TOPハウツー・学習歴史十二単着付け師の【にちにち気づきだより】第470話 今日の稽古場ばなし⑥【停滞するときこそ学びがある】07:13 4月4日 29再生 問題を報告する 再生する シェアする AI目次学んだはずなのに手が止まる時できない時こそ真の学びの入り口「ロス」は成長への大切な投資上達への最終関門を越える術停滞期は成長への準備期間AI文字起こし(β版) # 山を越えよう 日々気づきだより佐藤美奈子です。 このチャンネルでは、平安小族やエモン道に日々触れる中で感じる、心の在り方や人との向き合い方を、日々の暮らしに優しく重ねてお届けしています。 今日は、よく聞く気持ちの一つ、習ったはずなんだけれども、いざとなると手が止まってしまいます。ということについてお話をしたいと思います。 ちょっと軽いシリーズ化をして、今日は5話目なんですけれども、お稽古場にいらしてくださる皆様のお声から、こういうエピソードを拾わせていただきまして、お話を続けてきて5日目になります。 この習ったはずなのに、いざとなると手が止まるということは、とても多いですね。これはエモン道に関わらず、きつけの講習会などでもそうです。 習ったことはあるし、聞いたこともある。その場では、はぁはぁ、なるほどと思った。けれども、自分で実際に自分の手でやろうとすると、ピタッと止まってしまう。習ったことあるはずなのにな、という感じですね。 順番が曖昧になったり、意味がつながらなかったり、体の使い方にちょっと迷いが出たり、そうすると、私分かってたつもりだったんだけども、実はちょっと染み込むまで分かってなかったんだ、ということに気づいて、ちょっと自分を自分で残念に思ってしまう、というパターンですね。 むしろ、この本当の学びが始まる入り口だな、というふうに私は思います。聞いて分かったことと、自分の体でできることは別ですよね。 頭で知っていることと、手が自然に動くことの間には、やはりちょっと距離もあるし、それが手が自然に動くまでには、やはり修練というものが必要になってきます。 このお稽古場でも、最初は前にも習ったんですけどっておっしゃる方っていらっしゃって、実は他のところで習ってました、という方もいらっしゃいます。 そして実際に、ではということで、やってみると、ちょっとできない。緊張感もあるとは思うんですけれども、もう堂々とやっていただければいいし、全く間違いではないし、私が間違いだなって、もしも思うことがあれば、それは切る方、お方様に失礼なことをしたときだけですね。 ああ、私は言葉だけでちょっと分かってなかったんですよね、というふうに気づかれる方もいらっしゃいます。 その気づきというのは、やっぱり恥でもないし、ダメなことでもないし、そこで気づいて初めて理解しようというふうに気持ちが変わっていくので、分かったつもりで終わるよりも、手が止まってでも自分の曖昧さに気づけた方がずっとずっといいと私は思っています。 一旦ね、やっぱり手が止まるときってあるんですよね。 例えば、着付けのコンテストとか、着付けの試験だとか、いろいろ第三者の方に評価を得なきゃいけないとき、そういう練習をしていくときっていうのは、最初は例えば制限時間20分とか25分でタタタタとできるんですけれども、 その後、いろんなノウハウを知っていくと、もう途端に20分、25分ではできなくなります。 それはなぜかというと、本当の意味で、本当の正確な技術とか、この中でやっていかなきゃいけないことっていうのが、ちゃんと理解できていると、気づく点とか、施さなきゃいけないことが多くなって、到底間に合わなくなるんですよね。 間に合っていたのはなぜかというと、もう変な話、時間は間に合うけれども、合格点の技術ではなかったという、ただそれだけなんですよね。 それができるようになっていくと時間がロスする。 時間がロスするということは誰にでもあるんです。 これはそういう時期がないと逆に困るし、そういう時期があると私は、これを越えたら、何々さん、きれいな形で早くできるようになりますよって一言言って差し上げるんですよね。 本当ですか、こんなに遅くなっちゃって、私どうしちゃったんだろうってよく皆さん言うんですけれども、逆にその山を越えた先が、トントントントン、考えなくても手が動くようになっていく、ちょうど最後の関門というか、石書というか、そういう部分に行く方っていうのはもうほぼ皆さんそうです。 真剣に打ち込んでいれば、いるほど必ずそこの山は来ます。 ここを私はちょっとできないなとか、体力ないのかなとか、能力ないのかなとか、そういうふうに責めてしまうと、もう人というのはもっともっと体も頭も固くなってしまうので、 今ここでちょっと時間がロスしているとか、手が止まっているというところは大事なところだから、それを体の中に染み込むためにちょっと時間がかかっているんだと思ってください。 学び方が変わってきているという証拠です。 知っているか押し続けているよりも、やっぱりこの確かめる時間があるということは良いことだと思いませんか。 もうずっとずっと強い学びの本当に豊かな時間になっていきます。 だから、習ったはずなんだけれども、手が止まることがあるとすれば、がっかりしないで、それはできていない証拠ではなくて、これから本当に身に着ける場所に来た、身に着ける時間に来た、身に着ける時がやってきたというふうに思ってくださって大丈夫です。 本当にその後、越えた後が素晴らしく上手になります。 はい、今日は習ったはずなんだけれども、手が止まる時というお話をしました。 まだちょっと続きます。もうちょっとお付き合いください。 次回はですね、今から基礎なんて恥ずかしいと思ってしまうという心についてお話をしてみたいと思います。 今日もお聞きくださってありがとうございました。それではごきげんよう。 もっと見る #停滞期 #十二単 #衣紋道 #十二単授業 十二単着付け師の【にちにち気づきだより】さとうみなこ07:131.山を越えようコメント感想・質問・応援メッセージを書こう
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