TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第368話 肩書きを捨てて一服する禅語『喫茶去』の話12:54 2025年12月10日 67再生 問題を報告する 再生する シェアする 「あなたが誰であっても構いません。難しい理屈は置いておいて、まあ、一服どうぞ」 そんなふうに、相手を丸ごと受け入れる「究極のおもてなし」の言葉AI目次喫茶去が持つ意外な歴史唐の禅僧が弟子に問う真意肩書きを問わない茶の精神現代に伝わる究極のおもてなし地震への備えと避難経路の確認AI文字起こし(β版) # 喫茶去(きっさこ)とは おはようございます。佐藤美奈子です。今日もお聞きくださりありがとうございます。 このチャンネルでは日本の文化や伝統に息づく心の在り方を日々の暮らしに優しく重ねてお届けしています。 難しい作法ではなく、ふっと心が解ける瞬間を通して、あなたの奥ゆかしい魅力をさらに引き出していきます。 今日のテーマは、喫茶子という言葉についてです。 喫茶子。喫茶店の喫茶に猿と書いて喫茶子。 例えばお茶を習っていらっしゃる、茶道を習っていらっしゃる方は、よく掛軸などでこの文字を見かけたことがある方もいらっしゃるかもしれません。 善悟の一つです。一般的にはお茶でも召し上がれというふうに、ちょっと穏やかな意味で使われている言葉なんですけれども、 実はこの言葉はもともとは、ちょっと厳しい言葉で言うと、顔を洗って出直して来いというくらい、ちょっと厳しい嫉妬の言葉、 嫉妬、激励とかの嫉妬ですね。その嫉妬の言葉だったという説があります。 今日は、そんな意外な歴史を持つ喫茶子という言葉、この意味というのが、なぜ私たちを今の現代のような少し柔らかい、癒す言葉になっていったのか、そのお話をしてみたいと思います。 この言葉のルーツというのは、中国の唐の時代にさかのぼります。 成宗というとても有名な善のお坊さんがいらっしゃいました。ある時に二人の修行僧が彼のもとを訪れています。 この成宗和尚は一人に、ここに来たことはあるかと尋ねます。 そうすると、その修行僧の一人は、「初めてです。」と答えると、この和尚は、「喫茶子。」とその人に伝えます。 もう一人の修行僧にも同じことを聞くんですね。今度は、「以前来たことがあります。」とその修行僧は答えました。 すると和尚はまたしても、「喫茶子。」と言った。 それを見ていたこのお寺の管理者である因主、そのお寺の上の人ですね。その方が不思議に思って、 初めての方にも、なじみの人にも、なぜ同じことを言うのかと、その和尚に問い詰めたわけです。 すると和尚は、その因主の名前も呼んで、その因主が、「はい。」と答えると、またしても、「喫茶子。」と言ったという言われが残っています。 この喫茶子の子というのは、猿という字を書きますけれども、本来は猿とか池とか、そういう意味があります。 あっちへ行けとかの池ですね。ですから直訳してしまうと、お茶を飲んでさっさと行けとか、お茶を飲んで目を覚まして来いという、 相手の甘えですとか、分別の悪さみたいなものを断ち切る、少し鋭い一括する言葉だったと言われているんですね。 ですけれども、ここからがちょっと面白いところなんですけれども、この和尚さんは全員に同じ言葉を投げかけたのか、なぜ同じ喫茶子だったのか。 そこの偉い方に対しても、初めて来る人にも、ちょっと度々訪れた方にも、同じ言葉を言った。それはなぜなのか。 それというのは、新人だろうが、ベテランだろうが、偉い人だろうが、お茶を飲むという行為の前では何も変わらない、平等であるということを伝えたかったからだと言われています。 例えば、熱いお茶を出されたら誰だって熱いって感じますしね。美味しいお茶なら美味しいと言って、そのお茶を味わうわけです。 そこには肩書きもなければ、過去の経験も成功も失敗もない。ただ、今このお茶を味わうという事実があるだけなわけです。 この時代が経っていくにつれて、この言葉の解釈というのは実は少しずつ変化しているんですね。今の解釈はもうちょっと柔らかいものなんです。 この厳しい嫉妬の意味が薄れてきて、誰に対しても訳隔てなく接する心ですとか、日常の当たり前のこと、いわゆるお茶を飲むことの中にこそ大切な真理があるという、 なんとも温かい、柔らかい、優しい意味というのが、今現代は広がってきています。 現代の茶道の世界ですとか、私たちが日常で使う場合は、この言葉はさらにもっともっと柔らかいニュアンスを含んでいるんですね。 例えば、あなたが、私の目の前にいるあなたが、誰であっても構わない、難しい理屈は置いておいて、一服どうぞと、 そんな風に相手を丸ごと受け入れるという究極のおもてなしの言葉として、今現代は愛されています。 私たち日々、私なんかは特にエモンドを続けていたりとか、お仕事、皆様のお仕事、あとは家のこと、家事に向き合う中で、どうしても役割ですとか立場というのに縛られてしまうことがあります。 その時に、この喫茶子という言葉は、どんな位の人、どんな立場の人であっても、お茶を飲んで目を覚ませよと、そういうふうな厳しさもあれば、お茶を飲んでくつろいなさいという優しさも含んでいる。 その両方含んでいるという言葉が、この喫茶子という言葉の今でも広がっていることなんだろうなと思います。 なかなか普段こういう言葉って聞かないですし、私がやっているエモンドの中でも、例えばこの喫茶子という言葉は特に使いません。 けれども、以前は、お茶をお稽古の後にお入れして、お茶とお菓子で、お稽古終わりに皆様に一服していただいて、その後、ありがとうございました、さよならという感じでお別れをしていたんですね。 これはエモンドだけではなくて、普通の一般のきつけ講習でもそうです。 特に後半になると、コーヒーのお好きな方がすごく多くて、うちにあるコーヒードリップのマシンで、講習が終わる頃に、おいしくきちんと落としたコーヒーを振る舞って、 皆さん大体、お稽古終わりに近くの喫茶店に寄って、ああだこうだいろいろお話をして、それで皆さんお帰りになるんですよね。 それだったら、うちでちょうどおいしいコーヒーがあるので、飲んでからお帰りくださいという感じで、皆さんお稽古終わりでいただいてくださって、 本当にそこは1年目だろうが、10年先週だろうが、全然わけ得られなく、コーヒーまたはお茶を飲んでお帰りいただいたということがあります。 本当にコロナになった時点で、一切それをやめてしまったので、なんとなくこの言葉、最近すごく読んでた本に載っていたので、いろいろ調べて今日はお話ししました。 またね、やっぱりこの復活させたいなと思っています。お茶でおもてなしをするってすごくいいですよね。 特にエモン堂は以前は、お稽古終わり、聞いたところによると江戸時代、江戸時代の頃なんかもこのエモン堂は各家々で学んでいる。 その学んでいる、自分の殿が、お家の一番上の人が何か儀式の時に、小族を着る時に、家の家臣たちが着けて差し上げるわけで、そのために習っていた際に、お稽古終わりには必ず直来をして終わるというふうに聞いたことがあります。 お酒が出る直来ですね。そのように、お稽古終わりに皆様をそろそろおもてなししたくなってきたなというのが、今日の私の感想です。 それではごきげんよう。 # この度の地震に関して 本編のお話は終わりましたが、ここでちょっと追加のお話です。 様々な方からですね、生徒さんたちや、あとはちょっと遠く離れた友人、後輩、いろんな方々からご連絡をいただきましてね、 先生のご実家は今回の地震で大丈夫だったでしょうかというふうに、本当にありがたいメッセージをたくさんいただいております。 おかげさまでですね、私の実家は弘前の方にありまして、もちろん震度4で揺れてはいますけれども、家族も無事でおりますので、本当にこの場を借りてお礼を申し上げます。 ですけれども、本当に故郷である青森が、または北海道、岩手、秋田など、本当にこの高発地震注意情報という情報の中で、今本当に緊張感のある日々を過ごしていると思います。 沖合の方ではね、千葉の方までやはりこの注意情報の中の地域に入っているようでございます。 どうぞ皆様、今一度、避難経路ですとか避難用具、あとは備蓄しているものの消費期限、賞味期限、そういうふうなことを確かめるいい時期かと思います。 ちょうどですね、本当に石川県の岩実の地震があった時に、岩実の朝にですね、うちの主人がなんとなく、その避難の道具のことを、そういえばって言って調べ始めてたんですよね。 何かこう虫が騒ぐというか、そういうことがあったのか、その午後にその地震があったので、なんとなくこうざわつく時っていうのはありますよね、胸騒ぎというか。 ここのところ、なんとなく忘れかけていた日常でしたけれども、こういう時にこそ本当に皆様も、本当に自分のこの行動とか自分の今行っている準備が、数日間自分の身を守るほどの準備をされているかどうかっていうのを確かめるいい機会です。 年末のいろいろお片付けの中で、その防災ルックですとか防災グッズの中をご確認いただくいい機会だと思いますので、ぜひ皆様もお供えください。 それでは、お礼方々ご報告でした。ありがとうございます。 もっと見る #おもてなしの心 #平等 #おもてなし #禅語 #喫茶去 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ09:571.喫茶去(きっさこ)とは02:572.この度の地震に関してコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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