TOPライフスタイル料理・グルメ自分なんかラジオ。【090】 たまには自分のこと 子供時代26:48 8月26日 128再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次体の弱かった幼少期とパン職人の父小学生の過ちと親からの厳しい教訓職人たちとの共同生活で得た立ち位置芽生えた責任感が導いたリーダーの道多様な友人関係と甘酸っぱい中学時代AI文字起こし(β版) # どんな子供だった? お疲れ様です。パティシエの高木です。 僕はですね、今カフェ、スイーツカフェですね。 奥さんと今5年、丸5年ぐらいやっていて、6年目ということで、 あとオーナーシェフをですね、14年ぐらいやっていましたと。 で、あの、何ですかね、前にね、コメントいただいて、 なかなかこう答えることができてなかったんですけど、 たまにはちょっと自分のことっていう話をしたいなと思っていて、 子供の頃のね、お話っていうのをちょっとできないかなと思って考えてたんですけど、 子供の頃って何歳ぐらいの頃の話をしたらいいのかなとか、ちょっと考えてたんですけど、 僕自身の人間形成ですよね、していくのにそれなりにですね、影響のあった時代ぐらいから、 たまにね、そういう話を、たまにこう挟んでいくのも面白いかなと思って、 お話をしたいなと思います。 僕、生まれはですね、昭和50年で、 あの、天ヶ崎っていうところ、ダウンタウンがね、 アマリカンドリームでしたっけ、なんか忘れた、なんかそういう、言うてたな、出身が天ヶ崎ってことで、 天ヶ崎でもね、JRの橘駅っていうところに降りて、バスに乗ってですね、 っていうような場所に住んでたみたいです。 僕もね、何歳だったかな、小学校行く前にはね、もう引っ越ししていたので、 3歳か4歳ぐらいにはならには来てたと思います。 その頃、子供時代は体がね、ちょっと弱かったみたいで、 言うて天ヶ崎って工業地帯だったりするので、大阪でもね、結構空気が良くない場所だったみたいで、 前足的な、うちの息子もそういうとこあるんですけど、 空気の良いならに引っ越そうかっていうことで、引っ越してきたと。 3歳、4歳ぐらいかな。 生駒山っていうね、ちょっと山のてっぺんに遊園地のある山があるんですけど、 その山のケーブルカーがですね、上がっていく、降りていく、その途中のお家。 家からケーブルカーが、電車じゃなくて、ケーブルカーが上がっていったら降りていったりするのに、 手を振って遊んだりするような環境で、緑も結構それなりにある場所でしたかね。 小学校の3年生ぐらいまではそこに住んでたんですよ。 それまで、うちの父親がパン屋さんになったっていうのが、僕が生まれてからだと思います。 生まれる前はね、建築やったりとか、一番最初は美容師であったんですね、あの人ね。 美容免許取って、朝逃げして、それからいろいろ会って、建築関係に行って、 しっかり勉強をして、建築免許みたいな、建築家の免許あるんですよね。 ああいうのを取ったんですけど、取ったのはいいけど、結局工事をいろいろやっていて、 工事に入っていた工事現場っていうんですかね、そこで出会いがあったらしくて、 工事やってる人なんですけど、当時の山崎さんっていう方がいるんですけど、 おそらくその人だと思うんですけどね、パンやらへんかっていう。 山崎さんは関係ないかな。 とにかくパンをやれへんかって誘われたらしいんですよ。 行った工事現場で誘われて、そのままパン屋さんになったらしいです。 工事現場はパンとケーキとビルの建物で、建物なんだけれども、 パン屋さんの人が建物が完成する頃に店長がいなくなったと。 その店長がいなくなったので、高木くんどうだっていうことで、 うちの父親が店長になると。 店長なのかちょっとわからないですけど、パンを習うという状態でパン屋さんになったと。 だから僕が生まれる直前ぐらいでパン屋さんになったんじゃないかなと思います。 そこからうちの父親は独学でいろんなものを習うっていうことをしてましたね。 それがきっかけで、 パン屋というよりパン職人の息子としてずっと育っていくっていうことになるんですよね。 天ヶ崎の時もそうなんですけど、 天ヶ崎から高木くんちょっとあっちの方で仕事どうやっていう感じで言われたと思うんですよ。 僕の隊長とかもあるけれども、 そういうイコマっていう場所で店長やりたい人っていうか、 多分新店オープンするからって言ったんだと思うんですけど。 今となっては僕の理由は後付けなんちゃうかなと思うんですけどね。 父親の性格で言うとですね。 まあいいんですけど。 子供時代なんですけど、 4歳くらいからケーブルカーの見える家に住んでたところで、 家にやたらと人を呼ぶ人だったんですね。 うちの母親はそれを頑張って料理を作ってもてなして、 業者さんとかいろんな人が毎日夜食べに来たりとか飲みに来たりとか、 飲むってことはあんまりなかったのかな。 でも当時飲む人は飲んでたんでしょうね。 父親はあんまり飲まなかったですけど。 とにかく人がよく来る家でしたね。 要はね、夕方以降夜になって父親が帰ってくる時間にはかなりうるさいんですけど、 母親とかが帰ってくるまでの僕が一人の時間とかあるんですよ。 小学校1,2年、3年くらい。 1年生くらいになってきたらもう書きっこみたいな状態で、 自分が一人で家にいるっていうパターンが結構あったんで、 なんだかんだ寂しかったんですよね。 それはすごく覚えてますね。 すごい真っ赤な夕焼けの綺麗な時に、 膝を抱えて窓から外を見ているようなイメージがすごくずっとありましたね。 そういう、夜になったら人がたくさんと。 住み込みの人たちはいなかったんですけど、すぐ近くに人を住ませてましたね、パン職人の人たちを。 で、みんなでガヤガヤとやってた部活動みたいな感じで、 すごく賑やかにね、パン職人さんもいれば、 業者さんの社長さんですかね、 粉とか配るようなところの豚屋さんの社長さんも来たりとか、 ハムの社長さんが来たり、社長さんなのか営業さんなのかわからないですけど、 そういう人らが常に家にいると。 そんな中で一応育ってはいましたね。 僕も活発だったんで、昔スイミングをやっていて、 幼稚園くらいから小輪寺剣法を小学校3年生くらいまでやってましたね。 結構活発で、坂の街なんです。 ケーブルカーが通ってるところくらいなので、完全に坂だらけなんですよね。 本当にその頃はめちゃ痩せててね、走り回ってましたね。 本当に飛ぶようにして走ってたのが思い出します。 そこですごくコミュニティが、地域地域によってコミュニティってあるじゃないですか。 そのコミュニティですごく活発な甲羅がいて、近くにマンションもあったりして、 仲良かったんですけど、幼馴染もいてたんですけど、 そこから自分の父親が家を買うということで、 そこから歩いて10分で、そんなに遠くはないんだけど、 何番線で買えるとか、小学生からしたら、 要は4番線から買えるのか5番線から買えるのかで、 全然友達が変わったりするじゃないですか。 友達の層がガラッと変わってしまったんですよ。 急に引っ越しすることになって、 要は一軒家で3階建てと、それまではボロいアパートだったんですけど、 本当に生活を一変させるような感じのことがありましたね。 # 小学生〜 引っ越ししてからは、最初の行きとつきぐらいは、昔のところまで歩いて行ったりとかしてたけど、 やっぱりだんだんだんだん、子供の足だし、なんか添えになっていくんですよね。 僕らの小学校、1年生、2年生、3年生ぐらいの頃ってね、ファミコンっていうのが流行りだす時期なんですよ。 で、僕は、親がファミコンを買ってきて、よくわからないゲームとかやってましたね。 そんなに早くはなかったですけど、小学校2年、3年生ぐらいかな、ファミコンを買ってもらって、 そこからゲームをしてっていうことをしてたりしましたね。 小学校3年生にしては、やんちゃな方だったと思います。 本当に、家にいながらゲームをずっとしていて、すぐ目の前に駄菓子屋があって、 駄菓子屋でファンタの1.5リットルとか、ポテトチップとか、本当によく買って食べてました。 500ミリリットルのマミーとかね、ああいうのを、本当に何も気にせずにガブガブ飲んで、パクパク食べてましたね。 で、ゲームをしてっていう感じで。 僕のね、本当に昔のことなんですけど、よくなかったなって、今でも思うんですけど、 商売人の子供ってね、たまにお菓子を探して扉を開けると、お金があったりするんですよ。 わかりますかね。 置いてる方が悪いって僕も思うんです。親になればですよ。 見つかるようなところに置いてるのが悪いなって思うんですけど、 そのお金を握って、ゲームセンターとかに行き出したんです、僕。 小学校3年生ですよ。引っ越しして友達もいなくって。 あれはね、今思えば親の気を引くとかいろいろあると思うんですけど、 小学校3年生から4年生ぐらいまでの間、そのお金でゲームセンターに行ってはですね、 自分で使うだけならまだいいんですけど、なんか上級生の子を、今でも覚えてますね、 トイレに呼び出してお小遣いをあげてました。 意味わかんないですよね。 友達にゲームのカセットを引っ越しするやつに買ってあげたりとか、 バンゲリングベイですよ。買ってあげたの、確か。 そういう変なところがありましたね。 自分だけで持ってるんじゃなくて、人にまであげちゃうっていう。 ある日見つかるんですよ。 ちょうど親が帰ってくるっていう電話があって、 今日はちょっと帰らへんっていう電話があって、 帰ってこーへんねんやと思って、買ったおもちゃを家に置きっぱなしにして、 ゲームセンターに行って、家に帰ったら親が待ってたというね。 このゲームどうしたん?って聞かれて、 誰々君に借りてんねんとかって言ってね、嘘をついたりとかしてですね。 でもうちの母親に正座させられて、両ももをビンタされてね、太ももをね。 ビンタされながら、嘘つくなって言って、 本当に愛情でこの子が曲がらないようにっていうのをきちんとね、 そこでうちの母親は思いっきり怒ってくれたなと思うんですけど、 結局ね、それでね、うちの母親は判断ができないからって言って、 家の前にある掲示板があるんですけど、 なんかよくわかんない絵とか飾ってるような掲示板があったんですけどね、 そこに僕をくくりつけて、僕はもうごめんなさいって泣き叫んでるんだけど、 小学校4年生ぐらいかな、泣き叫んでるんだけど、 通る人たちもどうしたって言って見てるんですけど、 ずっとね、縛られたままで、自分の父親が帰ってくるまで。 まあまあ寒い時期やったんですよ。 寒い時期やったけど、縛られたやつもそこまできつく縛ってないから取れるんですけど、 その場所離れるわけにもいかないから、そこの場所にずっと立って泣いてたりしてましたね。 で、父親が帰ってきて、お風呂に入れてくれて、 お風呂入れてくれたんはいいんですけど、 多分父親的には、このあったかいお風呂のありがたみみたいなのを分からせるために一緒に入ってくれたんじゃないと思うんですけど、 もうめちゃめちゃ寒かったんで、熱いお風呂が痛かったんですよ。 もう入りたくないっていう気持ちの方が僕は勝ってたんですけど、 そういう家のお金に手をつけてしまったっていう過去があるんですよね。 結局はね、そこからもね、やっぱり1回2回は癖がついてしまって、 うちの母親がお風呂を出たり入ったりするときにポケットにあったお金を風呂場にじゃらじゃら貯めるタイプの人だったんですよ。 それをどうしても子供ながらに拝借しちゃったりとかするじゃないですか。 するじゃないですかってあかんのですけどね。 ちょっとジュース飲みたいなとか、目の前に駄菓子屋があって、 親もいないんですよね。みんな仕事してるんで、鍵一個でって言ったら、 そんなに子供自精神ないですよね。っていうのもあってね。 そういう過去があって、そこから意外と真面目にはなっていきましたね。 そのぐらいのタイミングの時に、習い事を松林寺から野球に変えたりとかしてましたね。 ドラえもんファイターズっていうところに入ってたんですけどね。 そこでもちょっとお菓子とか食べすぎてパンパンに太ってたんで、キャッチャーをやっていましたね。 でもなんだかんだで、そんな感じの子供でしたね。 お金を取った一軒から子供だけど、お店と工場は別だったんですよ。 お店の方には入れないけど、工場の方にはちょっとスペースがあって、 僕もいるようなことができたりとか、自分の父親が工場の近くに一軒家を借りて、 書道の先生に書道の教室をしてもらったりとか、そういうふうなことをしてましたね。 工場の近くの一軒家でご飯を作ってもらって、みんながまかない食べたりするようなスペースとか。 そこで書道の先生がいるので、週に一回書道が入って、 週に3回くらい家庭教師がついたんですよ。 3回かな。4回か。忘れたけど。 小学生なのに、小学5年生とか6年生の時には休みがほぼなかったんですよね。 日曜日とかは野球やってたじゃないですか。 土曜日は昔は学校があったので、土曜日も学校に行って。 昔はあった。今もあんのかな。 そういうので、やはり習い事でがんじがらめにされたんですよ。 おめつけ役をつけられたような感じですね。 一応は勉強はさせられたりとかして、 小学校4年生くらいに、 # 中学生〜 このあたりから人間形成に結構関わってきてるなというのが、昔は盆産といって、中学校卒業したての人が住み込みで働くことが多かったんですよね。 住み込みのお兄さんたちが2人まず、小学校4年生ぐらいの僕がそういうことがあった後に入ってきましたね。 そのお兄ちゃんたちと一緒にご飯を食べたりとかするような生活になってきました。 だから夕方とか夜ぐらいになったらお兄ちゃんたちが帰ってきたら、一緒に銭湯に行って晩ご飯を食べてぐだぐだ言って寝ると。 そのお兄ちゃんたちがだんだん増えていったんですよ。 店舗も拡大していって、いこま駅だけじゃなくて富岡駅とかね。 他にも父親が手を伸ばしていって、ジャスコの中とかね。 そういうふうにして売るところを広げていって、地域でも結構あちこちに店を出すような人だった。 あと店を出しながら、医療販売とかもするような人だったんで。 僕もそのお兄ちゃんたちに紛れて、夜か夕方になったら、そっちの工場の方にね。 小学校終わったら帰って、そっちで鉄板をこすったりとかして手伝ったりとかしてましたね。 なので小学校ぐらいからは、小学校4年生、5年生ぐらいからはパン屋さんの工場に入って手伝いをしなくちゃいけないと。 お兄ちゃんたちと一緒に帰るとか、そういう生活をしてましたね。 習い事もしながらですけどね。 なんかこう、大変でしたね。 鉄板をこすった後は習い事をして、家に帰って、お兄ちゃんたちがまた帰ってくるのを待つと。 多い時で、2段ベッドが4つぐらい。3階だったんですけど、1階の部屋にあって。 お兄ちゃんたちが、要は2段ベッドなんで、かけるなんぼで2で言ったら8人ぐらい。 6人から8人ぐらいの間、家の中でご飯を食べていると。 食べに行く時、だんだん多くなってきて、食べに行くってことになったりとかもあったけど。 その時にね、うちの親がよく言ってたのが、僕がよく自分の居場所を真ん中にドンと構えるんじゃなく、 ほんまに端っこの方で自分の立場をわきまえてですね、端っこの方でご飯を食べていたっていうのをよく言ってましたね。 その時に、なんとなくポジショニングというか、自分がどこに居とけばいいのかとかっていう感覚っていうんですかね。 ああいうのは立ち位置というか、そういうのは磨かれていったような気がしますね。 でもそのお兄ちゃんたちの、例えば僕が中学校とかに行った後ぐらいに、だんだんお兄ちゃんたちがずっと一緒にいるわけじゃないんですよ。 辞めていったりとかもするんですよ。 辞めたりすると、家に帰ったらお兄ちゃんが押入れの中で泣いてたりとかして、 どうしたんって言ったら、もう俺田舎に帰るって言ってたりとか、そういうことがよくありましたね。 本当に人が入れ替わっていって減っていったりとか、いろんなお兄さんがいて、 親友じゃないけど、全然年離れてるんですけど、そうやって言えるようなお兄ちゃんっていうのもいたりとかして、 すごくいろいろ感じるものがありましたね、あの頃はね。 本当に急にいなくなる人もいれば、やたら臭い人もいたりとか、 今ね、よくあるじゃないですか、ラブ上等とか、みんなが共同生活してるみたいな、あれの男だけバージョンみたいな感じですよ。 男磨きクラブみたいな感じですよ。 何だっけ、そんなのありましたよね。 あんな感じの雰囲気でしたね。 みなさん中学校卒業したての人ばっかりだったんで、なんか喧嘩もあったりとかして、 そういうので、普通の小学生とは違う社会っていうのがもう一つあった気がしますね。 小学校6年生ぐらいの時には、その人たちを養わなきゃいけないっていう気持ちが芽生えていて、 たぶんうちの母親とか父親とかの話を聞きながら生活してたからと思うんですけど、 だからその頃から自分の立場は、みんなと一緒の場所じゃなくて、 上に立たなきゃいけないっていう、なんか強い思いがすごくありましたね。 この強い思いがあったので、行動に移しちゃうタイプで、運動会の相談長とかね、なんかそういうのになったりとか、 中学校の時は生徒会長に手を挙げたりとか、高校の時も生徒会に入ったりとか、 いきなり高校入学式早々で、先生が冗談で執著をやりたいやつとかって聞いたら、僕が手を挙げて執著をやることになったりとか、 なんかそういう何かがあれば、上の立場に立てるようなチャンスがあれば手を挙げて立つようなタイプでした。 それの行動の動機っていうのは全てが、そういう職人さんたちを養わなくちゃいけないと、 家をつぶんだっていう強い気持ちがあったので、その客さんで考えたら今取るべき行動は?って考えて、 上に立つっていうことを選んで、なんか真面目にそういうことをやってましたね。 なんかその頃からじゃないですかね、ちょっとこう何かが切り替わって。 なんかお兄ちゃんたちを見ながら、普通じゃあかんねんな俺はっていうのはずっとありましたね。 そんな感じの幼少期ですかね、中学校ぐらいになったら生徒会長とかね、やったりとかしてたんですけど、 それなりに友達も幅広くですね、オタクみたいな友達もいれば、勉強ができる友達もいるし、 不良グループとも仲がいいし、先生とも仲がいいっていう、なんかこういろんな枠組みを取っ払ってですね、 なんか過ごせるようなラッキーな存在でしたね。 中学校はバレーボール部をやってましたね。小学校の野球で。 野球はあんまり好きじゃなかったですね。やってはいたけれども、野球に対しての気持ちっていうのはそんなに深まることはなかったですね。 ああいうのはコーチとかがいろいろ関係してくるんだろうなと思いますけどね。 今日は中学校ぐらいの卒業までで話をくくりますけど、そんな感じかな。 1年。なんかね、小学校、中学校と高校までもそうなんですけど、よく振られてましたね。恋愛の話でいうと。 結構人を好きになるタイプなんですけど、小学校5年生ぐらいの頃に好きになった子が中2ぐらいまでずっと好きだったんですよ。 でも中学校で学校変わったりするじゃないですか。そうやのに違う学校やけど告白しに行ったりとかしてましたね。 校長があったのが違う学校の方の校区だったりとかして、別に遊ぶってことはなかったんですけど、でもやっぱりそういうのがありましたね。 あとは結構振られてましたね。告白アプローチもするんだけど、だから長電話もよくしてましたよ。 だからめっちゃ漕いでるじゃないですか。お菓子とか目の前にあってゲームばっかりして、一応スポーツはしてたけど、そういうのでやってたな。結構そういうのやったな。 真面目な部分もありつつ、恋愛とかもしてたし、中学校までは楽しかったですね。高校は楽しかったかというとそうでもなかったです。 中学校の時が結構楽しかったかな。でも中学校の2年生の時に、6組か7組くらいまであって、自分らのクラスだけが1階で、他のクラスは2階にあったんですよ。 それで離れっこ島みたいな、他のクラスと離れてしまったポジションのクラスだったんで、そこがちょっと面白くなかったなと思いますね。 1年生になってからはそんなことはなかったんですけど、真面目かといえば真面目でもないし、普通に変形ズボンとか履いてたけど、生徒会長をしてたりとか、入学式とかやった1年生に送る言葉を読んだりとか、卒業式には掃除、当時か忘れたけど、ああいうのを学生代表で読んだりとか、そういうことをしてましたね。 今日はそんな感じで、中学校くらいまでの話をさせていただきました。ではまた別に僕の話聞きたくないかもしれないですけど、こんな感じの話をまたさせていただきますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。 もっと見る #自己紹介 #飲食店 #カフェ #パティシエ #ケーキ屋さん 自分なんかラジオ。モトヒロ08:571.どんな子供だった?08:112.小学生〜09:413.中学生〜コメント感想・質問・応援メッセージを書こう めい9月7日私も家が商店で育ちましたけど人それぞれというか、高木さんのような自立心は全くなくてひっそりとしていたなあなんて思い出しました😊続きも楽しみにしています1返信 高木モトヒロ9月7日ありがとうございます♪商売人のお子様なのですね〜お仲間ですね🤭✨またお話させていただきます♪ よっちゃん8月28日幼少期編とても楽しいお話をありがとうございました😊私も産まれた時から親がケーキ屋をやっていたので、子供の頃から大人と絡む時間が一般の子供より多く、感受性が高い子供でした。バンゲリングベイ持ってました、マイクを使うゲームで斬新でしたがクソゲーでしたね。やはりお父様は、美容師、建築、パン屋さんなど、手先を使う器用な方ですね。その遺伝子が高木シェフにも繋がっておられるのですね。また、お話楽しみにしております。お身体ご自愛ください。1返信 高木モトヒロ8月28日ありがとうございます♪また色々お話させていただきますね〜バンゲリングベイは謎ゲーでしたね😅子供のころに大人と絡むとませていきますよねね😂1
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商売人のお子様なのですね〜
お仲間ですね🤭✨
またお話させていただきます♪
やはりお父様は、美容師、建築、パン屋さんなど、手先を使う器用な方ですね。その遺伝子が高木シェフにも繋がっておられるのですね。
また、お話楽しみにしております。
お身体ご自愛ください。
また色々お話させていただきますね〜
バンゲリングベイは謎ゲーでしたね😅
子供のころに大人と絡むとませていきますよねね😂