TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第452話 【安心】よりも【違和感】を信じてやめたこと15:39 3月14日 106再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次コロナ禍に得た資格と違和感の芽生え安心の肩書きを手放し得た自由とは資格返上後に残る本当の価値視力と身体が導いた新たな創作の道捨てて見えた、研ぎ澄まされた未来の私AI文字起こし(β版) # 【推す】情熱を保てるか? 日々気づき頼り佐藤美奈子です。今日もお聞きくださりありがとうございます。 このチャンネルでは、日本文化に携わる私が気づき感じる心の在り方を日々の暮らしに優しく重ねてお届けしています。 今日のテーマは、「辞めて良かったこと」というVoicyのテーマがありまして、それに沿ってお話をしたいと思います。 実は最近、いくつか持っていたハンドメイド系の認定講師という資格を卒業しました。 この卒業というのはどういうことかというと、いわゆる脱回をしたということですね。 今日はその理由と、手放してみて気づいたことの2つをお話ししてみたいなと思います。 私の体験談を少しお話をしますけれども、コロナ禍に資格取得をすごくしたんですよね。 何か新しいことを始めた時期、皆さんもコロナ禍から始めたという方が多いのではないでしょうかね。 例えばオンラインビジネスがすごく定着してきて、パソコンでみんなと顔を合わせてZoomですとかTeamsですとか、いろんなことでオンラインでつながれるようになって、 そうすると今まで手の届かなかったものが、画面越しに手が届くようになって、画面越しでいろんなものを教えてもらえる。 そんな時代がやってきて、なんとなく波に乗らなければという感じで、いろんなことの学びを始めた方が多いのではないかなと思います。 私はその一人だったんですけれども、様々な教会のハンドメイド資格というものを持っておりまして、その中で認定講師とか認定教室という活動もしてきました。 この当時というのは、この肩書きがあるということはもちろん安心材料になるわけで、そのメソッドを広めること、そういうことにワクワクもしていましたし、私の手で教えてきた人というのも今までいらっしゃいます。 なんですけれども、時間が経つにつれて、私自身の環境も変わってきましたし、もちろん考え方はもっと変わってきまして、そういうふうな変化があるにつれて、少しずつ引っかかりを感じるようになってきたんですよね。 肩書きがあるということは安心材料なんですけれども、安心感がそのままというよりもずっとずっと引っかかってたんですよね。残っちゃってるというか。 教会の看板を押すということにもなるんですよね、そういう認定講師とかっていうのは。そういうことに私自身がずっと情熱を持てていられるのかなとか、これからも。 あとは、肩書きはあるんだけれども、肩に縛られて自分らしさというものがちょっとないなというふうに気づいたことです。 結局、いくつかの団体とか教会というところに権利をお返ししました。 要は、何も活動をしなくても年会費さえ払っていれば、そこに名を連ねることだってできるけれども、それもやめたんですよね。 やはりその団体のトップの方にはお手紙を添えて、長くお世話になったところもあるので、お手紙を添えて認定講師のバッジみたいなものがあって、そのバッジもきちんと返却しました。 その団体を否定するということではなくて、素晴らしく女性の集う団体ばかりですけれども、今の私に合う道を選ぶときには、ちょっとここは出ようというふうに決断したんですよね。 そもそもこの教会、教会ビジネスとも言いますよね。教会、なんとか教会とか、なんとかの会とか、そういうものは、いわゆるフランチャイズのようなもので、本部の看板ですとかテキストを使って教えられるから、初心者にはすごく心強い仕組みなんですよね。 自分で生み出さなくとも、もう生み出されているものがあって、それをワクワクしながら、それを知りたいと思う人に教えて差し上げる。 ですから、まるまるそのお金が自分の手元に来るのではなくて、大元のところにもやっぱり納めるわけです。 それが安心材料になっているということですよね。 自分の名前を登録していただける事務経費も、そこに入ってくるわけです。 辞めた後にですね、私どうだったかというと、ちょっと肩の荷が下りたんですよね。 多分、同じような意見を感じる方も多いと思うんですね。 要は年会費ですとか、後は更新料とか、決まった研修とか、決まった新しいメソッドの習得義務のようなものだったり、 続けなければならないというプレッシャーから解放されたわけです。 また、心理的な縛りもあるかなと思います。 このマニュアル通りにやらなければいけない。それはもちろんですよね。 その枠というところから外れることは、怖いというよりは、逆に私は自分のペースで動ける自由を得れたというのが辞めた後の感想でしょうか。 投資したのに、そんなに安いことでもありませんので、投資したのにって心が揺れて、どうしようかなと思って何年か引きずってしまったこともあるんですけれども、 やはりこれは辞めてしまえば一時的なもので、 やはり辞めた直後のドキドキよりも、今は意外と回復してきて落ち着いているというのが現状です。 この資格を返した後に残るものって何かなって考えると、そこで学んだ技術はもちろんですけれども、 試行錯誤して経験を積んできたということの経験値が残っています。 そうなると、私のように何かを学びたいという方に対しての指導方法としてのノウハウというものも得れたかなと思います。 また、教会の方ではなくて、佐藤のやっていくこと、佐藤のブランドというのを改めてゼロから育てていくというタイミングだったのかなというふうにも捉えています。 自分で料金設定をして、自分が皆さんに届けたいという内容で、誰かの看板を借りるのではなくて、自分の名前で生きていくということ。 今の自分には重いなあって感じるものがあれば、逆にそれはそれを脱いで、脱いでということはフットワークが軽くなるので、次のステージに行く準備ができたんだというふうに思うといいし、 そういう気持ちになっているときっていうのは、もうここのステージじゃないよと、もっとあなたには違うところがあるよという気差しなのかもしれませんよね。 # これからの私 はい、いろんなものを辞めたとはいえ、残しているものももちろんあります。 私は同じような時期に、フランスの伝統詩工芸のカルトナージュという、 防具学園のフレンチメゾンデコールという独自のカルトナージュのカリキュラムの資格を持っていまして、 それは返上していないんですけれども、 それに伴って、今もちろん学んでいることもあるんですね。 その学んでいるものもやはりカルトナージュのものですけれども、 カルトナージュの技法でバッグを作っています。 私のテーマは、もしかしたらこういう持ち物、バッグとか持ち物というのが今までもすごく楽しく作ってきたし、 ビニール製のテープで編み上げたバッグというのも好きで作ったりもしてますけれども、 変化があるとすれば、もともとミシンが好きで、あとは縫うことというのが好きで、手縫いもそうですけれども、 ミシンでの作品をたくさん作ってきたんですね。 皆様のお手元にもたくさん持っていただいている方もいるんですけれども、 それを一旦やめたんですよね。 作るときには作るんですけど、ミシンを出すこともありますけれども、 なぜかというと、やっぱり視力ですね。 目が近いものを見るのが老眼が進んでちょっと大変になってきたということと、 首の頸椎を痛めたこともありますね。 そのちょっと覗き込む姿勢というのが、スマホ首に近い姿勢になってきて、やっぱり頸椎が良くないので、 スマホとかパソコンとか近づけて見ないようにって言われたときには、 私、ミシンの針の縫い目をすごく覗き込んでしまうので、 そこの部分で自分の体を考えたときに、ミシンを使ったハンドメイドっていうのは、 本当に極力少なくしていこうと思ったんですよね。 そんなときに、ボンドを使って紙を組み立てていって、布を貼ってっていうのがすごく面白くて、 丁寧に貼っていけば、本当に自分の好きな生地を使うことができたので、 それは残しているんですよね。 辞めてよかったっていうのが今日のタイトルですけれども、 ただ終わりましたとか捨てましたっていうよりも、 逆にそれをすることによって私が求めたのはスペース作り。 私の脳みその中のスペースもそうだし、 自分の部屋の自宅のスペース作りもあるかもしれません。 やはりあれで使うもの、これで使うもの、それで使うものみたいな感じで、 すごく散乱してたんですよね。 それがやっぱりこれ一本という感じで定まっていくと、 道具も本当に固められるし揃えられるし、 一つのワゴンに入れているんですけれども、 IKEAかな、これはIKEAのワゴンに全てハンドメイドの道具は入れているんですけれども、 そこで一つまとまるということもすごく良いスペースの使い方ができました。 これからもいろいろ活動はしていきますけれども、 捨てたこととか辞めたことで、 本当に残ってきたものを研ぎ澄ますことができるというか、 そこに集中することができるということは大変良かった。 辞めたものもとても素晴らしいものばかりなんですけれども、 そこは逆にもっともっと広めていただける、 私以外の講師の方がたくさんいらっしゃるので、 そういう方にやっていただいて十分、 私が一人抜けたところで特にどうなるというようなところではないので、 本当にこれまで以上に発展していただきたいなと思います。 それと同時に、せっかくこの話をしたので、 私の活動もより私らしく軽やかに進めていきますので、 どうぞ皆さま応援してください。 今年はこのファンドメイドのカルトナーズのバッグを販売していこうと思っています。 とても素敵なメソッドを私は石丸忍先生という先生について習わせていただいていますけれども、 その方というものも発信していきたいので、 どうぞ見守ってください。 洋服にも合うし和服にも合うし、 辞めたことで逆にそこに集中できる自分がいるという今日はお話でした。 今日土曜日は問答講習。 これから出勤して受講生の皆さんと楽しく過ごしたいと思います。 それではごきげんよう。 もっと見る #協会ビジネス #やめてよかったこと 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ09:291.【推す】情熱を保てるか?06:112.これからの私コメント感想・質問・応援メッセージを書こう 中山 裕(なかやま ゆう)3月14日みなちゃん、バッグ、私にも作って欲しいです😄1返信 さとうみなこ3月14日わぁ!裕さん、ありがとうございます😊お作りします💓1
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