるけれど、これまでの場面の綾野の気持ちの変化を関連付けながら、ひも付けながら考えてみてとか。 だから自分の問いにこのスキルの部分を結構入れる癖があります。そのときに働かせてほしい見方みたいなものを、問いの中に入れて子供に卸すみたいな。 でもそれがまあいいよね。そう考えると、物語だけに限らず、そういう細かいところは意識したいし意識させたいなって思いながらも、元に戻って戻って戻って。 物語難しいっていう中の、何を問えば、何を授業で考えさせればいいのかわからへんっていうところで、読み取りから読み深めるとか、自分の考えに下ろすみたいなところができてない場合、できてないなっていうところが先生らの中での物語の難しさみたいな。 ありきたりなことしかできてなくて本当物語って難しいなと思いますってよく言う先生らの話で言うと、考えさせるためにはその前提知識は絶対必要だから読み取りの授業は必要ですよ大丈夫ですよっていう安心はしてもらいたいし。 でも読み取った後に、じゃあどういう風なことをするのってなった時に、今田辺くんが言ったことが全てだと思うんだけど、自分の中で身につけさせたいスキルとか、ここはこういうこと意識させたいよねみたいなことがないと多分そこは考えられないよね。 今田辺くん自然にそう言ったけど、多分それがないからその先の考えるところに行けへんし、指導書にはでもその読み取りだけじゃなくて一歩先考えてここをこういう風に考えさせようみたいなところって絶対あるよな。 あるあるある。 でもそこをするのが難しい。その通りにやっても難しい。それかその通りにやるのが難しいかな。 ここは僕の感覚でしかないんだけど、教師がそういう知理性を持てば持つほど難しくなると思うんですよね。 教師がやらせたいとか読ませたいとか、こう読んでほしいとか、例えば教材で言ったら今度5年生は次の物語は大蔵爺さんとガーンなんですけど、物語の魅力を伝え合おうなんですよ最後のね。 物語の魅力っていうものをおそらく授業で扱っていくことになるんだけど、これを教師がこの物語の魅力を持ちすぎてしまうと、子供はこの物語の魅力は教師の持ってるあれなんだとしか読めなくなる。 授業は手書きとか指導書に書いてある流れで全然やっていけるんだけれども、この考えとか子供自身の解釈とかも付け加える授業ができるんだけれども、 教師が子供に対するこの教材でこうさせたいという思いを持ちすぎてしまうことによって、このように考えなくてはいけないということを強いられてる。 こう学習しないといけない。こう読まない。こういう読みは逆にあかん。ここに、この物語の魅力。僕はここを感じてるんだけど、たぶんここは誰も言ってへんし、先生もなんか、え?みたいな顔してるし、たぶんここは物語の魅力じゃないんだろうな。 だからとりあえず周りが言ってる、最後の大蔵おじいさんが逃がしてやるところにするか、みたいな。 だから物語、でもそれが難しさを感じてる、一番はさておき、直接の原因にはなってなくない?だって研究してたりとか自分で大蔵おじいさんとかめっちゃ好きやねんけどなーっていう人って、難しいけど面白いの、田辺くんの域にいかん? うんうんうんうんうん。 だから、あーまあでもそっか。だから難しいは別にいいんか?いや、まあ俺が言ってる、たぶん田辺くんもそうやけど、その言ってるのは難しいけど面白いじゃなくて難しいから嫌に感じてる先生だからなんでやるにゃろうっていうところやけど。 なんか今のもさ、物語の魅力を伝え合おうっていうときに、なんかやっぱりどうしてもいつも思うのが、そもそも魅力っていう話、子供らわかってるかっていう。 魅力を先生の言葉で魅力っていうものを伝えてしまうと、その今の話じゃないけど大蔵おじいさんとガンの良さってここなんだろうなの前に魅力って先生が言ってたらこういうことなんだろうなになってくるやろうし。 そうそうそうそう。 そこよね。だから、結局最後の略向き設計じゃないけど最後にパフォーマンス課題というか、最後の話として魅力を伝える相手が誰なのか、まあよく考えてる人はたぶんそこはちゃんと考えるはずやけど、魅力を伝える相手は誰なのかとか、魅力を伝えるって何のためにするのかとか。 そもそも魅力が伝わった経験はあなたにあるのかみたいなところとか。なんかその辺からスタートしないとそこは成り立てへんし、そこに難しさがあるのかなと思ってて。 なんか数学、算数とかもそうやけど、前提知識として概念を理解しないといけないことがやっぱり国語は多いから、概念的な理解がないまま進めてしまうと読み深められないよねは先生らがうっすらわかってるから、わかってるものの指導書書いてるからそれをやる暇もないし、 やれるような力量もちょっとないから、とりあえず指導書通りにやってみるけど読み深まらんかったな、結局読み取っただけになって先生のこっちがかなり誘導してしまったな、で終わってるから難しいって感じてるちゃうんかなっていう説やねんけど。 だからそうなんですよ。子供が全然腑に落ちないまま、魅力とはこれだって言っちゃってるとか。 結論づけちゃうみたいなところもね。 でもある程度限られた時間でやらへんたかんし。 そのへんが。 もっと強化横断的に小学校やからやれたらいいのになって思うし。 魅力なんか、国語で大道人さんとがんで魅力を伝え合おうってあるから、その導入のタイミングで魅力ってなんだろうとか魅力を伝えるって何のためにするんだろうっていう時のために何かを使うみたいなのを、わかれへんけどな、しんどい中で時間ない中ですんなら難しいけど。 国語の中でみんなで考え合おうっていう1時間2時間を取るんじゃなくて、どっかでやった経験が生かされるが理想やなって思うんやけどな。生活とか音楽とかさ。 ごめん話途切った。 強化横断的な話ももちろんそうやけど、今回のこの授業の中で子供の姿であったのが、「おもろなってきたわ」ってある子が呟いたんすよ。 何が? この話を読むのが。 話を読むのがおもろなってきた。 物語自体は音読もやってるし、宿題でも出してるし、全部知ってるんやけど、子供らが話をどんどんこうじゃないか、ああじゃないかっていろんな解釈も交えて話し合っていく中で、 このお話の中で、名前でしかなかった人々っていう表現があるんですけど、 本来物語の前半のところでは、生きてるクスノキアヤが、ポスターに載ってるクスノキアヤっていう自分と同じ名前に出会ったときは、名前でしかなかったと。 もう遺族からの情報も何もない、遺族もわからへん人が載ってるポスターやし、ただただ自分と同姓同名やから気になっただけで、ただただ名前でしかなかったんだけど、 そうやって広島を訪ねて、いろんな情報を得たり、おばあちゃんと出会って、アヤちゃんのこと探してきてくれた人が来たんだよ、みたいなこととかやりたりを得て、 最後には、直接書いてはないんやけど、その子が、だから名前でしかなかった人々だった、そのポスターに書かれたクスノキアヤは、 この物語の最後で、このアヤに探してもらって、おばあちゃんといろんなやりとりを得て、ちゃんとアヤのことを考えてくれる人が今生きてる世の中にできたから、もう名前でしかない人々ではなくなったんやなって言われたんですよ。 そこで、授業の時間、何時間か前で扱った内容と、あのときあれやったけど、でも今回今日の授業で、そういうふうに読んできて、その子は関係が関連づいたんですよね。 点と点がつながったというか、伏線回収的な。そのときに、おもろってその子は思ったんですよ。だからおもろなってきたなって、たぶん呟いたと思ってて。 で、そういう瞬間を得た子供って、魅力に気づいてるんですよね。 それは読みの魅力?その物語の魅力? 物語の魅力か。物語の魅力でもあるかもしれへんけど。 魅力っていう言葉で言うなら、その子自身が物語で伝えたかったテーマに触れてるものもあるかもしれへんけど、その解釈を加えて、あそこで言われてたこれってこういうことやったんやっていう、ちゃんと謎が解けていったみたいなところで魅力を感じる子もいるわけじゃないですか。 そういう経験を、子供がいかに自分たちと読みの解釈を重ね合わせてたどり着けるか。 それさ、田辺くんのクラスでそれを言った子が、そういうふうなとこに魅力を感じたって言うとするやん。 それを、その魅力を感じた、その魅力を伝えようっていうときにどう伝えたら正解なの? その子にとっての魅力の伝え方がそれやったら、なんかいいでしかなくない? 確かに確かに。 そこも、肩に近いかもしれへんし、経験にもよるんかもしれへんけど、結局だから、魅力を伝えあおう、魅力を感じた、ああこれ魅力を感じたなって。 これが魅力を感じるってことなんだってなったときに、そういう経験として大事やからそうなったときに、これが魅力を感じるってことなんだってなった。 よしじゃあこの感動を伝えようってなったときに、おいしいを伝えようはおいしいねんって伝えたらいいし、何がおいしいのって言ったときに、 たぶんおいしいの言語かも、まあ難しい代表例やねんけど、いやここのサクッとしてる、周りの衣はサクッとしてるのに中のエビはすごいふわふわで、おいしいねんみたいな。 おいしいの言語かって難しいってよく言うねんけど、なんかそのバリエーション、レパートリーやと思うし、そこが少ないから、魅力を感じたとしても魅力を伝えられない子が増えてくると思うんだよな。 結局魅力を感じ、魅力を伝え合おうっていう単元名というか単元名じゃないな、そういう目標、目当てがある中で、しなあかんこととしては魅力を感じ取って伝えるっていうことやから、魅力を伝えようやったら、はい魅力ってこれです、じゃあ伝え方を考えましょうでいいはずねん。 目当てとして、けど魅力を伝え合おうっていう中には、実は魅力を個々で感じ取って、個々が感じた魅力を個々の表現力によって伝え合おうっていうのやから、難しいんだよな。 だから今のその子はどうやってその魅力を伝えるんだろうっていう、っていうのが難しさなんだろうなって今聞いてて思った。 確かに確かに確かに。 難しいね。魅力を伝えるって大人でも難しいもんな。 そうですね。 なんかええねんでええやんって思うし。 僕も最近はちょっとまた変わってはきてるけど、でも元々物語に関しては苦手やから逃げてたっていうのもあるけど、そう思ってました。 好きに読んだらええやん。面白さがあったらええやん。物語なんやし、読み物なんやしって思ってたけど、まあだからまあ教材やし、そこでちゃんとつけたい力もつけなければいけない力もあるから。 だから難しいけどさ、ワンピース読んでて面白いって思う人って言ったら、例えばはーいっていっぱいあげたとしたら、何が面白いのっていうのは人それぞれやんっていうのと同じで。 その何が面白いは言えるから、何が面白いのって言ったら具体的なシーンとかそういう場面とか関係性みたいなのが言えたりすると思うけど、その辺が難しいから、指導しきられへんから難しさ感じるんやろうなって思うし。 確かに。今大蔵爺さんのやつ見てたら、多様な観点で読んで魅力を見つけるっていうことも書いてあったから、さっきの藤井さんの肩みたいな話にもつながるんかなと思うけど、 例えばその表現が多様だから、多様っていうところでこの作品には魅力がある。 表現が多様。多様な観点から? そうそう、多様な観点やから、一つの物語の魅力を語るっていう学習をしてたんですよ。その魅力、多分一番オーソドックスなのが物語のストーリー性やと思うんですよね。ストーリーとしての面白さの魅力は一番わかりやすいことやと思うけど、 でも、そこに大蔵爺さんの書いた情景描写の学習が入ってくるから、表現の仕方がいろいろあって、晴れ晴れとした顔つきでとか、 突然に広がった世界に驚いたようでありましたとか、そういう表現がたくさんあることがこの作品の魅力だっていう読み方を学べば、そういう魅力の捉え方もいいっていうことなんですよね。この教科書によると。 人の表現がたくさんあることでなぜ魅力的なのっていう話よね。 表現がたくさんあって、表現が独特で面白い。 表現が独特ならなぜ面白いのかや。 これを大学で一生やってきたんだよな。 なるほどね。 それが5、6週回って今に来てるんだけど。 結局そこで学んだことはあったんだなと思ってるけど、だから多様な表現、多角的な観点から魅力を読み取って伝えるみたいな話だとしたら、 多角的な観点ってなった時に、見方の話、観点の話やから、その観をどうやって多角的に持たせるかやし、それをこっちが与えるものと、子供たちから出てくるものとっていうのが半々ぐらいになってればいいのかなと思うし、 ってなった時にたぶん、たくさんの表現があって面白いは子供たちから出てけへんはずやから、文章表現、表記として面白いっていう観点を一つ入れるとしたら、それを先生がちゃんと言い切れないとあかんと思うよな。 ああそうね。先生自身がその観点からその物語の魅力を感じてるかってことやね。 そうそうそう。だから今みたいな、指導書とかにも書いてるような、表現方法が独特。要は作者の独特な表現方法、これは芥川隆之介とかでも言われんねんけど、ジャザインとかでも言われんねんけど、夏目聡之介も言ってたねんけど、 独特な表現方法による描写の面白さみたいなのがあったときに、なんで独特な表現なら面白いのっていうのを、ちゃんと先生がその年代にあった説明ができてほしい。 確かにな。 求めることが多いな、国語の授業ってほんま。嫌やな、国語の授業するの。 でもそうね、確かに。 だから結局、なんでそういうふうにいろんな表現があったら面白いのってなったときに、小語が出会う表現として初めて読む表現やから、新鮮に感じ取れて、新鮮に感じ取れるから面白いみたいな、そういうざっくりしたのもあってもいいし、 逆にその、いろんな表現があるっていうのが、擬音語使っとったり、その擬音語が普段使わない、例えば、パッパッ笑ってるよみたいなのもそれだと思うし。 笑わないしね。 そういうのも含めて、普段使っていない、自分なら普段なら普通ならこういう表現をするはずなのにちょっと違う表現をしてるところに、あえてそういう表現をしているとそこに注目することができるから、作者の意図をより感じることができるみたいな、そういう面白さみたいなさ。 それを年代別で喋れるようになってたら多分やりやすいんだろうなと思うし。 確かにね。超高度やけど。 超高度やけど、そんな求められへんやん。全先生に。 しかも、年齢が上がるほど簡単なんですよね、これ。 あ、そうなの。まあまあ、そうとも言い切られへんねんけど、まあまあそうね。 でも扱える言葉が多くなればなるほど、説明とかはできるじゃないですか。 しやすいね。 しょうごやったらしょうごが理解できる、それこそ経験した。 語彙じゃないとダメなんじゃないかな。 で、ひも付けられるかってことやね。 いやー、この話聞いて国語の授業頑張ってみようとはならんな。むずいわ。 でも、僕は結構、よりやりがいがあるなとか、そこまでちゃんと考えて、手持ちを揃えた上で、でもあくまで僕は子供に委ねたいな。 で、子供がそう返すときに、やっぱりこっちが持ってる手札が多い分、子供が出してきた読み方に対して、それってこういうこと?って言い換えもできるし。 それはめちゃくちゃ大事。 だから、そうやな。なんか結局、今何言おうとしたんやったかな。ちょっと忘れたわ。 まあでも難しいね。難しいけど、あ、そうそうそう。だからその難しいよねを子供と共有したいなと思うもん。 だから答えでんでもいいと思うねん、別にそこで。 何だろうね、魅力ってって言って。魅力とは何かみたいなんでも、もう本当にええと思うんや。 それは国語の中での目当て目標があって、その単元で達成したいことはあるけど、魅力を伝え合おうやけど、いや待って、そもそも魅力ってなんなんに、すごい時間がかかって、いや魅力伝えるとこまでいかんかったねって。 でも魅力って何っていうのは深掘れたね。でもいいと思うんやな、本当に。 そこが偉いさんというか学校の中での横のつながりとか考えると、それで終わられへんところはあるんかもしれへんけど。 だって難しいよそれは。 難しいけど。でも僕もそんな考えたことはなかったけど、今あえて藤井さんにいろいろ突っ込んでもらって、なぜと聞かれて。 # 物語って難しいよね はい、いかがでしたでしょうか。 あんまりこの収録の後には載せないんですけども、自分の言葉は。 すいません。完全に1時間半喋っていることを気づいておらずですね。 1時間半喋ってしまって止まってしまいました。 あの後はシンプルにまとめようと思っていただけなので、そのまま収録せずに終わっていったんですけども。 田辺君といろいろ話している中で、その後にも出てきたんですけど。 今回話を聞いていただいたら、というのと僕の普段のインタビューというかね、 そういうふうな対談を聞いていただくと分かっていただけるところもあるのかなと思うんですけど。 やっぱり僕は最後に言っていたのは深掘りハラスメントみたいなことを言っていたんですけど。 多分人に自分のことを内省するようなことってほぼほぼないんですよね。 自分のことは振り返りはしますし、自分の録音は全て考え直して見直して聞き直してってしてるんですけど。 とはいえ深掘っていくかっていうと、そこはあれなんですが。 今回みたいに人に対して深掘っていくその過程の中で自分の思考を整理して自分の言葉に置き直すっていうのが、 僕の中での学びというか、自分の思考の型なんだろうなという話をしておりました。 田辺くんは逆に人のことを深掘ろうみたいなところとかっていうのはあまり興味がなくて、 ただ自分のことを深掘ってもらっている中で自分の思考方法を再確認するみたいなことを田辺くんは田辺くんで言っていました。 やっぱりそういう型があると強いなっていうのと、型があるからこそ自分の軸みたいなものが定まってきた感覚は 多分僕の中にもあるし、多分田辺くんの中にもあるんだろうなと思います。 ただそれはアウトプットし続けてるからこそ訪れるものなんだろうなと思うし、 対話しているから自分で一人でね、ボイシーでも喋ってるし、ノートでも、もちろんXとかソーナーもそうですけど、 SNSだけじゃなくてもちろん近くの人、半径5mの人とも喋ってる。 そういうところがやっぱりここにつながっているのかなと思いますので、今後ともご閉域いただければと思いますし、 ぜひぜひ今日みたいな対談をしていただける方がいらっしゃいましたら、また言っていただければ一緒にお話しさせてもらえたらなと思いますので、 ぜひ皆さんどうぞよろしくお願いします。ということでありがとうございました。 もっと見る📕言葉を整える、思考の時間藤井 海|思考と言葉を整える国語教師00:171.おはようございます02:372.めっちゃ良かった1:18:153.田鍋くんと土夜の国語話02:294.物語って難しいよねコメント感想・質問・応援メッセージを書こう 土屋綾乃19時間前時間が切れるのも気づかず夢中でこねくり回してて楽しかったです〜深掘りハラスメント☆聞いてる分にはめちゃくちゃ面白いけど、自分が深掘りされたら逃げたくなるかも😅返信 ブラックサンダー昨日生で聴いて、「問い」を投げたかったですね。残念。対話でグランドルールが必要なように、学び合いにも作法があるのだなと思いました。明示しているかどうかは別にして、集団で共有できているのが大前提ですね。色々と思考が広がりましたが、書き足りない😂また喋りましょう👍1返信
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深掘りハラスメント☆聞いてる分にはめちゃくちゃ面白いけど、自分が深掘りされたら逃げたくなるかも😅
対話でグランドルールが必要なように、学び合いにも作法があるのだなと思いました。
明示しているかどうかは別にして、集団で共有できているのが大前提ですね。
色々と思考が広がりましたが、書き足りない😂
また喋りましょう👍